去年の末から僕は​───…

今宵恋世

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私と付き合って欲しいの

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【涼葉side】

ーー三ヶ月前

「娘さんの脳には悪性腫瘍があります」

隣に座るお母さんが両手で口元を押さえ、唖然とする。
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。ちなみにこれはただの比喩なんかじゃなくて、本当に、最近はそういう痛みが時々頭の奥の方をむしばんでいた。だからちょっと気になって病院で検査を受けた。ただそれだけ。季節の変わり目にはよくある症状なんですよ、的な事を言われるだけだと思っていた。‪”‬悪性腫瘍‪”‬なんて言葉が鼓膜に届くまでは。

「お母さん……」
「ん?」

病院から背を向けて遠ざかる帰りの車内は、葬式帰りのような空気が漂っていた。あれから医者に”余命三ヶ月”と宣告された。手のほどこしようが無い程に私の頭の中の腫瘍はすでに手術では取り除けないサイズになっていたらしい。頭に爆弾がある、という実感なんて一ミリも湧く訳がなく、私は心ここに在らずで、呆然としていた。

娘の余命を医者に告げられた母の心情は計り知れず、私はただ謝る道しか見えなかった。助手席から運転席に座る母の横顔を伺いながらこの空気に上手いこと馴染むよう、慎重に口にする。「ごめんね」と。でも母は直ぐに呆れたような笑みを浮かべ、私を見た。ちょうど信号待ち。すっかり暗くなった夜景の中、赤信号の灯火が視界の隅で素っ気なく光っていた。

「どうして謝るのよ」
「……うん…」

その日はだいぶ落ち込んだ。

だって……、今日の昼間なんかさ。友達と今度あそこのパンケーキ屋行こうね、って約束したばっかだったんだよ……? ‪”‬今度‪”って言葉を気兼ねなく使った昼間の自分が……、未来の約束をなんの不安もなく交わすことが出来た昼間の自分が……、羨ましくて仕方ない。

……今の自分が、醜くて醜くて仕方なく思えた。

なんで私なの……。
布団の中で小さく折りたたんだ自分の膝を抱え、隣の部屋で眠る母に超えないよう必死に声を押し殺して泣いた。気を抜いたら聞こえてしまいそう。

そんな夜が、しばらく続いた。


***

日が昇ったら、制服を身にまとい、髪をくしでとかし、笑顔を作って自室の扉を開ける。タンタンッ、となるべく軽い足取りで階段を下り、リビングに出る。キッチンから顔を覗かせて、『おはよう』と笑みを浮かべる母に、私も『おはよう』と返す。既に食卓に並べられた体に良さそうな玄米と野菜いっぱいの味噌汁。あと真っ黄色の卵焼き。それらを口にして、『行ってきます』と玄関を開ける。

余命を宣告されてから、母は私に少しでも体にいいものを、と色々調べてくれているらしい。どんなに足掻いても私の寿命はせいぜい……なんて考えてしまう自分のひねくれた思考回路に歯止めをかけ、自転車にまたがった。

‪”‬時間‪”‬というものは‪”‬有限‪”である。
そして‪”‬私という人間の時間‪”‬は……
この時、既に‪”‬一ヶ月‪”‬を切っていた。


私は上手いこと、余命云々のことは友達、教師、諸々、隠し通していた。誰かに打ち明ける気は今後さらさらない。こんな重たい話に時間を費やしたくない、と思っていた。

そんなある日のこと。
課題のプリントを机の中に忘れてきてしまった私は1度は着いた帰路を引き返し、教室に戻った。教室には淡い夕日が差し込んでいる。そして…クラスメイトが、教室の窓から飛び降りようとしている所だった。

彼は市野春彦いちの はるひこ

休み時間は輪の中には絶対に入らず、教室の隅で読書に大抵の時間を費やしているタイプだ。誰とも打ち解ける気など無さそうで、媚びや忖度なんかとは無縁そうなイメージを持っていた。

