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第二章
第57話 アイドルリベンジャー・3
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「次の曲は俺のお気に入りでね……せっかくなのでこの姿で挑むとしよう」
ルシファーの背から、漆黒の翼が姿を現す。リリムを始め一般的な淫魔はコウモリのような皮膜の翼を持つが、ルシファーのそれは鳥のような羽毛の翼である。明らかに他の淫魔とは異質な、神々しささえ感じさせるその姿。だがルシファーはそれだけでは飽き足らず、普段滅多に出さない尾をスラックスの上部からはみ出させるように出現させた。
(先生のシッポ、初めて見た……)
翼だけならば黒い羽をした天使と言い張れるが、そこに細長い尾が付けば一転して魔族らしさを感じさせる姿となった。ましてや青白い顔色とダウナーな表情も合わされば尚更である。
「では四曲目……スタート」
荘厳なメロディを奏でるこの曲は、自宅でもたまにかけているルシファーお気に入りのクラシック。彩夏は今度はちゃんと音楽を聴いてリズムをとりながら踊っている。そして対するルシファーは、翼と尾の動きも振り付けの一部であるかのような激しくも優雅なダンスを披露していた。
(先生のダンスかっこいい……でも……)
これはダンスの芸術点を競うゲームではない。どれほど自分が格好よく踊ろうとさした意味は持たない。それどころか動かす部位を増やせばそれだけ体力の消耗も早まり、自分の首を絞めているとさえ感じられる。
(どうしよう……お願い先生死なないで……)
このままお互いノーミスが続けば、先に力尽きるのは確実にルシファーだ。リリムは不安で心臓が潰れそうになった。
ルシファーの残存体力が厳しいことは、彩夏も感付いていた。たとえルシファーがミスしなくても、自分がこの先一度もミスしなければそれだけで勝てる。勝ち筋が見えたとあって、俄然やる気が増していた。
(行ける……勝てる! 小畑さんの仇を討てる!)
努力が報われる時が、目の前に迫っている。希望の光を垣間見たその瞬間だった。パネルを踏んだ左足に生じた違和感。筐体の画面が視界から下に向かってフェードアウトし、彩夏の目には天井が映った。
(え……?)
次の瞬間、ルシファーの尾が伸びて彩夏に巻き付き、その身を支えゆっくりとパネルに座らせるように下ろした。
『神崎彩夏、アウトー』
そして鳴り響くのは、彩夏がミスしたことを知らせるアナウンスである。
尻尾が彩夏の身から離れると、彩夏は慌てて先程踏んだパネルに視線を移した。そこには一枚の黒い羽根。これを踏んで足を滑らせての転倒であった。
血で足を滑らせて転んだルシファーによる意趣返し。それは見て明らかだった。
「ルシファー貴様、こんな卑劣な手を……」
「お前の催眠の香と一緒にしないで貰おうか。俺はただ、この方が格好いいから翼を出しただけ……踊っている最中に抜けた羽根が偶然そちらのパネルに落ちたのだろう……」
しらばっくれるルシファーに、彩夏は敵意を剥き出しにした獣のような表情を向ける。アイドルが絶対にしてはいけないほどの、恨みの籠った顔を。
「ならばさっき尾で私を拘束したのは何だ!」
「あのまま転べば怪我をする恐れがあったのでな」
神経を逆撫でするような卑劣な手段の後に、優しい気遣い。鞭で打たれた後に飴を貰うかのような落差で、彩夏はこれを一種の精神攻撃であるかのように感じた。
かなり強引な策ではあったが、どうにか成功し彩夏からミスを奪った。だがルシファーほどの男がこれほど稚拙なイカサマに出るということは、それほど追い詰められているということだ。息を切らし肩を上下させる姿に、リリムはますます不安を募らせる。
「さて神崎……このゲームのルールは……覚えているな……」
彩夏は何も言わず奥歯を噛み締めながら、両手を背中に回しブラのホックに手をかけた。
