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57話 悪意の許容
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カインと別れた俺は自室に戻る。そして一人にして欲しいと使用人たちを遠ざけた。
連れ帰ったムクロは室内に入った途端俺の腕の中から飛び降り大鏡へと駆けていった。その身軽さは羨ましい限りだ。
そのまま目隠し布へ器用に爪を引っ掛けて落とし、鏡面を晒す一連の行動は最早芸として成立していると思う。頭を撫でて褒めてやりたいが恐らく俺を下に見ている為拒むだろう。
そんな黒猫の飼い主は顔の半分を布で覆いながらも表情豊かに俺をなじった。
「子豚ちゃんってばなんでそうホイホイ安請け合いしちゃうの?」
やっぱり図書室での俺たちの会話を猫を通して見ていたのか。非難する口調の賢者に俺は言い返した。
「別に安請け合いはしていない」
そうだ、軽い気持ちで引き受けたわけじゃない。俺も興味があったから引き受けたのだ。
軽率な発言をしてカインという猛獣の尾を踏んだ愚かな大人。
アーダルというカイン付きの教師に対し俺はそういう先入観を持ち、その印象で終えようとしていた。
だが本当にその認識が正しいのか、カインの発言をきっかけに強く疑問が浮かんできたのだ。
俺はただの愚者としてアーダルという人間を判じていいのかと。
このまま切り捨てて忘れてしまうことは、白豚皇帝の時代と変わらない怠惰な行為ではないのかと思った。
「カインは教師のことを落ち着いて冷静な大人だと話していた。そんな人物が生徒に対して、その兄の死を喜ぶ言葉を吐き出すのは不自然だと思う」
「だとしても、それはあんたの父親の皇帝に言えばいいんだよ。それでカインには、父上に伝えておくとか言えばよかった」
「多分それだと駄目だ」
「どうしてさ?」
「あの人は俺と違って……暇ではないだろうから」
それにあの皇帝がわざわざ罪人の内面など知ろうとすると思えない。その気持ちは口に出さずにおいた。
俺の説明にリヒトは「だからって子供がそこまで出しゃばり続ける必要はない」と納得しない。僅かな矛盾を孕むところも含めリヒトらしい台詞だと思った。
しかし彼が俺の決断に異を唱えるのは、それだけが理由ではないだろう。
「だってさ、百歩譲ってカインがアーダルの減刑を内心で求めているにしても……子豚ちゃんが直接会う必要は無いだろ」
そいつがカインにとって忠臣だったとしてもあんたの死を望んだ発言は事実なのだから。賢者はそう言ってそっぽを向いた。
彼の飼っている黒猫が代わりに俺の足を抗議するように踏んでくる。子猫なので全く重くないが。
リヒトはやはり俺の身を案じていた。申し訳ないと思いながら内心嬉しさがわいてくる。勝手な期待ではなかった。
俺はムクロを抱き上げようとして逃げられながらその飼い主に告げた。
「心配しなくても一人で会うつもりはないぞ、対話も距離を取ってするつもりだしな」
「肉体的な危害以外に、言葉の暴力だってあるんですけど?放送禁止用語とか不適切発言とかされるかもよ?」
「不適切な発言?具体的には?」
「平気で言えたら不適切じゃないから!」
「それもそうだな」
「……その鈍さ、ほんっと心配」
温室育ちの子豚ちゃんがショック受けてまた寝込んだらどうするの。その憎まれ口に思わず笑ってしまう。
本当に心配しすぎだ。俺が温室育ちなのは事実だが今この場ではリヒトこそがその温室の管理人に思えた。
「別に暴言を吐くなら暴言を吐く人物だったで評価を終えるさ。カインにもそう伝える」
「……その教師にけちょんけちょんに言われて泣いても俺は知らないからね」
「泣いてしまうぐらいの罵倒か、今の内に慣れておいた方が後で恥をかかなくて済むかな」
「何その余裕。むかつく」
子豚ちゃんのくせに生意気と続けて呟く賢者に俺は苦笑いを浮かべた。
リヒトの発言にも罵倒紛いの単語は多く含まれている気がするが正直そこまで痛くない。その辺りは彼の飼い猫に似ている。いや細くて尖った爪は結構痛いか。
どうやら賢者も渋々だが納得してくれそうだ。
安堵が連れてくる疲労を感じ俺は自身の寝台に横たわりながら言葉を発した。黒猫が近くに飛び乗ってくる。
「……アーダルという人物が俺に敵対するつもりなら、それはそれで興味があるんだ」
「……子豚ちゃん?」
「俺は俺に対して向けられる敵意をもっと知るべきだと思うから」
カイン側の教師の罵倒。それが浅はかな軽口の類なのか、それとも命を賭して吐き捨てるものなのか。
どちらにしても泣くほど辛いものならこの機会に体験しておくべきだと俺は思った。
万が一にでもカインの前でうっかり涙したりしないように。
俺が落とした涙の数十、いや数百倍、泣かせた相手の血が流れかねない。
そういうことをしないようあの弟を見守り、不肖ながら兄として導いていくつもりなのだが。
「俺がアーダルとやらに泣かされて帰ってきたら、リヒトは何だかんだで慰めてくれそうだ」
「は?寧ろ笑うけど?大笑いするけど、ムクロと一緒に指差して笑うね」
「……有言実行してくれるのか楽しみになって来たな。違ってたら何かして貰う」
「何かって何だよ、具体性が欠けてる。却下」
「本当にああ言えばこう言うなリヒトは……それも、才……のう……」
