幸せが壊れる伏線みたい

今宵恋世

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迫り来る運命の日

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 ベッドに寝転がって薄暗い部屋の天井をボー、と見上げていた。これでもかと脱力された体は重だるく倦怠感に包まれている。

 この日、麻衣は風邪をひき学校を休んでいた。
 だからだと思うが、いつもよりナイーブな気分に陥ってしまっている。暇な気分を埋めようと枕元に置いたスマートフォンを掴み、自分の方に引き寄せた。

 待ち受け画面をそっと視界に入れる。
 海に行った時、唯斗と撮ったツーショットが現在時刻と共に表示されていた。きっと今頃学校に行っている人達は朝のHRが鳴り響き、1限目の準備をしている辺りだろう。

 ふと、1度目の自分を思い出す。1度目はこうして隣の席からただ唯斗の横顔を眺めていただけだった。テレビ越しに推しを拝むようなそんな感覚が昨日の事のように今でも鮮明にある。
 それが、今ではツーショットを撮れる程の中にまで成長しているのだ。

 ‪”‬人生何があるか分からない‪”‬

 よくそんな言葉を耳にするけど、本当にその通りだと思った。自分の行動次第で片想いなるものは両想いにもなれるのだ。

 ーーピコン…

 その時。スマートフォンが1件の通知を知らせた。唯斗からメッセージが届いたようだった。

【風邪、大丈夫?】

 学校を休む事は担任にしか知らせていない為HRで知ったのだろう。それから同じように麻衣を心配するメッセージが彩月からも届いた。

【大丈夫ーっ、ありがと!】2人にはそう返信した。送信ボタンから人差し指を離しながら麻衣はポツリ、と呟く。

 「運命、って…、変えられないのかな」

 この風邪は明日になれば現在38度前後の所、40度を超える高熱になる。母は今名古屋出張で先週から家を空けているけど明後日。1日仕事を早めを切り上げて家に帰って来る。麻衣を心配して大慌てで。

 ちなみに母が帰って来た事による安堵感は今でも鮮明に残っていたがこれから悪化予定の風邪に立ち向かう気概は湧いてきそうにない。

 次に学校へ行けるのは4日後。

 この風邪が快方へと向かうのは3日後の日曜日の夕方辺り。1度目の時は確かそうだった。けれど月曜日は海の日で学校は休み。次麻衣が学校へ行くのは火曜日の筈だ。

 はぁ…、と深く溜息を吐き出しベッドを軋ませ、ゴロン、と寝返りをうった。気落ちする体は重く気怠い。

 ーー‪”‬2度目の自分も1度目と同じように死ぬのか?‪” 

 これは、一時期の麻衣が何かに取り憑かれたように熱心に考えていた問いであった。しかしこの問いにNOというなんとも素敵な可能性を見出そうとしたのは無駄な抵抗だった。おそらく、この問いの答えはYESだ。死ぬ。

 もちろん1度目と同じようにことが進むかは分からない。しかし多少1度目と違う行動を取ったとしても、やはり自分の運命は1度目と共に動いている。そう感じる場面は常日頃からあった。
 今日風邪をひく運命だって変わらずここに健在しているのだ。

 他にも少し前の事だが、弁当を忘れ購買のパンを買った事や、物理の課題にオレンジジュースをぶちまけた事、中間テスト英語の試験中、睡魔に襲われ眠ってしまったなど。こんな些細な事でさえもこれらは全て1度目でも麻衣が経験した事だった。不本意ではあるが、知らず知らずのうちに麻衣は1度目と全く同じ道を辿ってしまっていたのだ。

 きっと…主な軸は同じ。

 どれだけ足掻こうとしても運命はかたくなで頑固のまま。逸れてなどくれない。逸れたとてほんのわずか。悲惨な事実であるが、受け止めなければならない。腹を…括らなければならない事なのだ。

 おでこに手の甲を当て壁に掛けられたカレンダーを眺める。赤い丸がグルグルと17の数字を囲っている7月のカレンダーは見る度に心の奥底がズン、と重くなるようだった。

 「もうすぐ……か」

 そんな独り言は自分の鼓膜に入って淡々と消化されてゆくだけだった。
 恐怖が迫っていた。刻一刻と。
 もう、すぐそこまで来ていた。
 まるで背後から幽霊に付き纏われているような気分が7月に入ってからずっと拭えない。

