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第三章

第69話 バッセンデートとお邪魔虫・2

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 初心者コース。
 バッティング初挑戦の悠里は初め随分と下手であったが、孝弘に教わりながらフォームを直していくと次第に上達していった。
 悠里はスポーツに関しては勉強ほど得意ではないが、平均程度にはできる。幼い頃は苦手だったが努力して改善させたタイプである。

「そうそう、その感じ」

 孝弘お墨付きの綺麗なフォームでよく狙ってバットを振ると、コンと鳴ってボールが前に転がった。

「当たった!」
「おめでとう! やったね悠里!」

 バッティング初成功を喜ぶ悠里を孝弘が讃える微笑ましい光景を、隣のレーンから冷めた目で見るのは希耶である。

(イケメンにあんだけ優しくされるとか、前世でどんな徳積んでたらあんないい思いできるわけよ)

 そう考えていると次のボールが来たのでバットをぶん回すが、当然のように空振り。結局一回もバットにボールが当たらないまま希耶はバットを戻し、レーンを出る。

(やっぱあたし、自分で野球やるのは向いてないなー。見るのは好きなんだけど)

 店内をぶらついていた希耶は、気持ちの良い打撃音につられてそちらを見ると丁度そこで翔馬が打っていた。
 真剣な眼差しで脇目も振らずバッティング練習に打ち込む姿に思わず視線を引きつけられてしまうが、はっと我に返り首を横に振る。

(そういえばあたしが野球に興味持ったのも、あいつがきっかけだったんだよね……)

 溜息をつきながら、できるだけ翔馬から離れた位置まで移動してベンチに腰掛けた。すると、それを密かに観察していた当真が隣に腰を下ろした。

「なあ天崎よ」
「何ですか先輩」
「岩田はああ見えて結構いいとこあるんだぜ?」

 突然そんなことを言い出す当真。彼自身の意思でやってるのか翔馬に頼まれたのかはわからないが、彼が翔馬と希耶の仲を取り持とうとしているのは明らかだった。

「知ってますよ。あいつのいい所なんて、いくらでも知ってます」

 希耶と翔馬の付き合いは長い。同じ小学校で、四年生の時に翔馬から告白して交際を開始。およそ一年ほど付き合った後一旦別れて、六年生で復縁。中学に上がると翔馬が野球部に入ったので、それを追って希耶もマネージャーとして入部した。その年の夏頃に一度別れるも、僅か二週間で復縁。中二での初体験を経て順調に交際が続いていくかに見えたが、野球部の大会が終わった頃に進路の件で喧嘩別れ。その後結局翔馬が希望していた野球強豪校に受からなかったため一緒に綿環高校に進学し、それに伴って交際を再開。そしてこの夏、以前より翔馬に抱いていた不満の数々が爆発して四度目の破局を迎えたのである。

「それでもやっぱりムカつく所も沢山あって、それでもうあいつとは金輪際付き合わないって決めたんですよ」
「うーん……まあ、お前がそこまで決意固いなら無理にとは言わねーけどよ」

 こりゃ説得は無理だわと、当真は早々に諦めて席を立つ。後輩のためにそこまで粘ってやるほどの義理は無いのである。

(さてと、どっかにおっぱいのデカい美人でもいねーかな)

 そんなことを思いながら店内をぶらついていると、ふと立ち寄った上級者コースでおっぱいのデカい美人はいなかったが何やら見覚えのある男を見つけた。

(お、あいつは牧野先輩からホームラン二本打った)

 木津音高校の黒崎春彦が、ボールをバカスカと打ちまくっている。

(おーおー相変わらずの強打者ぶりで)

 ちなみに少年野球時代も中学時代も、ピッチャーである当真は大会や練習試合でこの男にバカスカ打たれまくっていた。
 地元の野球少年同士こうしてバッティングセンターで出くわすことも度々ある相手だが、特別仲が良いわけでもないし一昨日の件でマウント取られても面倒なので声はかけずにおいた。


 同じく上級者コースでは、孝弘が練習に打ち込む姿を悠里が眺めている。当真はちょっと茶化してやろうと、悠里に声をかけた。

「よう委員長、バッセンはどうだい」
「こういう所に来るのは初めてだけど、上手く打てると気持ちいいね。それに、こうして頑張ってる孝弘君を間近で見られるのも……」
「お、おう。まあ、仲いいのはいいことだよな。お前らは岩田達みてーにしょうもないことでケンカすんなよ」

