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第二章
第50話 島本悠里の初恋
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島本悠里という少女は、幼い頃から礼儀正しく生真面目な子であった。勉強と整理整頓が得意で、身だしなみに厳しく何事もきちっとしている。内気な性格故にあまり人前で目立つのを好まなかったが、さりげないことで人の役に立つのが好きだった。
しかし口下手で真面目すぎる彼女は同い年の子供達からは堅苦しくて取っつきにくい存在として見られており、友達に恵まれず一人で遊んでいることも多かった。
とりわけ男子からは専ら厄介者扱いされており、付けられたあだ名はクソ真面目堅物女である。
転機が訪れたのは、小学三年生から四年生に進級する時だった。親の仕事の都合で遠く離れた地に引っ越すことになったのである。
新しい学校では内気で堅物な自分を変えたいと一大決心をした悠里は、春休みを利用してイメチェンを図った。
コミュニケーション能力を学び友達の作り方や堅苦しい印象を与えない話し方を研究し、ファッションを学び人から好意的に見られる容姿になるよう努めた。生まれて初めてお洒落のためにお小遣いを使った水色のカチューシャは、今でも大切な宝物である。
元から素材の良かった悠里は愛想とお洒落を覚えた結果、誰もが認める清楚な美少女へと変貌。転校先では一躍クラスの人気者になった。凛華と佐奈にもその学校で出会い、かけがえのない親友となった。
こちらの学校でも品行方正な性分は変わらなかったが、麗しい容姿と柔らかな物腰のお陰でそういったことも好意的に見られた。五年生からは学級委員長を任されるようになり、教師からも同級生からも頼られるようになった。
中学に上がる頃には内気な性格が鳴りを潜め自分に自信を持てるようになった悠里は、ますます美しくなっていった。
最初はある種の処世術として始めたお洒落であるが、いつしか清楚ファッションが専ら自身の趣味となり、凛華と佐奈と一緒に可愛い服を見たり買いに行ったりするのが休日の楽しみとなった。
そしてそれだけ優れたルックスを持っていれば、当然周りの男子が放っておかないわけである。当然交際の申し入れも頻繁にされていたが、それは全てきっぱりと断っていた。
悠里は恋愛に興味が無いわけではなく、少女漫画や恋愛ドラマを見るのは好きで素敵な恋に憧れもあった。だけども恋愛に対する考え方には生真面目な性分が強く反映されており、軽い気持ちで付き合ったりすることには抵抗感があったのである。
お付き合いをするならば自分が本気で好きになった人と、結婚して添い遂げるまで視野に入れた真剣な交際を。中学生の時点でこういう恋愛観を持つのは重いという自覚はあったが、自分の両親が初恋同士で付き合って結婚まで行った話を聞かされていただけに、自分もそういう恋愛をするのだという気持ちは強かった。
だけどもそれが恋をすること自体へのハードルを上げてしまっており、いつか素敵な人と出会える日が来るという理想を抱きながらとうとう初恋もしないまま中学卒業に至った。
高校は担任からもっと偏差値の高い所を勧められたが、凛華と佐奈と一緒がいいからと地元の綿環高校に進学。その選択が、運命の出会いへの導きであった。
佐藤孝弘という男子への第一印象は、いかにもスポーツマンという風であった。すらっと背が高くてなかなかに整った顔をした、爽やかな雰囲気を感じさせる男子。クラスの中で見た目の格好いい男子という話題では、とりあえず名前が挙がるタイプ。
彼と共に学級委員となり一緒に仕事をする最初の日。学級委員をやるのは初めてだという孝弘に教えつつ、自分の作業を丁寧かつ迅速に進める悠里。それが終わって空いた時間で教室の掃除を始めたところ、孝弘からこんな一言が。
「そういえば島本さん、毎日違うカチューシャ付けてきてるよね」
男子からそういう話を振られたことが珍しかったので、悠里はきょとんとしてしまった。
大好きなカチューシャにはとても拘りがあり、実際孝弘の言う通り、学校には毎日違うものを付けてきている。だけどもそこを見てくれる人や気付いてくれる人は案外と少なかったりで、そこに触れてもらえるだけでも結構嬉しかったりするのだ。
