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9.空音
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結局、アマネはうたた寝をしていたに過ぎなかった。部屋の中でソウがしばらくどうしたものか悩んでいると目を覚まし、のんびりとあくびをした。
「誰か、いるのか?」
おきてしまえば盲目のアマネは他の人間より気配に鋭いのか、空ろな瞳を動かしてあたりを確認しようとした。そして少しだけ考えるように首をかしげた後、にこりと頬を緩めた。その間、ソウは黙って入り込んでしまったことをなんと言えば分からなくて、混乱したまま声を出すことはできなかった。空気すら揺らしてはいけないと思い、指の一本も動かさずに、アマネの整った顔を凝視する。緊張したそんなソウにわずかにずれた視線が重なる。
「ソウ……だな?」
「……どうして、分かったのですか……」
まさか言い当てられるとは思っていなかったソウは、こくりと息をのんで言葉を零した。それにアマネは小さく笑い、身体を起こしながら長い腕を持ち上げて身体を伸ばした。さらりとした装束と髪が緩やかにぬけていく風にまどろみを惜しむように揺れた。
「香りがするからな」
「香り?」
何も香るものなどつけてはいない。アマネの言った意味が分からずソウはまた混乱した。困ったように眉根を寄せているソウの顔は、当然ながらアマネには見えていない。アマネはのんびりとした様子でカウチに凭れて髪をかきあげた。かき上げた髪の間に形のいい耳が見え、そこに青い石と金色の装飾の施されたピアスが見えた。ソウはアマネがそんなものをしているのを初めて知り、この場を忘れて思わず見とれてしまいそうになった。それは何か紋様のような彫りが施されているような気がしたが、はっきりとは見て取れなかった。アマネはそんなソウには気付かず、首をかしげて言葉を選ぶように口を開いた。
「本の香りと、それから、なにか甘い香りがするような気がした……。カグラはそんな香りはしない。だいたいあの男に甘い香りなど似合うはずもないしな」
自分で言っておいて、おかしそうにアマネは笑った。確かに神経質そうでいかにも厳しそうなあの見た目で、甘い香などを焚き染めているのは違和感でしかない。それを想像したソウも、カグラが見ていたらむっとするだろうが小さく笑ってしまった。だが、ソウも勿論何かを焚き染めているわけでもない。自分でも気付かない甘い香りというものが何かは分からなかった。
「何か焚いているから香りがするわけではないとは思う。これは俺が目が見えないから、相手を判断する方法なのかもしれない。あまり気にしないでくれ」
アマネは軽くそう言って笑った。アマネにとってその香りが不快なものではなければ、それでもいいのかもしれないと、ソウはそれ以上何も聞かなかった。視覚を閉ざされてしまったアマネは、他の感覚が抜きん出てしまったのかもしれないとも思ったからだ。
それに、見えないアマネが、目の前にいるのがソウであると分かってくれたことが妙に嬉しかった。アマネのなかで自分を認識してくれているような気がして。その感情が暖かく染みこんでいくのと同時に、ふと、アマネに断りもなくここまで入ってきたことを思い出して、ソウは慌てて頭を下げた。土下座でもしそうなほどに手を床につく。
「申し訳ございませんでした」
「は?」
いきなりのソウの謝罪を、当然アマネは何のことかわからない。ソウが動く気配がしたので、アマネは持たれかけていたカウチから身を起こし、そのままソウの声を頼りに座ったまま身を屈めた。探るように手を差し出して、その長い指先がソウの頭を覆っている布にふわりと触れた。
触れた感触が、布の下の大きな耳を掠めていく。それを受け止めたソウは、謝罪しなけれないけないことも忘れて頭が真っ白になるのを止められなかった。亜麻色の目を見開き、床についていた手を反射的に頭に持っていく。ほんの瞬きの間の時間だった。
「だめですッ!」
自分でも気付かぬうちに出てきた言葉があまりにも大きく、そして強かった。信じられないように目を見開いたままのソウは、アマネから離れて大きく呼吸を繰り返した。まるで何者かに襲われたように鼓動が早まり、眩暈がしそうなほどに視界が歪んだ。切迫する自らの呼吸が鼓膜のすぐ傍で聞こえるように、体の中で反響していく。
「ソウ……?」
