君に溺れてしまうのは僕だから

君に溺れてしまうのは僕だから.08

　彼氏がいるなんて、とんでもない嘘を言ってしまった。

　伊織は今すぐその場から立ち去りたかった。

　しかし、それはあまりにも不自然だ。



「伊織、お付き合いしてる人がいるのか」

　武彦は静かに言った。

「はい」

　今さら嘘でしたなんて言えない。

　少ししたら別れたと言えばいいのだ。

　伊織はそのくらいに考えていた。

「近いうちに連れてきなさい」

「えっ…」

　どうしよう…、何だかおじさま、怒っていらっしゃるみたい。

「…はい」

　もう後には引けなくなってしまった。

　ついうっかり言ってしまった一言が、こんなことになるなんて。

　伊織は足早に自分の部屋へと向かった。

　ドアを閉めると、後悔が襲ってくる。

　すぐに、嘘でしたと言えば許してもらえるかもしれない…。

　ううん、もう、おじさまは怒っていらっしゃる。

　だけど、相手もいないのにどうしよう…。

　しかし、伊織の心を乱しているのはむしろ武彦のお見合いのことだった。

　美紀は今まで何度も武彦にお見合いの話を持ってきていた。

　その度に武彦は全くその気はないとあっさり断っていた。

　それなのになぜか今日、武彦は初めてお見合いを受け入れた。

　伊織が気になっているのは、自分に彼氏がいると言ったあと、武彦の様子が急変したような気がしたからだ。

　自分に彼氏がいることが武彦にどんな影響を与えるのだろう…。

　武彦の中で自分の存在がそんなに大きいはずはない。

　確かに武彦は毎晩のように伊織の体を求めてくる。

　伊織がそれを受け入れるのは武彦を愛しているからだ。

　しかし、武彦もそう思っているという証拠はどこにもない。

　だけど、伊織はそれでもよかった。

　ただの玩具だとしても、武彦に触れられるのならそれだけでよかったのに。

　一生そういう関係でいられたらなどと、バカなことを考えたりもした。

　だけど武彦は大人だ。

　伊織は家にいるときの武彦しか知らない。

　それ以外の時間、武彦が誰とどんなことをしているかなんて何も知らない。

　だから、仮に伊織に彼氏がいたとしても、それが武彦の行動を左右するほどに意味を持つものだとは到底思えない。

　だからこそ分からない。

　なぜおじさまが怒っていらっしゃるのかが。



　夕食の時、武彦は一見いつもと変わらない様子だった。
　　
　夕食を終え、いつもの様に後片付けを済ますと伊織は自分の部屋に行った。

　今日はもしかしたらおじさまは私をお呼びにならないかもしれない。

　伊織はそんな不安に怯えていた。

　おじさまだけが私の全てなのに…。

　おじさまに嫌われないためだったら何でもする。

　好きになって欲しいなんて贅沢は言わない。

　だけど、嫌いにだけはならないで欲しい。

　勉強しようと机の上に置いたノートは、まだ一ページも進んでいない。

　コンコン、ドアをノックする音が聞こえた。

　おじさま！来てくださった。

「はい！」と伊織は返事をすると、すぐに扉を開けた。