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第三章

第108話 人間競馬・3

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 時間停止。自分以外の全てから自由を奪う、最強のチート能力。
 いかにルシファーが史上最強の淫魔といえど、時をその手に掌握するような恐るべき魔法を使うことは流石に不可能だ。
 今回の時間停止アイテムは、記憶操作の魔法を用いて時間が止まったかのように思い込ませる疑似的な時間停止である。

 三秒間が経ち感覚を取り戻した百合音は、何事も無かったようにごく自然にスタートダッシュを切る。
 だげども違和感には、すぐに気付いた。つい先程――時間が止まる前まで隣でクラウチングスタートの姿勢をとっていたリリムが、いなくなっていたのだ。
 普通に考えれば、三秒分前方を走っているはずだろう。だがそうではなく、ただ忽然と姿を消しているのである。

(え? 凛々夢は?)

 困惑しながらも走る百合音は、コース上にアイテムが出現したのを発見して素早く手を伸ばして取る。柳沢が走るのは遅いので、時間を気にせず余裕を持ってアイテムを獲得できた。
 柳沢に圧倒的な差をつけてゴールした百合音はリリムを探そうと、呼吸を整えるのも兼ねてスタート地点の方へと折り返しそのまま走った。
 ルシファーに目を向ければ、リリムの居場所はすぐにわかった。リリムはルシファーに肩車を、通常とは逆向きに乗る形でしていた。即ち股間をルシファーの顔面に押し付ける形で、である。

「あはーん、時間が止まってる間にルシファー先生に顔面騎乗しちゃったぁー」

 わざとらしくも艶めかしい声でそう喘ぐリリムを、百合音はぽかんとした様子で見る。

「何してんの凛々夢」
「えー、だって時間停止AVってこういうのでしょー?」
「いや意味わかんないんだけど」

 そういうことに疎い百合音には意図が通じなかったようだが、何はともあれ圧倒的に優位な立場にあるはずだったリリムは走るのそっちのけで時間停止AVごっこを勝手に始めたため、今回のレースは百合音の勝利である。
 ルシファーの顔面に股間をぐりぐりと押し付けていたリリムであったが、突然雷に打たれたようにびくんと身を痙攣させ、ピタリと動かなくなった。ルシファーはアナウンスに邪魔なリリムを両手で抱え上げて肩からどかし、地面に寝かせる。リリムは両手で股間を押さえながら膝を曲げて横向きに寝転がり、何かに悶えるような恍惚の表情を浮かべていた。衣服越しに舌での一突き。この一発で絶頂させてリリムを大人しくさせた、史上最強淫魔の神業である。

「えー、これにて第三回戦のレース結果が出ました。一等永井さん、二等柳沢さん、三等リリム。アイテムは永井さんが獲得しました。さて、それでは予想オープンです」
「ふざけんな!!!」

 瞬間響き渡る怒号。叫んだのは勿論浦部だ。

「何だよそれ……真面目に走れよクソガキ! こっちは金がかかってんだぞ!!!」

 口は悪いが尤もな指摘。叫ぶ浦部のフリップには大きく書かれた「クソガキ」とその下に括弧付きで小さく「リリム」と書かれていた。
 一方の謙哉は、今回もまた百合音に賭けていた。

「久保君は見事的中、浦部さんは外れとなります。ではリリムと柳沢さんはブラジャーを、浦部さんはトランクスを脱いで下さい」
「おい聞いてんのか!!!」

 浦部の文句を無視して進行すると、浦部はますます逆上。すると浦部はバナナの皮でも踏んだかのように突然滑って転び、トランクスが独りでに脱げてどこかへ飛んでいった。
 下半身フルチンにされて、上半身はインナーのみ。変態じみた格好にさせられた浦部は、床に伏せたまま歯ぎしりをした。

「脱がない場合はこうなりますので」

 そう言うルシファーの横で、いつの間にか立ち上がったリリムがスポーツブラを脱いでいた。とても薄い胸が露になると、リリムはそれを恥じらって両掌で覆い隠した。掌を置いても指を曲げる必要が無いほど、その胸は平坦である。
 浦部の悲惨な様子を見せられた柳沢は、ああはなりたくないとばかりに慌ててブラを脱ぎ始めた。立派に実ったバストと色素の濃い乳首は、大人の胸というものを強く印象付けさせる。自分との驚異的な胸囲格差に、リリムは頬を膨らませていた。

