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おそろい
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5月
2週間のテスト期間を経て、今日は3日に分けて行われる中間テスト最終日。3日目。学年主任は「気を引き締めて」など、最後の最後までぶつくさ言いながら厳格な姿勢で廊下を歩いている。
麻衣とお花見に行った日から1ヶ月近く経とうとしていたが、唯斗達の関係はあの時から何ら変わっていなかった。お昼も屋上で麻衣と立花彩月と食べている。
雨の日は教室で食べているのだが、
男子1人に女子2人。なんとも変わった組み合わせだ。クラスメイトの目はチラホラ、と寄せられたのは言うまでもない。
しかしクラスメイトの間ではもうすっかり麻衣と唯斗は付き合っている、という認識になっている為か、そこまで悪く言われる事はなかった。
立花彩月も、カップルに挟まれて居ずらい、という感じではなく、むしろ麻衣と唯斗の初々しいやり取りを間近で、まるで特等席でも見つけたかのように楽しんでいた。
唯一、変わった事と言えば、席替えがあったくらいだ。とはいっても窓際の1番後ろから1つ前に移動しただけ。場所が若干変わっただけで、麻衣とはまた隣の席だったので、そこまでの変化はないに等しかった。
くじで平等に決められているはずなのに、すごい偶然だ。麻衣が「また隣だね!」と喜んでくれていて唯斗も次の席替えの日まで、こうして麻衣の隣で居られる事が嬉しく、「だね」とらしくもなく、しばらく口角が上がりっぱなしだった。
その日は家に帰ると母に「なんかいい事あった?」と聞かれ。父にも同じような事を聞かれた。唯斗は両親にとって1人息子である為、息子の変化には何かと鋭い。その鋭さは唯斗が高校生になった今でもしっかり健在だった。
*
「ヒューヒュー!」
「朝からほんとラブラブだなぁ」
少し麻衣と話していただけなのだが今日も面白がる声がクラスメイト数人から寄せられる。
当初。クラスメイトと上手くやれるか自信がなかった唯斗だったが、麻衣との関係を冷やかされたりするうちに度々話すようになったりしていた。
冷やかしもそこまで悪意のあるものでは無かったし、それきっかけで仲良くなれたクラスメイトもいる。この倉ヶ丘高校へ入学してからもうはや1ヶ月。コミュ障の唯斗なりにも高校生活を楽しむ事が出来ていた。
ちなみに麻衣はクラスメイトから冷やかされる度に「いいでしょー」と、自慢げに返していた。麻衣が唯斗を自慢の彼氏、と思ってくれてるのなら有難い限りだった。
唯斗もそういう返しが出来たらいいな、と思うのだがまだ冷やかされ慣れていない所もあり「あはは」と軽く笑って返す事しか出来ていなかった。
朝のHR終わり。担任教師がこれから行われる中間テスト最終日の日程を黒板にコツコツ、と書いている。
大半の生徒はギリギリまでテキスト片手に勉強しているのだが麻衣はその気がないらしい。唯斗も同様だった。こんな数分テキストを見たって点数はさほど変わらない、と思ってしまう。
「ねぇねぇ、今日OPENだよね?駅前の雑貨屋!」
テスト前の若干ピリついた空気が漂う中、麻衣が唯斗の席の前に屈んで何やらソワソワしていた。席が隣なのだがら隣に座って話せばいいのに。
「あぁ、確か……」
朝登校する時そんな貼り紙を見た気がする。
ずっと工事中で通り掛かる度にドリルの音が聞こえていたあの場所の事だろう。電車を降りるとすぐに目につく場所だから比較的分かりやすかった。
「麻衣が栗原と行きたいってさー!」
からかうように麻衣の肩をツンツンとつつき、顔を出したのは立花彩月だ。いつにも増して2人のテンションが今日は朝から高かった。
麻衣がそこの雑貨屋に唯斗と行きたい、というのは本当なようで特に否定をしない麻衣は、
「あっ、彩月……っ」と若干友人を咎めるような声を発するだけだった。
「じゃあ……、行く?」
今日は3教科だけだし、中間テストのご褒美かのように下校時刻がいつもより早かった。午前中には帰れる事だろう。
「うん!行く!行く行く!」
それはそれは元気のいい頷きをしてくれた麻衣は弾かれたように立ち上がり、やっと隣の席に腰を掛けた。
「楽しみだなー」なんて零しながら
立花彩月に、「もうラブラブなんだからー」と言われている麻衣を横目に唯斗は内心ドキドキしていた。
麻衣と、学校外でどこかへ行ったりするのはお花見に行った日以来だった。楽しみ、という感情があの日より増していた。きっとあの時は二人の関係に多少なりともぎこちなさがあったが、今はほとんど無くなったからだろう。久しぶりにワクワクして最近募りに募ったテスト疲れが吹っ飛ぶようだった。
そしてきっと今、立花彩月がテキストなど見ずに唯斗と麻衣に絡んでいるのは余裕があるからだろうと思う。麻衣曰く、どうやら彩月は頭が良いらしい。同じテキストを見ない仲間だとしても、既に諦めてるから見ない、のと見なくても大丈夫だから見ない、のでは大違いだ。
「はーい、席つけー、国語始めるぞー」
楽しみが出来た、といってもこれから3教科やらなくちゃいけないからもうひと踏ん張りなのだが、担任の気張った声は自然と不愉快では無かった。
*
時刻は午前11時過ぎ。
無事テストが終わり、クラスメイトは「やっと終わったー」などと気を抜きまくりの伸びをしていた。マークシート形式だったので唯斗もかなり時間が余り、途中からは消しゴムを意味も無く削っていた。
隣の麻衣はというと、ラストの英語の時間。半分以上を机に突っ伏して、豪快に寝ているようだった。その姿に天才を感じてしまう。
麻衣の学力は未だ知らないが、
謎に余裕が滲み出ていたので唯斗はそう感じたのだ。
「楽しみ!なんかおそろい買おうよ!」
麻衣がゆるふわなポニーテールを揺らしながら唯斗の隣を歩く。麻衣の帰路とは真逆方向であるにも関わらず彼女はこうして今唯斗と肩を並べている。
今朝約束した雑貨屋に向かっている所なのだ。
今まで、学校帰りに麻衣とどうこうする事は無かったし、いつも1人でこの帰路を歩いていた唯斗。今日は何だか隣が騒がしい。
「おそろい?何を?」
「2人くっつけるとハートになるネックレスとか!」
「ベタだね」
「うん、ベタ。でも恋人らしくていいじゃん!」
「確かに恋人っぽい。あるといいね」
”クラスメイト”でもない、
”友達”でもない
”恋人”という言葉。
お互いにサラッ、と口にしたその言葉に、
どちらからも否定の言葉は出ない。
それは2人の関係を再確認するかのようだった。
ベタ過ぎる麻衣の目当てのネックレスは果たしてあるのか。たまにはこうして高揚感を抱きながら寄り道する、というのもいいかもしれない。自分1人では寄り道といえば和也の家にちょこっと寄るくらい。
もちろん駅前にはそれなりにお店が立ち並んでいたが目もくれず真っ直ぐ家に帰っていた。きっと和也のような活発な友人が唯斗に居ればそういう場所に連れ出して貰えるかもしれないが、まだそこまで親しい友人は唯斗に居ない為、そんな事はなかった。
活発な友人の存在はきっと唯斗にとってかなり影響力があるものだろう。無論自ら行こう、とはならない性格の持ち主なのだ。栗原唯斗という人間は。
しかし最近の唯斗には活発な友人、ではなく、活発な彼女がいた。今だってこうして「一緒に行こ!」と連れ出して貰っている。麻衣の思うまま連れ出された唯斗は流されている、に過ぎないがこの流れに身を任せるのはとても心地が良かった。
学校から駅までの道のりはいつも10分に1回くらいのペースで来る次の電車の時間ばかり気にしていた唯斗。今日は時間など一切気にしていない。隣に麻衣がいるからなのは言うまでもなかった。
まるで保育園児のように無邪気に「ハートのネックレス」と連呼している。そんな麻衣も愛おしく思いつつ唯斗は微笑みながら「あるといいね」と何度も返すのであった。
***
今日OPENともあり、雑貨屋はそこそこ賑わっていた。店の中にはあちこちにお祝いの風船が飾られていて今どきな感じだ。
「ねぇー!見てー!あったよー!」
カラフルな店内にひとしきりはしゃいだ麻衣は直ぐにベタベタな2つをくっつけるとハートになるネックレスをどこからか見つけてきた。
「おぉ、良かったね」
「なんで他人事!?」
