キミの未練

今宵恋世

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もう、どうにでもなれ

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どうなったっていいや。
もう、どうにでもなれ。

絵麻えま

まだ帰宅したばかりだった。
自室に行こうと2階へと続く階段をさっさと駆け上がろうとした、まだ制服姿の私に母が呼びかける。その一声で色々察してしまう。きっと今から何か嫌なことを言われる。母の顔色を伺いながらも特に身構える気にもなれず、私はぶっきらぼうに「何?」と返す。

「ちょっとね。話があるの。ここ座って」

出た出た。
‪”‬ちょっとここ座って‪”‬
座らせるほど長い話をされるのか、と魂のため息を落とす。話の内容はおおよそ予想はつく。きっと進路の事だろう。仕方なく私はガタン!と大げさに椅子をひいて4人がけのダイニングテーブルに腰かけた。母もあとに続いて目の前にゆっくりと腰かける。

「さっき担任の藪内やぶうち先生から電話あったけど、聞いたわよ。進路希望………」

母はそこで少しの間を開けてため息を混ぜ合わせた声を出す。

「就職?何考えてるの?」

「別によくない?就職でいいや、って思ったからそう書いた。何?ダメなの?」

「‪”‬いいや‪”‬じゃなくて…もっと真剣に考えないと。せっかく普通科に受かったのに……。お友達だって、進学する子ばっかりでしょう?」

「……人は人、うちはうち、でしょ?」

事ある事に私に言ってくる母の決まり文句を口にする。大抵幼少期の私が何かを欲した時にそれは言われてきた。そのおかげで現在18歳の娘にそれはたっぷりと蓄積されていた。

「ねぇ、絵麻…」

4年前から娘の反抗が凄まじい。その原因を知る母は気の毒そうに眉を下げた。

「絵麻があおくんのことを引きずってるのは分かるけど、あなただって前に進まなきゃ…。いつまでもこんな……」

ーー前に……進まなきゃ…?

ピキッ!とすんでのところで抑えていた私の中の何かが悲鳴を上げた気がした。思わず母の言葉を遮り机に両手を着いて立ち上がった。椅子が大きな音を発し、後ろに倒れる。手のひらがジンジンと痛む。ピリついた空気が痛い。母の視線が、痛い。それらの痛みを全て無視し、眉間に皺を寄せ怒鳴る。これでもかと母を睨む。

「じゃあ何……!?蒼のこと!忘れろっていうの!?」

「違うわよ!そんなこと言ってないわ。おばさんだって言ってたじゃない。あれは絵麻のせいじゃ……、ちょっと絵麻……!?」

母の静止を振り切って私は家を出た。
蝉の鳴き声とベッタリとブラウスに張り付くベタついた背中。額に…。手のひらに…。全身に汗を滲ませる悶々とした暑さか私の怒りに拍車をかける。この怒りは一旦外に出さないと収まりそうな無い。

「言ってるようなもんじゃん!」

地団駄を踏み、私は道端でそう怒鳴り散らした。通行人が居なくて良かった。誰も私という人間を気に留める人はいない。たった今通ったばかりの街路樹を歩く。灰色のコンクリートは夕日を反射し、若干のオレンジ色に染まり始めていた。胸ポケットからスマートフォンを取り出し時間を確認する。時刻は夕方5時30分を回ったところだった。

ーー病院行こ。

時間を確認する動作と連動するように私はそう思った。進路からも、母親からも、この鬱陶しいったらありゃしない暑さ、からも、全てからに逃げるように私は、最寄りのバス停へ向かい、バスに乗車した。

ここから片道30分の距離にある大学病院に私は今、向かっていた。

***

「あら、絵麻ちゃん!また来たのねぇ。今日暑かったでしょう?」

病院のロビーを突き進むと顔見知りの看護師さんが私の顔を見るなり笑顔で話し掛けてくれた。

「あ…はい」

そこまで社交的に愛想を振りまく余裕が、今日の私にはなかった。軽く苦笑いを浮かべて額に浮かんだ汗を拭う。病院は、時間がゆったりしてて好き。落ち着く。全体的に白いし。心が浄化されるみたい。進路のことなんて誰1人として聞いてこないし、そもそもそんなこと考えなくたっていいのかも、って思える。
高校3年。まだ夏のはじまり。
本格的に進路を決めていかなければならない時期に突入していた。家でも、学校でも。最近の私の日常は常に進路進路だ。だからこそ、だ。病院は……

ーー干渉がないーー

それがどれだけ今の私にとって優しい逃げ場か。

ーーなんて。思ったり、思わなかったり。

あの事故が無ければ。きっと私がこうして病院に訪れることだってなかったはずだ。進路をヤケクソに決めたりなど……なかったはずだ。時々分からなくなる。病院が、私にとって‪

