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第一章

14.差し出された血と涙

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 力を見せろと男爵に言われ頷いたものの、エリスティアは内心困っていた。

「男爵様はその、どこかお体で具合の悪いところとかは……」
「無いな」

 恐る恐る質問したが、あっさりと否定される。
 エリスティアの能力は治癒だ。体の悪い場所を癒す事が出来る。
 しかし怪我も病気もしていない人間を前にどうやって力を発揮すればいいのだろう。

 黒髪の少女は悩む。
 自分で自分を傷つけても、エリスティアの能力は他者にしか効果がない。
 かといって怪我人か病人を連れてきてくださいと男爵に頼むのも気が引けた。
 大体今は深夜だ。使用人たちも殆どが寝室で休んでいるだろう。

 エリスティアが良案を思いつけず無言でいるのを男爵も又無言で見つめる。
 やがて沈黙を破ったのは黒髪の少女ではなく白髪の美男子の方だった。

「成程、そういうことか」

 彼は独り言のように呟くと、執務机に移動し引き出しを開けた。
 少しだけ何かを探すような仕草をし、エリスティアの元へ戻る。
 彼の手袋に包まれた細い指先は剥き出しのナイフを持っていた。 

「ヒッ」

 黒髪の少女は思わず悲鳴を上げる。
 
「お前に使うわけじゃない」

 男爵は素っ気なく呟くと、剥き出しにした左手の甲に刃先を走らせた。
 朱色の一本線が白い肌に引かれる。
 そこからぷつりぷつりと血玉が生まれる光景に少女は目を見開いた。

「これでいいだろう、治してみろ」

 目の前に大きな手を突き出されてエリスティアは無意識に両手を傷口にかざしていた。

「傷よ、癒えよ」

 小さな光が瞬時に生まれ、消える。
 それと同時に男爵の手の甲から傷は消滅していた。

「これは……」

 低い声が驚きに震えるのをエリスティアは緊張しながら聞く。
 男爵が協力してくれたおかげで能力の証明は出来た。

「……私の言ったことが事実であると信じて頂けますでしょうか」
「ああ、信じよう」

 確認の質問にも望んでいた答えが返ってくる。だが喜ぶのはまだ早かった。

 エリスティアが女神の愛し子として特別な能力を持っている。
 それを父であるフィリス男爵が理解する。
 彼女の来訪目的の一つ目は叶った。

 しかし娘の治癒能力を知った男爵がどういう決断をするかはまだ予測できない。
 そのまま王家に引き渡される可能性だってゼロではない。
 もしくは王妃のようにエリスィアを自らの為に使い潰すことだって。
 
 どちらでもあって欲しくない。そう黒髪の少女は祈る。
 それは自分の運命が再度悲惨なものにならないようにというだけではない。

 目の前にいる白い髪に青い瞳をした紳士を、父として信じたかった。
 誤解が解ければ娘として愛してもらえる、そんな夢に焦がれてしまった。

 どうかセイナ王妃のように私を利用しつくして殺さないで。
 どうかアキム王子のように、甘い言葉で私を騙さないで。

 お父様と、呼ばせて。

 少女の無言の願いは、強い抱擁でかき消される。
 身長差があるため抱き上げられるような形でエリスティアは男爵の腕の中に閉じ込められた。
 だから少女はその青い瞳を間近で見ることができた。

「すまなかった、エリスティア……アイリス……」

 血のにじむような声と、真っ青な瞳から流れる痛々しい涙。
 少女の小さな掌が濡れた頬に触れる。

 ああ、きずついている。とても、とても深く。
 数えきれないほどの傷がこのひとのなかにある。
 
 信じたくて、信じられなくて。愛したいのに、愛せなくて。
 愛した人を信じきれなくて。その弱さに何よりも傷ついて。

 エリスティアは父の痛みを知り、その胸の中にある見えない傷を知った。

「泣かないで、お父様。私たちはきっと、やり直せるから……」

 そして言葉で彼の傷を癒した。

  
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