「いやいや、嬉しがってるよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
実際麻衣の目当ての物があった事に、では無く、それを見つけて麻衣が嬉しがっている事に、唯斗も嬉しがっていた。
実は唯斗はずっと時期外れのバレンタインを麻衣に貰ってから何かお返しをしたいと考えていたので、2つセットになっているそのネックレスを購入した。
「はい。ホワイトデー」
ホワイトデー、と称しラッピングしてもらった片方のネックレスを店内を出てから麻衣に渡す。
「ホワイトデー?今7月だけど」
麻衣はからかうような笑みを作った。
「麻衣がそれ言う?」
「あはは、だね。ありがとうっ」
嬉しそうで何よりだ。
すぐにラッピング袋からネックレスを取り出して空に掲げていた。しかしすぐに何かを思い出したかのように「あっ」と声を上げた。
「ん?」
「付けて欲しい!」
気持ちの良い風の吹く高架下の日陰で足を止めた麻衣はくるり、と体の向きを変え、唯斗に背を向けた。「早く」と言わんばかりにグイグイ、とネックレスを唯斗に渡してくる。
「もう付けてくれるの?」
なんて微笑みながら麻衣のポニーテールを少しずらす。こうして間近に見る麻衣の項はなんだか色っぽくてドキッ、としてしまう。
出来る事ならパパッ、とスマートに付けてあげたいのだが女性にネックレスを付けてあげる、なんて行為をここで初めて経験する唯斗。
心なしか手が震えてしまっている気がする。
だって、こんな姿勢……
バックハグの1歩手前だ。
緊張するに決まっている。
隣に並ぶ、とか
手を繋ぐ、とか
そういうのとはまた違ったドキドキがあったのだ。
「はい。付けたよ」
平然を装うが、唯斗は動揺を隠すかのように下唇を噛み締めている真っ只中。余韻のように残るドキドキは未だ唯斗の心をはしゃぎ散らかしていた。
「ありがとう。一生付けるね!」
なんて大きな宣言。
「あっ、唯斗もだからね!?」
きっとどこかのタイミングでは麻衣も唯斗も外すのだろうが、ここは大人しく「分かった」と頷いておく。
「屈んで!唯斗のも付けてあげる!」
「あ、…じゃあよろしく」
言われた通りに、少し屈んで麻衣との身長差を埋める。首元にざわざわと金属が当たるのを感じながらゴソゴソしている麻衣を背中に感じる。
そんな中。唯斗は”一生”、という言葉を深く考えてしまい、思考がなんだか落ち着かなくなっていた。
たとえば来年。
高校2年となった唯斗の隣に
麻衣はいるのだろうか、とふと思ったのだ。
いないかもしれない。そう思ったら得体の知れない不安に押し潰されるようで、ただの唯斗の”かもしれない”なのに、その現実がやけに脳裏に浮かんだ気がして胸騒ぎがしたのだ。
男女なんて、付き合う、別れた、を繰り返していくものだろう。倦怠期、という言葉があるくらいなのだから、いつ今あるものが無くなるか分からない。自分達が例外であるならそれは喜ばしい事だが未来の事はやはりなんとも言えない。
「はいっ、付けれたよ!」
唯斗の正面に回った麻衣。
胸騒ぎがまだ胸に淀めいているようで
どこかぎこちなく「ありがとう」と言った。
すると麻衣は自らの首元に手を伸ばしたハートのネックレスを唯斗の首元に近付けた。
「出来た!ハートっ!」
「可愛いね」
「ね!」
案の定2つ合わせたらハートになった。
互いの欠けたハートの内部には磁石が埋め込まれているみたいでピタリ、と音を立ててくっ付いた。ベタだけど、麻衣のこの笑顔が見られるならそれだけで意味はあったと思う。
しかもこんな至近距離で。
付き合い始めた当初。
「好きになってもらえるよう頑張るね」
と自らへの好意がまるで無い事を前提にした言い方をした麻衣。当時の唯斗は確かにその通りだった所もあるが、今ももし。麻衣が唯斗に好いて貰えるよう努力している事があるのなら、それはもう不必要な事だった。
今の唯斗は十分
麻衣に想いに寄せているのだから。
麻衣があの時告白していなかったら。
そんな事を時々考えると今の唯斗を取り囲む環境はまるで無かったんじゃないか、と思う。
日々自分の中で高ぶる麻衣への想いは麻衣を知る度、募るばかりだ。
唯斗の隣に来年。麻衣が居ないかもしれない。
そんな”かもしれない”を考えて不安に押し潰されているくらいだ。
それはもう唯斗の気持ちを明確に、的確に、証明していた。
***
雑貨屋の後は近くの喫茶店に入った。
喫茶店の表に出ていた看板に麻衣がこれでもか、と惹かれたのだ。
「なにこれ!新作!?」
よく来る店のようだが、どうやら新作が出ていたらしい。看板の中で一際大きく載せられていた小難しい名前が付いたパンケーキを「食べたい!」と言わんばかりの眼差しで見つめていたので、上手い事店の策略に嵌められ、2人は店内でくつろいでた。
テーブルの上には唯斗が注文したアイスコーヒーと、麻衣が注文したパンケーキが乗っている。色んな果物が乗ったこれまた雑貨屋の店内に引き続きカラフルなものだった。
どうやら5月いっぱいで別のものに切り替わる、いわゆる期間限定のものらしい。
「映えーっ」と、SNSに投稿するらしい写真をひとしきり撮り終えた麻衣はフォークとナイフを手に取り半分に切った。
「はい、唯斗も!」
「え?僕はいいのに」
「1人じゃこの量無理だから!」
「え、そう?」
普段から割とお弁当のボリューム大な麻衣は
これぐらいへっちゃらかと思うのだが……。
いや。きっとへっちゃらだが唯斗に気を利かせてそう言っているのだろう。
「じゃあ……もらう、ね?」
「うん!」
お皿の隅に添えられていた生クリームは麻衣が最初の1口でパクリ、と食い尽くしてしまったので生地と果物とほんの少し残ったストロベリーソースで唯斗はパンケーキを味わった。そんな唯斗を申し訳無さそうに見つめる麻衣に幾度となく吹き出しそうになってしまう。
「あれ?唯斗?」
そんな唯斗の背中に突然なんの前触れもなく、声が掛かる。聞き馴染みのある声に一瞬むせそうになりながらも顔を上げ、振り向くとそこに居たのはなんと和也だった。
「えっ!?和也!?」
制服を着ているが和也の学校は隣町の筈。
「なんでこんなとこに?」と呟く唯斗に麻衣がコソッ、と耳打ちする。
「友達?」
「あぁ、うん、えーと、こいつは……」
やや戸惑い気味で紹介しようとした矢先。
和也は強引に唯斗の隣に腰掛けた。
「俺、唯斗の幼馴染の和也!」
そして元気いっぱいで自己紹介をした。
ノリ、と勢いが唯斗と違って凄まじい和也。
麻衣とは初対面のはずなのに流石のハキハキぶりだ。
「幼馴染!?へぇー!初めまして、麻衣です」
麻衣も和也に負けず劣らずハキハキと自己紹介にしてくれた。その姿は第一印象清楚、って感じで、パンケーキに添えられた生クリームを最初の1口で全て食いつくような豪快ぶりは微塵も感じられなかった。
「その制服、隣町のめっちゃ頭いいとこですよね?すごいっ」
「そんな事ないよ~っ、あ、でも一応首席~」
あーあ。まーた、和也の自慢が始まった。
「麻衣。そんな褒めたらこいつ調子に乗っ…」
咎めるように2人の間に割って入ろうとするが
和也が「ちょっと待てよ!?」と、大声を発した為阻まれた。
大声の次は顎に手をやり、気難しい教授のような姿勢を作る。そしてギリ、聞こえるぐらいの声量でぶつくさ言い始めた。
「……この子、まさか唯斗の彼女か?いや、そんな事あるか?いや……重度のコミュニケーション障害を患っている唯斗が?それは流石に有り得ないか?っていうかそもそも唯斗の彼女は架空の彼女であって……現実に存在などしていないはず。まさか俺は架空が見える能力をこの短期間で身につけたとでも言うのか?」
「はぁ…お前はほんとに……」
呆れて物も言えない、とはまさにこの事。
この子は唯斗の彼女だし、重度のコミュニケーション障害、という所は否定しないが、架空の彼女ではない。れっきとした3次元に存在する女の子だ。よって和也は架空が見える能力など一切身につけていない。しかしそのまま黙って聞いていれば、とうとう…
「まさか…ついに唯斗は大金を払って彼女代行サービスに手を出した、とでもいうのか?」
などと、とんでもない方向に話がネジ曲がり始めた。天才故か、思考の幅が広すぎる和也を横目に唯斗は「ごめん」と口パクを麻衣に送るのであった。(頭はいいけど変な幼馴染でごめん)という意味を込めながら。