それでいて「凄く似合ってる」とまで言われて、自分の好きなものを他人に認めてもらえたことがたまらなかった。
「ねえ、永井さんって、佐藤君と中学一緒だったんだよね?」
学級委員長になってから一ヶ月ほど経つ頃、悠里は同級生の永井百合音にそんなことを尋ねた。すると百合音は「おおっ」と声を出し目を輝かせるのである。
「小学校から一緒だよー。え、何? 気になるの?」
「そ、そういうつもりじゃないんだけど、一緒に学級委員をやっていく上で人となりを知っておきたいなって……」
「へぇー……」
悠里が誤解を解こうとしても、ニヤニヤするのをやめない百合音。
「佐藤君結構モテてたよ。たまに告白もされてたりしたし。でも彼女作る気は無かったみたい。恋愛には興味無いとか言ってて」
「そういう話を聞きたいわけじゃなくって」
「ああ、中学の頃の佐藤君はねー、今とは随分キャラ違ってたよ。素っ気ないというか硬派ぶってるというか。少なくともあんなマジメ学級委員キャラではなかったね。だから高校であんだけキャラ変したのはびっくりしたよ。まあそのキャラがいつまで続くかはわかんないけど」
「そうなんだ……」
意外な事実を明かされて、悠里は驚いた。だが確かに、入学してまもない頃の眼鏡をしていなかった孝弘には何となくそんな印象はあった。
「でもそんな佐藤君があそこまでキャラ変したわけだから、何かきっかけがあったのかもねー」
にやつきながら悠里の顔をじっと見つめてくる百合音に、悠里はたじろいだ。
(きっかけって……)
中学の頃にも、悠里とお近づきになりたくて学級委員に立候補した男子がいた。だから百合音の言わんとしていることの意図は解る。だけど孝弘にはそんな不純な動機で立候補していて欲しくないと、悠里は感じていたのである。
(恋愛に興味が無いらしいし……そういう目的で学級委員になったわけではないよね……)
百合音の話を聞いてから、悠里は孝弘に対する見方が少し変化した。元は真面目な人柄ではなかったと知ったからといって、特に失望したわけではない。むしろ以前はそうではなかったのに今は学級委員らしくしようと何事にも真摯に取り組む姿は好感が持てたし、これまでとは違う自分に変わろうと努力する姿は、内気な自分から変わろうと努力していた悠里自身と重なって見えた。
友達と野球の話をしている時などにこちらが素の性格なのだと思わせるような表情を見せるのが、百合音の話が真実であると確信させた。
春から夏へと季節は移り、すっかり衣替えも終わる頃。悠里にとって孝弘は、既に信頼の置ける相手となっていた。
小中学で一緒に学級委員を務めた男子の中には、悠里の前ではいい恰好する癖して悠里や教師の見ていない所では平気でサボったり遊んだりしている人もいた。だが孝弘は誰も見ていなくても黙々と作業を続け、悠里を安心させてくれた。
覚えが早くて要領が良く、何より仕事が丁寧。それでいて高い所の物を取ってくれたり力仕事を積極的に引き受けてくれたり、悠里に欠けているものを的確に補ってくれる。まさに理想的なパートナーと言える関係だ。とても頼りになるし、彼の方からも自分を頼ってくれる。そういう所を悠里はとても嬉しく思う。
(佐藤君、いい人だな……)
一緒にいると心地良い。もっと仲良くなりたい。孝弘に対して、他の男子に対するものとは違う感情を抱いていたことは自覚していた。だがそれはあくまで、仕事上のパートナーとしての信頼であると認識していた。
だけどもある日の、部活が終わって帰宅する頃。悠里は目撃してしまったのだ。
「佐藤君、私と付き合って!」
下駄箱から靴を取り出した所で、外から聞こえてきた女子の声。一瞬胸中がざわつく感覚を覚えた悠里は、慌てて靴を履き校舎を出た。
それは玄関のすぐ横で行われていた。同じクラスの女子テニス部員が、孝弘に愛の告白をしている。
思わず隠れてしまった悠里は、盗み聞きは良くないと解りつつも息を殺して聞き耳を立てる。何やら胸にチクチク刺さる感覚が、悠里にその行動に誘った。
「ごめん。君とは付き合えない」