一瞬、本当に一瞬指先を掠めた布の感触の次に聞こえたソウの声と続いた気配に、アマネがぽかんと動きを止めた。何が起こったのかまるで分からない男は、ただごとではない呼吸が繰り返される方向を透かし見ようとしているように黙り込んだ。
「……ぁ……あの……」
我に帰るようにそんなアマネを見つめ返していたソウが、次第に震えてしまう両の手をぎゅっと握り締めた。アマネの繋がらない視線を受けていることがとても痛かった。何をどう言えば良いのかも分からなくなって、はやる心臓を抑えこむように、胸の上から両手を押し当てた。
「何か、嫌がることをしたのなら謝る。申し訳ない」
しばらく無言だった室内に、アマネの声が零れた。それは静かだった。
「目が見えないのも不便なものだなぁ。相手の顔や行動が分からないから、どうしても空気を読むことが苦手だ」
軽く笑いながら気まずそうにアマネは言う。そうではないのです。と、喉まで出かかったソウだが、それを唇に載せる前に、またアマネが口を開いた。
「ソウ。すまなかった。嫌がることをして」
「アマネ様……あの、これは、違います……」
「ソウに触れてしまったことが駄目だったのだろう?」
それは確かにそうだけど、それこそこちらの勝手な事情であってあなたのせいではない。そう思うが、それを言うと自分の隠していることを話さなくていけない。それだけはどうしてもしたくなかったソウは、唇を噛んで言葉を呑んだ。
「気を悪くしないでくれると助かるが……」
両膝にそれぞれの肘を置いて指を組んだアマネは、そのままソウを見つめるように眼差しをつなげようとしている。亜麻色の瞳は驚きすぎて思わず浮いてしまった雫が今にも零れそうに蓄えられているが、それを何とか堪えてソウは口を開いた。
「アマネ様のせいではありません……わ、私は、昔……」
「……昔?」
ソウの言葉の先を促すように、アマネは静かに待っている。自分の過去などを話すことがなかったソウは、少し考えてたどたどしく口を開いた。
「私は、昔……虐待、されていました……だから……」
しかしそれ以上は言葉にすることができなかった。何をどういえば良いのか分からなくて、そして語るにはソウにとってはあまりにも重く、そして短くない話でもあった。思い出せば胸が苦しくて、今以上に瞳が潤んでしまいそうだ。喉が引きつりそうになって、胸元を押さえていた両手が無意識に喉へと上がる。細い喉はどうしようもなく震えていた。
「そうか……それはすまなかった」
ソウの気配がいつもと全く異なることを感じたアマネが、それ以上は言わなくて良いというように言った。その中にはソウに対する申し訳ないという気持ちが滲み、アマネの表情も苦しそうに見えた。
「嫌なことを思い出させてしまったのだろう。これからは触れぬように気をつける。だから、許してくれないか」
カウチに座っていたアマネが膝を折るように床に座る。何をするのか驚きながら見るソウの前で、アマネは正座したまま深く頭を下げた。
「あ、アマネ様……!?」
長めの金色の髪がアマネの輪郭を隠してしまい、それで初めてソウは謝るアマネに慌てて近づいた。ソウとは全く違って逞しく広い肩に細い手を置き、アマネの身体を起こそうとした。
「アマネ様が謝ることではありません。私のことですから。どうか頭を上げてください」
「許してくれるのか?」
「許すも何もありません。私こそ申し訳ありませんでした。失礼な態度を取ったのは私ですし、この家にも勝手に入り込んできてしまいました」
ソウの必死な言葉に、アマネは少しして頭を上げた。そのまま肩に置かれた手の感覚をなぞるように視線を滑らせて、ソウに身体を向き直らせる。膝と膝があたりそうなほど近くにあるのに、アマネは手を差し出すこともせずに微笑んだ。
「ソウに嫌な思いをさせたことに比べたら、この家に入ってきたことくらい何でもない」
「呼び鈴をならしたのですが、お返事がなくて……何かあったのかと思って入ってきました」
ソウは見えないアマネに対してまた軽くではあったが頭を下げた。しかしアマネはその頬を綻ばせたまま首を振った。
「と言うことは、俺を心配してくれたのだろう? ありがとう」
「それは、心配します。アマネ様に何かあったのかと思って、勝手なことをしました……」
「ありがとうな。ソウ」
心底嬉しそうにアマネは微笑んだ。精悍な印象すら受ける端整な顔立ちが、無邪気な笑顔に変わるのを見たソウは、それで少し心が軽くなるのを感じた。ふんわりとしたアマネの笑顔の、濁ってしまっている瞳に自分が映ることはないのが少し寂しい気がしたが。