麻衣はクスクス、と笑いながら軽く首を横に振って答えてくれた。そしてこの頭はいいけど変な幼馴染の曲がりに曲がった思考を止める最大の打開策を麻衣が言ってくれた。
「あははっ……、え、と…”唯斗の彼女”、です」
「……」
沈黙の中。
どこか照れくさそうに口を開いた麻衣を
和也は口をあんぐりと開けて見つめていた。
何も間違っていない。その通りだ。しかし唯斗はそんな幼馴染の隣で赤面していた。
「うそぉ!?」
和也の声は店中に響き渡り、唯斗のお冷に浮かぶ氷がカラン、と音を立てる。めちゃくちゃ驚いて口をパクパクさせているが、ヒントかのように今現在唯斗と麻衣の胸元にはおそろいのネックレスが付けられているのだが。
どうやら眼中になかったらしい。
「お前は一体、僕をなんだと思ってんだよ…」
「なに、って…重度のコミュ───」
「だからそれはもう聞き飽きた、って!」
無論図星の唯斗はそれに反論などありやしないが、コミュ障は最近だいぶ克服した、と思っている所だった。クラスメイトからの冷やかし、というものは大抵距離感ゼロで来る。それが唯斗にとってはかえって、良かったりしていた。
必然的に「やめろよー!」みたいなツッコミが定期的に唯斗の喉を通ってくれるのだから。まぁ、冷やかし、というものはこんな自分を好きだと言ってくれた麻衣の存在があってこそなので、克服できたというのなら、それは紛れもなく麻衣のお陰である。
「え?でもそうだろ?重度のコミュ───」
「だからそれは…っ」
和也宅でしょっちゅう行われているような男二人の掛け合いを麻衣は微笑ましそうに眺めている。男って…ほんとやぁね、なんて思われていないだろうか、と心配になったので唯斗はもう言い返すのをやめた。
そういえば少し前
ーー「そう、って言ってもいい?」
立花彩月に2人の関係を問いただされた時。麻衣は唯斗にそう確認を取った程、互いの関係の認識が甘かったように思う。まぁ、まだ敬語が時折抜け切れない、ぎこちのない期間でもあったから仕方はないが。
だけど今回は確認など取らず、”唯斗の彼女”と言い張ったのだ。決して嫌ではない。むしろありがとう、の気持ちだった。
ついでに最近は節々でそんな事を思っているな、自分は。と今一瞬の隙に感じてしまう。
「えぇ、でもなんでこんな可愛い子が唯斗と!?どっちが告ったんだ!?一体!」
許可なく唯斗のお冷で勝手に喉を潤した和也が改めて麻衣に向き合っていた。麻衣はそんなグイグイと迫る和也に嫌な顔1つせず答えてくれる。
「私です。あっ、可愛くないですよ!別に!」
そんな清々しく謙遜しなくたって…。
麻衣は本当に可愛いと思うのだが…。
「むしろ、唯斗すっごいかっこいいから…、、周りからお似合いだ!って言われるように私も頑張らなきゃ、って感じですよ~」
そんなふうに、言ってくれるなんて。
ある程度話を盛って話してくれているのかもしれないが、唯斗の視線はピタリ、とテーブルに引っ付いた。
かっこいい、なんて男にとって最大級に嬉しいワード。何度麻衣の口から出ても慣れないのである。
「なんていい子…」
和也が目をハートにする勢いで声を落とす。オネェみたいになっている。麻衣に対し、トキメキを感じている様子で「唯斗なんかやめて、今すぐ俺と付き合ってよ!」とでも言ってしまう気配すら感じる程だ。
言うものなら即座に唯斗が止めに入るが。
この時唯斗は初めて自らから独占欲のようなものが滲み出している事に気付き、内心驚いていた。
「てか和也なんでこんなとこにいるんだよ」
残りのパンケーキにフォークを刺しながら唯斗は和也をじろり、と見る。唯斗はそもそもこのカフェに麻衣と2人で来たんだ。それがいつの間にかスー、と勝手に紛れ込んでいた。これでは初めっから3人だった、かのようではないか。
「あー、この店おじが経営しててその手伝い」
「えっ、そうだったの!?…って!
手伝い来てんのに何くつろいでんだよ!」
「まぁ、ちょっとくらいいいだろ。それより2人はどこまで─────」
ニンマリといやらしい顔付きになったばかりの和也は何かを質問しようとしたみたいだが、それはタイミングよく店の奥から聞こえてきた怒声に阻まれた。
「和也ァ!」
オーナーらしき人物…恐らく和也のおじさんと思われる中年男性が厨房辺りから和也を怒鳴りつけ、和也は渋々店の奥へ消えていった。
数分後和也はエプロン姿でお客さんの注文を取っていた。
いつまで居座られるか、と項垂れていた唯斗はおじさんに1人静かに礼を言いつつ、最後のひと口となったパンケーキを口に放り込んだ。
***
学校終わり。
この日唯斗は和也の自宅に来ていた。
「なんだと!?まだキスもしてねぇのかよ!」
「まだ、ってなんだよ…」
先日のカフェで麻衣は架空の彼女ではなく、
麻衣の存在が実際する、と分かった和也に2人の馴れ初め的なとこからありとあらゆるとこまで掘り下げられていた。
「クァー…お前はほんとに……」
どうやら和也は未だキスのひとつもない、と言う唯斗を盛大な溜息と共に見つめていた。
「カップル、っていうのは最初の1ヶ月が1番楽しいんだから。モタモタしてると麻衣ちゃんどっか行っちゃうぞー」
そんな和也の脅しはちょっと怖いものだった。
別にサラッと受け流せばいいのだろうが、
先日高架下でネックレスを互いに付けあった時唯斗はそんな想像をしたばかり。
一生外さない、と言ってくれた麻衣。
まぁ案の定お互い体育の時間なんかはせっせと外しているのだが。それは仕方ない。
でもあの時。唯斗は考えてしまった。
1年後も、麻衣は唯斗の隣にいるのかな、と。
少し前の唯斗にとってはそもそも”彼女”なんて存在いないのが当たり前であった。唯斗の中の当たり前が崩された今。そんな想像はやはり、不安に陥らされるものだった。
「告白されたの入学式、だっけ?まぁー…。1ヶ月経っても、別れ話にならないんだから麻衣ちゃんはほんとに唯斗の事がすきなんだろうねー、時間の問題かもしれないけどー」
和也は伸びをしながら畳にゴロン、と寝転がった。「俺も彼女欲しいー」なんて零して喚き散らかしている。
「和也なら簡単に出来そうだけど……」
人との距離感掴むの上手いし…、と口から出かかったが、「もう先輩気取りですかー」と睨まれてしまった。
「違うし!」
否定も虚しく、もう唯斗が先輩風を吹かせているみたいになってしまった。
「あ、思い出した。そういえば唯斗さ、入学式あった日!なんか言ってたな」
何か思い出したようにハッ、とした和也は上体を起こした。
「なんか?」
「余命幾ばくもない女の子が誰かに突然告白して、最期の時間を一緒に過ごす、みたいな感じじゃない?、って言ってたじゃん」
「あー!言った!」
そういえばあの時は突如自分に寄せられた好意があまりに信じられなくてそんな考えを持っていたのだ。今となってはなんだか懐かしい。
麻衣は時々ふとした時に泣いたりする事から、余命幾ばくもなさそうな儚さは時折感じるが、きっとそれだけに過ぎないと思う。余命幾ばくもない、なんて事は無いと思う。
「あれは…、僕の考えすぎだったかも」
「だろうな。めっちゃシリアスな表情してたぞ?こんな感じで」
「おいー、やめろよー」
あの時していたらしいシリアスな表情をかなり誇張して真似され、不貞腐れる。あの時はそういう系のドラマを見てたからガッツリ影響受けてたんだよ…。
だけどもし───────
麻衣に余命があったら嫌だな。
たとえもし、の話だとしても、それは全力で嫌がる事実だ。唯斗はもう既に怖いのだ。
まだそう日は経っていないが、
麻衣と過ごす時間は唯斗にとって、とても楽しい、と思っていた。そもそも唯斗は恋愛経験などまるでなく、生きてきた人種。女の子とどこかへ出掛けたり、話したり、そういった事は本当に麻衣が初めて。
もし余命がある、なんて事を面と向かって聞いてしまえば唯斗はどうなるのだろうか。
悲しい、なんてもんじゃない。
もう唯斗にとって麻衣は、
確実に特別な存在なのだから。
それから5時のチャイムが鳴る頃に
和也の家を出たら小さな雨粒がポタポタと脳天を直撃した。
梅雨の訪れを感じた瞬間だった。
明日から6月がやってくる。
テストも終わり、肩の重みがとれた
5月ラストの今日。
時の流れが長いな、とふと感じた。
***
「あ」