信司が唾を呑む。いよいよ憧れのアイドルが、その胸を露にするのだ。
(ほ、本当に見ちゃっていいんだろうか……彩夏ちゃんは水着グラビアすらやらないくらい、エッチな目で見られることを嫌がってる子なのに……ぼ、僕はファンとしてどうしたらいいんだ……)
ブラホックを掴んだもののそこで手が止まる彩夏を、ルシファーは見下ろす。
「脱ぎたくないか、神崎」
「当たり前じゃない。私は絶対貴方を許さない」
「ならば一つ提案があるのだが……お前がここでゲームを棄権するならば、そのブラを含めもうこれ以上脱がなくていいぞ。勿論消えた服も返してやる。ただしその場合ゲームは当然お前の負けとなり、お前は復讐の機会を失うことになるがな」
ルシファーから示された、衝撃の提案。彩夏の胸中はざわついた。
勿論信司やルシファーに裸を見られたくはない。だが少し考えれば、これがルシファーの命乞いであることは分かった。このままゲームが続けば自分の命が危ないから、自分の勝ちという形にしつつここでゲームを切り上げたい。それこそがルシファーの意図なのだ。
当然復讐者の立場としては、そんな提案に乗ってやる道理は無い。ゲームを続行すれば、憎き相手の息の根を確実に止められるのだ。だがアイドルとして、一人の女の子として、羞恥心と尊厳に訴えるこの提案は実に悩ましいものであったのだ。
「さてどうする……復讐をやめにするか? 或いは人気アイドルともあろう者が、ファンの男子が見ている前で上半身裸になり胸を揺らしながら恥辱のダンスを踊るか……選ぶ権利はお前にある」
更に彩夏の精神を擦り減らすような言葉を吐き、口撃に余念がない。
彩夏の額を汗が伝う。どちらを選んでも自分にはそれなりのデメリットがあり、決して軽い気持ちで決められるものではない。
そんな中でふと、彩夏の脳裏に第三の選択が浮かぶ。だが。
「選択を引き伸ばして時間だけが過ぎれば、その内に俺が力尽きる……とでも思い付いたか?」
その考えは見透かされていた。
「お前が決めない場合、俺にとってより都合の良い方に勝手に決めさせて貰うが……」
「ま、待って!」
それ即ち、彩夏がより苦しむ方が選ばれるということ。彩夏は慌てて止めた。
(とは言っても、一体どちらを選べば……)
と、その時だった。どこからともなくガチャンと音がした。彩夏とルシファーが音のする方を向くと、そこでは眼鏡を外した信司が怒涛の表情。そしてその信司の足の下には、なんと信司の眼鏡があったのである。
「彩夏ちゃん! 僕は眼鏡が無いと何も見えないんだ! だからもうこれで僕を気にする必要は無いよ! 思う存分復讐を果たすんだ!!」
自ら眼鏡を踏み壊した信司の魂の叫び。隣のリリムは、あまりの辛さにぎゅっと目をつぶる。
(お願いやめて矢島君……これ以上先生を苦しめないで……)
だがその一方でルシファーは全く動じる様子が無く、先程と変わらぬ表情で信司の様子を眺めていた。
「矢島はああ言っているが……どうする?」
それを踏まえての回答を彩夏に迫ると、険しかった彩夏の表情は何故だか悲しげに変わる。
「どうして……そこまでしてくれるの……私は貴方を騙していたのに……」
「そんなの当たり前じゃないか! 僕は彩夏ちゃんのファンだもの!!」
堂々と言い放つ信司。すると彩夏は沈黙して俯き、ブラのホックに掛けた手を下ろした。
「私はアイドルよ……あれほど私を好きでいてくれているファンの前で……脱ぐことなんてできるわけがないじゃない……」
「するとゲームは棄権するということで宜しいかな?」
彩夏は肩を震わせながら頷く。すると消滅した服が、彩夏の足元に出現した。
「ではこれにて、俺の勝利という形でゲームは終了。矢島には記憶処理を施した上で退出して貰おう」
信司は「えっ」と驚いた様子だったが、直後にすっとその場から消えた。