きっぱりと断る孝弘の声は、勿論悠里にも聞こえていた。一瞬ほっとする気持ちを悠里は覚えた。だけどその直後、以前百合音から聞いた話が、悠里の脳裏に再生された。
孝弘はモテていたが、恋愛に興味が無いから彼女は作らない。だから当然今の告白にもお断りを返した。そう考えると、何故だかまた胸がチクッとした。
(……そっか、私、佐藤君のこと……)
今まで知らなかったその気持ち。いつか素敵な人と出会う日が来ることを夢見ていたけれど、いざその瞬間を自覚したら顔が真っ赤になってしゃがみ込み、頭がパンクしそうになってその場から動けなくなった。
一度恋したことを自覚してしまうと、もうすっかり思考回路が恋する乙女に染まった。
挨拶を交わしたり、ほんの少しの会話でも幸せな気持ちになる。得意の体育で活躍する格好良い姿を見ると、胸がときめく。二人きりで過ごす学級委員の仕事が、至福の時間に感じる。部活動の時間、被服室の窓からグラウンドを見て野球部の練習に励む孝弘が目に入ると、作品作りの手が止まりつい彼を目で追ってしまう。だけどそんな気持ちを、彼に知られたくはない。なぜなら彼は、恋愛になんか興味が無いのだから。
幸せな気持ちと苦しい気持ちが同時に来るような、不思議な感覚。想いを伝えたりなんてできない。今の関係が壊れるのが怖い。
自信があってお洒落で社交的な自分になったつもりだったのに、好きな人と接していると封印していたはずの内気な自分が顔を出す。
孝弘に気持ちを悟られないよう平静を装いながら、甘酸っぱくも幸せな今の関係を維持することだけを考えるようになった。
何も進展が無いまま季節が過ぎ、やって来るのは恋する乙女の一大イベントたるバレンタインデー。
お菓子作りも好きな悠里は毎年家族と親友に手作りのチョコを贈っていたが、これまで父親以外の男性に贈ったことはなかった。
この秋に凛華は同級生の川澄龍之介から告白されて付き合うようになり、バレンタインには相当気合を入れたチョコを作ってプレゼントするのだと悠里と佐奈に宣言していた。
特に好きな男子のいない佐奈は例年通り悠里と凛華に作ってくるとのことだが、悠里にとって今年のバレンタインは去年までと違って悩ましいことこの上ないことになる。
孝弘にチョコを作ってくるべきか否か。それを渡すことが愛の告白に相応するならば、きっと自分はその場で失恋し、あと一ヶ月ちょっととはいえ今後の学級委員としての活動にも支障が出かねない。
だけど彼氏のために特別なチョコを作ろうと気合を入れる凛華の姿はとても輝いて見えて、自分もああなりたいと思えた。
そして熟考の末に孝弘にチョコを贈る決意を固めるも、若干日和ってしまい家族や親友に贈るのと全く同じものを作った。
そうして訪れたバレンタインデー当日。凛華は登校してすぐ龍之介にチョコを渡し、休み時間には親友三人でのチョコ交換も済ませた。
悠里が孝弘にチョコを渡すタイミングは、いつものように放課後部活に行く前二人きりになった時と決めていた。
孝弘はモテるためこの機会にとチョコと一緒に告白しにくる女子は少なくなく、その度に悠里は胸が苦しくなった。
そして、いざ放課後。
「……佐藤君、チョコ沢山貰ってたよね」
あくまでも世間話風に、自然とチョコを渡せる空気作りのためチョコの話題を出したつもりだった。だけどそう言った後、嫉妬の籠ったことを言ってしまったのではと自己嫌悪した。
孝弘は高身長な上に爽やかで優しげな顔立ちとあって、女子から人気があるのも納得のルックス。柊一輝ら学年トップレベルのイケメンには一歩劣るものの、十分モテ男子と言える立場だ。悠里にとってのライバルは決して少なくない。
「あー、それは全部断った。好きでもない相手から本命渡されても正直困るし……」
対して孝弘は、そう断言。悠里にとって嬉しい言葉である反面、自分もそうして断られることを示唆する発言とも感じられた。
一度鞄から出そうとしたチョコを引っ込めてしまい、もう渡すのはやめにしようとさえ思った。
「島本さん? 今の……」
だが孝弘は、その存在に気付いていた。こうなってはもう、覚悟を決めるしかない。心臓は怒涛のように脈打ち、焦りと緊張で頭が真っ白になりかけた。
「いっ、いつもお世話になってるお礼にと佐藤君にも作ってきたんだけどっ……迷惑だったかな……?」