唯斗はリビングで流れるバラエティ番組を横目に晩御飯のクリームシチューを食べていたのだが、ある事に気付いてしまった。
ーーカップル、っていうのは最初の1ヶ月が1番楽しいんだから。
ーー告白されたの入学式、だっけ?まぁー…。1ヶ月経っても、別れ話にならないんだから…
なんで気が付かなかったのだろうか。
唯斗と麻衣が付き合ったのは4月15日。
そう。
実は今月の中旬を過ぎた辺りから、
何かを、忘れている気がしてならなかった唯斗。ふとした時に心の奥底がモヤモヤして。
モヤモヤしては消えて……。その正体が今になって判明した。
これだったのだ。
付き合って1ヶ月記念に唯斗は麻衣に何もしていない、という事。言い訳にしかならないが唯斗は何かの記念日に疎い性格。それプラス、ガッツリテスト週間という事もあって、意識が全方位そっちに向いていたのだ。
遅ればせながら何か…ちょっとしたプレゼントを渡すべきだろうか。唯斗は頭を悩ませた。
麻衣もその日。
唯斗に何かした訳では無かった為、
記念日とかあんまり気にしない性格である事も考えられたけど、それは……現時点では唯斗が都合よく解釈しただけの憶測に過ぎなかった。
《はい!私は今恋ノ浜に来ています!見て下さい!この絶景!最近では観光スポットとして、人気を集めているらしく……》
ちょうどその時、母がチャンネルを弄り、バラエティ番組だったのが日本の絶景、という番組に切り替わった。唯斗の視線はテレビに向く。
ちょうどソファに座る母の頭が邪魔してよく見えなかったのでシチューそっちのけで立ち上がった。
画面に映し出されている海が太陽の光を反射してゆらめていてタレントが波打ち際を歩いて気持ちがいいです~、と清々しい顔をしている所だった。
この時、麻衣が好きそうだな、とふと思った。
入学式の翌日、「この空可愛くない?」とぼっち弁をしようとしている唯斗に話しかけた麻衣。同じ空を見て同じような感想を抱いたんだ。今は画面越しだけどきっとこの景色に対しても同じように目をキラキラさせて、綺麗、だと言ってくれる。そんな気がしていた。
霞浜市……。
画面の中のタレント曰く
その海は唯斗の住む地域から電車やバスを乗り継げば3時間半程で辿り着ける霞浜市にあるようだった。遠い、と言われれば遠いかもしれなかが行けない、程の距離では無い。
ーー誘って…みようかな。
意気地と度胸も、唯斗は産まれてくる際誰かに根こそぎ奪われてしまったのかと疑う程に持ち合わせていなかった。せっかく持った誘ってみようかな。の意思が徐々に萎んでいきそうになる唯斗の脳裏に先程交わした和也との会話が過ぎった。
「お前って、自分から誘ったりした?」と尋ねられた時の事だ。”から”だけやけに強調されたのだ。そして和也はこう続けた。
「なんつーか、受け身な恋愛ってさ、相手にとっちゃつまんなくない?」
と。
無論図星。
今まで唯斗から麻衣に何か誘った事は1度もなかった。いや…。1度だけ手を繋ぎたい、と提案した事はあった。あれは唯斗にとって身の丈に全くあっていない物凄く大きな第1歩だった。
だけどあの1度をいつまでも
僕だって誘ったんだ、と馬鹿の1つ覚えのように繰り返す気は無い。
お花見もネックレスを買いに雑貨屋に行こう、と提案したのも基本的には全て麻衣だ。「どこかへ行こう」の提案を唯斗も出来たらいいな、と少し前から思っていた。
麻衣と恋人として過ごしたこの1ヶ月。
唯斗はいろんなものを麻衣からもらったように思う。それは物質的な何かではなく、気持ちの方で。
たとえ麻衣が1ヶ月記念をさほど気にしていなくても、唯斗は日頃の感謝を伝えたかった。
唯斗にとって麻衣は知らなかった気持ちをくれた人だから。
決意しきれない
”誘ってみようかな”が熱を帯びる。
流れに身を任せる事は簡単だし楽だ、って常日頃から思っていた。下手に動いて傷付くのだけは嫌で、避けたくて、それはもう癖、のように唯斗にこびり付いていた。
ーー僕は麻衣相手にそんなに傷付くのが怖い、と怯えているのか?
自分自身に問い掛けた疑問はなんだかクソで。答えなんて考えるまでもなかった。
翌日
誘ってみよう、と心に決めて学校へ向かった。
***
大きなチャイムが響き渡る。
今日は朝から中間テストが返却された。
散々な結果だった。
唯斗の学年順位は230人中230位。
少し前に
メモ飛ばしはもういいの?と尋ねた唯斗に麻衣は、ちゃんと真面目に授業受けないと私達やばいじゃん?、と言った。
その発言になんでまだテストすら行われていないのにまるで成績が悪い、と断定したような物言いをしたのかな、と気になっていた唯斗。
あの時の麻衣の発言はやはり、この結果を知っているかのようだったな、と改めて赤点だらけチェックだらけの答案用紙を眺めながら思った。
そして少し不貞腐れたように折りたたんでしまう。今日家に帰って、母にこの順位が知られてしまった想像をしてみると、塾を勧められる可能性が唯斗の脳内で急浮上してきたのでとりあえず真ん中よりは上だった、と言おう。塾なんてたまったもんじゃない。
麻衣は何位ぐらいなのだろうか。
チラ、と横を見るがガードが硬く全然見えない。というか教室を見回した所、女子は全員ガードが硬い。ガチガチだ。
と、その時。前の席の男子生徒の手元からヒラヒラと手のひらサイズの紙っぺらが唯斗の足元に落下した。おそらく順位が書かれている紙だ。親切心で拾う。本人に無断で見る事が出来る絶好の機会ではあったが、やはり気が引け、目を逸らしながらトントン、と肩を叩く。
「あ、これ…落としたよ」
教室ではいつも騒がしくしている彼。
クルリ、と身をひねり、唯斗を見つめた。
「あ、まじ!?サンキュ、栗原」
もちろん、見るつもりはなかった。
だけどクラスメイトと冷やかし以外でこうして話したのは初めてで、しかも唯斗から肩を叩き会話したんだ。短いやり取りではあったが動揺してしまい、つい彼の順位が見えてしまった。
彼の順位は230人中1位。
ここに、学年のトップとベリが…。
愕然とする唯斗は溜息を吐き出すしかなかった。
***
「麻衣、って…中間テストの順位何位くらいだった?」
お昼休み。
今日は立花彩月が委員会で居ない為、2人で弁当を食べていた。折を見てそう尋ねたのだが…。
「気になるー?」
こっちはベリ、でかなり深刻な問題を抱えているというのに麻衣はだし巻き玉子を頬張りながらヘラッ、と笑った。
「…気になる」
「えぇー、恥ずかしいから内緒!」
「やっぱりか…」
と、いっても唯斗よりは順位が上である事には違いないだろう。人の順位を詮索するのはやめ、唯斗は昨晩心に決めた事を実行しようとしていた。
ーー霞浜市にある恋ノ浜という海。
気付かぬ間に過ぎ去ってしまった1ヶ月の記念はやはり、淡々と過ぎ去るべきじゃない、と思った。
「あの、さ」が喉まででかかった時。
麻衣が不思議な話をした。
「唯斗はさ…人生で起こる事全部決まってる、って思う?」
誘おう、としていた唯斗の頭がフリーズする。
「え?」
麻衣は弁当のフタを閉じながら続けた。
「知ってる?人生には模範解答がある、って。誰と出会う、とかどうなる、とか…書いてある」
そこで1度不自然に言葉を麻衣は
「……らしいよ!」と付け足した。
何かの本でも読んだのだろうか。
「死んだ時にね、見せてくれるんだって。それ」
「はじめて…聞いた」
そう答えながら唯斗は思った。
もし、それが本当なら、と。
何気なく言葉にした。
「もしそれが本当なら…僕の模範解答には麻衣の名前が書かれてるんだろうな」
本当に何気なく、発した言葉。
でも麻衣は驚いたように唯斗を見つめパチパチと瞬きした。
「唯斗って…」
「ん?」
麻衣が何か言いたそうにしていたので首を傾げる。麻衣の言葉をただじっと待つ。すると
「意図せず人を幸せにしてくれるね」
「え?、そっ、そうかな?」
そんな事はない、と否定する傍ら、それは麻衣も一緒だと思った。
「そういうとこだよほんとー、意図せず何度も好きにさせられる」
「ま、またそんな…っ、不意打ちに」
いつも麻衣には意図せずドキマギさせられる。
「ほら行こ!5限始まっちゃう!」
「あ、ほんとだ、もうこんな時間…」
予鈴が鳴り、麻衣に背中に押されるまま屋上を後にした。
「あ、麻衣。良かったら今度───────…」
慌ただしかったけれど教室に入る前。
唯斗は、決意が鈍らないうちに、おそるおそる