ルシファーは安心してどっと疲れが来たのか、片膝を立ててその場に腰を下ろす。同じくリリムも、最悪の結末を避けられたことに安堵してへなへなとその場に座り込んだ。
「これで彼はお前の本性も、お前の下着姿を見たことも完全に忘れた。ついでに魔法で眼鏡も直しておいてやったぞ」
「……そう」
現れた服を着ながら、彩夏は呟くように返事をした。ふと彩夏の視線は、床に落ちている聖剣に向けられた。途端、聖剣は青い炎に包まれて砕け散る。
「今なら俺を殺せる、等とは考えないことだ。俺はこの状態からでも余裕でお前を消し飛ばせるのだからな」
ルシファーは相当に衰弱していると高を括っていた彩夏は、まだこれだけの余力を残していたことに愕然としていた。
「お前はエクソシストとしてあまりにも弱い。いいか、お前が善戦できたのは相手が自分から刺されに行く酔狂かつ、普通に戦った方が強いにも関わらずゲームでの勝負に拘る莫迦だったからに過ぎない。もしも普通の淫魔が相手だったなら、お前はとうにやられていた」
ルシファーはそう言うと、絶句する彩夏の目を見た。
「ところで神崎、お前に質問がある。お前はお前のマネージャーが俺に恋人を寝取られたのを一年前だと言ったが、それは一年前のいつだ?」
「いつって……丁度一年前、七月のことよ。それがどうかしたの?」
「それはおかしい。去年の四月から年末にかけて、俺はずっと魔界にいた。淫魔学校の教師をやっていたんだ。その時期に人間界で人間を襲っていたはずがない」
「どういうこと!?」
まさかの事実を指摘され、彩夏は慌ててルシファーを問い詰めた。
「早い話が模倣犯という奴だ。俺ほど魔界で名が知れていれば、俺のやり方を真似する淫魔なんてのは腐るほど出てくる」
「じゃあ、私の復讐は人違いだったと……?」
「そうとも言い切れないさ。俺がいなければ俺の真似する奴もいない。お前が俺を復讐相手に選んだことは何も間違っちゃいない」
ルシファーはそう言うが、彩夏は俯いたままただ拳を震わせている。どうにも納得していない様子だった。
「そうと判ったならばどうだ神崎、俺に一つ提案がある。お前の復讐を俺に手伝わせる気はないか。復讐相手を俺が探し出し、殺してやろうじゃないか」
「そんなことをして貴方に何のメリットがあるっていうの!? 私は貴方を殺そうとしたのよ、それなのにどうしてそこまでしてくれるの!?」
驚きの提案を簡単には受け入れられず、彩夏は質問を返す。
「それでお前の気持ちが救われるのなら、それに越したことはない。お前も俺の生徒なのだからな」
真剣な眼差しで彩夏を見つめるルシファーの言葉に、嘘偽りは感じられない。彩夏の心は揺らいでいた。
「それに、かつての俺のように人間に危害を加える淫魔の討伐も、俺の贖罪活動の一環だからな。実際これまでにだって何人も殺してきた」
「だったら……そいつへのとどめは私に刺させて。それが貴方と手を組む条件」
「了解した」
ルシファーが掌を差し出すと、彩夏は一瞬躊躇うもののこちらも掌を差し出し固い握手を交わした。
「では神崎、お前は記憶を残したまま領域から退出させる。模倣犯討伐の計画についての話し合いはまた後程するとして、お前は通常通り臨海学校の続きを楽しむといい」
「……ええ、そうさせて貰うわ」
あえて穏やかな笑みをルシファーに向ける彩夏。それは言わば、アイドルとしての矜持であった。
彩夏が退出すると、ルシファーはすぐさま電池が切れたようにバタンと仰向けに倒れた。
「先生!」
駆け寄ったリリムは、すぐさま馬乗りになってルシファーのスラックスを脱がし始めた。
「先生のバカ! アホ! おたんこなす! こんな無茶して! 死んだらどうするの!」
「……俺は死なないさ。神崎が続行を選んでも、勝った上で生き残る手段は用意していた」
腰を振りながら泣きじゃくるリリムに、ルシファーは青白い顔で語る。
「だが……あそこで終わらせるのが最善だったんだ。神崎にとってもな……」
生徒達が心行くまで楽しんだ臨海学校も、いよいよ終わりの時が来ていた。
