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40話 閉ざされた口
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その侍女の顔には何の感情も浮かんでいなかった。
第一皇子を前にしているのに緊張している様子もない。
これは俺が使用人たちからも評価が低く侮られているからかもしれない。
しかし俺は彼女たちに今まで嫌がらせをしていた者たちの主人だというのに、俺を見るその灰色の瞳から敵意も他の感情も探し当てることが出来ない。
彼女を連れてきた俺の侍女の、逆に色々なものが隠しきれてない表情とは大違いだ。
命令を遂行したという安堵と、これで文句はないだろうという強気と、そして俺に対する怯え。
俺はカイン付きの侍女以外、全員部屋から出るようにと言った。
するとトピアと名乗ったその女性は、俺付きの侍女たちに自分が本来この時間にやる筈だった仕事を代わりに行うよう告げた。
他のカイン付きの侍女たちに交じって部屋の掃除とそして洗濯をするようにと。
随分と強気だと思ったが、やはりその瞳は静かなままだった。だから俺は、不満げにトピアを睨みつける他の侍女たちに「そのようにいたせ」と命じた。
彼女の発言が今までの嫌がらせに対する意趣返しではないと感じたからだ。
二人きりと言っても実際は鏡の奥にリヒトが待機している。万が一俺の身に危険が生じた時には何とかしてくれる筈だ。
そう考えていることを気づかせないようにしつつ、人が少なくなった自室で俺は彼女に椅子を勧める。しかし彼女はそれを丁寧に断り口を開いた。
「私はディスト・グランシー様に仕える者です」
「……は?」
「まず最初にそれを申し上げて置く必要があると判断致しました」
銀の髪を後ろで一つに纏めた侍女は、そう言って俺の前に跪く。まるで騎士のように。
「皇子殿下の侍女にあのような命令をしたのは、監視者のいる場所に遠ざけたかったからです」
万が一にでもこの話を盗み聞きされたくなかったからです。お許しください。
そう謝罪を口にする女性に対し、俺は何とか気にするなと言う声を振り絞った。
何故ディストに仕えている者がカインの侍女などやっている?
そう口に出しそうになったのを喉奥で堪えたのは心当たりがあったからだ。
ディストの父親で俺の伯父であるグランシー公爵は、亡くなった妹可愛さの余り新しい皇妃を憎んでいた。
その子供であるカインのこともだ。そして城内に密偵を置き俺も含め皇族たちの動向を見張らせていた。そのことは知っている。
ディストの父、ノーマン・グランシーが俺がカインと仲良くするようになったのを知り即説教をしに来たのだから。
しかしその件については公爵を説得仕返し、彼よりも余程色々企んでいそうなディストに対しても公爵家の人間を城から引き揚げさせるようにも言ったのだが。
そういや、あいつ別にわかりましたとか承諾の言葉を一つも発してなかったな。今更気づいても遅い。ディストが上手なのもあるが俺も詰めが甘かった。
どこの世界でもあの紫眼の男は油断ならない存在のようだ。敵だろうが味方だろうがそれは変わらないだろう。そういう性質の人間なのだ、きっと。
「……存在は把握していた。しかしカインやその母である皇妃に危害を加えることは絶対に許さない」
「そのようなことは致しません。そのような命令は受けておりませんので」
「受けても絶対やるな。もし受けたら、俺に報告しろ」
難しいだろうなと思いながら、そう告げる。しかしディストの手の者である割には随分と正直者だ。
そのようなことはしないとだけ言っておけばいいのに。
「今回、俺が君を……カインに仕えている侍女を呼んだのは私的な謝罪の為と向う側には伝えてくれ。二度と俺の侍女にそのような無礼な真似はさせないと言っていたと」
「かしこまりました」
「本題は、カインが今どうなっているかを知りたい。……俺の部屋を訪れた者に弟の様子を訊くと皆妙な反応をするから気になった」
彼女とは逆に俺は嘘の理由を相手へ告げる。ディストに仕えているからといって流石にリヒトのことは知らないだろう。
この世界のディストもカインもリヒトと出会っていない。カインは使い魔のムクロとは接点があるが飼い主は俺だと思っている筈だ。
「第二皇子殿下は、教師に大怪我をさせて皇帝陛下によって入牢の罰を受けております」
「怪我をさせた教師は?」
「アーダルという人物で、城に招かれる前から第二皇子殿下の教師をしていたようです。実際関係は良好に思えました」
「だが、カインはその者に大怪我をさせたのだな。……何故だ?」
「それをお話しすることは出来ません」
「……そちらも、何故だ」
「第二皇子殿下が、そこまでの厳罰を受けているのは皇帝陛下を前にしても理由を絶対に話さないからだと聞きました」
俺は目を丸くする。しかし合点がいった。
教師を負傷させたことよりも皇帝である己に逆らい口を閉ざしていることに罰を与えているのか。
もしくはカインが牢暮らしに音を上げて事情を話すことを目論んでいるのか。
「そのように隠し通している真実を軽率に私が話せば、私はあの方に殺されてしまうような気がするのです」
自分と十以上も違う、七歳の少年相手に臆病だとお思いになるかもしれませんが。
そう語るトピアの瞳には今まで一度も確認できなかった怯えが確かに浮かんでいた。
「……臆病だとは思わない、その勘の良さを大事にした方がいい」
そして恐らくアーダルと言う教師に足りなかったのはその勘の良さなのだ。