霞浜市にある恋ノ浜という海に行こう、と
誘った。
2週間のテスト期間を経て、今日は3日に分けて行われる中間テスト最終日。3日目。学年主任は「気を引き締めて」など、最後の最後までぶつくさ言いながら厳格な姿勢で廊下を歩いている。
麻衣とお花見に行った日から1ヶ月近く経とうとしていたが、唯斗達の関係はあの時から何ら変わっていなかった。お昼も屋上で麻衣と立花彩月と食べている。
雨の日は教室で食べているのだが、
男子1人に女子2人。なんとも変わった組み合わせだ。クラスメイトの目はチラホラ、と寄せられたのは言うまでもない。
しかしクラスメイトの間ではもうすっかり麻衣と唯斗は付き合っている、という認識になっている為か、そこまで悪く言われる事はなかった。
立花彩月も、カップルに挟まれて居ずらい、という感じではなく、むしろ麻衣と唯斗の初々しいやり取りを間近で、まるで特等席でも見つけたかのように楽しんでいた。
唯一、変わった事と言えば、席替えがあったくらいだ。とはいっても窓際の1番後ろから1つ前に移動しただけ。場所が若干変わっただけで、麻衣とはまた隣の席だったので、そこまでの変化はないに等しかった。
くじで平等に決められているはずなのに、すごい偶然だ。麻衣が「また隣だね!」と喜んでくれていて唯斗も次の席替えの日まで、こうして麻衣の隣で居られる事が嬉しく、「だね」とらしくもなく、しばらく口角が上がりっぱなしだった。
その日は家に帰ると母に「なんかいい事あった?」と聞かれ。父にも同じような事を聞かれた。唯斗は両親にとって1人息子である為、息子の変化には何かと鋭い。その鋭さは唯斗が高校生になった今でもしっかり健在だった。
*
「ヒューヒュー!」
「朝からほんとラブラブだなぁ」
少し麻衣と話していただけなのだが今日も面白がる声がクラスメイト数人から寄せられる。
当初。クラスメイトと上手くやれるか自信がなかった唯斗だったが、麻衣との関係を冷やかされたりするうちに度々話すようになったりしていた。
冷やかしもそこまで悪意のあるものでは無かったし、それきっかけで仲良くなれたクラスメイトもいる。この倉ヶ丘高校へ入学してからもうはや1ヶ月。コミュ障の唯斗なりにも高校生活を楽しむ事が出来ていた。
ちなみに麻衣はクラスメイトから冷やかされる度に「いいでしょー」と、自慢げに返していた。麻衣が唯斗を自慢の彼氏、と思ってくれてるのなら有難い限りだった。
唯斗もそういう返しが出来たらいいな、と思うのだがまだ冷やかされ慣れていない所もあり「あはは」と軽く笑って返す事しか出来ていなかった。
朝のHR終わり。担任教師がこれから行われる中間テスト最終日の日程を黒板にコツコツ、と書いている。
大半の生徒はギリギリまでテキスト片手に勉強しているのだが麻衣はその気がないらしい。唯斗も同様だった。こんな数分テキストを見たって点数はさほど変わらない、と思ってしまう。
「ねぇねぇ、今日OPENだよね?駅前の雑貨屋!」
テスト前の若干ピリついた空気が漂う中、麻衣が唯斗の席の前に屈んで何やらソワソワしていた。席が隣なのだがら隣に座って話せばいいのに。
「あぁ、確か……」
朝登校する時そんな貼り紙を見た気がする。
ずっと工事中で通り掛かる度にドリルの音が聞こえていたあの場所の事だろう。電車を降りるとすぐに目につく場所だから比較的分かりやすかった。
「麻衣が栗原と行きたいってさー!」
からかうように麻衣の肩をツンツンとつつき、顔を出したのは立花彩月だ。いつにも増して2人のテンションが今日は朝から高かった。
麻衣がそこの雑貨屋に唯斗と行きたい、というのは本当なようで特に否定をしない麻衣は、
「あっ、彩月……っ」と若干友人を咎めるような声を発するだけだった。
「じゃあ……、行く?」
今日は3教科だけだし、中間テストのご褒美かのように下校時刻がいつもより早かった。午前中には帰れる事だろう。
「うん!行く!行く行く!」
それはそれは元気のいい頷きをしてくれた麻衣は弾かれたように立ち上がり、やっと隣の席に腰を掛けた。
「楽しみだなー」なんて零しながら
立花彩月に、「もうラブラブなんだからー」と言われている麻衣を横目に唯斗は内心ドキドキしていた。
麻衣と、学校外でどこかへ行ったりするのはお花見に行った日以来だった。楽しみ、という感情があの日より増していた。きっとあの時は二人の関係に多少なりともぎこちなさがあったが、今はほとんど無くなったからだろう。久しぶりにワクワクして最近募りに募ったテスト疲れが吹っ飛ぶようだった。
そしてきっと今、立花彩月がテキストなど見ずに唯斗と麻衣に絡んでいるのは余裕があるからだろうと思う。麻衣曰く、どうやら彩月は頭が良いらしい。同じテキストを見ない仲間だとしても、既に諦めてるから見ない、のと見なくても大丈夫だから見ない、のでは大違いだ。
「はーい、席つけー、国語始めるぞー」
楽しみが出来た、といってもこれから3教科やらなくちゃいけないからもうひと踏ん張りなのだが、担任の気張った声は自然と不愉快では無かった。
*
時刻は午前11時過ぎ。
無事テストが終わり、クラスメイトは「やっと終わったー」などと気を抜きまくりの伸びをしていた。マークシート形式だったので唯斗もかなり時間が余り、途中からは消しゴムを意味も無く削っていた。
隣の麻衣はというと、ラストの英語の時間。半分以上を机に突っ伏して、豪快に寝ているようだった。その姿に天才を感じてしまう。
麻衣の学力は未だ知らないが、
謎に余裕が滲み出ていたので唯斗はそう感じたのだ。
「楽しみ!なんかおそろい買おうよ!」
麻衣がゆるふわなポニーテールを揺らしながら唯斗の隣を歩く。麻衣の帰路とは真逆方向であるにも関わらず彼女はこうして今唯斗と肩を並べている。
今朝約束した雑貨屋に向かっている所なのだ。
今まで、学校帰りに麻衣とどうこうする事は無かったし、いつも1人でこの帰路を歩いていた唯斗。今日は何だか隣が騒がしい。
「おそろい?何を?」
「2人くっつけるとハートになるネックレスとか!」
「ベタだね」
「うん、ベタ。でも恋人らしくていいじゃん!」
「確かに恋人っぽい。あるといいね」
”クラスメイト”でもない、
”友達”でもない
”恋人”という言葉。
お互いにサラッ、と口にしたその言葉に、
どちらからも否定の言葉は出ない。
それは2人の関係を再確認するかのようだった。
ベタ過ぎる麻衣の目当てのネックレスは果たしてあるのか。たまにはこうして高揚感を抱きながら寄り道する、というのもいいかもしれない。自分1人では寄り道といえば和也の家にちょこっと寄るくらい。
もちろん駅前にはそれなりにお店が立ち並んでいたが目もくれず真っ直ぐ家に帰っていた。きっと和也のような活発な友人が唯斗に居ればそういう場所に連れ出して貰えるかもしれないが、まだそこまで親しい友人は唯斗に居ない為、そんな事はなかった。
活発な友人の存在はきっと唯斗にとってかなり影響力があるものだろう。無論自ら行こう、とはならない性格の持ち主なのだ。栗原唯斗という人間は。
しかし最近の唯斗には活発な友人、ではなく、活発な彼女がいた。今だってこうして「一緒に行こ!」と連れ出して貰っている。麻衣の思うまま連れ出された唯斗は流されている、に過ぎないがこの流れに身を任せるのはとても心地が良かった。
学校から駅までの道のりはいつも10分に1回くらいのペースで来る次の電車の時間ばかり気にしていた唯斗。今日は時間など一切気にしていない。隣に麻衣がいるからなのは言うまでもなかった。
まるで保育園児のように無邪気に「ハートのネックレス」と連呼している。そんな麻衣も愛おしく思いつつ唯斗は微笑みながら「あるといいね」と何度も返すのであった。
***
今日OPENともあり、雑貨屋はそこそこ賑わっていた。店の中にはあちこちにお祝いの風船が飾られていて今どきな感じだ。
「ねぇー!見てー!あったよー!」
カラフルな店内にひとしきりはしゃいだ麻衣は直ぐにベタベタな2つをくっつけるとハートになるネックレスをどこからか見つけてきた。
「おぉ、良かったね」
「なんで他人事!?」
「いやいや、嬉しがってるよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