帰りのバスの前で各クラス毎に点呼を取るわけであるが、そのためにルシファーが旅館を出て駐車場に来ると突然生徒達が駆け寄ってきた。
「黒羽先生!」
「おや、どうされました?」
きょとんとして尋ねると、生徒達は皆心配した様子。
「先生が不審者に脇腹を刺されたと聞きました。それに先生がこの臨海学校の間ずっと不審者対策に奔走されていたことも……」
悠里の話を聞いて、ルシファーは目を丸くした。視線をリリムの方に向けると、リリムは軽くウィンク。
ルシファーが脇腹を刺されたことについて、どうやらリリムがカバーストーリーをでっち上げたようだ。確かにルシファーが不審者対策に奔走していたことは事実であり、そこから脇腹を刺されるに至るストーリーとしては自然な流れだ。だがルシファーとしては、どうも納得のいかないことがあった。
「先生、お怪我の方は……」
「傷は浅いので大丈夫ですよ。こうして普通に歩けるくらいですし」
「それはよかったです。本当に心配しましたから。お身体は大事になさって下さい」
「それはご心配おかけして、どうもすみません。私はこの通りピンピンしてますから、そう心配されなくても大丈夫ですよ」
「先生」
と、そこで孝弘が口を挟む。
「黒羽先生のお陰で、俺達は安心して臨海学校を楽しむことができました。そんな怪我を負ってまで皆の安全を守ってくれたこと、本当に感謝しています」
深々と頭を下げる孝弘。続いて、他の生徒達も。
「ありがとうございます!」
「あざっす先生!」
次々と頭を下げ、感謝の言葉を口にする生徒達。本来ならばそれは教師として喜ばしく、誇りになるものだろう。だがルシファーにとっては、これこそ一番恐れていたことだった。
この傷は過去の罪に起因する自業自得で負ったものであり、言わば因果応報の報いなのだ。それをさも名誉の勲章であるかのように思われるのは、あまりいい気がしなかったのだ。
だけどもいいことした風に鼻高々なリリムを見ると、それを否定することにも躊躇いが生じる。
戸惑っていたルシファーの表情が、少し和らいだ。
(やれやれ……納得したわけではないが、今はリリムの厚意に免じてこの称賛を素直に受け取っておくとしよう)
ルシファーの背から、漆黒の翼が姿を現す。リリムを始め一般的な淫魔はコウモリのような皮膜の翼を持つが、ルシファーのそれは鳥のような羽毛の翼である。明らかに他の淫魔とは異質な、神々しささえ感じさせるその姿。だがルシファーはそれだけでは飽き足らず、普段滅多に出さない尾をスラックスの上部からはみ出させるように出現させた。
(先生のシッポ、初めて見た……)
翼だけならば黒い羽をした天使と言い張れるが、そこに細長い尾が付けば一転して魔族らしさを感じさせる姿となった。ましてや青白い顔色とダウナーな表情も合わされば尚更である。
「では四曲目……スタート」
荘厳なメロディを奏でるこの曲は、自宅でもたまにかけているルシファーお気に入りのクラシック。彩夏は今度はちゃんと音楽を聴いてリズムをとりながら踊っている。そして対するルシファーは、翼と尾の動きも振り付けの一部であるかのような激しくも優雅なダンスを披露していた。
(先生のダンスかっこいい……でも……)
これはダンスの芸術点を競うゲームではない。どれほど自分が格好よく踊ろうとさした意味は持たない。それどころか動かす部位を増やせばそれだけ体力の消耗も早まり、自分の首を絞めているとさえ感じられる。
(どうしよう……お願い先生死なないで……)
このままお互いノーミスが続けば、先に力尽きるのは確実にルシファーだ。リリムは不安で心臓が潰れそうになった。
ルシファーの残存体力が厳しいことは、彩夏も感付いていた。たとえルシファーがミスしなくても、自分がこの先一度もミスしなければそれだけで勝てる。勝ち筋が見えたとあって、俄然やる気が増していた。
(行ける……勝てる! 小畑さんの仇を討てる!)
