愛を知らないアレと呼ばれる私ですが……

ミィタソ

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 アグナバル侯爵家から帰ってきた日の夜。
 そろそろ寝ようかとベッドに入ると、部屋の扉を誰かが静かに叩く。

「どうぞ?」

 ……だろうとは思ったけれど、メイドのアンナだった。
 ニシシと笑いながら、焼き菓子と飲み物を乗せたトレイを持ち、落とさないようにクルクルと器用に回りながら近づいてくる。

「エミリア様、ずるくないですか? なぁんで何も言わずに寝ようとしてるんですかぁ? ねぇねぇねぇ!」
「話すようなことは何もないわよ。はい、おやすみなさい!」

 この状態のアンナはめんどくさいので、構うと損をしてしまう。
 放置が一番だ。ベッドに潜って無視しておけば、そのうち諦めて帰るだろう。

 ――ポリッ

 ――バリッボリッ

 クッキーが割れる軽い音と、焼き菓子特有の香ばしい匂いが布団を貫通してくる。

「……ねえ、アンナ? そのクッキー、もしかしてだけど、美味しかったりする?」
「さぁて、どうでしょうねぇ? エミリア様はこれから寝ちゃうそうですから、味の感想なんて必要なのでしょうかぁ? どうせ、あたしのお腹の中にぜ~んぶ入っちゃいますしぃ?」

 ――パリッ

 ――ボリッバリッ

 チョコレートの甘い香り。
 そして……ナッツだろうか。
 芳醇な干した果物の匂いもする。
 甘く煮詰めた柑橘系の果実の皮の香りも。

「もう、降参するわ! いつもいつもアンナはずるいのよ。この時間にクッキーなんて、我慢できるはずないじゃない!」
「……で、婚約はどうなったんです? 次期侯爵家当主の妻になっちゃうんですぅ?」
「知らないうちに決まっちゃったのよね。でも、私みたいなのと結婚したがるわけないじゃない? なんか裏がありそうなんだけど」
「……たしかに。お嬢様と結婚するなんて、まともじゃないですものね。あたししか友達がいないから、同世代の他の人と会話もできなさそうですし。悪い噂がついて回るハズレ物件ですし」

 やっぱりアンナは物分かりがいいわね。
 ……って、誰がハズレ物件なのかしら。
 この子、うちのメイドだったはずなのに。それも、私付きの。
 お父様やお母様に言いつけたところで、私の言うことなんて聞くはずないし、結局この関係は一生変わらないのだけれど。

「あの花瓶、見える? お花が生けてあるでしょう? あれ、レオン様からいただいたの。花言葉は強さなんですって」
「お嬢様とは真逆ですね。だって、あたしの知る限り、エミリア様って最弱ですもん」
「だよね! ……って、そろそろぶつ殴るわよ? あとね、レオン様が部屋に来ないかって言いかけて謝っていたわ」
「あらあら、積極的じゃないですか! えーっ、お嬢様もそういうお年頃なんですねぇ。大人になって……あたし、嬉しいです。オヨヨヨヨ」

 わざとらしく泣き真似をするアンナ。私よりよっぽどこの子の方が可愛らしい。

 小さな笑い声と、クッキーの割れる音を響かせながら、夜が更けていく。
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