実際麻衣の目当ての物があった事に、では無く、それを見つけて麻衣が嬉しがっている事に、唯斗も嬉しがっていた。
実は唯斗はずっと時期外れのバレンタインを麻衣に貰ってから何かお返しをしたいと考えていたので、2つセットになっているそのネックレスを購入した。
「はい。ホワイトデー」
ホワイトデー、と称しラッピングしてもらった片方のネックレスを店内を出てから麻衣に渡す。
「ホワイトデー?今7月だけど」
麻衣はからかうような笑みを作った。
「麻衣がそれ言う?」
「あはは、だね。ありがとうっ」
嬉しそうで何よりだ。
すぐにラッピング袋からネックレスを取り出して空に掲げていた。しかしすぐに何かを思い出したかのように「あっ」と声を上げた。
「ん?」
「付けて欲しい!」
気持ちの良い風の吹く高架下の日陰で足を止めた麻衣はくるり、と体の向きを変え、唯斗に背を向けた。「早く」と言わんばかりにグイグイ、とネックレスを唯斗に渡してくる。
「もう付けてくれるの?」
なんて微笑みながら麻衣のポニーテールを少しずらす。こうして間近に見る麻衣の項はなんだか色っぽくてドキッ、としてしまう。
出来る事ならパパッ、とスマートに付けてあげたいのだが女性にネックレスを付けてあげる、なんて行為をここで初めて経験する唯斗。
心なしか手が震えてしまっている気がする。
だって、こんな姿勢……
バックハグの1歩手前だ。
緊張するに決まっている。
隣に並ぶ、とか
手を繋ぐ、とか
そういうのとはまた違ったドキドキがあったのだ。
「はい。付けたよ」
平然を装うが、唯斗は動揺を隠すかのように下唇を噛み締めている真っ只中。余韻のように残るドキドキは未だ唯斗の心をはしゃぎ散らかしていた。
「ありがとう。一生付けるね!」
なんて大きな宣言。
「あっ、唯斗もだからね!?」
きっとどこかのタイミングでは麻衣も唯斗も外すのだろうが、ここは大人しく「分かった」と頷いておく。
「屈んで!唯斗のも付けてあげる!」
「あ、…じゃあよろしく」
言われた通りに、少し屈んで麻衣との身長差を埋める。首元にざわざわと金属が当たるのを感じながらゴソゴソしている麻衣を背中に感じる。
そんな中。唯斗は”一生”、という言葉を深く考えてしまい、思考がなんだか落ち着かなくなっていた。
たとえば来年。
高校2年となった唯斗の隣に
麻衣はいるのだろうか、とふと思ったのだ。
いないかもしれない。そう思ったら得体の知れない不安に押し潰されるようで、ただの唯斗の”かもしれない”なのに、その現実がやけに脳裏に浮かんだ気がして胸騒ぎがしたのだ。
男女なんて、付き合う、別れた、を繰り返していくものだろう。倦怠期、という言葉があるくらいなのだから、いつ今あるものが無くなるか分からない。自分達が例外であるならそれは喜ばしい事だが未来の事はやはりなんとも言えない。
「はいっ、付けれたよ!」
唯斗の正面に回った麻衣。
胸騒ぎがまだ胸に淀めいているようで
どこかぎこちなく「ありがとう」と言った。
すると麻衣は自らの首元に手を伸ばしたハートのネックレスを唯斗の首元に近付けた。
「出来た!ハートっ!」
「可愛いね」
「ね!」
案の定2つ合わせたらハートになった。
互いの欠けたハートの内部には磁石が埋め込まれているみたいでピタリ、と音を立ててくっ付いた。ベタだけど、麻衣のこの笑顔が見られるならそれだけで意味はあったと思う。
しかもこんな至近距離で。
付き合い始めた当初。
「好きになってもらえるよう頑張るね」
と自らへの好意がまるで無い事を前提にした言い方をした麻衣。当時の唯斗は確かにその通りだった所もあるが、今ももし。麻衣が唯斗に好いて貰えるよう努力している事があるのなら、それはもう不必要な事だった。
今の唯斗は十分
麻衣に想いに寄せているのだから。
麻衣があの時告白していなかったら。
そんな事を時々考えると今の唯斗を取り囲む環境はまるで無かったんじゃないか、と思う。
日々自分の中で高ぶる麻衣への想いは麻衣を知る度、募るばかりだ。
唯斗の隣に来年。麻衣が居ないかもしれない。
そんな”かもしれない”を考えて不安に押し潰されているくらいだ。
それはもう唯斗の気持ちを明確に、的確に、証明していた。
***
雑貨屋の後は近くの喫茶店に入った。
喫茶店の表に出ていた看板に麻衣がこれでもか、と惹かれたのだ。
「なにこれ!新作!?」
よく来る店のようだが、どうやら新作が出ていたらしい。看板の中で一際大きく載せられていた小難しい名前が付いたパンケーキを「食べたい!」と言わんばかりの眼差しで見つめていたので、上手い事店の策略に嵌められ、2人は店内でくつろいでた。
テーブルの上には唯斗が注文したアイスコーヒーと、麻衣が注文したパンケーキが乗っている。色んな果物が乗ったこれまた雑貨屋の店内に引き続きカラフルなものだった。
どうやら5月いっぱいで別のものに切り替わる、いわゆる期間限定のものらしい。
「映えーっ」と、SNSに投稿するらしい写真をひとしきり撮り終えた麻衣はフォークとナイフを手に取り半分に切った。
「はい、唯斗も!」
「え?僕はいいのに」
「1人じゃこの量無理だから!」
「え、そう?」
普段から割とお弁当のボリューム大な麻衣は
これぐらいへっちゃらかと思うのだが……。
いや。きっとへっちゃらだが唯斗に気を利かせてそう言っているのだろう。
「じゃあ……もらう、ね?」
「うん!」
お皿の隅に添えられていた生クリームは麻衣が最初の1口でパクリ、と食い尽くしてしまったので生地と果物とほんの少し残ったストロベリーソースで唯斗はパンケーキを味わった。そんな唯斗を申し訳無さそうに見つめる麻衣に幾度となく吹き出しそうになってしまう。
「あれ?唯斗?」
そんな唯斗の背中に突然なんの前触れもなく、声が掛かる。聞き馴染みのある声に一瞬むせそうになりながらも顔を上げ、振り向くとそこに居たのはなんと和也だった。
「えっ!?和也!?」
制服を着ているが和也の学校は隣町の筈。
「なんでこんなとこに?」と呟く唯斗に麻衣がコソッ、と耳打ちする。
「友達?」
「あぁ、うん、えーと、こいつは……」
やや戸惑い気味で紹介しようとした矢先。
和也は強引に唯斗の隣に腰掛けた。
「俺、唯斗の幼馴染の和也!」
そして元気いっぱいで自己紹介をした。
ノリ、と勢いが唯斗と違って凄まじい和也。
麻衣とは初対面のはずなのに流石のハキハキぶりだ。
「幼馴染!?へぇー!初めまして、麻衣です」
麻衣も和也に負けず劣らずハキハキと自己紹介にしてくれた。その姿は第一印象清楚、って感じで、パンケーキに添えられた生クリームを最初の1口で全て食いつくような豪快ぶりは微塵も感じられなかった。
「その制服、隣町のめっちゃ頭いいとこですよね?すごいっ」
「そんな事ないよ~っ、あ、でも一応首席~」
あーあ。まーた、和也の自慢が始まった。
「麻衣。そんな褒めたらこいつ調子に乗っ…」
咎めるように2人の間に割って入ろうとするが
和也が「ちょっと待てよ!?」と、大声を発した為阻まれた。
大声の次は顎に手をやり、気難しい教授のような姿勢を作る。そしてギリ、聞こえるぐらいの声量でぶつくさ言い始めた。
「……この子、まさか唯斗の彼女か?いや、そんな事あるか?いや……重度のコミュニケーション障害を患っている唯斗が?それは流石に有り得ないか?っていうかそもそも唯斗の彼女は架空の彼女であって……現実に存在などしていないはず。まさか俺は架空が見える能力をこの短期間で身につけたとでも言うのか?」
「はぁ…お前はほんとに……」
呆れて物も言えない、とはまさにこの事。
この子は唯斗の彼女だし、重度のコミュニケーション障害、という所は否定しないが、架空の彼女ではない。れっきとした3次元に存在する女の子だ。よって和也は架空が見える能力など一切身につけていない。しかしそのまま黙って聞いていれば、とうとう…
「まさか…ついに唯斗は大金を払って彼女代行サービスに手を出した、とでもいうのか?」
などと、とんでもない方向に話がネジ曲がり始めた。天才故か、思考の幅が広すぎる和也を横目に唯斗は「ごめん」と口パクを麻衣に送るのであった。(頭はいいけど変な幼馴染でごめん)という意味を込めながら。
麻衣はクスクス、と笑いながら軽く首を横に振って答えてくれた。そしてこの頭はいいけど変な幼馴染の曲がりに曲がった思考を止める最大の打開策を麻衣が言ってくれた。