そして私は、彼には‪”‬癖‪”‬があることを知っていた。誰もいなくなった放課後の教室に小一時間居座る、というミステリアスな癖が。

理由は分からない。だけど以前風の噂でそう聞いた。どうやら本当だったらしい。

「ねぇ」

私は、たまらず声を掛けた。
もっぱら湧き上がってきたのは‪”‬怒り‪”‬だった。だってそうだ。彼が投げ出そうとしているのは今の私が喉から手が出るほど欲している『命』だったのだから。


***

首元がスースーした。
当たり前だ。胸元まであった髪を切ったんだ。今じゃ、毛先は揃いも揃って、顎先と同じ位置にあった。

髪を切った。
ただそれだけのことだけど、なんだか肩の荷が下りたような、そんな解放感に包まれていた。

「よかったの? その…髪」

隣を歩く彼が、遠慮がちに私を見た。
私は今、春彦くんと2人で廊下を歩いていた。

「うん、いい。…え、似合わない?」
「いや…、それはそれで似合ってる、と思うよ。ただ……髪、すごいサラサラだったから、いいのかな、って思っただけ」

面を食らった。
彼は人になど興味無いと思っていた。私の髪がサラサラである、という認識を持っていたんだ、と今今告げられた事実は私の中で一二を争う衝撃に近かった。なんせ彼は……休み時間はいつも輪の中には絶対に入らず、教室の隅で読書に大抵の時間を費やしているタイプなのだから。

「ありがとう」

昇降口に到着して、靴を履き替えた。彼も私の後に続いて同じ行動をとる。

「ふふっ……」

そんな光景に吹き出してしまったのは他の誰でもない私だった。

「え、どうしたの」

戸惑っている様子の彼はぎこちなく、そう尋ねてきた。その反応すら何だかおもしろい気がしてきてしまい、さらに私のツボを刺激した。

「いやっ、だって……、なんかおもしろくないっ?」

上がりっぱなしの口角を手で覆って、なんとかこのおもしろさを言葉にしよう、と試みる。

「え、え? なにが…」

笑ってるのは私だけ。遠くの方で野球部の掛け声は聞こえるものの静まり返った昇降口は私の笑い声だけがやけに響いていた。

「だってさ…っ、あはは、さっき…、死のうとしてたでしょ? 春彦くん」

もう、この人に真意を尋ねてみたくなって、隠すことなく聞いてみた。

「えっ!? いやー…、だからそれは……」

「窓拭いてた、ってやつでしょ? いや…、んなわけないでしょ……、あはは、いくらなんでもおかしいってば、さっきは乗ってあげたけど、なんなの? その、超手抜きの嘘」

「いやっ、僕は潔癖症で、A型だから…」

あ、まだ言い訳しようとしてる……。よっぽど死のうとしたところを見られたのが、癪だったのかな。必死に目をうろつかせて、言い訳に尽力する春彦くんに根負けし、やがて私も「そっか」と身を引いた。

「意外と可愛いんだね。春彦くんって」

なんか……思ってたのと違った。

「可愛い? 僕、男だけど…」
「あはは、ごめん。じゃあカッコイイ、だね」

不服そうに眉頭をかく春彦くんに、とりあえず別の褒め言葉を放つ。

もっと冷たい人だと思っていた。

だから私は、この日。
ひとたまりもなく、彼のギャップにやられたんだ。

微弱な好意が、胸にあった。

あぁ……。やらかしたな。
クラスメイトの大半はおそらく彼を避けている。でもそれは多分、彼が周りを避けているから。私も避けられた存在だと自負し、あまり、春彦くんとは関わろうとしたことがなかった。けれど、こんなにおもしろいんならもっと早く喋ってればよかった。

ほんと、私としたことが一生の不覚。単純計算で一ヶ月後には一生の幕を閉じる予定である私は、この日。昇降口で彼にこう告げた。出来るだけ端的に。短く。

「私、もうすぐ窓拭くんだ…」

「え?」

「……それまで私と付き合って欲しいの」

見るからに、春彦くんは困惑していた。
それでも構うことなく、私は続ける。

「だから春彦くんはもう…、窓拭かないでよ。ね?」
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