 友達が居て。好きな人‪が居て。
 そんな1度目の人生をあんな形で終了させた自分はなんてバカなのだろうか、と何度も悔やんだ。

 しかし​、そこから始まった2度目の人生。
 今度は‪”‬恋人‪”‬がいた。

 かっこよくて男の癖に女の私より丁寧で、繊細で、思いやりのある…そういう人。
 片想いして生きていたあの頃1度目の人生から何も変わらない。私の気持ちは全く色褪せる事は無い。

 それ所か、濃くなるばかり。
 休日に出掛けたりしているんだから、当然だ。
 少し前。お花見に行った翌日は麻衣がバレンタイン、としてあげたクッキーを唯斗が「美味しかった」と言ってくれた。

 その言葉を聞いた時。
 自分に、唯斗と過ごすバレンタインが来ない事を知っていて良かった、と心から思った。
 でなきゃ、好きな人に渡せないままだった。

 頑張って作って、渡せて、
 美味しかった、と言ってくれて。
 自分はなんて幸運に恵まれているのだろう。
 幸せ者なんだろう。

 何度も痛感した。

 そして、そんな日々を生きるうち、麻衣はいつしか願ってしまっていた。

 まだ…この人生を生きていたい、と。
 これはもはや避けられない欲望なのかもしれないとも時折思ったりする。こうして頭の中でいい感じの言い訳を浮かべては自分の貪欲さを垣間見てしまい、反吐が出そうになる。しかし生きていたい、はやはりあるのだ。常日頃。

 ***

 それから昼を跨ぎ、気が付けば夕方が迫っていた。午前中からずっと爆睡していた麻衣は夕日が寝顔にぶつかり始め、目を覚ました。

 特に何をやるでもなくゴロゴロと布団の中に潜っている麻衣の鼓膜に届いたのは異様に明るいチャイムの音。時刻は16時過ぎ。反射的に重苦しい体を起こし、寝ぼけ眼で誘われるように階下へと降りる。

 廊下の手すりに体重を預けながらヨタヨタと歩いている時、麻衣はあれ?と、ふと思った。1度目はこんなチャイムが鳴った覚えは無いのだ。

 「誰だろう…」

 呟いた矢先、1人の顔がポウッ、と浮かんだ。
 1度目で無かった事が起こり得ている。それはつまり…。昨晩から麻衣の体温がまとわりつき、生暖かさを帯びているであろう紺色のパジャマを脱ぎ捨てササッと家でくつろぐ時専用として愛用している部屋着に着替えた。そして髪を手ぐしで整えながらインターホンを覗く。やっぱりそうだ。

 麻衣は廊下を駆け出して玄関ドアを思い切り開けた。1度目と2度目の歴然的な変化…。麻衣の家のチャイムを押せる程の間柄になった人物といえばもう、彼の存在だけなのだ。

 「あっ、突然ごめんね、立花さんに家教えてもらって…。風邪平気?」

 チャイムの主は言わずもがな、唯斗だった。

 薄暗い玄関にオレンジ色の夕日と制服姿の唯斗の姿が流れ込み、麻衣は目を見開く。

 「そうなんだ…っ、うん、平気だよ」

 彩月の事だから行け、と言ったに違いない。まぁ、そこは深堀りしなかった。唯斗の意思でも彩月の気遣いでも、嬉しかった。

 3階建ての、特段新しくも古くもないこのアパートの202号室をわざわざこうして唯斗は訪れてくれたんだ。学校からここまでのルートを想像して胸が暖かくなる。

 「よかった」

 すぐにそんな声が降ってくる。顔を上げると、唯斗が頬を綻ばせ、麻衣を見つめていた。そんな唯斗の額に汗が滲んでいるのを見てまだまだ外の気温は暑いんだな、と思った麻衣は少しだけ瞳を揺らす。

 「あ…虫が、入るからどうぞ」

 開きっぱなしの玄関ドアの中央付近に立ち尽くしていた唯斗に中に入るよう、合図する。
 虫が、とか言ったけど単に半分外に出た唯斗の体に夕日が直撃していてなんだか申し訳無くなったのだ。

 それにさっきから唯斗が胸元をパタパタと仰いでいた。昨日も一昨日も雨だったから多少涼しかったんだろう・・・けど今日の事はよく知らない。まだ7月に入ったばかりだけどきっと外は暑いんだろう・・・、という印象を受けた。