「私こそ、本当に申し訳ありませんでした」
嘘をついた――触れられたくない理由をごまかした。それがその寂しさ以上に胸に刺さった。
虐待と言う言葉に嘘はないだろう。実際三年前までは日常的に虐げられて、傷を作り声を嗄らして泣いていた。それを虐待でなくてなんと言うのかソウには分からない。
しかし、アマネの指を拒否したのは違う理由だと言うことは、ソウ自身が一番よく分かっていた。
頭を覆い隠している理由が、アマネの行動に怯えたからだ。人間にはない、決してない大きな獣の耳。自分の身体の一部。それを知られてしまうことが怖かった。
髪の毛もあるし布を巻いているのだから、ちょっとくらい触られても分かるはずもないのだが、それでも嫌だと、あの一瞬の中で思った。
それを隠すために、嘘までついてしまったことに自分でも驚きはしたが、本当のことを話すことだけはしたくない。嘘をついた罪悪感と、でも知られたくない思いがない交ぜになってくる。どろりとした重くて冷たいものが頭の中に蔓延った気がした。
項垂れるようにして思考の乱れを何とかしているソウに、アマネは不思議そうに首をかしげていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、そっと手を差し出した。
「お茶でも飲もうか。ソウ」
「え……」
床にぺたりと座り込んでいるソウがアマネを見上げると、目の前に大きな手があった。指の長い、一目で男の手だとわかる大きな手。それとアマネの顔を交互に見ていると、アマネが小さく笑った。
「ソウが怖くなければこの手を取ってくれ。自分から触ることも怖いのならば、今後はこうすることもやめよう」
先ほどのソウの態度と言葉を思ってのアマネの行動に、ソウの中で罪悪感がずんと重くなったような気がした。しかし心遣いに思わず涙腺が緩みそうだった。
「お手を、お借りします」
アマネの手に比べると細くて頼りなげな手を持ち上げてソウは言う。それにアマネはまたにこやかに笑って、重なった手を握りなんなくソウを引き上げるようにして立ち上がらせた。
「手を取ってくれてありがとう、ソウ」
身長差の分だけ見上げなければいけない。その上げた亜麻色の瞳に、嬉しそうに笑っている子供のようなアマネが映った。
「誰か、いるのか?」
おきてしまえば盲目のアマネは他の人間より気配に鋭いのか、空ろな瞳を動かしてあたりを確認しようとした。そして少しだけ考えるように首をかしげた後、にこりと頬を緩めた。その間、ソウは黙って入り込んでしまったことをなんと言えば分からなくて、混乱したまま声を出すことはできなかった。空気すら揺らしてはいけないと思い、指の一本も動かさずに、アマネの整った顔を凝視する。緊張したそんなソウにわずかにずれた視線が重なる。
「ソウ……だな?」
「……どうして、分かったのですか……」
まさか言い当てられるとは思っていなかったソウは、こくりと息をのんで言葉を零した。それにアマネは小さく笑い、身体を起こしながら長い腕を持ち上げて身体を伸ばした。さらりとした装束と髪が緩やかにぬけていく風にまどろみを惜しむように揺れた。
「香りがするからな」
「香り?」
何も香るものなどつけてはいない。アマネの言った意味が分からずソウはまた混乱した。困ったように眉根を寄せているソウの顔は、当然ながらアマネには見えていない。アマネはのんびりとした様子でカウチに凭れて髪をかきあげた。かき上げた髪の間に形のいい耳が見え、そこに青い石と金色の装飾の施されたピアスが見えた。ソウはアマネがそんなものをしているのを初めて知り、この場を忘れて思わず見とれてしまいそうになった。それは何か紋様のような彫りが施されているような気がしたが、はっきりとは見て取れなかった。アマネはそんなソウには気付かず、首をかしげて言葉を選ぶように口を開いた。
「本の香りと、それから、なにか甘い香りがするような気がした……。カグラはそんな香りはしない。だいたいあの男に甘い香りなど似合うはずもないしな」
自分で言っておいて、おかしそうにアマネは笑った。確かに神経質そうでいかにも厳しそうなあの見た目で、甘い香などを焚き染めているのは違和感でしかない。それを想像したソウも、カグラが見ていたらむっとするだろうが小さく笑ってしまった。だが、ソウも勿論何かを焚き染めているわけでもない。自分でも気付かない甘い香りというものが何かは分からなかった。