努力が報われる時が、目の前に迫っている。希望の光を垣間見たその瞬間だった。パネルを踏んだ左足に生じた違和感。筐体の画面が視界から下に向かってフェードアウトし、彩夏の目には天井が映った。
(え……?)
次の瞬間、ルシファーの尾が伸びて彩夏に巻き付き、その身を支えゆっくりとパネルに座らせるように下ろした。
『神崎彩夏、アウトー』
そして鳴り響くのは、彩夏がミスしたことを知らせるアナウンスである。
尻尾が彩夏の身から離れると、彩夏は慌てて先程踏んだパネルに視線を移した。そこには一枚の黒い羽根。これを踏んで足を滑らせての転倒であった。
血で足を滑らせて転んだルシファーによる意趣返し。それは見て明らかだった。
「ルシファー貴様、こんな卑劣な手を……」
「お前の催眠の香と一緒にしないで貰おうか。俺はただ、この方が格好いいから翼を出しただけ……踊っている最中に抜けた羽根が偶然そちらのパネルに落ちたのだろう……」
しらばっくれるルシファーに、彩夏は敵意を剥き出しにした獣のような表情を向ける。アイドルが絶対にしてはいけないほどの、恨みの籠った顔を。
「ならばさっき尾で私を拘束したのは何だ!」
「あのまま転べば怪我をする恐れがあったのでな」
神経を逆撫でするような卑劣な手段の後に、優しい気遣い。鞭で打たれた後に飴を貰うかのような落差で、彩夏はこれを一種の精神攻撃であるかのように感じた。
かなり強引な策ではあったが、どうにか成功し彩夏からミスを奪った。だがルシファーほどの男がこれほど稚拙なイカサマに出るということは、それほど追い詰められているということだ。息を切らし肩を上下させる姿に、リリムはますます不安を募らせる。
「さて神崎……このゲームのルールは……覚えているな……」
彩夏は何も言わず奥歯を噛み締めながら、両手を背中に回しブラのホックに手をかけた。
信司が唾を呑む。いよいよ憧れのアイドルが、その胸を露にするのだ。
(ほ、本当に見ちゃっていいんだろうか……彩夏ちゃんは水着グラビアすらやらないくらい、エッチな目で見られることを嫌がってる子なのに……ぼ、僕はファンとしてどうしたらいいんだ……)
ブラホックを掴んだもののそこで手が止まる彩夏を、ルシファーは見下ろす。
「脱ぎたくないか、神崎」
「当たり前じゃない。私は絶対貴方を許さない」
「ならば一つ提案があるのだが……お前がここでゲームを棄権するならば、そのブラを含めもうこれ以上脱がなくていいぞ。勿論消えた服も返してやる。ただしその場合ゲームは当然お前の負けとなり、お前は復讐の機会を失うことになるがな」
ルシファーから示された、衝撃の提案。彩夏の胸中はざわついた。
勿論信司やルシファーに裸を見られたくはない。だが少し考えれば、これがルシファーの命乞いであることは分かった。このままゲームが続けば自分の命が危ないから、自分の勝ちという形にしつつここでゲームを切り上げたい。それこそがルシファーの意図なのだ。
当然復讐者の立場としては、そんな提案に乗ってやる道理は無い。ゲームを続行すれば、憎き相手の息の根を確実に止められるのだ。だがアイドルとして、一人の女の子として、羞恥心と尊厳に訴えるこの提案は実に悩ましいものであったのだ。
「さてどうする……復讐をやめにするか? 或いは人気アイドルともあろう者が、ファンの男子が見ている前で上半身裸になり胸を揺らしながら恥辱のダンスを踊るか……選ぶ権利はお前にある」
更に彩夏の精神を擦り減らすような言葉を吐き、口撃に余念がない。
彩夏の額を汗が伝う。どちらを選んでも自分にはそれなりのデメリットがあり、決して軽い気持ちで決められるものではない。
そんな中でふと、彩夏の脳裏に第三の選択が浮かぶ。だが。
「選択を引き伸ばして時間だけが過ぎれば、その内に俺が力尽きる……とでも思い付いたか?」
その考えは見透かされていた。
「お前が決めない場合、俺にとってより都合の良い方に勝手に決めさせて貰うが……」
「ま、待って!」