逃げ出したい気持ちでいっぱいになりながらも恐る恐るチョコを取り出して見せ、事前に考えておいた「孝弘にチョコを贈る理由」を口に出す。
あくまでこれはそういう理由で贈るものであって、本命チョコじゃない。だから振らないで。そう切実に願う悠里の手は震えていた。
「迷惑なんかじゃないよ。島本さんのだったら喜んで受け取るから。ありがとう」
だけど孝弘は、そう言ってチョコを受け取ってくれた。瞬間、悠里の心の中で天使が踊りだした。
他の女子からのチョコは受け取らなかったのに、自分からは受け取ってくれた。もしかして彼は自分に特別な感情を抱いているのではないか――そう考えた矢先に思い起こされるのは自分自身の発言だ。彼もまた、いつも世話になっている相手からの贈り物だから受け取ってくれただけではないのか。仮に特別な感情を持っていたとしても、それは自分が孝弘に対して抱く気持ちとは違うのではないか。一度浮かれた気持ちは、一転して考えれば考えるほど沈んでいった。
それから一ヶ月が経った。相変わらず孝弘との進展はこれといって無いまま迎えたホワイトデー。
龍之介からお返しのキャンディを貰ってご満悦の凛華を祝福しつつ、悠里は期待不安に胸を高鳴らせていた。
何かがあるとすればいつものように放課後。それまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。
そして待ちに待った、二人きりの時間。いつも通り学級委員の職務を片付ける悠里であったが、その間もいつになく落ち着かない。
「島本さん」
終わり際、そわそわしていたところで急に声をかけられた悠里はびくりと体を震わせた。
「バレンタインの時はありがとう。それでそのお返しなんだけど……」
孝弘が鞄から取り出したのは、色とりどりのキャンディが瓶詰めにされたもの。
「ホワイトデーに贈り物なんてしたことなかったから勝手がわからなくて、とりあえず店員さんにお勧めされたものを買ったんだけど、これでよかったかな?」
「ありがとう佐藤君。すっごく嬉しいよ」
今にも昇天しそうな気持ちになりながら、挙動不審にならないよう精神を強く保ちつつ両手で包み込むようにして瓶を受け取る。
ホワイトデーにキャンディを贈る意味は、あなたを愛している。だけど孝弘がそれを知った上でこれを贈ったのかはわからない。
(どうしよう、今ここで想いを伝えるべきなのかな……?)
もしもこれが本当に孝弘からの愛の告白であるならば、それは両想いを意味している。悠里にとっての悲願が叶う瞬間となるが、確実とは言い切れない状況に尻込みしてしまう。
「じゃあ、俺は部活行くね。また明日、島本さん」
「まっ、待って佐藤君!」
何故だか逃げるように教室を出て行こうとする孝弘を、悠里は慌てて呼び止めた。この機会を逃したら、いよいよ言えない気がしていた。だけども孝弘が振り返った途端に上がってしまい、伝えたい言葉が出なくなる。
「えっと、その……二年生でも、同じクラスになれるといいね」
結局また日和ってしまい、当たり障りのないことを言ってしまう。微笑んで相槌を打つ孝弘に、悠里は微笑み返して手を振ることしかできなかった。
そして程なくして、進級の時はやってくるのである。
「また同じクラスだよ悠里!」
クラス表を見た凛華と佐奈が喜びの声を上げ、悠里に報告。
「川澄君も一緒なんだよねー凛華」
「えへへ……嬉しいなぁ……」
幸せそうにしている凛華にほっこりしつつ、悠里は悠里で気になることを確認。
(あ、佐藤君も同じクラス)
それを見つけた途端に思わず笑顔になる悠里。隣で佐奈が、ニヤニヤ笑っていた。
「悠里もよかったねー。佐藤君と一緒で」
「うん、本当によかった……」
からかわれても、照れより先に安心が来る。違うクラスになってしまったらどうしようと長らく抱えていた不安が、ようやく解消されたのである。
(今年こそは……佐藤君に想いを伝えられたら……)
思うだけなら簡単だ。だけどそれを実行できる勇気は、いつまで経っても出そうになかった。
悠里の新しいクラスである二年B組の担任を務めるのは、今年度から赴任してきた先生である。
教室に入ってきたその教師は、何だか冴えない風貌をしたぐるぐる眼鏡の中年男性。