 そう言って当真は悠里に後ろ手を振り、邪魔しちゃ悪いと立ち去った。

「代々木せんぱーい」

 暫く歩いていたところで、翔馬がこちらを呼びながら走ってくるのが見えた。

「希耶の説得、どうでしたか?」
「ありゃあ無理だ。完全に愛想尽かしてるわ。ま、女なんかいくらでもいるんだしそうしょげるなよ。レギュラーになったらきっとモテるぜ」

 微塵も根拠のないモテるぜ発言で慰めても、翔馬の顔を見れば納得行っていない様子がわかる。

(うーん……こいつをショートのレギュラーで使おうって話もあったが、今の精神状態じゃ使い物になりそうにねーな。どうしたものか……)

 選手のメンタルは競技でのパフォーマンスに直結する。恋愛相談なんて乗り気ではなかったが、それがあるため早期解決を目指してやむなく相談に乗ってやった当真。しかしどうも彼の手に負える代物ではなく、お手上げするしかなかったのである。


「あれ、もしかして委員長!?」

 と、その時に背後から聞こえた声。当真が振り返ると、黒崎春彦が悠里に話しかけていた。

「黒崎君。久しぶりだね……」

 春彦との出会いをあまり歓迎していなさそうな、引き気味の声で悠里が言う。

「奇遇だね! 委員長とこんな所で会うだなんて! もしかして野球に興味が? だったら俺が教えてあげるよ!」

 何やらテンションの上がってきた春彦が悠里に触れようと手を伸ばし、悠里がそれを避けようとしたその時。レーンから出てきた孝弘が春彦の手首を掴んだ。

「人の彼女に気安く触ろうとすんなよ」

 結構本気で怒っている感じの声色。悠里はほっとした様子で、春彦から身を隠すように孝弘の後ろへと移動した。

「悠里、こいつと知り合い?」
「うん、小学校と中学校が同じで……」
「俺も少年野球で一緒のチームだったんだ。一昨日ぶりだな黒崎」
「さ、佐藤。お前もここに来てたのか。もうお前らの大会は終わったのにご苦労なこった。てか、お前さっき彼女って……」
「ああ、悠里は俺の彼女だが」

 春彦の手首を掴んだまま、もう一方の腕で悠里を抱き寄せ自身に密着させる。悠里は「ひゃ」と小さな声を上げるも、ピンクに染まった顔を俯かせつつ孝弘に身を寄せた。
 先程まで浮ついていた春彦の表情は、みるみるうちに真顔になっていった。

「は? いや何で? 何でお前? 俺、委員長が転校してきた日からずっと好きだったんだけど? そんで中学卒業までの間に何度も告白して全部振られてんだけど?」

 小学生の頃からということは、孝弘と同じチームでプレーしていた頃から悠里のことを好きだったということだ。悠里の表情を見れば、この男に対して苦手意識を持っていることは察せる。この男の性格を考えれば、何度振られてもしつこくアタックを繰り返して悠里に迷惑をかけていたであろうことは想像に難くない。

「何でと言われてもな……もう行こうか悠里」

 悠里が頷いたのを確認すると、孝弘は春彦から手を離し悠里を抱き寄せた姿勢のまま春彦に背を向ける。

「待てよ! 打席に立て佐藤。俺と勝負だ! 俺が勝ったら委員長をよこせ!」
「は? するわけないだろそんな勝負。人を物みたいに言うなよ、不愉快だ」

 孝弘が悠里の前ではあまり使わないような強い口調で蔑むと、春彦は悔しそうに震えていた。

「ヒュー、カッコいいこと言うじゃん」

 離れた位置から様子を窺っていた当真は、事が終わったのを見ると孝弘に駆け寄り肘で突っつく。

「巨乳マネージャーと付き合う権利を甲子園出場のトロフィーにしようとしてたどっかの元エース様にも聞かせてやりたい言葉だぜ」
「茶化すなよ」

 当真の見ている前であまりベタベタするのも気恥ずかしかった孝弘は悠里を抱き寄せていた腕を離すと、代わりに悠里の手を握った。それでも春彦に見せつけるのは十分である。
 唖然としている春彦に、声をかける者が一人。

