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24.真実
しおりを挟むセンがアマネの家にカグラを訪ねて走ってくれ、助けを求めたこと。それを見ていた近所の住人何人かが集まり、更にソウを助けようとしてくれたこと。
カグラがミカゲという男を警戒して、普段ならアマネの家から引き払う時間になっても在宅してくれていたこと。
そしてカグラによって取り押さえられたミカゲは、住人の通報で駆けつけた役人に渡されたこと。
二日ほどたち、やっとまともに目覚めたソウは寝台の上でそれらを聞いた。怪我をしたこともそうだが、何よりも精神的に衝撃が大きかった。過去に自分の身にあったことも思い出し、近頃見なくなった夢でうなされた。熱が出て、負わされた怪我と共に悪寒が関節を痛め苦しかった。眠っているようないないような、意識がゆらゆらと揺れて休まることができなかった。今も熱が下がりきったわけではないが、きちんと拭かれて清潔感を保った身体と肌触りのいいシーツに寝衣。ぼんやりと目が覚めたときに感じたのはそれと、窓際に飾られた可愛らしい黄色と桃色の花だった。外は珍しく大粒の雨が降っていた。窓ガラスを打ち付ける雨音が、静かな部屋の中に響いている。
ソウ自身はそんな感覚はなかったが、目覚めたときにはそれだけの時間が経っていたことに驚いた。
だが今も顔が赤く腫れ、とてもじゃないが見れたものではない。ずきずきと痛む全身も、ミカゲの手の跡がはっきりと残っている首も、見ている者も顔を顰めるほどだった。
いつもなら自分の部屋で横になっているのだが、センが自分の寝室の横の部屋を貸してくれた。もともとはこの部屋をソウのそれにするつもりだったので、小さくても用意された寝台とちょっとした机に棚くらいの家具はあった。
「セン、ごめんね」
横になったまま、顔だけをセンに向けてソウは口を開いた。ベッドの横に椅子を置き、そこに腰掛けたセンは、家族同然の亜人を大切そうに見守っていたが、キョトンとした顔でそれを見返した。
「なにがだい?」
「僕のせいで、騒ぎが起きたから」
「あんたが悪いんじゃないよ。あの亜人が身勝手なことをしたせいさ」
眉を下げながら、センは話し始めた。病床のソウに話すことを躊躇う色を見せたが、小さくため息を落として口を開く。当人であるソウに隠しておける話題ではないと思ったからだ。
ソウがかつての屋敷を逃げ出してから、確かに主だった人間はこの町を捜索していたらしい。しかし雑多な人種と奴隷解放で流れ込んできた亜人のおかげで、人口が一気に膨れた街では、何の手がかりもない一人の亜人を探すのは骨が折れたことだろう。ましてソウは自分が亜人であることを隠していたのだから。ここまでは確かに事実だった。
だがミカゲがソウに言っていたことは事実とは言えないものもあったことが、役人がミカゲから事情を聞いてくれたことで判明した。
元々奴隷に対して差別的意識が強かったソウのいた地域で、なかでもその人間は抜きん出て亜人を苦しめる傾向だったようだ。ソウはそこでしか育っていないことと、労働を目的としていたわけでもないので、その辺は疎く分からなかったのだが。
ソウがいなくなってから、亜人に対する扱いは格段にひどくなった。拷問も当たり前に行われ、命を命と考えない行動は狂暴で、死ぬまで痛めつけることも珍しくなかった。そして足りなくなればまた仲買人から亜人を買う。それが短期間で何度も繰り返されたという。死んだ亜人の遺体は、まさしくごみのように砂漠に捨てられ腐敗していった。
ミカゲはその中でも狡猾な性格から標的になることもなかったが、だからといって何もされなかったわけでもない。亜人であるだけでなぜこんな目に合うのかと思うのは誰もが同じだった。
「ソウの昔の主人に対する憎悪がね、爆発したんだってさ」
「……え?」
センは同じ人間であることが恥ずかしいと、小さな声で言った。ソウの手を自分の掌に包み、優しい形をした爪を辿りながら言葉を続けた。