「えー、皆さんおはようございます。今日より皆さんの担任となります、黒羽崇です」
よもやその男が、いつまで経っても告白できない二人の気持ちを結ぶキューピッドである等と、悠里と孝弘には知る由もなかった。
しかし口下手で真面目すぎる彼女は同い年の子供達からは堅苦しくて取っつきにくい存在として見られており、友達に恵まれず一人で遊んでいることも多かった。
とりわけ男子からは専ら厄介者扱いされており、付けられたあだ名はクソ真面目堅物女である。
転機が訪れたのは、小学三年生から四年生に進級する時だった。親の仕事の都合で遠く離れた地に引っ越すことになったのである。
新しい学校では内気で堅物な自分を変えたいと一大決心をした悠里は、春休みを利用してイメチェンを図った。
コミュニケーション能力を学び友達の作り方や堅苦しい印象を与えない話し方を研究し、ファッションを学び人から好意的に見られる容姿になるよう努めた。生まれて初めてお洒落のためにお小遣いを使った水色のカチューシャは、今でも大切な宝物である。
元から素材の良かった悠里は愛想とお洒落を覚えた結果、誰もが認める清楚な美少女へと変貌。転校先では一躍クラスの人気者になった。凛華と佐奈にもその学校で出会い、かけがえのない親友となった。
こちらの学校でも品行方正な性分は変わらなかったが、麗しい容姿と柔らかな物腰のお陰でそういったことも好意的に見られた。五年生からは学級委員長を任されるようになり、教師からも同級生からも頼られるようになった。
中学に上がる頃には内気な性格が鳴りを潜め自分に自信を持てるようになった悠里は、ますます美しくなっていった。
最初はある種の処世術として始めたお洒落であるが、いつしか清楚ファッションが専ら自身の趣味となり、凛華と佐奈と一緒に可愛い服を見たり買いに行ったりするのが休日の楽しみとなった。
そしてそれだけ優れたルックスを持っていれば、当然周りの男子が放っておかないわけである。当然交際の申し入れも頻繁にされていたが、それは全てきっぱりと断っていた。
悠里は恋愛に興味が無いわけではなく、少女漫画や恋愛ドラマを見るのは好きで素敵な恋に憧れもあった。だけども恋愛に対する考え方には生真面目な性分が強く反映されており、軽い気持ちで付き合ったりすることには抵抗感があったのである。
お付き合いをするならば自分が本気で好きになった人と、結婚して添い遂げるまで視野に入れた真剣な交際を。中学生の時点でこういう恋愛観を持つのは重いという自覚はあったが、自分の両親が初恋同士で付き合って結婚まで行った話を聞かされていただけに、自分もそういう恋愛をするのだという気持ちは強かった。
だけどもそれが恋をすること自体へのハードルを上げてしまっており、いつか素敵な人と出会える日が来るという理想を抱きながらとうとう初恋もしないまま中学卒業に至った。
高校は担任からもっと偏差値の高い所を勧められたが、凛華と佐奈と一緒がいいからと地元の綿環高校に進学。その選択が、運命の出会いへの導きであった。
佐藤孝弘という男子への第一印象は、いかにもスポーツマンという風であった。すらっと背が高くてなかなかに整った顔をした、爽やかな雰囲気を感じさせる男子。クラスの中で見た目の格好いい男子という話題では、とりあえず名前が挙がるタイプ。
彼と共に学級委員となり一緒に仕事をする最初の日。学級委員をやるのは初めてだという孝弘に教えつつ、自分の作業を丁寧かつ迅速に進める悠里。それが終わって空いた時間で教室の掃除を始めたところ、孝弘からこんな一言が。
「そういえば島本さん、毎日違うカチューシャ付けてきてるよね」
男子からそういう話を振られたことが珍しかったので、悠里はきょとんとしてしまった。
大好きなカチューシャにはとても拘りがあり、実際孝弘の言う通り、学校には毎日違うものを付けてきている。だけどもそこを見てくれる人や気付いてくれる人は案外と少なかったりで、そこに触れてもらえるだけでも結構嬉しかったりするのだ。
それでいて「凄く似合ってる」とまで言われて、自分の好きなものを他人に認めてもらえたことがたまらなかった。
「ねえ、永井さんって、佐藤君と中学一緒だったんだよね?」