「あははっ……、え、と…”唯斗の彼女”、です」
「……」
沈黙の中。
どこか照れくさそうに口を開いた麻衣を
和也は口をあんぐりと開けて見つめていた。
何も間違っていない。その通りだ。しかし唯斗はそんな幼馴染の隣で赤面していた。
「うそぉ!?」
和也の声は店中に響き渡り、唯斗のお冷に浮かぶ氷がカラン、と音を立てる。めちゃくちゃ驚いて口をパクパクさせているが、ヒントかのように今現在唯斗と麻衣の胸元にはおそろいのネックレスが付けられているのだが。
どうやら眼中になかったらしい。
「お前は一体、僕をなんだと思ってんだよ…」
「なに、って…重度のコミュ───」
「だからそれはもう聞き飽きた、って!」
無論図星の唯斗はそれに反論などありやしないが、コミュ障は最近だいぶ克服した、と思っている所だった。クラスメイトからの冷やかし、というものは大抵距離感ゼロで来る。それが唯斗にとってはかえって、良かったりしていた。
必然的に「やめろよー!」みたいなツッコミが定期的に唯斗の喉を通ってくれるのだから。まぁ、冷やかし、というものはこんな自分を好きだと言ってくれた麻衣の存在があってこそなので、克服できたというのなら、それは紛れもなく麻衣のお陰である。
「え?でもそうだろ?重度のコミュ───」
「だからそれは…っ」
和也宅でしょっちゅう行われているような男二人の掛け合いを麻衣は微笑ましそうに眺めている。男って…ほんとやぁね、なんて思われていないだろうか、と心配になったので唯斗はもう言い返すのをやめた。
そういえば少し前
ーー「そう、って言ってもいい?」
立花彩月に2人の関係を問いただされた時。麻衣は唯斗にそう確認を取った程、互いの関係の認識が甘かったように思う。まぁ、まだ敬語が時折抜け切れない、ぎこちのない期間でもあったから仕方はないが。
だけど今回は確認など取らず、”唯斗の彼女”と言い張ったのだ。決して嫌ではない。むしろありがとう、の気持ちだった。
ついでに最近は節々でそんな事を思っているな、自分は。と今一瞬の隙に感じてしまう。
「えぇ、でもなんでこんな可愛い子が唯斗と!?どっちが告ったんだ!?一体!」
許可なく唯斗のお冷で勝手に喉を潤した和也が改めて麻衣に向き合っていた。麻衣はそんなグイグイと迫る和也に嫌な顔1つせず答えてくれる。
「私です。あっ、可愛くないですよ!別に!」
そんな清々しく謙遜しなくたって…。
麻衣は本当に可愛いと思うのだが…。
「むしろ、唯斗すっごいかっこいいから…、、周りからお似合いだ!って言われるように私も頑張らなきゃ、って感じですよ~」
そんなふうに、言ってくれるなんて。
ある程度話を盛って話してくれているのかもしれないが、唯斗の視線はピタリ、とテーブルに引っ付いた。
かっこいい、なんて男にとって最大級に嬉しいワード。何度麻衣の口から出ても慣れないのである。
「なんていい子…」
和也が目をハートにする勢いで声を落とす。オネェみたいになっている。麻衣に対し、トキメキを感じている様子で「唯斗なんかやめて、今すぐ俺と付き合ってよ!」とでも言ってしまう気配すら感じる程だ。
言うものなら即座に唯斗が止めに入るが。
この時唯斗は初めて自らから独占欲のようなものが滲み出している事に気付き、内心驚いていた。
「てか和也なんでこんなとこにいるんだよ」
残りのパンケーキにフォークを刺しながら唯斗は和也をじろり、と見る。唯斗はそもそもこのカフェに麻衣と2人で来たんだ。それがいつの間にかスー、と勝手に紛れ込んでいた。これでは初めっから3人だった、かのようではないか。
「あー、この店おじが経営しててその手伝い」
「えっ、そうだったの!?…って!
手伝い来てんのに何くつろいでんだよ!」
「まぁ、ちょっとくらいいいだろ。それより2人はどこまで─────」
ニンマリといやらしい顔付きになったばかりの和也は何かを質問しようとしたみたいだが、それはタイミングよく店の奥から聞こえてきた怒声に阻まれた。
「和也ァ!」
オーナーらしき人物…恐らく和也のおじさんと思われる中年男性が厨房辺りから和也を怒鳴りつけ、和也は渋々店の奥へ消えていった。
数分後和也はエプロン姿でお客さんの注文を取っていた。
いつまで居座られるか、と項垂れていた唯斗はおじさんに1人静かに礼を言いつつ、最後のひと口となったパンケーキを口に放り込んだ。
***
学校終わり。
この日唯斗は和也の自宅に来ていた。
「なんだと!?まだキスもしてねぇのかよ!」
「まだ、ってなんだよ…」
先日のカフェで麻衣は架空の彼女ではなく、
麻衣の存在が実際する、と分かった和也に2人の馴れ初め的なとこからありとあらゆるとこまで掘り下げられていた。
「クァー…お前はほんとに……」
どうやら和也は未だキスのひとつもない、と言う唯斗を盛大な溜息と共に見つめていた。
「カップル、っていうのは最初の1ヶ月が1番楽しいんだから。モタモタしてると麻衣ちゃんどっか行っちゃうぞー」
そんな和也の脅しはちょっと怖いものだった。
別にサラッと受け流せばいいのだろうが、
先日高架下でネックレスを互いに付けあった時唯斗はそんな想像をしたばかり。
一生外さない、と言ってくれた麻衣。
まぁ案の定お互い体育の時間なんかはせっせと外しているのだが。それは仕方ない。
でもあの時。唯斗は考えてしまった。
1年後も、麻衣は唯斗の隣にいるのかな、と。
少し前の唯斗にとってはそもそも”彼女”なんて存在いないのが当たり前であった。唯斗の中の当たり前が崩された今。そんな想像はやはり、不安に陥らされるものだった。
「告白されたの入学式、だっけ?まぁー…。1ヶ月経っても、別れ話にならないんだから麻衣ちゃんはほんとに唯斗の事がすきなんだろうねー、時間の問題かもしれないけどー」
和也は伸びをしながら畳にゴロン、と寝転がった。「俺も彼女欲しいー」なんて零して喚き散らかしている。
「和也なら簡単に出来そうだけど……」
人との距離感掴むの上手いし…、と口から出かかったが、「もう先輩気取りですかー」と睨まれてしまった。
「違うし!」
否定も虚しく、もう唯斗が先輩風を吹かせているみたいになってしまった。
「あ、思い出した。そういえば唯斗さ、入学式あった日!なんか言ってたな」
何か思い出したようにハッ、とした和也は上体を起こした。
「なんか?」
「余命幾ばくもない女の子が誰かに突然告白して、最期の時間を一緒に過ごす、みたいな感じじゃない?、って言ってたじゃん」
「あー!言った!」
そういえばあの時は突如自分に寄せられた好意があまりに信じられなくてそんな考えを持っていたのだ。今となってはなんだか懐かしい。
麻衣は時々ふとした時に泣いたりする事から、余命幾ばくもなさそうな儚さは時折感じるが、きっとそれだけに過ぎないと思う。余命幾ばくもない、なんて事は無いと思う。
「あれは…、僕の考えすぎだったかも」
「だろうな。めっちゃシリアスな表情してたぞ?こんな感じで」
「おいー、やめろよー」
あの時していたらしいシリアスな表情をかなり誇張して真似され、不貞腐れる。あの時はそういう系のドラマを見てたからガッツリ影響受けてたんだよ…。
だけどもし───────
麻衣に余命があったら嫌だな。
たとえもし、の話だとしても、それは全力で嫌がる事実だ。唯斗はもう既に怖いのだ。
まだそう日は経っていないが、
麻衣と過ごす時間は唯斗にとって、とても楽しい、と思っていた。そもそも唯斗は恋愛経験などまるでなく、生きてきた人種。女の子とどこかへ出掛けたり、話したり、そういった事は本当に麻衣が初めて。
もし余命がある、なんて事を面と向かって聞いてしまえば唯斗はどうなるのだろうか。
悲しい、なんてもんじゃない。
もう唯斗にとって麻衣は、
確実に特別な存在なのだから。
それから5時のチャイムが鳴る頃に
和也の家を出たら小さな雨粒がポタポタと脳天を直撃した。
梅雨の訪れを感じた瞬間だった。
明日から6月がやってくる。
テストも終わり、肩の重みがとれた
5月ラストの今日。
時の流れが長いな、とふと感じた。
***
「あ」
唯斗はリビングで流れるバラエティ番組を横目に晩御飯のクリームシチューを食べていたのだが、ある事に気付いてしまった。
ーーカップル、っていうのは最初の1ヶ月が1番楽しいんだから。
