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30話 奇跡と逸脱
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俺たちの立つ場所から少し離れた床の一部がひび割れ、小さな穴が開く。もしかしてその下にリヒトはいるのだろうか。
けれど本当に小さな穴だった。猫一匹通れるか通れないかぐらいだ。流石にここを通って逃げるのは無理だ。
そんなことを考えていると視界に小さな姿が入る。
リヒトの左手だ。それは自らの指先を上手く使い、小走りで俺たちの足元から遠ざかって行った。
その動きはどこかコミカルで人体の一部というより最早そういう生物だとしか思えない。俺も大分感覚が麻痺しているのかもしれなかった。
穴の近くまで駆けて行った左手は、わざわざ助走をつけてぴょんとその中に飛び込む。俺は思わず驚きの声を上げた。
「あっ、おい……なっ?」
「おや」
俺だけでなくディストも小さく声を上げる。リヒトの手を飲み込んだ穴が満足したように閉じ始めたからだろう。
あっという間に小さな暗闇は消える。床は少し前と変わらない状態に戻っていた。そう何も変わらない。左手の消失以外は。
俺はそれらを受け止めて呟く。
「……もしかして左手が家に帰っただけなのか?」
「いや、左手の家ってどこだよ子豚ちゃん」
本体はここにいますけど。そう背後から懐かしい声が聞こえる。
今俺はディストに背後から抱かれているから、声の主は彼の後ろにいるのだと思う。姿形は見えない。
けれど声だけでわかる。
「リヒト……!」
「今すぐレオンハルトから血塗れの手を離せよ。此処はお前が居ていい場所じゃない」
俺の呼びかけに答えず、盲目の賢者は冷たい声で隻眼のネクロマンサーを威圧した。
今まで聞いたことのない低く圧し潰したような声だった。
しかしディストの感情に動きは見えない。俺の体に触れたまま口調だけは穏やかに返答する。
「貴男、まだ私の顔を見るのが怖いのですか?わざわざ小細工を使って背後を取るぐらいに」
「は?全然怖くないけど?そもそも目玉自体がないけど?見えませんけど?」
「それと此処に居るべきでないという指摘はブーメラン発言になるのでは?貴男、こういった場合によくそう仰ってましたよね」
「は?俺は児童保護的観点から物申しているんですけど?介入的意味じゃないですけど?」
「ふふ、ああ言えばこう言う。昔から変わりませんね」
「それこそ、ブーメランなんですけど!ああやっぱりお前嫌い!多分どの世界でも生理的に無理!」
もういいからレオン置いてさっさと自分の世界に帰れよ。そうリヒトはディストに噛みつく。
苛々した口調に俺は毛を逆立てた黒猫を幻視しそうになって慌てて打ち消す。ディストの方は逆に楽しそうですらある。
その様子になんとなく、このディストは他者とのこういった会話が久しぶりなのではと感じた。
俺もリヒトと会話をする時に嬉しくてはしゃいでしまう時があったから、そう思ったのだ。
だからつい口が滑った。
「なあ、もしかしてお前も俺の世界で暮らしたいのか?それなら別に構わないが」
「はあ?!何言ってるの子豚ちゃん、相手は誘拐犯ですけど?洗脳魔法でもかけられたの?!」
困惑と驚愕を隠しもせずリヒトが叫ぶ。
ディストは、先程までの饒舌さが嘘のように黙って俺を見つめていた。俺を通して別の誰かを見ているような痛切な眼差しだった。
そしてゆっくりと言葉を口に乗せる。
「無理ですね。私は自身の臨終を利用して此処に立ち寄っただけですから」
「は?ネクロマンサー、あんた、もしかして死んで……」
リヒトが茫然とした声を上げる。俺も彼と同じように驚いていた。
不思議な存在だとは最初から思っていたが、まさか死人だとは全く考えたこともなかった。
だってあれだけ好き放題に活き活きとはしゃいでいたのに。こうやって触れることも出来るのに。
「そうですよ。私は貴男と違う。長期の研究と肉体を完全に捨てることで漸く世界線とやらを越えることができた。ああ心配なく死因は寿命です」