学級委員長になってから一ヶ月ほど経つ頃、悠里は同級生の永井百合音にそんなことを尋ねた。すると百合音は「おおっ」と声を出し目を輝かせるのである。
「小学校から一緒だよー。え、何? 気になるの?」
「そ、そういうつもりじゃないんだけど、一緒に学級委員をやっていく上で人となりを知っておきたいなって……」
「へぇー……」
悠里が誤解を解こうとしても、ニヤニヤするのをやめない百合音。
「佐藤君結構モテてたよ。たまに告白もされてたりしたし。でも彼女作る気は無かったみたい。恋愛には興味無いとか言ってて」
「そういう話を聞きたいわけじゃなくって」
「ああ、中学の頃の佐藤君はねー、今とは随分キャラ違ってたよ。素っ気ないというか硬派ぶってるというか。少なくともあんなマジメ学級委員キャラではなかったね。だから高校であんだけキャラ変したのはびっくりしたよ。まあそのキャラがいつまで続くかはわかんないけど」
「そうなんだ……」
意外な事実を明かされて、悠里は驚いた。だが確かに、入学してまもない頃の眼鏡をしていなかった孝弘には何となくそんな印象はあった。
「でもそんな佐藤君があそこまでキャラ変したわけだから、何かきっかけがあったのかもねー」
にやつきながら悠里の顔をじっと見つめてくる百合音に、悠里はたじろいだ。
(きっかけって……)
中学の頃にも、悠里とお近づきになりたくて学級委員に立候補した男子がいた。だから百合音の言わんとしていることの意図は解る。だけど孝弘にはそんな不純な動機で立候補していて欲しくないと、悠里は感じていたのである。
(恋愛に興味が無いらしいし……そういう目的で学級委員になったわけではないよね……)
百合音の話を聞いてから、悠里は孝弘に対する見方が少し変化した。元は真面目な人柄ではなかったと知ったからといって、特に失望したわけではない。むしろ以前はそうではなかったのに今は学級委員らしくしようと何事にも真摯に取り組む姿は好感が持てたし、これまでとは違う自分に変わろうと努力する姿は、内気な自分から変わろうと努力していた悠里自身と重なって見えた。
友達と野球の話をしている時などにこちらが素の性格なのだと思わせるような表情を見せるのが、百合音の話が真実であると確信させた。
春から夏へと季節は移り、すっかり衣替えも終わる頃。悠里にとって孝弘は、既に信頼の置ける相手となっていた。
小中学で一緒に学級委員を務めた男子の中には、悠里の前ではいい恰好する癖して悠里や教師の見ていない所では平気でサボったり遊んだりしている人もいた。だが孝弘は誰も見ていなくても黙々と作業を続け、悠里を安心させてくれた。
覚えが早くて要領が良く、何より仕事が丁寧。それでいて高い所の物を取ってくれたり力仕事を積極的に引き受けてくれたり、悠里に欠けているものを的確に補ってくれる。まさに理想的なパートナーと言える関係だ。とても頼りになるし、彼の方からも自分を頼ってくれる。そういう所を悠里はとても嬉しく思う。
(佐藤君、いい人だな……)
一緒にいると心地良い。もっと仲良くなりたい。孝弘に対して、他の男子に対するものとは違う感情を抱いていたことは自覚していた。だがそれはあくまで、仕事上のパートナーとしての信頼であると認識していた。
だけどもある日の、部活が終わって帰宅する頃。悠里は目撃してしまったのだ。
「佐藤君、私と付き合って!」
下駄箱から靴を取り出した所で、外から聞こえてきた女子の声。一瞬胸中がざわつく感覚を覚えた悠里は、慌てて靴を履き校舎を出た。
それは玄関のすぐ横で行われていた。同じクラスの女子テニス部員が、孝弘に愛の告白をしている。
思わず隠れてしまった悠里は、盗み聞きは良くないと解りつつも息を殺して聞き耳を立てる。何やら胸にチクチク刺さる感覚が、悠里にその行動に誘った。
「ごめん。君とは付き合えない」
きっぱりと断る孝弘の声は、勿論悠里にも聞こえていた。一瞬ほっとする気持ちを悠里は覚えた。だけどその直後、以前百合音から聞いた話が、悠里の脳裏に再生された。
孝弘はモテていたが、恋愛に興味が無いから彼女は作らない。だから当然今の告白にもお断りを返した。そう考えると、何故だかまた胸がチクッとした。
(……そっか、私、佐藤君のこと……)