そんな下らないじゃれ合いを鏡の賢者としている内に、俺は束の間の眠りに落ちて行った。
連れ帰ったムクロは室内に入った途端俺の腕の中から飛び降り大鏡へと駆けていった。その身軽さは羨ましい限りだ。
そのまま目隠し布へ器用に爪を引っ掛けて落とし、鏡面を晒す一連の行動は最早芸として成立していると思う。頭を撫でて褒めてやりたいが恐らく俺を下に見ている為拒むだろう。
そんな黒猫の飼い主は顔の半分を布で覆いながらも表情豊かに俺をなじった。
「子豚ちゃんってばなんでそうホイホイ安請け合いしちゃうの?」
やっぱり図書室での俺たちの会話を猫を通して見ていたのか。非難する口調の賢者に俺は言い返した。
「別に安請け合いはしていない」
そうだ、軽い気持ちで引き受けたわけじゃない。俺も興味があったから引き受けたのだ。
軽率な発言をしてカインという猛獣の尾を踏んだ愚かな大人。
アーダルというカイン付きの教師に対し俺はそういう先入観を持ち、その印象で終えようとしていた。
だが本当にその認識が正しいのか、カインの発言をきっかけに強く疑問が浮かんできたのだ。
俺はただの愚者としてアーダルという人間を判じていいのかと。
このまま切り捨てて忘れてしまうことは、白豚皇帝の時代と変わらない怠惰な行為ではないのかと思った。
「カインは教師のことを落ち着いて冷静な大人だと話していた。そんな人物が生徒に対して、その兄の死を喜ぶ言葉を吐き出すのは不自然だと思う」
「だとしても、それはあんたの父親の皇帝に言えばいいんだよ。それでカインには、父上に伝えておくとか言えばよかった」
「多分それだと駄目だ」
「どうしてさ?」
「あの人は俺と違って……暇ではないだろうから」
それにあの皇帝がわざわざ罪人の内面など知ろうとすると思えない。その気持ちは口に出さずにおいた。
俺の説明にリヒトは「だからって子供がそこまで出しゃばり続ける必要はない」と納得しない。僅かな矛盾を孕むところも含めリヒトらしい台詞だと思った。
しかし彼が俺の決断に異を唱えるのは、それだけが理由ではないだろう。
「だってさ、百歩譲ってカインがアーダルの減刑を内心で求めているにしても……子豚ちゃんが直接会う必要は無いだろ」
そいつがカインにとって忠臣だったとしてもあんたの死を望んだ発言は事実なのだから。賢者はそう言ってそっぽを向いた。
彼の飼っている黒猫が代わりに俺の足を抗議するように踏んでくる。子猫なので全く重くないが。
リヒトはやはり俺の身を案じていた。申し訳ないと思いながら内心嬉しさがわいてくる。勝手な期待ではなかった。
俺はムクロを抱き上げようとして逃げられながらその飼い主に告げた。
「心配しなくても一人で会うつもりはないぞ、対話も距離を取ってするつもりだしな」
「肉体的な危害以外に、言葉の暴力だってあるんですけど?放送禁止用語とか不適切発言とかされるかもよ?」
「不適切な発言?具体的には?」
「平気で言えたら不適切じゃないから!」
「それもそうだな」
「……その鈍さ、ほんっと心配」
温室育ちの子豚ちゃんがショック受けてまた寝込んだらどうするの。その憎まれ口に思わず笑ってしまう。
本当に心配しすぎだ。俺が温室育ちなのは事実だが今この場ではリヒトこそがその温室の管理人に思えた。
「別に暴言を吐くなら暴言を吐く人物だったで評価を終えるさ。カインにもそう伝える」
「……その教師にけちょんけちょんに言われて泣いても俺は知らないからね」
「泣いてしまうぐらいの罵倒か、今の内に慣れておいた方が後で恥をかかなくて済むかな」
「何その余裕。むかつく」
子豚ちゃんのくせに生意気と続けて呟く賢者に俺は苦笑いを浮かべた。
リヒトの発言にも罵倒紛いの単語は多く含まれている気がするが正直そこまで痛くない。その辺りは彼の飼い猫に似ている。いや細くて尖った爪は結構痛いか。
どうやら賢者も渋々だが納得してくれそうだ。
安堵が連れてくる疲労を感じ俺は自身の寝台に横たわりながら言葉を発した。黒猫が近くに飛び乗ってくる。
「……アーダルという人物が俺に敵対するつもりなら、それはそれで興味があるんだ」
「……子豚ちゃん?」
「俺は俺に対して向けられる敵意をもっと知るべきだと思うから」
カイン側の教師の罵倒。それが浅はかな軽口の類なのか、それとも命を賭して吐き捨てるものなのか。
どちらにしても泣くほど辛いものならこの機会に体験しておくべきだと俺は思った。
万が一にでもカインの前でうっかり涙したりしないように。
俺が落とした涙の数十、いや数百倍、泣かせた相手の血が流れかねない。
そういうことをしないようあの弟を見守り、不肖ながら兄として導いていくつもりなのだが。
「俺がアーダルとやらに泣かされて帰ってきたら、リヒトは何だかんだで慰めてくれそうだ」
「は?寧ろ笑うけど?大笑いするけど、ムクロと一緒に指差して笑うね」
「……有言実行してくれるのか楽しみになって来たな。違ってたら何かして貰う」
「何かって何だよ、具体性が欠けてる。却下」
「本当にああ言えばこう言うなリヒトは……それも、才……のう……」
そんな下らないじゃれ合いを鏡の賢者としている内に、俺は束の間の眠りに落ちて行った。
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