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君に溺れてしまうのは僕だから.84

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 ただ、その前に武彦にも聞きたいことがあった。

 もう自分の気持ちや隠していることは言い尽くした。

 伊織が聞きたいことはただ一つだ。

 武彦が愛美をどう思っているのかだ。



「おじさま、私はおじさまのことを男性として好きになりました。だから聞かせてください。おじさまは愛美さんのことが好きになったんですか?」

 武彦は若いということは羨ましいことだと心から思った。

 大人になるとこんなにストレートに自分の気持ちをぶつける機会も勇気もなくなってしまう。



「伊織、それは私と愛美さんの問題だ」

 武彦はそれ以上は言わないと決めていた。

「どうして?おじさま。私はおじさまだけが好きなんです。それ以外の男の人なんて絶対に好きになりません。だから、結婚もしません。ずっとおじさまのそばにいます」

 武彦は困った顔になり、また黙ってしまった。

「伊織の人生と私の人生は別のものだよ」

「そんな…、おじさま。おじさまは私のことが嫌いですか?それなら、それなら…」

 なぜ私のことを抱くのですか?そう聞いてしまいたかった。

 だけど、そこで伊織の中の何かがその一言を言わせなかった。



 それさえ言わなければ、おじさまはこれからも自分を抱いてくれるかもしれない。

 しかし言ってしまったらもう二度と抱いてくれなくなるかもしれない。

 その一言はそれほどの重みをもっていることを伊織は無意識に感じていたのかもしれない。

 それはとても卑怯なやり方で、永遠に本当の恋人になどなれないかもしれない。



「おじさま、さっき坂口君から夏フェスというのに一緒に行こうと誘われました。行ってもいいですか?」

 伊織は愛美のことは一旦心の隅に追いやった。

「さっきも言った通り、残りの一ヶ月は自由にしていい。私の許可も取らなくてかまわない」

 叱られるのも堪えるけれど、こうあっさりと突き放されるのもそれはそれで堪えるものだ。

「わかりました。お仕事中にお邪魔してすみませんでした」

「いや…」

 武彦は歯切れの悪い返事をすると、クルリと椅子を回して伊織に背を向けた。



 伊織は自室に戻ったけれど、頭の中は混乱したままだった。

 これから自分と武彦は一体どうなってしまうのだろう。

 どんなに自分の気持ちを伝えても、武彦にはまったくと言っていいほど響かない。

 ただ、坂口とのことはもう隠し立てする必要がなくなった。

 坂口と本当に付き合っていると誤解されている状態でいるよりは随分マシだ。

 それでも明日は確実にやって来る。

 伊織は愛美とのことはとりあえず坂口との一ヶ月が終わった時点でまた考えようと思った。

 一度の多くのことを抱えて無茶をするのは、結局失敗する可能性の方が高いことが分かったから。



 気持ちを切り替えようと、少し勉強をした。

 夏休みだからといって遊んでばかりいられるほど進学校は生易しくない。

 いったん教科書とノートを広げれば、自慢じゃないけど集中力は高い。

 気晴らしに勉強などと言うとただの嫌味にしかならないけれど、人に言う訳じゃないから伊織にとってはいい気分転換になった。

 勉強を始めて一時間ほど経った頃、ドアをノックする音が聞こえた。
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