今まで知らなかったその気持ち。いつか素敵な人と出会う日が来ることを夢見ていたけれど、いざその瞬間を自覚したら顔が真っ赤になってしゃがみ込み、頭がパンクしそうになってその場から動けなくなった。
一度恋したことを自覚してしまうと、もうすっかり思考回路が恋する乙女に染まった。
挨拶を交わしたり、ほんの少しの会話でも幸せな気持ちになる。得意の体育で活躍する格好良い姿を見ると、胸がときめく。二人きりで過ごす学級委員の仕事が、至福の時間に感じる。部活動の時間、被服室の窓からグラウンドを見て野球部の練習に励む孝弘が目に入ると、作品作りの手が止まりつい彼を目で追ってしまう。だけどそんな気持ちを、彼に知られたくはない。なぜなら彼は、恋愛になんか興味が無いのだから。
幸せな気持ちと苦しい気持ちが同時に来るような、不思議な感覚。想いを伝えたりなんてできない。今の関係が壊れるのが怖い。
自信があってお洒落で社交的な自分になったつもりだったのに、好きな人と接していると封印していたはずの内気な自分が顔を出す。
孝弘に気持ちを悟られないよう平静を装いながら、甘酸っぱくも幸せな今の関係を維持することだけを考えるようになった。
何も進展が無いまま季節が過ぎ、やって来るのは恋する乙女の一大イベントたるバレンタインデー。
お菓子作りも好きな悠里は毎年家族と親友に手作りのチョコを贈っていたが、これまで父親以外の男性に贈ったことはなかった。
この秋に凛華は同級生の川澄龍之介から告白されて付き合うようになり、バレンタインには相当気合を入れたチョコを作ってプレゼントするのだと悠里と佐奈に宣言していた。
特に好きな男子のいない佐奈は例年通り悠里と凛華に作ってくるとのことだが、悠里にとって今年のバレンタインは去年までと違って悩ましいことこの上ないことになる。
孝弘にチョコを作ってくるべきか否か。それを渡すことが愛の告白に相応するならば、きっと自分はその場で失恋し、あと一ヶ月ちょっととはいえ今後の学級委員としての活動にも支障が出かねない。
だけど彼氏のために特別なチョコを作ろうと気合を入れる凛華の姿はとても輝いて見えて、自分もああなりたいと思えた。
そして熟考の末に孝弘にチョコを贈る決意を固めるも、若干日和ってしまい家族や親友に贈るのと全く同じものを作った。
そうして訪れたバレンタインデー当日。凛華は登校してすぐ龍之介にチョコを渡し、休み時間には親友三人でのチョコ交換も済ませた。
悠里が孝弘にチョコを渡すタイミングは、いつものように放課後部活に行く前二人きりになった時と決めていた。
孝弘はモテるためこの機会にとチョコと一緒に告白しにくる女子は少なくなく、その度に悠里は胸が苦しくなった。
そして、いざ放課後。
「……佐藤君、チョコ沢山貰ってたよね」
あくまでも世間話風に、自然とチョコを渡せる空気作りのためチョコの話題を出したつもりだった。だけどそう言った後、嫉妬の籠ったことを言ってしまったのではと自己嫌悪した。
孝弘は高身長な上に爽やかで優しげな顔立ちとあって、女子から人気があるのも納得のルックス。柊一輝ら学年トップレベルのイケメンには一歩劣るものの、十分モテ男子と言える立場だ。悠里にとってのライバルは決して少なくない。
「あー、それは全部断った。好きでもない相手から本命渡されても正直困るし……」
対して孝弘は、そう断言。悠里にとって嬉しい言葉である反面、自分もそうして断られることを示唆する発言とも感じられた。
一度鞄から出そうとしたチョコを引っ込めてしまい、もう渡すのはやめにしようとさえ思った。
「島本さん? 今の……」
だが孝弘は、その存在に気付いていた。こうなってはもう、覚悟を決めるしかない。心臓は怒涛のように脈打ち、焦りと緊張で頭が真っ白になりかけた。
「いっ、いつもお世話になってるお礼にと佐藤君にも作ってきたんだけどっ……迷惑だったかな……?」
逃げ出したい気持ちでいっぱいになりながらも恐る恐るチョコを取り出して見せ、事前に考えておいた「孝弘にチョコを贈る理由」を口に出す。
あくまでこれはそういう理由で贈るものであって、本命チョコじゃない。だから振らないで。そう切実に願う悠里の手は震えていた。
「迷惑なんかじゃないよ。島本さんのだったら喜んで受け取るから。ありがとう」
