幸せが壊れる伏線みたい

今宵恋世

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プロローグ

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 「あの猫、何才だった・・・んだろうね」

 隣を歩く友達の立花彩月たちばな さつきがポロッ、とそんな疑問を漏らす。その一言を境に2人の視線を引き寄せたのは1匹の三毛猫の死骸であった。ボロボロのビニールハウスのすぐそば。日中吸い込んだ太陽の熱が立ち込めるアスファルトの上でコテン、と。死んでいたのだ。

 周囲を歩く倉ヶ丘高校から出てきた生徒達も同様一瞬猫に視線を当てては、軽く眉をひそめ「可哀想だね」などと言葉を発しているのがチラホラ聞こえる。

 ーー夏休みが来週に迫る7月17日。先週から聞こえ始めたセミの鳴き声にいい加減うざったい、と思い始めた学校帰りの事だった。

 「え?」

 茅野麻衣かやの まいはそこ気にするとこなのだろうか?と思いながら聞き返す。2人の視線はもう猫に無かった。

 「知ってる?」

 彩月はそう前置きして続けた。

 「猫は死ぬ時いなくなる、って」

 その言葉を聞いて、ようやく分かった。
 死んだ猫の年齢を気にする彩月の言わんとしている事が。

 「あぁ…飼い主を悲しませない為に、でしょ?」

 「そう」

 彩月がと小さく相槌をうつ。

 ー猫は死に際、行方をくらますー

 確か飼い主を悲しませない為、飼い主のいない場所で最期を、って話。

 麻衣は数年前にこの話を偶然母の車に流れた何かのラジオ番組で耳にしたのだが、それ以降も猫を見掛けたら時折思い出してしまう程印象深い話だった。

 飼い主側からしたら最期は看取ってやりたいと思うかもしれないけど猫なりに考えてそんな行動をとるんだとしたら素敵だな、と思ったのだ。

 確かに自分の亡骸なんて大切な人に見せたくない。人間と猫の垣根を越えて、まさかそんな気持ちが合致するなんて思ってもいなかった。

 まぁ実際。‪”行方をくらます‪”‬に当たった猫の正確な行動原理なんて張本猫にしか分からない。案外別の理由があったりするのかもしれないけど麻衣はこの説を割と信じていた。

 もちろん諸説あるが今まで行方をくらまして旅立ってきた猫達は一定数いる。彩月もきっとこの説を信じてる派の人間なのだろう。

 そうなるときっと先程の
 「あの猫、何才だったんだろうね」
 の真意が見えてきた気がする。

 きっとそこに横たわる三毛猫が最期を悟っての死なのか、そうでないのか引っ掛かっているのだろう。しかしその答えは見るからに決まりきっていた。おそらく…後者だ。
 麻衣はしんみりとした口調で零す。

 「まだ小さい…よね」

 病気、というなら話は変わってくる。しかし
 そこに横たわる三毛猫はとても寿命や死期を微塵も感じさせない子猫だったのだ。おそらくまだ産まれたて。きっと死に場所を求めてここに来たんじゃない。ビニールハウスを横切る最中、もう1度三毛猫を見やる。

 所々血を流し、横たわるそのむごい姿からカラスか…、はたまたそれとは別の自然界の上位に君臨する生物に思いもよらず殺されてしまったのではないか、と感じた。もちろん真実は張本猫にしか分からないが、今朝登校時にはいなかったのでこの短い時間の間に死んでしまった事は確かだった。

 もしかしたら麻衣が古文の授業中呑気に居眠りをしているその間にでも、起こった出来事だったのかもしれない。

 そもそも飼い主がいる飼い猫か野良猫か首輪をしていないのを考えると野良猫の可能性の方が高いだろうが、どっちにしろ、死は心が痛む。

 この場所をあの三毛猫があえて、自分の最期に選んだとしても。麻衣はおもむろにスクールバッグを握る手に力を込めた。

 ***

 家から徒歩10分程の所にある
 丸味堂まるみどう、というスーパーは
 18時になると50%引きになる。

 学校帰りに寄ったファミレスで気が付いたら2時間も経っていた彩月との弾みに弾んだ会話を18時前に切り上げたのも、その為だった。彩月はまだ話し足りない様子だったけど、今日の所はすんなり解散になった。

 麻衣は幼い頃に父を亡くし、母子家庭で育ってきた。母は仕事が忙しく、出張続きでほとんど1人暮らし状態。けれど母は決して冷たい人では無い。あまり家には帰ってこないが仕事が忙しいのも、忙しい仕事を頑張っているのも、1人娘である麻衣の為。

 帰ってきた時には外食に連れて行ってくれたりもするし、麻衣の大好物のハンバーグを作ってくれたりもする。麻衣は母が好きで、母も麻衣を大切にしてくれている。

 1時間ちょっとのテスト時間の半分以上を落書きに費やす出来の悪い娘でも、彩月のように1時間ちょっとのテスト時間の全てを有効活用し満点への階段を駆け上がる優等生でも、きっと変わらない。変わらない、と自信を持って言える程、母は優しい人柄だった。

 時々「茅野さんちのお子さんは凄いわね~」などと近所の人なんかに褒め称えられる母の姿を見てみたい、とも思ったりもする。茅野さんちのお子さん…すなわち麻衣は、褒め称えられる程の凄い部分など持ち合わせていないのだからただの願望に過ぎないが。