「暴動を起こしたらしいよ。ミカゲが中心になって」
「ぼうどう……?」
「屋敷に住んでいた人間を殺して、家を壊して、みんな散り散りに逃げていったって。ミカゲと何人かが周りに持ちかけてね」
憎しみが燻り続けやがて業火に変わった。今まで虐げられてきた亜人が人間に牙をむけ、惨殺し屋敷に火を放って復讐したのだと聞いて、ソウは縋りつくよういセンの手を握った。
「それも、僕が……」
「違うよ」
ソウの言葉を遮って、センは首を横に振った。
「長い間の鬱積はあんたのせいじゃない。そもそも、人間が悪いからこんなことになったんだよ。亜人だって人間だって同じ命じゃないか。それにそれを起こしたのはミカゲたちだ。あんたはそのときいなかったんだから関係ない」
大丈夫だよ。またセンはそう言ってソウの頭を撫でた。
「でも、暴動の結果多くの亜人が逮捕されて処刑されたらしい。ミカゲは逃げ延びてこの街に来たみたいだけど、まともに働くこともできずに荒んだ生活だったらしいよ。それでたまたまあんたを見つけて嘘をついて、こんなことをしたんだよ……同情出来なくもないけど、やったことは卑劣だ……」
ミカゲのことを思い出すだけでも怖くて震えてしまうが、ソウは自分がどれだけほかの亜人の未来をかき乱してしまったのだろうか。こんなことになるなんて思ってもなかった。心臓がひやりと冷たくなって、苦しくて頭痛を覚えた。腫れた瞼の下の亜麻色の瞳が揺らぎ涙が滲んだ。
だが同時に、憎くて仕方がなかった人間が死んでいたことに、ソウはどこかで安心した。ミカゲの嘘にあれだけ怯えていた心がふわりと軽くなった。これで怯えることもない。自分は本当に自由だと、そんな風に思ってはいけないことを自分は喜んでいる。それがまたソウに追い討ちをかける。
声も出さずに瞳を濡らしたソウを見つめ、センは言う。愛情に溢れた瞳でソウを包み込み、あやすように、そっと亜麻色の髪の間から見える獣の耳を撫でながら静かに口を開く。
「あんただけが、悪いんじゃない。それぞれ何かしらあるんだよ。自分のせいだって抱え込む必要もない。あんたが心底悪いって言うなら、神様は私にあんたを引き合わせなかったと思うよ」
三年前のあの日に、センと出逢ったことでソウの今がある。一人きりで右も左も分からないままだったら、きっとソウもミカゲのようになっていたかもしれない。そう思うと、目の前のセンに感謝の気持ちが溢れてくる。こうしていられるだけでも奇跡だ。
「センは、僕と出逢ったこと……後悔してない?」
誰かを不幸にしてしまった過去の自分から逃げたくて、今の自分を認めてほしくて、ソウは身勝手なことだと分かりながら問いかけた。こんな自分だけど、誰か一人でも受け止めてくれたら、この先生きることに光を見出せるかもしれない。そんな気持ちだった。
ソウの揺らぎを肌で感じたセンが、椅子から立ち上がると痛むソウの身体を気にかけながらもふわりと身を重ねるように抱き締めた。母親が子供を守るような、愛しむようなその仕種に、ソウがたまらず腕を回した。
「あんたは私の大事な息子さ。こんなに可愛い子に出逢えたことは、最高の幸せだよ」
「セン……ありがとう……僕も、幸せだよ……」
愛情を知らないまま育ったソウにとって、何も憚ることなくこうして抱き締めてくれるセンが、無二の愛情を教えてくれる。
自分には家族がいなくて心を開くこともなかったけれど、この人なら安心できる。誰かと一緒にいることの幸せを教えてくれたのは間違いなくセンだ。こうしてくれるから、ソウの心が柔らかく解け、自分以外の誰かを大切に思うことができた。センも、自分に優しく街の人もとても大切だ。
そしてアマネも。特別な感情を抜いても、あの人も大切だ。でも今回のことで迷惑をかけてしまった。アマネに御礼をするどころかこうして迷惑をかけてしまったことにずきりと胸が痛んだ。
ソウはセンに手伝ってもらい何とか身を起こすと、躊躇いがちに問うた。
「あの、アマネ様は……知ってるんだよ……ね?」