だけど孝弘は、そう言ってチョコを受け取ってくれた。瞬間、悠里の心の中で天使が踊りだした。
他の女子からのチョコは受け取らなかったのに、自分からは受け取ってくれた。もしかして彼は自分に特別な感情を抱いているのではないか――そう考えた矢先に思い起こされるのは自分自身の発言だ。彼もまた、いつも世話になっている相手からの贈り物だから受け取ってくれただけではないのか。仮に特別な感情を持っていたとしても、それは自分が孝弘に対して抱く気持ちとは違うのではないか。一度浮かれた気持ちは、一転して考えれば考えるほど沈んでいった。
それから一ヶ月が経った。相変わらず孝弘との進展はこれといって無いまま迎えたホワイトデー。
龍之介からお返しのキャンディを貰ってご満悦の凛華を祝福しつつ、悠里は期待不安に胸を高鳴らせていた。
何かがあるとすればいつものように放課後。それまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。
そして待ちに待った、二人きりの時間。いつも通り学級委員の職務を片付ける悠里であったが、その間もいつになく落ち着かない。
「島本さん」
終わり際、そわそわしていたところで急に声をかけられた悠里はびくりと体を震わせた。
「バレンタインの時はありがとう。それでそのお返しなんだけど……」
孝弘が鞄から取り出したのは、色とりどりのキャンディが瓶詰めにされたもの。
「ホワイトデーに贈り物なんてしたことなかったから勝手がわからなくて、とりあえず店員さんにお勧めされたものを買ったんだけど、これでよかったかな?」
「ありがとう佐藤君。すっごく嬉しいよ」
今にも昇天しそうな気持ちになりながら、挙動不審にならないよう精神を強く保ちつつ両手で包み込むようにして瓶を受け取る。
ホワイトデーにキャンディを贈る意味は、あなたを愛している。だけど孝弘がそれを知った上でこれを贈ったのかはわからない。
(どうしよう、今ここで想いを伝えるべきなのかな……?)
もしもこれが本当に孝弘からの愛の告白であるならば、それは両想いを意味している。悠里にとっての悲願が叶う瞬間となるが、確実とは言い切れない状況に尻込みしてしまう。
「じゃあ、俺は部活行くね。また明日、島本さん」
「まっ、待って佐藤君!」
何故だか逃げるように教室を出て行こうとする孝弘を、悠里は慌てて呼び止めた。この機会を逃したら、いよいよ言えない気がしていた。だけども孝弘が振り返った途端に上がってしまい、伝えたい言葉が出なくなる。
「えっと、その……二年生でも、同じクラスになれるといいね」
結局また日和ってしまい、当たり障りのないことを言ってしまう。微笑んで相槌を打つ孝弘に、悠里は微笑み返して手を振ることしかできなかった。
そして程なくして、進級の時はやってくるのである。
「また同じクラスだよ悠里!」
クラス表を見た凛華と佐奈が喜びの声を上げ、悠里に報告。
「川澄君も一緒なんだよねー凛華」
「えへへ……嬉しいなぁ……」
幸せそうにしている凛華にほっこりしつつ、悠里は悠里で気になることを確認。
(あ、佐藤君も同じクラス)
それを見つけた途端に思わず笑顔になる悠里。隣で佐奈が、ニヤニヤ笑っていた。
「悠里もよかったねー。佐藤君と一緒で」
「うん、本当によかった……」
からかわれても、照れより先に安心が来る。違うクラスになってしまったらどうしようと長らく抱えていた不安が、ようやく解消されたのである。
(今年こそは……佐藤君に想いを伝えられたら……)
思うだけなら簡単だ。だけどそれを実行できる勇気は、いつまで経っても出そうになかった。
悠里の新しいクラスである二年B組の担任を務めるのは、今年度から赴任してきた先生である。
教室に入ってきたその教師は、何だか冴えない風貌をしたぐるぐる眼鏡の中年男性。
「えー、皆さんおはようございます。今日より皆さんの担任となります、黒羽崇です」
よもやその男が、いつまで経っても告白できない二人の気持ちを結ぶキューピッドである等と、悠里と孝弘には知る由もなかった。
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