それ即ち、彩夏がより苦しむ方が選ばれるということ。彩夏は慌てて止めた。
(とは言っても、一体どちらを選べば……)
と、その時だった。どこからともなくガチャンと音がした。彩夏とルシファーが音のする方を向くと、そこでは眼鏡を外した信司が怒涛の表情。そしてその信司の足の下には、なんと信司の眼鏡があったのである。
「彩夏ちゃん! 僕は眼鏡が無いと何も見えないんだ! だからもうこれで僕を気にする必要は無いよ! 思う存分復讐を果たすんだ!!」
自ら眼鏡を踏み壊した信司の魂の叫び。隣のリリムは、あまりの辛さにぎゅっと目をつぶる。
(お願いやめて矢島君……これ以上先生を苦しめないで……)
だがその一方でルシファーは全く動じる様子が無く、先程と変わらぬ表情で信司の様子を眺めていた。
「矢島はああ言っているが……どうする?」
それを踏まえての回答を彩夏に迫ると、険しかった彩夏の表情は何故だか悲しげに変わる。
「どうして……そこまでしてくれるの……私は貴方を騙していたのに……」
「そんなの当たり前じゃないか! 僕は彩夏ちゃんのファンだもの!!」
堂々と言い放つ信司。すると彩夏は沈黙して俯き、ブラのホックに掛けた手を下ろした。
「私はアイドルよ……あれほど私を好きでいてくれているファンの前で……脱ぐことなんてできるわけがないじゃない……」
「するとゲームは棄権するということで宜しいかな?」
彩夏は肩を震わせながら頷く。すると消滅した服が、彩夏の足元に出現した。
「ではこれにて、俺の勝利という形でゲームは終了。矢島には記憶処理を施した上で退出して貰おう」
信司は「えっ」と驚いた様子だったが、直後にすっとその場から消えた。
ルシファーは安心してどっと疲れが来たのか、片膝を立ててその場に腰を下ろす。同じくリリムも、最悪の結末を避けられたことに安堵してへなへなとその場に座り込んだ。
「これで彼はお前の本性も、お前の下着姿を見たことも完全に忘れた。ついでに魔法で眼鏡も直しておいてやったぞ」
「……そう」
現れた服を着ながら、彩夏は呟くように返事をした。ふと彩夏の視線は、床に落ちている聖剣に向けられた。途端、聖剣は青い炎に包まれて砕け散る。
「今なら俺を殺せる、等とは考えないことだ。俺はこの状態からでも余裕でお前を消し飛ばせるのだからな」
ルシファーは相当に衰弱していると高を括っていた彩夏は、まだこれだけの余力を残していたことに愕然としていた。
「お前はエクソシストとしてあまりにも弱い。いいか、お前が善戦できたのは相手が自分から刺されに行く酔狂かつ、普通に戦った方が強いにも関わらずゲームでの勝負に拘る莫迦だったからに過ぎない。もしも普通の淫魔が相手だったなら、お前はとうにやられていた」
ルシファーはそう言うと、絶句する彩夏の目を見た。
「ところで神崎、お前に質問がある。お前はお前のマネージャーが俺に恋人を寝取られたのを一年前だと言ったが、それは一年前のいつだ?」
「いつって……丁度一年前、七月のことよ。それがどうかしたの?」
「それはおかしい。去年の四月から年末にかけて、俺はずっと魔界にいた。淫魔学校の教師をやっていたんだ。その時期に人間界で人間を襲っていたはずがない」
「どういうこと!?」
まさかの事実を指摘され、彩夏は慌ててルシファーを問い詰めた。
「早い話が模倣犯という奴だ。俺ほど魔界で名が知れていれば、俺のやり方を真似する淫魔なんてのは腐るほど出てくる」
「じゃあ、私の復讐は人違いだったと……?」
「そうとも言い切れないさ。俺がいなければ俺の真似する奴もいない。お前が俺を復讐相手に選んだことは何も間違っちゃいない」
ルシファーはそう言うが、彩夏は俯いたままただ拳を震わせている。どうにも納得していない様子だった。
「そうと判ったならばどうだ神崎、俺に一つ提案がある。お前の復讐を俺に手伝わせる気はないか。復讐相手を俺が探し出し、殺してやろうじゃないか」
「そんなことをして貴方に何のメリットがあるっていうの!? 私は貴方を殺そうとしたのよ、それなのにどうしてそこまでしてくれるの!?」