ーー告白されたの入学式、だっけ?まぁー…。1ヶ月経っても、別れ話にならないんだから…
なんで気が付かなかったのだろうか。
唯斗と麻衣が付き合ったのは4月15日。
そう。
実は今月の中旬を過ぎた辺りから、
何かを、忘れている気がしてならなかった唯斗。ふとした時に心の奥底がモヤモヤして。
モヤモヤしては消えて……。その正体が今になって判明した。
これだったのだ。
付き合って1ヶ月記念に唯斗は麻衣に何もしていない、という事。言い訳にしかならないが唯斗は何かの記念日に疎い性格。それプラス、ガッツリテスト週間という事もあって、意識が全方位そっちに向いていたのだ。
遅ればせながら何か…ちょっとしたプレゼントを渡すべきだろうか。唯斗は頭を悩ませた。
麻衣もその日。
唯斗に何かした訳では無かった為、
記念日とかあんまり気にしない性格である事も考えられたけど、それは……現時点では唯斗が都合よく解釈しただけの憶測に過ぎなかった。
《はい!私は今恋ノ浜に来ています!見て下さい!この絶景!最近では観光スポットとして、人気を集めているらしく……》
ちょうどその時、母がチャンネルを弄り、バラエティ番組だったのが日本の絶景、という番組に切り替わった。唯斗の視線はテレビに向く。
ちょうどソファに座る母の頭が邪魔してよく見えなかったのでシチューそっちのけで立ち上がった。
画面に映し出されている海が太陽の光を反射してゆらめていてタレントが波打ち際を歩いて気持ちがいいです~、と清々しい顔をしている所だった。
この時、麻衣が好きそうだな、とふと思った。
入学式の翌日、「この空可愛くない?」とぼっち弁をしようとしている唯斗に話しかけた麻衣。同じ空を見て同じような感想を抱いたんだ。今は画面越しだけどきっとこの景色に対しても同じように目をキラキラさせて、綺麗、だと言ってくれる。そんな気がしていた。
霞浜市……。
画面の中のタレント曰く
その海は唯斗の住む地域から電車やバスを乗り継げば3時間半程で辿り着ける霞浜市にあるようだった。遠い、と言われれば遠いかもしれなかが行けない、程の距離では無い。
ーー誘って…みようかな。
意気地と度胸も、唯斗は産まれてくる際誰かに根こそぎ奪われてしまったのかと疑う程に持ち合わせていなかった。せっかく持った誘ってみようかな。の意思が徐々に萎んでいきそうになる唯斗の脳裏に先程交わした和也との会話が過ぎった。
「お前って、自分から誘ったりした?」と尋ねられた時の事だ。”から”だけやけに強調されたのだ。そして和也はこう続けた。
「なんつーか、受け身な恋愛ってさ、相手にとっちゃつまんなくない?」
と。
無論図星。
今まで唯斗から麻衣に何か誘った事は1度もなかった。いや…。1度だけ手を繋ぎたい、と提案した事はあった。あれは唯斗にとって身の丈に全くあっていない物凄く大きな第1歩だった。
だけどあの1度をいつまでも
僕だって誘ったんだ、と馬鹿の1つ覚えのように繰り返す気は無い。
お花見もネックレスを買いに雑貨屋に行こう、と提案したのも基本的には全て麻衣だ。「どこかへ行こう」の提案を唯斗も出来たらいいな、と少し前から思っていた。
麻衣と恋人として過ごしたこの1ヶ月。
唯斗はいろんなものを麻衣からもらったように思う。それは物質的な何かではなく、気持ちの方で。
たとえ麻衣が1ヶ月記念をさほど気にしていなくても、唯斗は日頃の感謝を伝えたかった。
唯斗にとって麻衣は知らなかった気持ちをくれた人だから。
決意しきれない
”誘ってみようかな”が熱を帯びる。
流れに身を任せる事は簡単だし楽だ、って常日頃から思っていた。下手に動いて傷付くのだけは嫌で、避けたくて、それはもう癖、のように唯斗にこびり付いていた。
ーー僕は麻衣相手にそんなに傷付くのが怖い、と怯えているのか?
自分自身に問い掛けた疑問はなんだかクソで。答えなんて考えるまでもなかった。
翌日
誘ってみよう、と心に決めて学校へ向かった。
***
大きなチャイムが響き渡る。
今日は朝から中間テストが返却された。
散々な結果だった。
唯斗の学年順位は230人中230位。
少し前に
メモ飛ばしはもういいの?と尋ねた唯斗に麻衣は、ちゃんと真面目に授業受けないと私達やばいじゃん?、と言った。
その発言になんでまだテストすら行われていないのにまるで成績が悪い、と断定したような物言いをしたのかな、と気になっていた唯斗。
あの時の麻衣の発言はやはり、この結果を知っているかのようだったな、と改めて赤点だらけチェックだらけの答案用紙を眺めながら思った。
そして少し不貞腐れたように折りたたんでしまう。今日家に帰って、母にこの順位が知られてしまった想像をしてみると、塾を勧められる可能性が唯斗の脳内で急浮上してきたのでとりあえず真ん中よりは上だった、と言おう。塾なんてたまったもんじゃない。
麻衣は何位ぐらいなのだろうか。
チラ、と横を見るがガードが硬く全然見えない。というか教室を見回した所、女子は全員ガードが硬い。ガチガチだ。
と、その時。前の席の男子生徒の手元からヒラヒラと手のひらサイズの紙っぺらが唯斗の足元に落下した。おそらく順位が書かれている紙だ。親切心で拾う。本人に無断で見る事が出来る絶好の機会ではあったが、やはり気が引け、目を逸らしながらトントン、と肩を叩く。
「あ、これ…落としたよ」
教室ではいつも騒がしくしている彼。
クルリ、と身をひねり、唯斗を見つめた。
「あ、まじ!?サンキュ、栗原」
もちろん、見るつもりはなかった。
だけどクラスメイトと冷やかし以外でこうして話したのは初めてで、しかも唯斗から肩を叩き会話したんだ。短いやり取りではあったが動揺してしまい、つい彼の順位が見えてしまった。
彼の順位は230人中1位。
ここに、学年のトップとベリが…。
愕然とする唯斗は溜息を吐き出すしかなかった。
***
「麻衣、って…中間テストの順位何位くらいだった?」
お昼休み。
今日は立花彩月が委員会で居ない為、2人で弁当を食べていた。折を見てそう尋ねたのだが…。
「気になるー?」
こっちはベリ、でかなり深刻な問題を抱えているというのに麻衣はだし巻き玉子を頬張りながらヘラッ、と笑った。
「…気になる」
「えぇー、恥ずかしいから内緒!」
「やっぱりか…」
と、いっても唯斗よりは順位が上である事には違いないだろう。人の順位を詮索するのはやめ、唯斗は昨晩心に決めた事を実行しようとしていた。
ーー霞浜市にある恋ノ浜という海。
気付かぬ間に過ぎ去ってしまった1ヶ月の記念はやはり、淡々と過ぎ去るべきじゃない、と思った。
「あの、さ」が喉まででかかった時。
麻衣が不思議な話をした。
「唯斗はさ…人生で起こる事全部決まってる、って思う?」
誘おう、としていた唯斗の頭がフリーズする。
「え?」
麻衣は弁当のフタを閉じながら続けた。
「知ってる?人生には模範解答がある、って。誰と出会う、とかどうなる、とか…書いてある」
そこで1度不自然に言葉を麻衣は
「……らしいよ!」と付け足した。
何かの本でも読んだのだろうか。
「死んだ時にね、見せてくれるんだって。それ」
「はじめて…聞いた」
そう答えながら唯斗は思った。
もし、それが本当なら、と。
何気なく言葉にした。
「もしそれが本当なら…僕の模範解答には麻衣の名前が書かれてるんだろうな」
本当に何気なく、発した言葉。
でも麻衣は驚いたように唯斗を見つめパチパチと瞬きした。
「唯斗って…」
「ん?」
麻衣が何か言いたそうにしていたので首を傾げる。麻衣の言葉をただじっと待つ。すると
「意図せず人を幸せにしてくれるね」
「え?、そっ、そうかな?」
そんな事はない、と否定する傍ら、それは麻衣も一緒だと思った。
「そういうとこだよほんとー、意図せず何度も好きにさせられる」
「ま、またそんな…っ、不意打ちに」
いつも麻衣には意図せずドキマギさせられる。
「ほら行こ!5限始まっちゃう!」
「あ、ほんとだ、もうこんな時間…」
予鈴が鳴り、麻衣に背中に押されるまま屋上を後にした。
「あ、麻衣。良かったら今度───────…」
慌ただしかったけれど教室に入る前。
唯斗は、決意が鈍らないうちに、おそるおそる
霞浜市にある恋ノ浜という海に行こう、と
誘った。
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