「佐藤先輩に代わって、俺が相手してやってもいいぜ。綿環高校一年ショート、岩田翔馬だ」

 きりっとした決め顔で自己紹介するも、その内心は浅はかな欲に満ちている。

(木津音のエースに俺が勝てば、希耶もきっと俺を見直すに違いない!)
「天崎ならとっくに帰ったぞ」

 そんな翔馬の考えを見透かしたように当真が指摘すると、翔馬の決め顔は即座に崩れた。



 バッティングセンターを出た孝弘と悠里はファミレスで昼食を取った後、孝弘の趣味に付き合って貰ったのだから次は悠里の趣味にと手芸用品店へ。ショッピングを楽しんだ後は街を散策し、まだ空が明るい内に悠里を家まで送り届けた。
 悠里宅の前まで来くると、悠里は名残惜しそうに孝弘の顔を見上げる。

「孝弘君、今日はありがとう。バッティングセンターで孝弘君が助けてくれた時、本当に安心した」
「悠里が無事でよかったよ」

 悠里を見つめる孝弘の表情には、若干の緊張が見える。

(うーん……そろそろキスくらいしたいけど……)

 あんな特別授業を受けた以上は、当然そういうことを意識してしまうもの。大人の関係になることについて、悠里から「まだ早い」と言われたことは孝弘の中で若干の尾を引いていた。
 勿論悠里の気持ちを尊重することが第一であり間違っても無理強いなどをするつもりは無いが、やはり性欲を持て余している思春期の男子としてはそういうことをしたいと思うのは当然である。大切にしたい気持ちと邪な下心が交錯しつつ、拒否されるのが怖いという気持ちも渦巻く。
 せめて牛歩でも段階を踏んで関係を深めていきたいと思ってはいるのだが、手始めにキスする所までこぎつけるのに乗り越えねばならないハードルがあった。
 悠里の家は母親が専業主婦であり多くの時間帯で家にいるため、二人きりでイチャイチャするのには不向きだ。かといって孝弘の家はといえば、この時間帯両親は仕事でいないものの小学四年生の妹がいる。これが色恋沙汰に興味津々な年頃であり、以前悠里が孝弘の両親に挨拶のため訪ねてきた際には、お兄ちゃんとどこまで進んだのだ何だのと目を輝かせながら悠里を質問攻めにしたのである。
 良いムードを作りたいのに、まともに二人きりになれる場所が無い。これはこの二人に限らず、親元で暮らす高校生同士のカップルには珍しくない悩みだ。本庄先輩と園部先輩のカップルが高校卒業後すぐに同棲を始めるつもりなのも納得ができると、孝弘は思った。
 暫し見つめていて悠里が小首をかしげると、丁度そこで家の扉が開いた。悠里と似た顔立ちの美女――悠里の母親が出てきたのである。

「お帰りなさい悠里。孝弘君も、いつもありがとう」
「ただいまお母さん」
「どうも」

 孝弘は帽子を脱いで頭を下げる。

「じゃあ、またね孝弘君」
「うん、また」

 親に出てこられてはこれ以上の続行は不可能。今日のデートはこれまでである。



 翌朝、野球部の部室。

「なあ当真、キスってどうやったらできるんだ」
「知るか。独り身の俺に聞くな」

 ユニフォームに着替えながら当真に尋ねた孝弘だったが、心底ウザそうな声色で返答を拒否された。

「つーか岩田といいどうしてどいつもこいつも女絡みの相談を俺にしてくるんだ。俺は童貞だっつの!!!」


 そして始まった、新体制での練習第一回。準備体操の後、部員達は新キャプテン孝弘の指揮の下、各々でトレーニングを始めた。

「いやー、人数減ったらグラウンドが広く感じるぜ!」

 輝也とキャッチボールをする当真が、何とも嬉しそうに言う。

「特にあのパワハラ大好き元エース様がいなくなったのがいいな! お陰でのびのびと練習ができるぜ!」

 ケラケラ笑いながら当真はボールを投げるが、それを受けるはずの輝也は棒立ちしておりボールはその横を素通り。

「おい輝也、ちゃんと取れよ」

 当真が言うと、輝也は無言で当真の後ろを指さした。つい先程まで楽しそうな話し声の聞こえていたグラウンドは、しんと静まり返る。

「ようお前ら、喜べよ。練習を見に来てやったぜ」

 件の元エース、牧野弾が呼んでもないのにやってきて意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

「特に新エース、お前は俺が直々に指導してやる。感謝しろよ」

 当真の顔から、血の気が引いていく音がした。
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