君に溺れてしまうのは僕だから

星野しずく

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君に溺れてしまうのは僕だから.71

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 伊織はまだ開ききっていないドアを開けるべきか閉めるべきか迷う。

 しかし、こんな旅先でどこに行き場があるというのだろう。

 しかたなく伊織は武彦がいる客室へと入っていった。



「ああ、伊織が戻ってきた。じゃあまた、失礼します」

「…ただいま帰りました」

「ああ、プールは快適だったか?」

「…はい」

 そんなことより、今の電話のことを聞きたい。

 叱られるのを覚悟で伊織は口を開いた。

「あの、今の電話…」

「ああ、愛美さんだ。実は今回の旅行は愛美さんの提案なんだ」

「えっ…」

「いやあ、私があまりに伊織のことを構わなすぎて、この年になってもまだ伊織のことがよく分からないと打ち明けたんだ。そしたら、彼女に叱られてしまってね…。そこからはダメだしの連続だったよ。いやあ、人にあんなに叱られたのは初めてかもしれないな」

 思い出し笑いをする武彦の顔が段々と滲んでいく。

 ああ、このままだと泣いてしまう…。

 伊織は「ちょっと、トイレに行ってきます」と言ってトイレに駆け込んだ。



 ホテルの部屋では自宅の様な逃げ場がない。

 どこもかしこもオープンに作られているから。

 ドアを閉めたとたん涙が溢れた。

 声が…、嗚咽が漏れて武彦に聞こえてしまう。

 伊織は必死に口を押さえて、声を殺して泣いた。

 しかしいつまでもトイレに籠っているわけにはいかない。

 伊織は呼吸を整えるとトイレのドアを開け、洗面所で顔を洗った。

 部屋に戻ると幸いなことに武彦はメゾネットの二階へ仕事をしに行ってしまったようだった。



「よかった…」

「なにがよかったんだ?」

 まさかと思って振り返ると、武彦が湯気の立ったコーヒーを両手に持ってそこに立っていた。

「おじさまは二階に行かれたのかと思って…」

「泣いていたのか」

 武彦はコーヒーをテーブルに置いた。

「い、いえ…」

「どうしてそんな嘘をつく?」

「ごめんなさい」

「ごめんなさいじゃ分からない」



 武彦はソファに腰をおろし、伊織も座る様に促した。

「お、おじさまは…、愛美さんと結婚なさるんですか?」

「だとしたら何だ?それが伊織の泣いている理由なのか」

「…はい」

 もうどうなったっていい。

 自分の気持ちを直接伝えたことはなかった。

 だけど、どうせもうじき武彦は愛美さんと結婚してしまうのだ。

 だったら一度だけでいいから自分の気持ちを伝えたい。

 それでもうおじさまのことは諦めるんだ。



「愛美さんが母親じゃ嫌か?」

「そういう意味じゃありません」

「じゃあどういう意味だ」

 おじさまは本当に分かっていないのだろうか。

 私がこんなにもおじさまのことを好きだということを…。
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