荒野の復讐剣

水城洋臣

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第一集 白昼の殺人

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「人をあやめました……。法のお裁きを……」

 鮮血を滴らせた剣をその手に持ったまま、全身に返り血を浴びた若い娘は、表情ひとつ変える事なくそう言い放つと、彼女を茫然と見つめる役人たちを尻目に、生首を放り投げた……。



 後漢末期、光和こうわ二年(西暦一七九年)、二月の事。

 黄河を西へと越えた先にあるりょう州西部。
 西域とも呼ばれるその土地は、北には戈壁ゴビ砂漠、南には青藏チベット高原が広がり、そんな広大な荒野を隔てるように、北山ほくざん山脈と祁連きれん山脈が東西に並んで貫いている。
 二つの山脈の間には、山から流れ出す水源によってオアシスが各地に点在し、それに沿って大小の街が作られていた。
 武威ぶい郡、張掖ちょうえき郡、酒泉しゅせん郡、そして敦煌とんこう郡。後世にシルクロードの道筋として河西かせい回廊かいろうとも呼ばれる事となる西域四郡である。
 この後漢末の時代には既に漢人たちが入植していたのだが、都から非常に離れている事もあり、まだまだ荒野の開拓地といった様相であった。

 事件の起こったのは、正にそうした西域での事。
 都である洛陽らくようから西へおよそ五千里も離れた酒泉郡、禄福ろくふく県での出来事である。

 界隈でも黒い噂の絶えなかった李寿りじゅという男が、県城の大通りで白昼堂々殺害された。地元の役人たちも関わり合いを持ちたがらなかった乱暴者を討ったのは、何と年若い娘であったというわけだ。

 調べが終わるまでの処置として、娘は県庁敷地内の牢に入れられた。非常に毅然とした態度で、自ら進んで牢に向かうかのような足取りであったという。

 事件の起きた禄福県の県庁の周りは住人たちの人だかりが出来ていた。以前から李寿には城市まちの者たちも困り果てていた事もあり、娘を褒め称え、その罪を免じてくれと言う声が方々から聞こえてきていた。

 その判断を担っていた県令けんれい(市長)は尹嘉いんかという男であった。彼もまた李寿の存在を元より心苦しく思っていた為、そんな悩みの種を始末してくれた娘をありがたいとさえ思っており、何とか処罰せずに済ませられぬものかと考えた。
 そこで尉丞いじょう(保安官助手)を務める龐邑ほうゆうという青年に、娘の取り調べを命じたのである。それは殺人の罪を咎めずに済む理由を探せと言う、最初から結論ありきの物であった。

 そんな取り調べを請け負った龐邑は、同じ酒泉郡の表氏ひょうし県の生まれで、あざな子夏しかという。流行り病で既に両親を亡くし、未だに嫁取りもしていない、独り身の貧乏な役人であった。

 この時代の牢獄は、圜土えんどと呼ばれる深さ十五尺(三メートル強)程度の穴に囚人を放り込み、上から格子状の蓋をする物であった。井戸のような物を想像すると良いだろう。
 二月の酒泉は昼間でも気温が低く、身を切るような寒風が吹きすさぶ。夜になれば泉も凍りつく氷点下となる。陽の当たらない圜土牢の中は真昼であっても氷点に近いはずだ。牢の底には防寒用の毛皮が置かれていたが、服も顔も返り血に塗れたまま娘はそれを膝に掛けただけで、表情も変えることなく、ただ大人しく圜土牢の中に座っていた。

 厚手の深衣ローブを着こんだ龐邑は圜土牢の脇に腰掛けると、牢の底にいる娘に話しかける。声を発すると、その度に口から白い息が吐かれた。

「私は龐子夏ほうしかだ。尉丞をやってる。君の犯した殺しについて、少し話を聞かせてくれないか」

 茫然と牢の壁を見つめていた娘は、ゆっくりと上を見上げると、格子の先の龐邑に向けて、ほとんど感情を感じない喋りで静かに言う。

「私は人を殺した。それ以上何を話すというのです。ただ法に従って処罰してくれればいいと思いますが」

 予想通りの娘の答えに、龐邑は冷静に返す。

「ところがそうも行かないんだ。事件を詳しく記録しておかなければならない。だから君が話をしてくれないと困るのさ。これも仕事という奴でね。しばらく付き合ってくれないかな」

 その言葉を受けてしばらく考えた後に黙ってゆっくりと頷いた娘。その反応を確認し、龐邑は質問を続ける。

「名前は何て言うんだい。もちろんあざなで構わない」

趙娥ちょうが……」

 そして趙娥と名乗った娘は、如何にして李寿を殺すに至ったか、ポツリポツリとその過去を語り始めた。




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