驚きの提案を簡単には受け入れられず、彩夏は質問を返す。
「それでお前の気持ちが救われるのなら、それに越したことはない。お前も俺の生徒なのだからな」
真剣な眼差しで彩夏を見つめるルシファーの言葉に、嘘偽りは感じられない。彩夏の心は揺らいでいた。
「それに、かつての俺のように人間に危害を加える淫魔の討伐も、俺の贖罪活動の一環だからな。実際これまでにだって何人も殺してきた」
「だったら……そいつへのとどめは私に刺させて。それが貴方と手を組む条件」
「了解した」
ルシファーが掌を差し出すと、彩夏は一瞬躊躇うもののこちらも掌を差し出し固い握手を交わした。
「では神崎、お前は記憶を残したまま領域から退出させる。模倣犯討伐の計画についての話し合いはまた後程するとして、お前は通常通り臨海学校の続きを楽しむといい」
「……ええ、そうさせて貰うわ」
あえて穏やかな笑みをルシファーに向ける彩夏。それは言わば、アイドルとしての矜持であった。
彩夏が退出すると、ルシファーはすぐさま電池が切れたようにバタンと仰向けに倒れた。
「先生!」
駆け寄ったリリムは、すぐさま馬乗りになってルシファーのスラックスを脱がし始めた。
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「……俺は死なないさ。神崎が続行を選んでも、勝った上で生き残る手段は用意していた」
腰を振りながら泣きじゃくるリリムに、ルシファーは青白い顔で語る。
「だが……あそこで終わらせるのが最善だったんだ。神崎にとってもな……」
生徒達が心行くまで楽しんだ臨海学校も、いよいよ終わりの時が来ていた。
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「黒羽先生!」
「おや、どうされました?」
きょとんとして尋ねると、生徒達は皆心配した様子。
「先生が不審者に脇腹を刺されたと聞きました。それに先生がこの臨海学校の間ずっと不審者対策に奔走されていたことも……」
悠里の話を聞いて、ルシファーは目を丸くした。視線をリリムの方に向けると、リリムは軽くウィンク。
ルシファーが脇腹を刺されたことについて、どうやらリリムがカバーストーリーをでっち上げたようだ。確かにルシファーが不審者対策に奔走していたことは事実であり、そこから脇腹を刺されるに至るストーリーとしては自然な流れだ。だがルシファーとしては、どうも納得のいかないことがあった。
「先生、お怪我の方は……」
「傷は浅いので大丈夫ですよ。こうして普通に歩けるくらいですし」
「それはよかったです。本当に心配しましたから。お身体は大事になさって下さい」
「それはご心配おかけして、どうもすみません。私はこの通りピンピンしてますから、そう心配されなくても大丈夫ですよ」
「先生」
と、そこで孝弘が口を挟む。
「黒羽先生のお陰で、俺達は安心して臨海学校を楽しむことができました。そんな怪我を負ってまで皆の安全を守ってくれたこと、本当に感謝しています」
深々と頭を下げる孝弘。続いて、他の生徒達も。
「ありがとうございます!」
「あざっす先生!」
次々と頭を下げ、感謝の言葉を口にする生徒達。本来ならばそれは教師として喜ばしく、誇りになるものだろう。だがルシファーにとっては、これこそ一番恐れていたことだった。
この傷は過去の罪に起因する自業自得で負ったものであり、言わば因果応報の報いなのだ。それをさも名誉の勲章であるかのように思われるのは、あまりいい気がしなかったのだ。
だけどもいいことした風に鼻高々なリリムを見ると、それを否定することにも躊躇いが生じる。
戸惑っていたルシファーの表情が、少し和らいだ。
(やれやれ……納得したわけではないが、今はリリムの厚意に免じてこの称賛を素直に受け取っておくとしよう)
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