ソウの口からアマネの名を聞き、センは一瞬戸惑いを見せた。だがソウがそれを悟る前に身のうちに潜ませ頷いた。
「勿論、知ってるよ。でもあんたが亜人だとはまだ知らない。この家に入ったのはカグラ様だけだし、近所の人も外にいたからね」
「そっか……」
亜人だとばれていないのは正直ほっとした。だがアマネが言っていた言葉は未だソウの中に横たわり消えることはない。またカグラの言葉も深く突き刺さったままだ。それらが消えない限り、どれだけ考えても、やはり自分が亜人だと告げる勇気はソウにはなかった。
はれぼったい瞼を落とし何かを考えているソウに、センは少し迷ったように瞳を彷徨わせた後、ぽつりと言った。
「あんたと私は、同じ命だよ」
「……セン?」
センの独り言のような言葉にソウが視線を上げる。しかし今度はセンが視線を自分の膝に落とした。膝の上で緩く握られた自分の手を見つめて、続ける。
「あんたが倒れているのを見て、本当に怖かった。死んだのかと思った……怖かった」
カグラに続いて部屋に走りこんだとき、粗末な床の上で倒れていたソウは死体のようだった。それが一瞬で咳き込み身体を丸めたときに生きていると分かり、本当に嬉しかった。生きてくれていたということが、本当に嬉しかった。そして思い知った。分かっていたはずのことだけれど、直面して本当に理解した気がした。
命に軽いも重いも、人間も亜人も関係ないのだと。誰かが誰かを想う気持ちに、命の器の差などないのだと。
そして倒れているソウを抱き上げたとき、どうして自分だけはソウの気持ちを分かってあげられなかったのか、そんな気持ちが溢れた。息をしていたが、怪我を含めソウの状況が分からなかったあの時は、このままもしソウに何かあったらと思うと正気を失いそうなほど怖かった。
ソウの気持ちを認めてやれないまま、またアマネのことでソウが知らなくて、センが隠していることも教えないままソウと別れることになったら、今度こそ自分は何もかもを失うような気がした。ソウを裏切ったまま別れるなんて、それこそ死んでも嫌だと思った。
だからセンは、ソウが目覚めたら話したいことがあった。今度こそ本当に包み隠さず。
センは膝の上の手をきゅっと握ると、震える胸の中で自分を叱咤して言葉を継いだ。
「ソウ。あんたの気持ちを、理解してやれなくてごめんね」
「え……?」
「私は、あんたに辛い思いをしてほしくなかった。人間を好きになって、それで傷つくあんたを見るのが嫌だったんだ。だから……あんたがアマネ様を好きだっていう気持ちを、私は認めたくなかった」
「……うん」
俯いて肩を震わせるセンを、ソウは穏やかに見つめた。認めてもらえなかったことは悲しかったけれど、センが悪意でそうしたわけではないことはソウも分かっている。
「でもね、私はあんたを失いたくないし、あんたを好きだし……味方でいたいと思う」
「セン……」
「あんたがアマネ様を好きな気持ち、私は認めたい。だから、私が知っていることを話すね。それであんたが私を嫌いになっても、私はあんたを好きだし、息子だと思う気持ちにも変わりはない。それに味方でいたいって気持ちもだ」
ソウが好きになった相手は、皇帝の血を受け継ぐもの。本人とは関係ない星の導きのために辛い時間を長く過ごしてきた。そしてそれにはセンが大きく関わっている。大切に思う相手を苦しめた自分を、もしかしたらソウは許してくれないかもしれない。
そう思うと心が震えた。だけど隠しておくことも嫌だった。センもまた、誰かに受け止めてほしかった。過去の自分を隠して生きていることは、ソウが亜人だということを隠していることと何も変わりはなかった。センも臆病だった。
決して泣いてはいけないと、心配そうに見つめてくるソウと視線を結ぶ。センはゆっくりと噛みしめるように話し始めた。自分の過去とアマネのことを。
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