”‬優しい逃げ場‪”‬なのか。
‪”‬残酷な場所‪”‬なのか。

笹倉 蒼ささくら あお
そう書かれたプレートを確認して、
ーーコンコン
2回。病室のドアをノックして中に入る。
いつも思う。このドアを開けたら、

「絵麻!」って蒼が元気よく、呼び掛けてくれるんじゃないか、って。そんな期待は……、悲しいことにいつも…打ち消されてしまうけど。

「蒼。来たよ」

固く目を閉ざし、ベッドに横になる蒼にそっと話し掛ける。

「……」

無論返ってくる返事は、ない。蒼は4年前にトラックに跳ねられて、それ以来ずっと昏睡状態。蒼は、私の幼馴染で物心着いた頃からずっと一緒。そして…私の……、好きな人。初恋の人。それは4年経った今でも変わらない。

ーーあ。綺麗な花…

ベッド横の棚に置かれた花瓶に生けられた花。
ふと視線がそこに留まる。きっと蒼のお母さんが持ってきたんだ。

ーーおばさんだって言ってたじゃない。
あれは絵麻のせいじゃ​───────…

ふと、先程の母の声が脳裏を過ぎる。怒りは既に静まっていて、私は心の中で穏やかに反論する。

ーーううん。お母さん。
あれは、どう考えても私のせいだよ。

と。

蒼とは家が近所だった為、登下校はいつも一緒だった。あの日も私と蒼は一緒に下校していた。歩行者用の信号は青だった。確かに青だった。昔から蒼より数歩前を歩く私は一足先に横断歩道に踏み込んだ。でも。トラックは私目掛けて突っ込んできた。

飲酒運転。信号無視。後々そう報道された。

そう。蒼は……、私を庇ってトラックに跳ねられた。今日みたいな気温で、今日みたいな夕日が顔を出していた学校帰りのことだった。今でも覚えてる。白い線に赤い血が広がっていくあの光景を。野次馬のシャッター音を。それらに歯向かうように「撮らないで」と咎める警察官の声を。目眩がするようなけたたましい救急車のサイレン音を。あと、私の……

「蒼!ねぇ、蒼……!!しっかりして!蒼!」

悲痛な、叫び声を​───────…

蒼のお母さんは、「絵麻ちゃんのせいじゃないわ」と、申し訳なさそうに肩をしぼめる私に何度もそう言った。私はとても、そんな言葉を真に受けられるような、出来た人間ではない。言われる度に、私は決まってこう返す。
「いえ……。私のせいです」と。

帰り際。私は蒼の手を握り、呟く。

「蒼。もうすぐ…。もうすぐだからね」

ーーピッ、ピッ……。

規則正しい心電図モニターの音しか、鼓膜には届かない。決意をギュッ、と手に込める。

私が絶対蒼を…
目覚めさせるんだから​。

***

病院を出たらもう辺りは薄暗くなってた。乗客0人のバスに乗り込んで目を閉じる。これからあの家に帰るのかと思うと憂鬱で吐きそう。また進路についてぐちぐち言ってくるのだろうか。‪”‬前に進め‪”‬と諭されるのだろうか。私の時間は、4年前のあの日から…
ずっと止まったままなのに​───────。
出来たら家出とかして、ここじゃないどこか遠くへ逃げ込んでしまいたいけど、ここじゃないどこか遠く、って…

ーーどこ?ーー

行先がひとつも頭に浮かんで来なかった為、また30分掛けて私は自宅に戻る。結局私は籠の中の鳥。戻るしか、ない。あの家に、帰るしかないのだ。

***

「絵麻。ちょっと」

案の定だった。家に帰るなりこれだ。しかも今度は父。母よりも厳しく堅苦しいので怒るとそれなりに面倒だ。だから私もそこまで反抗できない。

「ここ座りなさい」

大人しく昼間と同じように腰掛ける。 チラ、とキッチンの方を見ると母がこちらの様子を伺っていた。

ーー息苦しいーー

昼間よりもピリ吐いた空気がブスブス刺さる。
お母さんから昼間のことを聞いたに違いない。娘の言い草を直接聞きもせずに早速説教を始めた。

「このままでいいと思ってるのか?きちんと将来のことを考え​───────」

ーー耳栓って…、アマごンでどのくらいで売っているんだろう。後でポチろう。

「聞いてるのか……!!!真剣な話をしているんだ!」

怒鳴る父を前にしても、なんだか他人事の私。
昔はこの怒鳴り声に肩を上げてびっくりしたりした。けど今は……、そうでもなかった。
なんだか、もういいや。

ーー‪”‬未来‪”‬なんてどうでもいいーー

多分。そういう事なんだ。今の私、って。
本当に、どうでもいいんだ。将来とか未来とか夢とか何になりたい、とか。そういうキラキラしたものは、興味がなく、無関心なんだ。


***

小1時間にも及ぶ父の説教を経て、私は自室のベッドにのめり込むようにして寝転んだ。何度か耳がキーン、となるぐらい大きな声で怒鳴られたけど何を怒鳴られたのかよく覚えていない。きっと全て耳には入ってた。けど頭には、さほど。