死ぬついでに元同僚へ嫌がらせをしに来ただけですよ。そう言いながらディストは自身の眼帯を外した。
けれど本当に小さな穴だった。猫一匹通れるか通れないかぐらいだ。流石にここを通って逃げるのは無理だ。
そんなことを考えていると視界に小さな姿が入る。
リヒトの左手だ。それは自らの指先を上手く使い、小走りで俺たちの足元から遠ざかって行った。
その動きはどこかコミカルで人体の一部というより最早そういう生物だとしか思えない。俺も大分感覚が麻痺しているのかもしれなかった。
穴の近くまで駆けて行った左手は、わざわざ助走をつけてぴょんとその中に飛び込む。俺は思わず驚きの声を上げた。
「あっ、おい……なっ?」
「おや」
俺だけでなくディストも小さく声を上げる。リヒトの手を飲み込んだ穴が満足したように閉じ始めたからだろう。
あっという間に小さな暗闇は消える。床は少し前と変わらない状態に戻っていた。そう何も変わらない。左手の消失以外は。
俺はそれらを受け止めて呟く。
「……もしかして左手が家に帰っただけなのか?」
「いや、左手の家ってどこだよ子豚ちゃん」
本体はここにいますけど。そう背後から懐かしい声が聞こえる。
今俺はディストに背後から抱かれているから、声の主は彼の後ろにいるのだと思う。姿形は見えない。
けれど声だけでわかる。
「リヒト……!」
「今すぐレオンハルトから血塗れの手を離せよ。此処はお前が居ていい場所じゃない」
俺の呼びかけに答えず、盲目の賢者は冷たい声で隻眼のネクロマンサーを威圧した。
今まで聞いたことのない低く圧し潰したような声だった。
しかしディストの感情に動きは見えない。俺の体に触れたまま口調だけは穏やかに返答する。
「貴男、まだ私の顔を見るのが怖いのですか?わざわざ小細工を使って背後を取るぐらいに」
「は?全然怖くないけど?そもそも目玉自体がないけど?見えませんけど?」
「それと此処に居るべきでないという指摘はブーメラン発言になるのでは?貴男、こういった場合によくそう仰ってましたよね」
「は?俺は児童保護的観点から物申しているんですけど?介入的意味じゃないですけど?」
「ふふ、ああ言えばこう言う。昔から変わりませんね」
「それこそ、ブーメランなんですけど!ああやっぱりお前嫌い!多分どの世界でも生理的に無理!」
もういいからレオン置いてさっさと自分の世界に帰れよ。そうリヒトはディストに噛みつく。
苛々した口調に俺は毛を逆立てた黒猫を幻視しそうになって慌てて打ち消す。ディストの方は逆に楽しそうですらある。
その様子になんとなく、このディストは他者とのこういった会話が久しぶりなのではと感じた。
俺もリヒトと会話をする時に嬉しくてはしゃいでしまう時があったから、そう思ったのだ。
だからつい口が滑った。
「なあ、もしかしてお前も俺の世界で暮らしたいのか?それなら別に構わないが」
「はあ?!何言ってるの子豚ちゃん、相手は誘拐犯ですけど?洗脳魔法でもかけられたの?!」
困惑と驚愕を隠しもせずリヒトが叫ぶ。
ディストは、先程までの饒舌さが嘘のように黙って俺を見つめていた。俺を通して別の誰かを見ているような痛切な眼差しだった。
そしてゆっくりと言葉を口に乗せる。
「無理ですね。私は自身の臨終を利用して此処に立ち寄っただけですから」
「は?ネクロマンサー、あんた、もしかして死んで……」
リヒトが茫然とした声を上げる。俺も彼と同じように驚いていた。
不思議な存在だとは最初から思っていたが、まさか死人だとは全く考えたこともなかった。
だってあれだけ好き放題に活き活きとはしゃいでいたのに。こうやって触れることも出来るのに。
「そうですよ。私は貴男と違う。長期の研究と肉体を完全に捨てることで漸く世界線とやらを越えることができた。ああ心配なく死因は寿命です」
死ぬついでに元同僚へ嫌がらせをしに来ただけですよ。そう言いながらディストは自身の眼帯を外した。
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