12 / 27
道が教える彼の過去1
しおりを挟む
男は故郷を捨てて、彼らに復讐する手段を探し回った。妹の病が魔法では治せなかったことはすでに知っていたが、男にとってはそんなことはもはやどうでもよかった。あの内戦で英雄だともてはやされている人間そのものが許せない。そんなどす黒い感情に支配されていた。
人は誰かを憎もうと思えば、理由などいくらでも思いつく生き物なのだろう。
そんな時、男は王家と軋轢のある、とある領主の使いだと名乗る人物と接触することができた。
領主の使いから与えられたのは『契約の紋章』を宿す者にも勝ちうる力――――口にすれば人としての限界を超えることができ、痛覚も奪うという万能薬だった。もちろんただでそんなものが手に入るわけがない。代償は命、それで構わないと思った。
その領主や使いの人物が、男を捨て駒にすることなど当然承知している。男には失う物などなにもないのだから、それで構わない。
(待っていろ……! 待っていろよ!)
小瓶に入れられた薬を手に、男の気分はかつてないほど高揚していた。ほかにも同じように居場所がなく英雄たちを恨む人間が集まり、静かに時を待った。
彼らに近づける身分は、きっと領主が用意してくれるはずだ。男はただ、それを待っていればいいだけだった。
***
朝起きると、ロゼッタの目は真っ赤に腫れていた。泣きながら寝てしまったのがいけなかったのか、頭痛もする。
「これは、まずいわ……」
ひとまず宿でもらった水で顔を洗い、身支度だけは整える。
井戸から汲んだばかりの水は冷たく、彼女のもやもやとする頭を少しだけすっきりとした気分にさせてくれる。けれども泣き腫らした頬はかさついて、冷たい水がしみた。
ロゼッタが起きた時にはすでにレオはいなかった。
ある意味で真面目な性格のレオは、ロゼッタよりも必ず先に起きている。そして宿の裏手かその辺の雑木林の中で剣や魔法の稽古をすることを朝の日課にしている。
昨晩はロゼッタよりもかなり遅い時間に眠ったはずだが、だからといって鍛錬を怠ることはないらしい。
レオが毎朝部屋にいないのは実は鍛錬のためだけではない。おそらくは、同室のロゼッタが着替えをしたり身支度を整える時に男性がいるのはよくないという配慮もあるのだろう。彼がロゼッタのことをいつも気にかけているということは彼女もわかっている。
最初の宿で不審な奏者に侵入されて以来、別室にすることは頑なに拒むレオだが、それ以外のことなら意外にも常識人で、同室であることでロゼッタが嫌な思いをすることはない。
いつもは編み込んでからしっかりとまとめている髪を、今日はそのままにする。そうすれば少しだけ顔を隠すことができると彼女は考えたのだ。無駄なあがきだとわかっていても、年頃の女性としてはやはり気になるのだ。
ロゼッタが髪に櫛を通していると部屋の扉が叩かれる。レオが帰ってきたのだ。
「おはようございます。入っても大丈夫ですか?」
「……どうぞ」
扉の外から聞こえる声はやはり彼のものだった。彼は扉の付近に立ったまま困った表情でロゼッタを見つめる。
泣き腫らしたひどい顔を見られるのも、昨晩めそめそ泣いていたことを知られるのもロゼッタには耐えられない。思いっきり顔をそらすが、その瞬間、すぐにまずいと思った。
いくら昨日から気まずい雰囲気になってしまったからと言っても、彼と離れることはできないし、会話をしないまま旅を続けることは彼女の性格的にできることではない。早くなんとかしなくてはいけないのに、不自然にそっぽを向くような態度を取ってしまい、ロゼッタはさっそく自己嫌悪に陥った。
早く取り返さなければと思いながらも、どうすればよいのかわからず沈黙が続く。意を決してロゼッタは口を切る。
「「昨日は!」」
言葉を発したのは二人同時だった。
「レオさんからどうぞ!」
こういう時は男が先に言うものだ。ロゼッタはそう思ってレオに次の言葉を催促する。
「昨日は申しわけありませんでした。……忘れてしまった自分の立場というものを、全く理解していないわけではないんです。あなたが私の気持ちを必ず拒んでくれるということすら承知の上で、それに甘えていたのかもしれません。今後は、あなたをできるだけ困らせないようにします。……だから、都に着くまでは、それまでは一緒にいてくれませんか?」
反則だ、ロゼッタはそう叫びたくなる。そんなに素直に謝られ、懇願するようなまなざしを向けられたら、ロゼッタのほうが素直になりにくい。