「よう、長かったな」

ベッド横から低い声が聞こえる。

「聞いてたんなら助けてよ」

枕に突っ伏していた顔を上げ、ふくれっ面でそいつを睨んだ。目が合うのは一見普通の人間である黒い服を聞いた男。切れ長の目。口の端から飛び出る尖った八重歯。一言でいうならオオカミみたいな邪悪な奴だ。

「しょうがないだろう。父親には俺様の姿は見えないんだから」

こいつはエロ死神。
3日前寝る間際にこいつに首筋を舐められ、つい声を上げてしまった。死神によるとこうやって人間の首筋を夜な夜な舐めて、霊が見える人間か、そうでないか確認しているんだとか。霊が見えている癖にそれを隠す人間がいるから、そうしているんだとか。それにしても確認の仕方がキモイ。ちょーキモイ。

私は元々霊が見える人間ではなかった。
そう。あの4年前の事故の日を境に突然私は見える人間になってしまった。 こんな能力いらない。一体何なの。だってただ、そこら辺に未練を残した霊がうじゃうじゃ彷徨っている光景が見えるだけだ。鬱陶しい、ったらありゃしない。しかしついでにこの変な死神と出会ったのは不幸中の幸い、と言うべきだろう。だってこいつは……

蒼を目覚めさせる最後の砦なのだから。

遡る事、3日前。
私がこの死神に出会った日のこと。

「え、まじ、きもい!警察呼びますよ!」

「まぁまぁ落ち着け、って。まさか見える人間だったとは……」

眠りにつこうとし、首筋を舐められた午後11時頃。消したばかりの電気を再度付け、私は怒鳴り散らしていた。軽くヌメヌメとした首筋をティッシュで乱暴に拭う私に死神はあるお願いをしてきた。

「未練潰し?なにそれ?」

「死者のこの世への未練を断ち切る仕事だ」

「それを私がやればいいの?なんで?」

「なんで、って、俺様がちょいと仕事をサボりたいからだ。最近はずっと死者に付きっきりで未練潰してたからな。しばらく休みたい」

うわ、なんか素直ー……
しかし突然のめちゃくちゃなお願いに当然の事ながら私は拒んだ。

「嫌です」

なんで私が……。
舌打ち交じりに布団に潜り込もうとした時、死神は言った。

「おいおい、待て待て。それなりに条件だってあるんだぞ」

「条件?」

聞き捨てならない言葉に顔をしかめると死神は満足そうにヘラッ、と笑って見せた。

「今度担当する死者の未練を潰す事が出来たら、なんでも願いを叶える権利が俺様に与えられるんだ。人間界でいうボーナス、ってとこだ」

「願い、を?」

「あぁ。俺様は死神になって5周年だからな。それで貰えるんだ。そしてその権利をお前にくれてやる。どうだ?魅力的だろう?」

死神の言う通り確かに魅力的だった。

ーー夢や願いなんて絶対に叶わないーー

18年この世で生きてきて染み付いた知恵は、
そんな絶望的なドス黒い何かだった。だけどこんな絶望に満ちた日常で私はたったひとつだけ叶えたい願いがあるのは確か。
……頭に浮かぶ蒼の顔。視界をうるませながら、一縷の希望に縋るように尋ねた。

「それは、4年昏睡状態の人を目覚めさせる事も…出来るの?」

出来ない、と言われれば私はまたこの世に幻滅してこの死神を自室からとっとと追い出し、気持ち悪く首元に残るベタベタな感覚にため息を漏らしながらも渋々眠りについた事だろう。しかし死神は今の私が心底望む答えをくれた。

「出来る」

そんな一言と共に強い眼差しで私を見つめるのであった。

「どうだ?やるか」

再度投げ掛けられた質問。
答えなんて決まってる。

「やる」

「よし。交渉成立だ」

「てか。あんたにはないの?願い。そんな貴重な権利。私にくれちゃっていい訳?」

「俺はそこまで貪欲ではないんでね」

「まるで私が貪欲とでも言いたげね」

「貪欲とは言ってない。お前のは…何か知らんが。…‪”他力本願‪”だろ」

***

蒼を目覚めさせる最後の砦。
それはこの死神が未練潰しのご褒美にくれる、と言った権利のこと。その権利さえあれば…。3日前この死神と交渉を成立させた時から心のどこかで私はあと少し。あと少し。と唱えていた。こんな現実は…、あと少しの辛抱なんだ、と。きっと先程の父の説教を割と穏やかな気分で聞いていられたのは、この希望があったからだろう。

「それで?仕事はまだ?」

デリカシー無しに現役女子高校生の部屋に不法侵入する死神。父親の説教から救ってくれなかった事はさておき、交渉成立から3日。まだ仕事は振られないでいた。私は頬を膨らませながら死神を睨む。

「まぁ、焦るな。明日連れてくる」

「そう。分かった」

連れてくる、っていうのはきっと死者、ってことだ。その死者が抱えている未練がどんなものだか知らないけど、とっととその未練潰してやるんだから。私の中に強い意志が具体的に芽生え始める。蒼との再会が、現実味を帯び始めていた。
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