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初恋がこじれにこじれて困ってます.26

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 最後に残された沙耶と瞬ちゃんは、どちらも口を開こうとしないまましばらく時間が経過した。

 きっと、瞬ちゃんはいつもより疲れているに違いない。

 早く帰って家でゆっくり休みたいだろう。

 そんなことを考えると、沙耶から送ってもらうことを催促するわけにはいかなくて、つい黙り込んでしまう。

 瞬ちゃんは何を考えているのだろう。やっぱり一人で帰れと言われるのだろうか。

 いっそうのこと、はっきりそう言ってもらった方が楽なのに。

「住所。」

「あ、はい。」

 沙耶は瞬ちゃんのアパートにほど近いところにある自分のアパートの住所を伝える。

 気まずい。

 完全に瞬ちゃんの住所を調べていたことがバレバレだし、これじゃあ本当にストーカー同然だ。

「本当にここなのか。」

 沙耶は瞬ちゃんの顔を見ることができない。かわりに何度も頷く。

「お前は、ほんとに…。荷物、よこせ。」

「は、はいっ。」

 沙耶の荷物を持つと、瞬ちゃんはゆっくり歩き始めた。

「あそこのバス停まで行くから。」

 抑揚のない声で瞬ちゃんは言った。

「はい。」

 沙耶は力なく答え、瞬ちゃんの後についてトボトボと歩いた。

 バスが来て乗り込むとき、瞬ちゃんは手を貸してくれた。しかし、その顔は無表情のままだ。

「あ、ありがとう。」

 沙耶の言葉にも黙ってうなずくだけだった。

 バスの中は人もまばらで、沙耶と瞬ちゃんはそれぞれ一人がけの座席に腰をおろした。

 窓の外を見れば、街行く人がみんな楽しそうに歩いている様に見えてしまう。

 大学に入る前は、自分もあんな風にこの街を、できれば瞬ちゃんと歩いている姿を想像していたのに。

 今はそんなこと夢のまた夢だ。
 
 10分ほどで最寄りのバス停に着いた。降りる時も瞬ちゃんは手を貸してくれた。

 答えが無いと分かっていてもちゃんとお礼は伝えた。

 自分のアパートが近づくにつれどんどん気まずくなる。

 あれもこれも全て自分がしでかしたことの結果なのだから、いくら瞬ちゃんに軽蔑されても仕方ない。

「あの、ここだから。」

 沙耶は自分のアパートの前で荷物を受け取ろうとする。

「部屋まで持っていってやる。」

 沙耶の部屋は2階でエレベーターなんてものはついておらず、階段を上っていかなければならない。

 もうこれ以上は迷惑を掛けたくないという気持ちと、これだけ迷惑をかけまくっておいて今更という思いが交錯する。

 しかし、もう自分の気持ちを優先させる権利なんて無いだろう。

「あ、ありがとう。」

 沙耶は左足をかばいながら一段ずつ階段を上った。

「あの、瞬ちゃん、色々迷惑かけちゃって、ほんとにほんとにごめんなさい。それで、よかったらお茶でも飲んでいかないかな、なんて…、あ、迷惑だよね。今のは聞かなかったことにして…。」

 部屋の前でパニクった沙耶は、嫌われるためのダメ押しのようなセリフを吐いていた。

 少しの沈黙のあと、思いがけない言葉が沙耶の耳に飛び込んできた。

「そうだな。じゃあ遠慮なく。」

 どうしてこうなってしまったのか。それは自分が言ったからだ。瞬ちゃんが自分の部屋にいる。沙耶はキッチンで完全にテンパっていた。

「こ、コーヒーでよかったかな。」

「ああ。」

 緊張でカップ同士がカチャカチャ音を出す。ローテーブルの瞬ちゃんの前にやっとのことでコーヒーカップを置いた。

 沙耶から何か話すことは果たして許されるのだろうか。もう何が何だか分からない。またしても沈黙の時間が訪れる。

「俺のアパートから5分ってところだな。」

 そう言われていったい何と答えればいいのだろう。偶然出くわすためにそうしました、なんて本当のことは(もうバレているだろうけど)言えるはずもない。

 もう瞬ちゃんの発する言葉はすべて尋問の様で、沙耶は針の筵だ。

「同じ大学、同じサークル、アパートもごく近い場所か…。」

 瞬ちゃんは何が言いたいのだろう。”このストーカー野郎”と叱り飛ばされるのではないかと、沙耶は内心ビクビクが止まらない。ところが、瞬ちゃんは急に笑い始めた。

「ハハッ、アッハッハッハ」

 一人で大笑いする瞬ちゃんを、沙耶はただただ驚いて見つめていることしか出来ない。

「随分と勉強は頑張ったみたいだが、残念ながら恋愛に関する考え方は幼稚なままだな。」

 コーヒーを一気に飲み干すと、瞬ちゃんはスッと立ち上がった。

「サークルは続けろ。あわれな部長のためだ。ただし、人がいないところでは俺に話しかけるなよ。あと、怪我が治ったら部長に相談して、ちゃんと誰かに指導してもらってトレーニングしろ。分かったな。」

「は、はい。」

「じゃあ、俺は帰る。」

 瞬ちゃんの滞在時間はトータル10分もなかった。余りにあっという間の出来事で、沙耶はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 私、サークル止めなくてもいいみたい。でも、なんで?何がどうなって、瞬ちゃんはコロッと態度を変えたの?

 まあ、あいかわらずカップルのふりしているとき以外は話しかけてはいけないらしいけど。

 それでも、辞める以外選択肢がないと思っていた沙耶にとっては、これ以上ない好条件だった。今のところはだけど。
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