「わ、私は母様からレオさんのことを頼まれているし! 記憶喪失のあなたを見捨てることなんて、するわけがないでしょう!?」
「そうですね、あなたはそういう方です。本当に申しわけありませんでした」
「き、気をつけてくれるなら、それでいいですから!」
言っているそばから自分の発言を後悔するような、棘のある言い方しかできないロゼッタのことを、レオは咎めない。不快な顔もしない。
ただ柔らかく笑って受け入れるだけだ。
(こんなふうに言いたかったわけじゃないのに……)
「少し、顔が腫れていますね。本当に申しわけありませんでした」
「顔のことはいいんです。忘れてください!! それより早く支度をしましょう!」
ロゼッタが無理矢理話を終わらせ、レオは次の町へ行くための準備をしようと背を向けた。
顔の腫れを指摘され、勢いで話を終わらせてしまったが、ロゼッタの方はまだ彼に謝っていなかった。
「……レオさん。昨日はその、言い過ぎてしまって、ごご、ごめんなさい」
時間が経てば経つほど、謝罪の言葉は言いづらくなるものだ。
本人の覚えていない義務を押しつけられ、唯一すがりたい相手からは自分ではどうしようもできない理由で拒絶される彼。
ロゼッタは自分の行動が間違っているとは思えないが、たった一週間分の思い出しか持たない人間に対して、もっと別の言い方をすべきだったと後悔したのだ。
「レオさんも知っていると思いますが、私はちょっと卑屈で素直じゃないところがあって……」
「…………」
「私だから、と言ってくれたことは、本当はとっても嬉しくて。だから、だからっ、余計に、本当に、とても困るんです」
「わかっています。私はいずれ……」
いずれ……。その後に続く言葉はいくら待っても彼の口から語られることはなかった。いずれ全てを思い出し、本当に愛する人の元へ帰る。ロゼッタはそう続くのだと思っていた。
人は誰かを憎もうと思えば、理由などいくらでも思いつく生き物なのだろう。
そんな時、男は王家と軋轢のある、とある領主の使いだと名乗る人物と接触することができた。
領主の使いから与えられたのは『契約の紋章』を宿す者にも勝ちうる力――――口にすれば人としての限界を超えることができ、痛覚も奪うという万能薬だった。もちろんただでそんなものが手に入るわけがない。代償は命、それで構わないと思った。
その領主や使いの人物が、男を捨て駒にすることなど当然承知している。男には失う物などなにもないのだから、それで構わない。
(待っていろ……! 待っていろよ!)
小瓶に入れられた薬を手に、男の気分はかつてないほど高揚していた。ほかにも同じように居場所がなく英雄たちを恨む人間が集まり、静かに時を待った。
彼らに近づける身分は、きっと領主が用意してくれるはずだ。男はただ、それを待っていればいいだけだった。
***
朝起きると、ロゼッタの目は真っ赤に腫れていた。泣きながら寝てしまったのがいけなかったのか、頭痛もする。
「これは、まずいわ……」
ひとまず宿でもらった水で顔を洗い、身支度だけは整える。
井戸から汲んだばかりの水は冷たく、彼女のもやもやとする頭を少しだけすっきりとした気分にさせてくれる。けれども泣き腫らした頬はかさついて、冷たい水がしみた。
ロゼッタが起きた時にはすでにレオはいなかった。
ある意味で真面目な性格のレオは、ロゼッタよりも必ず先に起きている。そして宿の裏手かその辺の雑木林の中で剣や魔法の稽古をすることを朝の日課にしている。
昨晩はロゼッタよりもかなり遅い時間に眠ったはずだが、だからといって鍛錬を怠ることはないらしい。
レオが毎朝部屋にいないのは実は鍛錬のためだけではない。おそらくは、同室のロゼッタが着替えをしたり身支度を整える時に男性がいるのはよくないという配慮もあるのだろう。彼がロゼッタのことをいつも気にかけているということは彼女もわかっている。
最初の宿で不審な奏者に侵入されて以来、別室にすることは頑なに拒むレオだが、それ以外のことなら意外にも常識人で、同室であることでロゼッタが嫌な思いをすることはない。
いつもは編み込んでからしっかりとまとめている髪を、今日はそのままにする。そうすれば少しだけ顔を隠すことができると彼女は考えたのだ。無駄なあがきだとわかっていても、年頃の女性としてはやはり気になるのだ。
ロゼッタが髪に櫛を通していると部屋の扉が叩かれる。レオが帰ってきたのだ。