 母は一昨日から大阪出張でいない為、
 今日は50%引きになった親子丼でも買って
 昨日のドラマが録画出来ているだろうからそれを見よう、と考えていた。

 ***

 この時間に50%引きになる事はこの辺りでは有名なので、少し混んでいたけど、レジで数分並び、250円となった目当ての親子丼を買って麻衣は帰路に着いた。

 彩月とお茶したばかりだからまだそこまでお腹は空いてなかったけど、きっと帰って色々してたら空く。そうしたらレンジで温めて食べればいい。まだ生暖かい親子丼がレジ袋の中で揺れ動いていた。

 友達がいて。そして…

 ‪”‬好きな人‪”‬がいて。

 丸味堂で50%になった親子丼を買って。
 もしかすると誰かにとっては、
 普通以下かもしれない日常だけど、麻衣は麻衣なりに今が凄く楽しくて、十分満喫していた。

 出来る事なら‪”‬好きな人‪”‬に想いを伝えたい、と思ったりもするけど、残念ながらそんな勇気は持ち合わせていない。彼の横顔を時々チラリ、と一瞬見ていられるだけで日々は色鮮やかになり、幸せを感じられているのだから。

 丸味堂を出て数分歩いた辺りで頭のてっぺんに1滴の水滴が当たった。

 「わ、雨」

 心底軽蔑するかのように空を見上げ、傘など持参していなかった麻衣は歩くペースを若干早める。空気が徐々に湿りを帯びて不規則に腕をつつく雨粒に顔をしかめる。小雨が大雨に成り代わるのにそう時間はかからなかった。

 いつの間にやら先程まで耳障りに泣いていたセミの大合唱もピタリ、と収まっており、地面を乱暴にザー!と打ち付ける雨音だけが鼓膜をブスブス突き刺していた。

 夏は日が暮れるのが遅い。昨日の今頃ならまだ十分明るかった空は、今日は頭上を覆う分厚い雲のせいで、色を無くし気付けばすっかり真っ暗。夜に片足を突っ込んでいた。いや。もはや両足突っ込んでいる、といってもいい。

 麻衣は仕方なく駆け足で走り出すが
 当然制服はびちゃびちゃになっていくし、
 衣服が吸った水分のせいで体が徐々に重たくなっていく。朝せっかく頑張って巻いた顔横の触覚も気持ちの悪い水気と共に頬にまとわりつき始めた。

 くすぐったかったので耳に掛けるとチャリン、と自転車のベルの音が背後から聞こえてくる。
 少しレンガ造りの壁に身を寄せた直後、自転車が通り過ぎていった。

 続けざまに車が地面に溜まった水溜まりを麻衣に少しだけ飛ばして、横切る。傘すらささずかなりの低速で駆ける麻衣はまるで魔物から逃げ遅れ、ホラー映画で1番最初に殺されるような、
 そういう…、少しだけ‪運が悪く、出遅れた人、として、雨景色にやんわり溶け込んだ。

 ーー帰ったら着替えなきゃ。
 ーーあ、洗濯物。中に入れなきゃ。

 出遅れた人、なりにも
 頭の中は結構いそいそとしていて、
 帰ってらあれをやろう、これをやろう、を
 淡々と思い浮かべていた。

 点滅する信号にギリギリセーフ、と言わんばかりに思い切り地を蹴り横断歩道に足を踏み出す。

 そんな時だった。

 プ​───────​─────…… !!!

 心臓の奥深くにまで刺激を与える大きな音が辺りに響く。そのクラクションが麻衣に鳴らされたものだとすぐに気付いたが、突然の爆音に驚いてその場に立ち尽くす事しか出来なかった。

 トラックの光がその辺の水溜まり。カーブミラー。ありとあらゆる物質に反射して麻衣の元に飛び込んでくる。眩しすぎる。目が眩んでこめかみが軋んだ気がした。こんなの…光の暴力だ。

 そして……

 ドン……………………………………!!!!

 容赦なく辺りに響く、
 何かと何かがぶつかったような鈍い音は
 きっと麻衣の体とトラックが
 ぶつかった際に、出た衝撃音なんだと思う。
 即座に麻衣の体は宙を舞った。

 ーーえ………。

 すぐに悟った。
 自分がいわゆる交通事故に遭ったのだ、と。
 漠然とした不安に包まれ、空中に身を委ねる他なかった麻衣は思わずギュッ、と目を閉じた。

 これが夢、だったらどんなにいいか。

 どこか現実離れしたおぼろげな時間が一瞬にして麻衣をかっさらった。

 ***

 パトカーと救急車のサイレンの音がただ、近隣住民の鼓膜をブスブスと突き刺していた。
 クルクル回る赤い点滅がスマホ片手に群がる野次馬達の視界を邪魔するかの如く、回っていた。

 降りしきる雨の中。
 麻衣の体は、コテン、と地面に転がっていた。

 さっきまで握っていた丸味堂のレジ袋も乱雑に放り出され、中から50%引きの赤い値札シールが貼られた親子丼が堂々と顔を出している。

 高校1年 15歳
 茅野麻衣の生涯はこうして幕を閉じた。
 夏休みが迫りつつある…
 ‪”7月17日‪18時21分”の事だった。
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