 「じゃあ、お邪魔します」

 唯斗がパタン、と玄関を締め、下駄箱の辺りに立つ。それに応じて麻衣は数歩後ろに下がった。直ぐに両手を前に出す。

 「あっ!移っちゃったら大変だからこれ以上近付いたらダメだよ!?」

 「僕は大丈夫だよ。バカは風邪ひかない、って言うでしょ?」

 「現に私今ひいてるからその節は立証されないんじゃ……」

 「麻衣はバカじゃないからきっとひいたんだよ」

 「いやいや!まぁ、言っちゃうけど…中間テスト全部20点台だったから!私!」

 先週返却された中間テストの結果は散々なもので。麻衣にとって受けるのは2度目にも関わらず1度目とそう変わらない点数だった。

 「僕は全部……10点台」

 「あ……。」

 なんかすいません、と頭を下げる。
 本当は唯斗が全部10点台である事は知っていた。返却後本人はおそらく麻衣に見えないように筆箱の下に入れこませて隠しているつもりだったようだけどただのクラスメイトとして隣の席に位置していた1度目の時の唯斗は警戒心がゆるゆるだった。

 ちょっと腰を浮かせたら簡単に見えていたのだ。それにしても聞いても全然教えてくれなかったのに結局こうして10点台を白状し肩をしょぼん、とさせた唯斗の反応が思ったより可愛くて笑ってしまう。

 きっと麻衣が教えたから教えてくれたんだろう。相変わらず律儀で優しい。

 「まさかこれを下回る猛者が現れるとは」

 「猛者呼ばわりは恥ずかしいな」

 軽くからかってみると唯斗は困ったように頭の後ろに手をやった。
 「これでも中学の時は真ん中くらいだったんだよ」と言い訳する唯斗にまたクスッと笑みが落ちる。

 「同じく」

 「同じレベルが集まるとやっぱり埋もれちゃうものなんだね。まぁ努力不足もあるんだろうけど、ここまでとは」

 「ね。ほんと。…期末は頑張ってね?」

 笑みを残しながら唯斗にエールを送る。
 他人事だった。麻衣に期末試験の日は訪れないのだから。

 「応援してる」

 小さく呟いた。
 唯斗には変わらず訪れるであろう
 試験中を想像したら心が痛んだ。
 唯斗が問題に頭を悩ませている間。
 隣の席はきっと……空席。麻衣は居ない。この世界のどこにも。

 「あはは、麻衣も、でしょ?」

 「そうだね。私もだ」

 噛み締めるように笑う。
 その場しのぎの嘘である事は麻衣だけが知っていた。

 「あ。そうだ。これ、良かったら」

 会話が一区切り付いたあたりで唯斗が思い出したかのように手に持っていたコンビニのビニール袋を麻衣に差し出した。数歩近付いて受け取るとズシリ、とした重みを感じた。

 「わっ、ありがとう」

 膨らみまくった袋の中にはゼリーやら、プリンやら、麻衣の好みを全て的確に抑えた商品が沢山入っていてびっくりする。

 「唯斗って、エスパー?これちょうどさっき食べたい、って思ってたんだけど」

 先程ベッドの中で麻衣がおもむろに食べたい、と願った大好物の練乳アイスまで入っていて、流石に仕掛けが気になった。正直エスパーでないと説明がつかない。

 「そんな大層な者じゃないよ」

 軽く笑った唯斗は
 「あ。その練乳アイスは前に好きだ、って熱心に語ってたよ」、と付け足した。確かに語ったかもしれない。だけどそんな些細な事を覚えてくれているなんて、と優しさがじんわりと身に染みた。

 「いっぱい買ってきたからいつもみたいにバクバク食べてね」

 袋の中にはまだ5個以上その練乳アイスが顔を覗かせていた。

 「ちょっとやだー。その‪”‬バクバク‪”‬って効果音。せめて‪”‬パクパク‪”‬にして」

 「一緒だって」

 「全然違うっ!パクパクの方が可愛らしい小柄な女子感が出るから!」

 「バクバク、でも麻衣は可愛らしい小柄な女子だよ……。でも分かった。以後気を付けます」

 一言余計!ならぬ一言嬉しい!が唯斗から飛び出す。もちろん1度目の麻衣はこの一言嬉しい!を貰っていない。免疫が無いのでそりゃあときめく。

 ***

 今日1日会話をしていない分の遅れを取り戻すかのようないつもよりやたらテンポのいいやり取りは街に響いた17時のチャイムで終わりを迎えた。普段の休み時間に交わす会話の倍以上の内容量だった気がする。