カインに心臓を貫かれた痛みをどこか遠くに思い出しながら、俺はこの後の行動を考えた。
第一皇子を前にしているのに緊張している様子もない。
これは俺が使用人たちからも評価が低く侮られているからかもしれない。
しかし俺は彼女たちに今まで嫌がらせをしていた者たちの主人だというのに、俺を見るその灰色の瞳から敵意も他の感情も探し当てることが出来ない。
彼女を連れてきた俺の侍女の、逆に色々なものが隠しきれてない表情とは大違いだ。
命令を遂行したという安堵と、これで文句はないだろうという強気と、そして俺に対する怯え。
俺はカイン付きの侍女以外、全員部屋から出るようにと言った。
するとトピアと名乗ったその女性は、俺付きの侍女たちに自分が本来この時間にやる筈だった仕事を代わりに行うよう告げた。
他のカイン付きの侍女たちに交じって部屋の掃除とそして洗濯をするようにと。
随分と強気だと思ったが、やはりその瞳は静かなままだった。だから俺は、不満げにトピアを睨みつける他の侍女たちに「そのようにいたせ」と命じた。
彼女の発言が今までの嫌がらせに対する意趣返しではないと感じたからだ。
二人きりと言っても実際は鏡の奥にリヒトが待機している。万が一俺の身に危険が生じた時には何とかしてくれる筈だ。
そう考えていることを気づかせないようにしつつ、人が少なくなった自室で俺は彼女に椅子を勧める。しかし彼女はそれを丁寧に断り口を開いた。
「私はディスト・グランシー様に仕える者です」
「……は?」
「まず最初にそれを申し上げて置く必要があると判断致しました」
銀の髪を後ろで一つに纏めた侍女は、そう言って俺の前に跪く。まるで騎士のように。
「皇子殿下の侍女にあのような命令をしたのは、監視者のいる場所に遠ざけたかったからです」
万が一にでもこの話を盗み聞きされたくなかったからです。お許しください。
そう謝罪を口にする女性に対し、俺は何とか気にするなと言う声を振り絞った。
何故ディストに仕えている者がカインの侍女などやっている?
そう口に出しそうになったのを喉奥で堪えたのは心当たりがあったからだ。
ディストの父親で俺の伯父であるグランシー公爵は、亡くなった妹可愛さの余り新しい皇妃を憎んでいた。
その子供であるカインのこともだ。そして城内に密偵を置き俺も含め皇族たちの動向を見張らせていた。そのことは知っている。
ディストの父、ノーマン・グランシーが俺がカインと仲良くするようになったのを知り即説教をしに来たのだから。
しかしその件については公爵を説得仕返し、彼よりも余程色々企んでいそうなディストに対しても公爵家の人間を城から引き揚げさせるようにも言ったのだが。
そういや、あいつ別にわかりましたとか承諾の言葉を一つも発してなかったな。今更気づいても遅い。ディストが上手なのもあるが俺も詰めが甘かった。
どこの世界でもあの紫眼の男は油断ならない存在のようだ。敵だろうが味方だろうがそれは変わらないだろう。そういう性質の人間なのだ、きっと。
「……存在は把握していた。しかしカインやその母である皇妃に危害を加えることは絶対に許さない」
「そのようなことは致しません。そのような命令は受けておりませんので」
「受けても絶対やるな。もし受けたら、俺に報告しろ」
難しいだろうなと思いながら、そう告げる。しかしディストの手の者である割には随分と正直者だ。
そのようなことはしないとだけ言っておけばいいのに。
「今回、俺が君を……カインに仕えている侍女を呼んだのは私的な謝罪の為と向う側には伝えてくれ。二度と俺の侍女にそのような無礼な真似はさせないと言っていたと」
「かしこまりました」
「本題は、カインが今どうなっているかを知りたい。……俺の部屋を訪れた者に弟の様子を訊くと皆妙な反応をするから気になった」
彼女とは逆に俺は嘘の理由を相手へ告げる。ディストに仕えているからといって流石にリヒトのことは知らないだろう。
この世界のディストもカインもリヒトと出会っていない。カインは使い魔のムクロとは接点があるが飼い主は俺だと思っている筈だ。
「第二皇子殿下は、教師に大怪我をさせて皇帝陛下によって入牢の罰を受けております」
「怪我をさせた教師は?」
「アーダルという人物で、城に招かれる前から第二皇子殿下の教師をしていたようです。実際関係は良好に思えました」
「だが、カインはその者に大怪我をさせたのだな。……何故だ?」
「それをお話しすることは出来ません」
「……そちらも、何故だ」
「第二皇子殿下が、そこまでの厳罰を受けているのは皇帝陛下を前にしても理由を絶対に話さないからだと聞きました」
俺は目を丸くする。しかし合点がいった。
教師を負傷させたことよりも皇帝である己に逆らい口を閉ざしていることに罰を与えているのか。
もしくはカインが牢暮らしに音を上げて事情を話すことを目論んでいるのか。
「そのように隠し通している真実を軽率に私が話せば、私はあの方に殺されてしまうような気がするのです」
自分と十以上も違う、七歳の少年相手に臆病だとお思いになるかもしれませんが。
そう語るトピアの瞳には今まで一度も確認できなかった怯えが確かに浮かんでいた。
「……臆病だとは思わない、その勘の良さを大事にした方がいい」
そして恐らくアーダルと言う教師に足りなかったのはその勘の良さなのだ。
カインに心臓を貫かれた痛みをどこか遠くに思い出しながら、俺はこの後の行動を考えた。
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