 脱衣を終えて、百合音と柳沢はスタンドに移動させられる。テンション高くハイタッチを求めてきた謙哉に、百合音は笑顔で応じる。

「それにしても謙哉ラッキーだったね。凛々夢があそこでふざけなかったらヤバかったよ今回」
「ま、俺は百合音を信じてるからな」

 かっこつけながらそう言って頭をぽんぽんと撫でられて、百合音は照れがありつつも満足げに微笑む。

(もしかして凛々夢、ふざけてるふりしてあたし達を助けてくれた……? あいつが凛々夢に賭けてて謙哉があたしに賭けてることを知っててああいう行動に出たんじゃ……)
「次は俺が走る番だな。アイテム、取ってくれてサンキューな百合音」
「今回は凛々夢がああだったから取る余裕があったよ。凛々夢と勝負しながらだと失速を気にして取れなかったかも」
「俺の場合は相手があのルシファーだからな。ますます余裕が無いっつーか……だけど今回はアイテムがあるからな、ワンチャン勝てるかもしれん」

 本来喜ばしいことのはずなのだが、どういうわけか謙哉は少々不服そう。

「あのルシファーに、実力で勝ちたかった?」
「百合音の服と金がかかってるんだ、そこまで空気の読めない男じゃねーよ」

 そうは言う謙哉だが、百合音は彼の本心を見抜いていた。本気で競技に打ち込む者ならば、下駄を履かされて勝っても喜べない気持ちは当然理解できるのだ。


 そして謙哉とフルチンの変態はコースに移動させられて、第四回戦が始まる。

(フルチンの奴がいるの落ち着かねーな)

 ルシファーを挟んだ先のコースにいる浦部の滑稽な姿は非情に集中力を乱すものだ。謙哉は両手で髪を掻き上げて意識を切り替え、浦部の存在をシャットアウト。レースだけに集中した。

「ではここで今回のアイテムを発表致します。今回のアイテムは、フライング。久保君は今回、フライングスタートが可能です」
「そうか……ありがとよ」

 真顔でゴール地点をじっと見つめる謙哉。浦部は舌打ちをする。
 女性陣がフリップに予想を書き終え、いよいよ全員がスタートの準備を始める。クラウチングスタートの姿勢をとった謙哉は、体からオーラを放つが如くただならぬ雰囲気を醸し出していた。これが競技に集中したアスリート特有の気迫。浦部は気圧されて丸出しの金玉を縮み上がらせた。
 リリムは「よーい」の掛け声でピストルを上げるも、なかなか発砲しない。謙哉がフライングする時間を作っているのだろう。だがそれに反して、謙哉は一向に走り出そうとはしなかった。アイテムの存在を忘れているか、或いはあえて無視しているかのように。
 百合音が祈るように両手を握って見守る中、痺れを切らしたリリムは天に向かって空砲を撃つ。謙哉を含む三名は一斉にスタート。それはフライングのアイテムの効果を使わず、ルシファーと実力で勝負をするという意思表示だった。


 相談タイムの、終わり際のことだ。

「謙哉」
「悪い百合音、ちょっと我儘、言ってもいいか?」

 百合音が要件を言う前に謙哉がそう重ねたので、百合音は迷わず「いいよ」と返した。

「これは完全な自己満足だし、お前のことを無視した俺のためだけの自己中な話だ。嫌なら拒否してくれて構わない。それで次のルシファーとの勝負、できるならアイテム無しでガチの勝負をさせて欲しい。まあ、アイテムは強制的に使われるわけだから最初のジェットブースターみたいなのだったらそういうわけにもいかないけどさ。時間停止みたいなのだったら、恋咲がやったみたいにわざと無視することも可能なわけだし。これはホントに何の根拠もない勘でしかないけどさ、あいつに実力で勝てたら、俺の中で何か壁を越えられる気がするんだ。だから……」
「いいよ」
「えっ」
「あたしは謙哉のそういう馬鹿正直なところを好きになったんだもん。思う存分勝負してきなよ」
「お、おう。ありがとな。それで百合音、この勝負なんだが、前回のレースを見ての通り現状実力は紙一重であいつのが上だ。しかも俺はまた胸の傷が痛んで失速する可能性もありえる。だから百合音、俺が勝てないと思ったなら遠慮せずルシファーに賭けろ。俺の勝負はあくまで自己満足だ。アイテム使えば勝てるゲームであえて負ける可能性のある手段をとって負けたら、それは自己責任でしかない。そこにお前を巻き込むわけにはいかないからな。特にお前は既に下半身一枚脱いでるから、次に予想を外したらあのクソ親父とお揃いの下半身丸出しになっちまう。対して俺は男だから、ここで負けて上半身裸になったって何のこっちゃねえ。だからよ、お前は俺に構わず、本当に勝てると思う奴に賭けろ。いいな」