 「ごめんね、かえって気を遣わせちゃったかな」

 玄関先で「今日はありがとう」と笑みを浮かべる麻衣に唯斗が眉を下げた。

 「ううん。そんな事ない。楽しかった」

 明日も明後日も学校に行ける程この風邪は快方に向かってはれない事を知っている麻衣の心は憂鬱が吹き飛んでいくような一時だった。

 「良かった。じゃあ行くね。お大事に───」

 「唯斗…っ」

 唯斗の言葉に重ね合わすように麻衣はつい、引き止めるように唯斗の名を呼んだ。呼ぶつもりはなかったのに。

 「ん?」

 キョトン、と唯斗が首を傾げ麻衣を見ていた。
 自分が引き止めたのに、身に覚えの無い事を攻め立てられたかのように、たじろいでしまう。

 自分の死に際なんぞきっと知るものじゃない。
 知らない方がもっと気軽に人生を楽しめると思う。でも…

 もし​自分の命が残り僅かだという事を
 知っていたなら人は何を願うだろう。
 そんな数え切れない程の意見が出そうな問いに、麻衣は迷わずこう願う。

 大切な人にはいつも通りの日常を生きて欲しい、と。たとえ自分が居なくなった世界でも。
 不謹慎だ、なんて言わないから沢山笑っていて欲しい。

 茅野麻衣はこの時
 強く、そう願うのであった。

 覚束無い視線をゆっくり上げる。
 未だ唯斗は不思議そうにこちらを見ていた。

 「麻衣?どうしたの?」

 果たして自分は今…
 一体何を口走らせようとしていたのだろうか。
 心の中で自分を叱責し、「ううん」と首を横に振った。そしてもう1度告げる。

 「今日はありがとう」

 所々ゴツゴツと膨らむビニール袋を握る自分の手のひらには気付かぬ間に爪がくっきりとめり込んでいた。風邪で脳が判断能力が鈍ってしまったのかと思った。良かった。今日がまだ風邪1日目で。

 「どういたしまして」

 安堵の溜息は唯斗が去った後に漏らした。

 私は‪”‬こういう事‪”‬があったんだよ、って。
 いや。‪”‬こういう事‪”‬がこれからあるんだよ、の方が正しいのかもしれない。そんな事をつい、話してしまいそうになった自分がほんの数分前、ここに居た。

 もし話したら、彼は…
 信じてくれるのだろうか。
 こんな、いかにもなフィクションみたいな話。

 でも、言わない。
 それだけは心に決めていた。

 麻衣は玄関の鍵を閉め、根暗な引きこもりのようにリビングへと向かう。

 裸足でペタペタと、ひんやりとしている‪はず・・のヒノキの床を歩き、唯斗から貰ったお見舞いの品を1つ1つ丁寧に冷蔵庫に入れた。

 きっと今冷気がそっと冷凍庫の奥に伸ばした麻衣の右手にまとわりついているはず・・

 麻衣は…現在
 ヒノキの床のひんやりも。
 冷蔵庫の冷気も感じる事は出来なかった。

 冷たい、と思わなかったのだ。
 きっと手の体温よりは高いはずの首の後ろに手を当てても暖かい、なんて思わなかった。

 先週7月に入ったこの体は段々と、人間離れしていくようだった。今は多少、風邪特有の倦怠感はあるものの、些細な所で機能を失いつつあった。

 正直今となってはもう何を食べても味覚はまるで無かった。ソファの定位置に腰掛け、唯斗に貰ったばかりの少し溶けた練乳アイスをスプーンで優しく救って口に入れるけれど、もう慣れ親しんだあの味はやってこない。

 なんか…早くこの世から出てけ、って言われてるみたいだな、と先日思った。体は確実に死に近付いている。

 唯斗が来るまではなんて事無かった部屋の静けさに鼓膜がやられる。耳に残る唯斗の低くてかっこいい声と混ざりあって途端に1人暗闇に取り残されたような寂寥感に苛まれる。これは…暫くはこの胸から去ってくれなそうだ。

 失恋などしていないのに。まるで失恋したかのような虚しさを孕む数え切れない程の感情が麻衣の全身を包み込む。

 「…っ、」

 頬に涙が伝った。
 耐えられなかった。
 この幸せがプツリ、と終わる日がもうそこまで来ている事に。

 暫く鼻を啜り、練乳アイスをひたすら頬張った。すっかりドロドロに溶けていたので途中からは飲んだ。無味。本当にまるで死んでるみたいだった。さっきだって…唯斗の額に流れる汗に嫉妬してしまった。

 「感情があるだけ…マシか」

 飲み干した練乳アイスを置くように丁寧にゴミ箱に捨てる。ティッシュを2、3枚引っこ抜いて、顔に引っ付けた。

 こんなに幸せでいいのだろうか。
 入学式の日。初めて話せた時も。
 今日までずっと幸せだった。
 笑ったり。泣いたり。なんでもいい。
 何もしてても。あなたと過ごす時間は
 幸せすぎて。やっぱり
 全部、全部、伏線なんだ、って思ってしまう。

 幸せが壊れるその時の為に巧妙に張り巡らされた……伏線。

 ーーたとえ辻褄が合わない、って批判を受けるとしても、そんな伏線は回収しないでおこうよ

 ファーストキスを捧げたあの日。
 思いがけず涙を零した麻衣に唯斗はそう言ってくれた。幾度となく思い出す。嬉しかった。
 胸が張り裂ける程、本当に本当に嬉しかった。

 だけど……

 ーーありがとう。なんか心に響いた…かも。かっこいい。

 そうやって。笑いかけた麻衣は声に出さず続けてしまった。声に出せば余計な一言になりかねないなんとも悲観的な1文……

 ‪”‬回収せざるを得ない日がもう、
 そこまで迫ってるんだよ‪”‬…と。

 だって麻衣の一生は時期に終わりを迎えてしまうのだから。そんな事の詳細などペラペラ話しはしないのでただただ申し訳なさややるせなさ、そんなものが込み上げてきて仕方なかった。

 声に出さなくてきっと正解だ。

 茅野麻衣は…、
 栗原唯斗がとても好きなのである。

 それこそ、月日を、死をも、超越ちょうえつした程の想いを寄せている。

 階段を上り、オレンジ色の光を透過するカーテンをシャッ、と閉める。こうして外の世界をやんわりと断ち、もう1度重苦しい体をベッドに横たわらせた。1人。殻に閉じ篭もるように背中を丸める麻衣の脳裏にはふと、1度目に彩月と交した会話が過ぎるのであった。

 猫の死骸を見て「知ってる?」彩月がそう前置きしたあの会話だ。

 ーー猫は死ぬ時いなくなる、って

 ーーあぁ…飼い主を悲しませない為に、でしょ?

 諸説ある猫の行動原理に
 現在の麻衣の心情がピタリ、と重なる。

 正直この…‪”恋人‪”という関係が始まった頃の麻衣は自分の死に泣いてくれる人がこの世にいてくれたらいいな、と思っていた。だから麻衣は
 唯斗の前でたくさん笑って、愛されるような死に方、をしたかった。幸せなラストで生涯を終えたかった。
 でも…とてもじゃないけど​─────。

 もう……そうは思えない。

 ーー唯斗はさ、私が死んだら……泣く?

 無理矢理上げた口角‪で濁しつつ尋ねた自分の死に、「泣く。泣くに決まってる」と即答してくれた唯斗に麻衣は今、
 泣いて欲しくない、と即答した。

 麻衣は唯斗の、笑った顔がとても好きで。
 特にクシャってシワの寄る目尻は、とても愛おしくて大好きなのである。1度目はその笑顔を向けられるような間柄では無かったから、これは、2度目で知った唯斗の好きな所だった。
 麻衣はスマートフォンをそっと引き寄せ、再びロック画面の唯斗を眺めた。

 「かっこいい……」

 もはや口癖のように麻衣の口からそんな言葉がポロリ、と零れ落ちた。完全に、跡形もなく零れ落ち終えた頃。麻衣は自らの意思でロック画面を以前のまっくろけっけに戻した。

 ‪”「​───」と交際”

 あの空欄は埋まったのだろうか。
 いや。そんな事もうどうだっていい。

 最近の麻衣は唯斗との関係を「自己満」呼ばわりしていた。だってそうだ。あの空欄埋める為に、彼の名前を埋めたいが為に、交際して。同じ時を過ごして。そして……?だ。

 麻衣は知っているのだ。
 自分の命が7月17日までだという事を。
 知っていながら、
 そんな事をして本当に良かったのか、と、
 今はただ…多大な後悔が麻衣の元に押し寄せていた。

 あの日が来る事を知っているのなら
 私はあなたの前から姿を消す。
 猫みたいに行方をくらまして。
 刻一刻と迫るその時に備えたい。

 「自己満」はもう…、終わりにしよう。


 この風邪が治るのは
 土日と、海の日を跨いだ4日後。
 次の登校日は

 7月16日。

 運命の日の前日であった​───────。
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