「何か焚いているから香りがするわけではないとは思う。これは俺が目が見えないから、相手を判断する方法なのかもしれない。あまり気にしないでくれ」
アマネは軽くそう言って笑った。アマネにとってその香りが不快なものではなければ、それでもいいのかもしれないと、ソウはそれ以上何も聞かなかった。視覚を閉ざされてしまったアマネは、他の感覚が抜きん出てしまったのかもしれないとも思ったからだ。
それに、見えないアマネが、目の前にいるのがソウであると分かってくれたことが妙に嬉しかった。アマネのなかで自分を認識してくれているような気がして。その感情が暖かく染みこんでいくのと同時に、ふと、アマネに断りもなくここまで入ってきたことを思い出して、ソウは慌てて頭を下げた。土下座でもしそうなほどに手を床につく。
「申し訳ございませんでした」
「は?」
いきなりのソウの謝罪を、当然アマネは何のことかわからない。ソウが動く気配がしたので、アマネは持たれかけていたカウチから身を起こし、そのままソウの声を頼りに座ったまま身を屈めた。探るように手を差し出して、その長い指先がソウの頭を覆っている布にふわりと触れた。
触れた感触が、布の下の大きな耳を掠めていく。それを受け止めたソウは、謝罪しなけれないけないことも忘れて頭が真っ白になるのを止められなかった。亜麻色の目を見開き、床についていた手を反射的に頭に持っていく。ほんの瞬きの間の時間だった。
「だめですッ!」
自分でも気付かぬうちに出てきた言葉があまりにも大きく、そして強かった。信じられないように目を見開いたままのソウは、アマネから離れて大きく呼吸を繰り返した。まるで何者かに襲われたように鼓動が早まり、眩暈がしそうなほどに視界が歪んだ。切迫する自らの呼吸が鼓膜のすぐ傍で聞こえるように、体の中で反響していく。
「ソウ……?」
一瞬、本当に一瞬指先を掠めた布の感触の次に聞こえたソウの声と続いた気配に、アマネがぽかんと動きを止めた。何が起こったのかまるで分からない男は、ただごとではない呼吸が繰り返される方向を透かし見ようとしているように黙り込んだ。
「……ぁ……あの……」
我に帰るようにそんなアマネを見つめ返していたソウが、次第に震えてしまう両の手をぎゅっと握り締めた。アマネの繋がらない視線を受けていることがとても痛かった。何をどう言えば良いのかも分からなくなって、はやる心臓を抑えこむように、胸の上から両手を押し当てた。
「何か、嫌がることをしたのなら謝る。申し訳ない」
しばらく無言だった室内に、アマネの声が零れた。それは静かだった。
「目が見えないのも不便なものだなぁ。相手の顔や行動が分からないから、どうしても空気を読むことが苦手だ」
軽く笑いながら気まずそうにアマネは言う。そうではないのです。と、喉まで出かかったソウだが、それを唇に載せる前に、またアマネが口を開いた。
「ソウ。すまなかった。嫌がることをして」
「アマネ様……あの、これは、違います……」
「ソウに触れてしまったことが駄目だったのだろう?」
それは確かにそうだけど、それこそこちらの勝手な事情であってあなたのせいではない。そう思うが、それを言うと自分の隠していることを話さなくていけない。それだけはどうしてもしたくなかったソウは、唇を噛んで言葉を呑んだ。
「気を悪くしないでくれると助かるが……」
両膝にそれぞれの肘を置いて指を組んだアマネは、そのままソウを見つめるように眼差しをつなげようとしている。亜麻色の瞳は驚きすぎて思わず浮いてしまった雫が今にも零れそうに蓄えられているが、それを何とか堪えてソウは口を開いた。
「アマネ様のせいではありません……わ、私は、昔……」
「……昔?」
ソウの言葉の先を促すように、アマネは静かに待っている。自分の過去などを話すことがなかったソウは、少し考えてたどたどしく口を開いた。
「私は、昔……虐待、されていました……だから……」
しかしそれ以上は言葉にすることができなかった。何をどういえば良いのか分からなくて、そして語るにはソウにとってはあまりにも重く、そして短くない話でもあった。思い出せば胸が苦しくて、今以上に瞳が潤んでしまいそうだ。喉が引きつりそうになって、胸元を押さえていた両手が無意識に喉へと上がる。細い喉はどうしようもなく震えていた。
「そうか……それはすまなかった」
ソウの気配がいつもと全く異なることを感じたアマネが、それ以上は言わなくて良いというように言った。その中にはソウに対する申し訳ないという気持ちが滲み、アマネの表情も苦しそうに見えた。
「嫌なことを思い出させてしまったのだろう。これからは触れぬように気をつける。だから、許してくれないか」
カウチに座っていたアマネが膝を折るように床に座る。何をするのか驚きながら見るソウの前で、アマネは正座したまま深く頭を下げた。
「あ、アマネ様……!?」
長めの金色の髪がアマネの輪郭を隠してしまい、それで初めてソウは謝るアマネに慌てて近づいた。ソウとは全く違って逞しく広い肩に細い手を置き、アマネの身体を起こそうとした。
「アマネ様が謝ることではありません。私のことですから。どうか頭を上げてください」
「許してくれるのか?」
「許すも何もありません。私こそ申し訳ありませんでした。失礼な態度を取ったのは私ですし、この家にも勝手に入り込んできてしまいました」
ソウの必死な言葉に、アマネは少しして頭を上げた。そのまま肩に置かれた手の感覚をなぞるように視線を滑らせて、ソウに身体を向き直らせる。膝と膝があたりそうなほど近くにあるのに、アマネは手を差し出すこともせずに微笑んだ。
「ソウに嫌な思いをさせたことに比べたら、この家に入ってきたことくらい何でもない」
「呼び鈴をならしたのですが、お返事がなくて……何かあったのかと思って入ってきました」
ソウは見えないアマネに対してまた軽くではあったが頭を下げた。しかしアマネはその頬を綻ばせたまま首を振った。
「と言うことは、俺を心配してくれたのだろう? ありがとう」
「それは、心配します。アマネ様に何かあったのかと思って、勝手なことをしました……」
「ありがとうな。ソウ」
心底嬉しそうにアマネは微笑んだ。精悍な印象すら受ける端整な顔立ちが、無邪気な笑顔に変わるのを見たソウは、それで少し心が軽くなるのを感じた。ふんわりとしたアマネの笑顔の、濁ってしまっている瞳に自分が映ることはないのが少し寂しい気がしたが。
「私こそ、本当に申し訳ありませんでした」
嘘をついた――触れられたくない理由をごまかした。それがその寂しさ以上に胸に刺さった。
虐待と言う言葉に嘘はないだろう。実際三年前までは日常的に虐げられて、傷を作り声を嗄らして泣いていた。それを虐待でなくてなんと言うのかソウには分からない。
しかし、アマネの指を拒否したのは違う理由だと言うことは、ソウ自身が一番よく分かっていた。
頭を覆い隠している理由が、アマネの行動に怯えたからだ。人間にはない、決してない大きな獣の耳。自分の身体の一部。それを知られてしまうことが怖かった。
髪の毛もあるし布を巻いているのだから、ちょっとくらい触られても分かるはずもないのだが、それでも嫌だと、あの一瞬の中で思った。
それを隠すために、嘘までついてしまったことに自分でも驚きはしたが、本当のことを話すことだけはしたくない。嘘をついた罪悪感と、でも知られたくない思いがない交ぜになってくる。どろりとした重くて冷たいものが頭の中に蔓延った気がした。
項垂れるようにして思考の乱れを何とかしているソウに、アマネは不思議そうに首をかしげていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、そっと手を差し出した。
「お茶でも飲もうか。ソウ」
「え……」
床にぺたりと座り込んでいるソウがアマネを見上げると、目の前に大きな手があった。指の長い、一目で男の手だとわかる大きな手。それとアマネの顔を交互に見ていると、アマネが小さく笑った。
「ソウが怖くなければこの手を取ってくれ。自分から触ることも怖いのならば、今後はこうすることもやめよう」
先ほどのソウの態度と言葉を思ってのアマネの行動に、ソウの中で罪悪感がずんと重くなったような気がした。しかし心遣いに思わず涙腺が緩みそうだった。
「お手を、お借りします」
アマネの手に比べると細くて頼りなげな手を持ち上げてソウは言う。それにアマネはまたにこやかに笑って、重なった手を握りなんなくソウを引き上げるようにして立ち上がらせた。
「手を取ってくれてありがとう、ソウ」
身長差の分だけ見上げなければいけない。その上げた亜麻色の瞳に、嬉しそうに笑っている子供のようなアマネが映った。
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