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第一章
38.母を想う
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「そういえばもう一つ確認したいことがある」
バタークッキーの残りを平らげた後、ユーグ男爵は言う。
父の膝からソファーへ移動したエリスティアはイメリアに淹れてもらった紅茶を飲みながら首を傾げた。
「何でしょうか?」
「王宮ではずっと王妃に酷使されていたようだが、セリル第一王子の治癒は頼まれなかったのか?」
「セリル……?」
聞いたこともない名前だ。そう口に出そうとして黒髪の少女は思い留まる。
いや、自分は知っている。この前授業で国の歴史を学んだ時にその名前が出たのだ。
セリル・バートン。
バートン王家の長子で今年十六歳になるが病弱な為か王太子に未だ任命されていない。
教師エルナの説明をエリステイアは思い出す。
だがこの知識は先日得たもので、王宮で彼の話を聞くことは無かった。
若い男性の治癒を命じられたこともない。
エリスティアはそのことを父に話す。
「……やはり妙だな、治癒能力を持つ娘を手に入れたのに第一王子は癒さなかったのか?」
それを国王陛下も容認していたのだろうか。
難しい表情を浮かべる父にエリスティアは俯いた。
「私にもわからないです。あの人たちが何を考えていたのか……」
暗く呟く娘を前にユーグ男爵は溜息を吐いた。
「よく考えたら別に理解する必要もないな。私たちはこの国を捨てるのだから」
王位継承について考える理由もない。
そう軽い口調で言う父にエリスティアはほっとする。
同時に男爵である彼が国を捨てると口にしたことに罪悪感に似た戸惑いを覚えた。
「お父様は……この国から離れても、本当に大丈夫なのですか」
娘への仕打ちを知り王家への忠誠心は消えてしまってもこの国は彼が長年生きていた場所だ。
そして何よりエリスティアの母でありユーグ男爵の妻だった女性の墓がある。
彼の妻への深い愛は苦しい程理解していた。
「もし、心残りがあるなら……」
「エリスティアは私を捨てる気なのか?」
全てを言い終わる前に真っ青な目に射竦められる。
「この国よりも貴族の責務よりもお前の方がずっと大事だ。アイリスの墓守はきちんと頼んである。娘より自分の亡骸を優先させたなら彼女は絶対私を許さないだろう」
「お父様……」
「今までエリスティアに行った仕打ちのことを考えれば、あの世で再会したら即鈍器で思いっきり殴られるだろうが……」
それは仕方がないな。
大真面目な顔で言う父に、自分の母はもしかして豪胆な女性だったのだろうかとエリスティアは冷や汗をかいた。
病弱だった彼女が生きている内に出会えていたなら、治癒の力を使い今でも親子三人で居られたかもしれない。
けれどエリスティアは母の命と引き換えに生まれたのだ。そしてそれを父は責めない。
だから軟禁された十年間のことは水に流そう。きっと母もそれを許してくれる。
(でもお父様とお母様と一緒に、こうやってお茶をしたかった……)
叶わなかった夢を黒髪の少女はそっと薄い胸に閉まった。
バタークッキーの残りを平らげた後、ユーグ男爵は言う。
父の膝からソファーへ移動したエリスティアはイメリアに淹れてもらった紅茶を飲みながら首を傾げた。
「何でしょうか?」
「王宮ではずっと王妃に酷使されていたようだが、セリル第一王子の治癒は頼まれなかったのか?」
「セリル……?」
聞いたこともない名前だ。そう口に出そうとして黒髪の少女は思い留まる。
いや、自分は知っている。この前授業で国の歴史を学んだ時にその名前が出たのだ。
セリル・バートン。
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教師エルナの説明をエリステイアは思い出す。
だがこの知識は先日得たもので、王宮で彼の話を聞くことは無かった。
若い男性の治癒を命じられたこともない。
エリスティアはそのことを父に話す。
「……やはり妙だな、治癒能力を持つ娘を手に入れたのに第一王子は癒さなかったのか?」
それを国王陛下も容認していたのだろうか。
難しい表情を浮かべる父にエリスティアは俯いた。
「私にもわからないです。あの人たちが何を考えていたのか……」
暗く呟く娘を前にユーグ男爵は溜息を吐いた。
「よく考えたら別に理解する必要もないな。私たちはこの国を捨てるのだから」
王位継承について考える理由もない。
そう軽い口調で言う父にエリスティアはほっとする。
同時に男爵である彼が国を捨てると口にしたことに罪悪感に似た戸惑いを覚えた。
「お父様は……この国から離れても、本当に大丈夫なのですか」
娘への仕打ちを知り王家への忠誠心は消えてしまってもこの国は彼が長年生きていた場所だ。
そして何よりエリスティアの母でありユーグ男爵の妻だった女性の墓がある。
彼の妻への深い愛は苦しい程理解していた。
「もし、心残りがあるなら……」
「エリスティアは私を捨てる気なのか?」
全てを言い終わる前に真っ青な目に射竦められる。
「この国よりも貴族の責務よりもお前の方がずっと大事だ。アイリスの墓守はきちんと頼んである。娘より自分の亡骸を優先させたなら彼女は絶対私を許さないだろう」
「お父様……」
「今までエリスティアに行った仕打ちのことを考えれば、あの世で再会したら即鈍器で思いっきり殴られるだろうが……」
それは仕方がないな。
大真面目な顔で言う父に、自分の母はもしかして豪胆な女性だったのだろうかとエリスティアは冷や汗をかいた。
病弱だった彼女が生きている内に出会えていたなら、治癒の力を使い今でも親子三人で居られたかもしれない。
けれどエリスティアは母の命と引き換えに生まれたのだ。そしてそれを父は責めない。
だから軟禁された十年間のことは水に流そう。きっと母もそれを許してくれる。
(でもお父様とお母様と一緒に、こうやってお茶をしたかった……)
叶わなかった夢を黒髪の少女はそっと薄い胸に閉まった。
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