 百合音の両肩に手を置いてじっと瞳を見つめる謙哉に、百合音は黙って頷いた。

「サンキュー百合音。愛してるぜ」

 チュッと額にキスをして、一瞬チャラ男の顔になった彼は再びアスリートの顔に戻る。そしてここで時間が来て、彼は勝負の場へと連れられていった。


 ありがとよという言葉は、効果を無視することもできるアイテムであったことに対してのもの。風を切って走る謙哉は、吹っ切れた清々しい表情をしていた。
 情けなくぶらぶらさせながら走る浦部を大きく引き離して、ルシファーと謙哉はほぼ横並びで疾走。この男に勝ちたいという魂の訴えに従い、謙哉は己の身に鞭を打ってでも駆け抜ける。
 あと少し、あと少し速く走れればルシファーを抜けるのに。互角なようで、どこか差を付けられているような感覚もある。
 胸の打撲はもう痛まない。正確には今もズキズキと身体を蝕んでいるのかもしれないが、全神経を走ることに集中させた今の謙哉に痛みを感じることはなかった。
 視界の隅に入りかけたアイテムボックスは、存在にすら気付くことなくスルーした。そんなものに意識を向ければあっという間に引き離される。
 そしてゴールテープを切ったのは、二人同時であった。

「え……これ……同着?」

 リリムの困惑した声。ルシファーはひとっ走りした後にも関わらず涼しい顔でリリムからマイクを受け取ると、今回の勝敗について説明を始めた。

「今回はほぼ同着となりましたが、ご安心下さい。こんなこともあろうかと、全てのレースにて魔法によりゴールタイムを自動で計測しております。一切の誤差が無く完璧に正確なタイムが記録されており、これで勝敗を判定致します。それでは……」

 競馬場のオーロラビジョンに、ルシファーと謙哉の名前がそれぞれ大きく表示される。

「まずは私のゴールタイムから」

 ルシファーの名前の下に、タイムが表示される。途端、目を丸くしてぽかんと口を開ける謙哉。

「次は久保君です。果たして勝っているのでしょうか、負けているのでしょうか」

 期待と不安を煽るように引っ張るルシファーの狙い通りのように、謙哉は緊張に震え拳を握っていた。
 そして表示される、謙哉のゴールタイム。それはルシファーのものより、僅かに短かった。

「はい、出ました。一着は久保君。二着は私ルシファー。三着は浦部さんとなります!」
「勝った……勝ったぞ!!」
「やったね謙哉ー!」

 勝利に打ち震え力強くガッツポーズする謙哉。スタンドからは百合音の歓声が響いた。

(そうだ、百合音! 百合音の予想は……)

 謙哉がスタンドに顔を向けると、百合音が掲げる「謙哉!!!」の大きな文字と満天の笑顔。

「今回予想側は二人とも的中となりました。残念ながら女性陣の脱衣はありません」

 ルシファーがそう言ったのを聞いて、謙哉は柳沢の方に視線を向ける。柳沢が両手で掲げるフリップに書かれた文字は「くぼけんや」であったが、それよりも謙哉の視線は隠すことができず丸出しになったGカップへと吸い込まれた。

(やっべ、敵のおっぱい見ちまった)

 緊張が解けた直後で気が緩んでいたこともあって、しっかりと股間が反応。これが悲しき男のさがである。
 魔法による身体操作が解けて体が動くようになった柳沢は、丸出しになった胸を揺らして喜んでいる様子。

「また当たっちゃった。もしかしてうち、競馬の才能ある系?」

 あくまでも彼女は、謙哉がアイテムを持っているから選んだだけだろう。しかし予想が当たったのは事実だ。百合音も謙哉も、これには複雑な気持ちにさせられた。

「さて、では今回のレースで勝てなかった二人は、服を脱ぐと致しましょう」

 ルシファーはそうアナウンスをすると、妙に艶めかしい動作でレーシングシャツを脱ぎ捨てた。程よく鍛え上げられた身体にインナーとして黒のタンクトップを着用した姿は、男の色気をこれでもかと言うほど立ち昇らせる。

「さあ、浦部さんも」
「くっ……」

 既にフルチンの浦部は、悔しがりながらヤケクソ気味にタンクトップを脱ぎ捨てとうとう全裸に。あまりにも無様な父親に、百合音は目を向けようともしなかった。


 参加者が一人全裸になったものの、今回のゲームはパートナーの服が残っていれば続行となる。謙哉と浦部は空中を移動してスタンドに戻された。

「おめでとう謙哉!」
「おう、あのルシファーに勝ったぜ!」

 ハイタッチで喜びを分かち合い、軽いハグを交わす。

「それにしても謙哉、さっきのルシファーのタイムって……」
「ああ、あの野郎コンマ下二桁まで俺の自己ベストと完全一致するように走ってやがった。あいつに勝てばその時点で俺が自己ベスト更新するって寸法でな」

 勝負には勝ったし、自己ベストも更新した。だが決して、本気のルシファーに勝ったわけではないのだ。どこまでも底知れぬルシファーの人智を超えた能力に、謙哉と百合音は戦慄するばかりであった。
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