「おはようございます。入っても大丈夫ですか?」
「……どうぞ」
扉の外から聞こえる声はやはり彼のものだった。彼は扉の付近に立ったまま困った表情でロゼッタを見つめる。
泣き腫らしたひどい顔を見られるのも、昨晩めそめそ泣いていたことを知られるのもロゼッタには耐えられない。思いっきり顔をそらすが、その瞬間、すぐにまずいと思った。
いくら昨日から気まずい雰囲気になってしまったからと言っても、彼と離れることはできないし、会話をしないまま旅を続けることは彼女の性格的にできることではない。早くなんとかしなくてはいけないのに、不自然にそっぽを向くような態度を取ってしまい、ロゼッタはさっそく自己嫌悪に陥った。
早く取り返さなければと思いながらも、どうすればよいのかわからず沈黙が続く。意を決してロゼッタは口を切る。
「「昨日は!」」
言葉を発したのは二人同時だった。
「レオさんからどうぞ!」
こういう時は男が先に言うものだ。ロゼッタはそう思ってレオに次の言葉を催促する。
「昨日は申しわけありませんでした。……忘れてしまった自分の立場というものを、全く理解していないわけではないんです。あなたが私の気持ちを必ず拒んでくれるということすら承知の上で、それに甘えていたのかもしれません。今後は、あなたをできるだけ困らせないようにします。……だから、都に着くまでは、それまでは一緒にいてくれませんか?」
反則だ、ロゼッタはそう叫びたくなる。そんなに素直に謝られ、懇願するようなまなざしを向けられたら、ロゼッタのほうが素直になりにくい。
「わ、私は母様からレオさんのことを頼まれているし! 記憶喪失のあなたを見捨てることなんて、するわけがないでしょう!?」
「そうですね、あなたはそういう方です。本当に申しわけありませんでした」
「き、気をつけてくれるなら、それでいいですから!」
言っているそばから自分の発言を後悔するような、棘のある言い方しかできないロゼッタのことを、レオは咎めない。不快な顔もしない。
ただ柔らかく笑って受け入れるだけだ。
(こんなふうに言いたかったわけじゃないのに……)
「少し、顔が腫れていますね。本当に申しわけありませんでした」
「顔のことはいいんです。忘れてください!! それより早く支度をしましょう!」
ロゼッタが無理矢理話を終わらせ、レオは次の町へ行くための準備をしようと背を向けた。
顔の腫れを指摘され、勢いで話を終わらせてしまったが、ロゼッタの方はまだ彼に謝っていなかった。
「……レオさん。昨日はその、言い過ぎてしまって、ごご、ごめんなさい」
時間が経てば経つほど、謝罪の言葉は言いづらくなるものだ。
本人の覚えていない義務を押しつけられ、唯一すがりたい相手からは自分ではどうしようもできない理由で拒絶される彼。
ロゼッタは自分の行動が間違っているとは思えないが、たった一週間分の思い出しか持たない人間に対して、もっと別の言い方をすべきだったと後悔したのだ。
「レオさんも知っていると思いますが、私はちょっと卑屈で素直じゃないところがあって……」
「…………」
「私だから、と言ってくれたことは、本当はとっても嬉しくて。だから、だからっ、余計に、本当に、とても困るんです」
「わかっています。私はいずれ……」
いずれ……。その後に続く言葉はいくら待っても彼の口から語られることはなかった。いずれ全てを思い出し、本当に愛する人の元へ帰る。ロゼッタはそう続くのだと思っていた。
0
あなたにおすすめの小説
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
【完結】私を忘れてしまった貴方に、憎まれています
高瀬船
恋愛
夜会会場で突然意識を失うように倒れてしまった自分の旦那であるアーヴィング様を急いで邸へ連れて戻った。
そうして、医者の診察が終わり、体に異常は無い、と言われて安心したのも束の間。
最愛の旦那様は、目が覚めると綺麗さっぱりと私の事を忘れてしまっており、私と結婚した事も、お互い愛を育んだ事を忘れ。
何故か、私を憎しみの籠った瞳で見つめるのです。
優しかったアーヴィング様が、突然見知らぬ男性になってしまったかのようで、冷たくあしらわれ、憎まれ、私の心は日が経つにつれて疲弊して行く一方となってしまったのです。
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる