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第九集 地獄に入りて
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長安で晋帝・司馬鄴を擁立した司馬保であったが、朝政を担っていた麹允、索綝らと対立した事で、手勢を率いて長安を離れる事となった。その結果として長安は陥落してしまい、司馬鄴は先帝である司馬熾と同様、平陽へと連行されてしまった。
内部の権力闘争によって外敵への対策が疎かになるという亡国の見本のような状況を、結局はまた繰り返してしまったのである。
平陽へと連行された司馬鄴は初めの内は生かされていたのだが、晋の残党勢力が一向に降伏しようとしない事を見た劉聡は、心の拠り所を消してやるとばかりに司馬鄴を処刑。
しかしこの事により、八王の乱や永嘉の乱を避けて江東に逃れていた琅邪王・司馬睿が新たに晋帝に即位する事となってしまった。
司馬睿はかつての呉の都・建業を(司馬鄴の諱を避けて)建康に改名し、その地を新たな晋の都とした。
この事から後世には、初代・司馬炎から司馬鄴までの四代を西晋、司馬睿以降は東晋と呼ばれる事になる。
これによって、北の黄河流域で部族間抗争を繰り返す胡人(北方異民族)と、南の長江流域で守りを固めながら文化を維持する漢人に別れて睨み合う五胡十六国時代の構図が始まったのである。
漢帝・劉聡はそれから間もなく崩御した。
帝位は劉聡の息子であり、佞臣・靳準の外孫でもある劉粲が継いだのだが、その在位は僅かに一カ月。第四代漢帝は、自身の祖父でもある靳準によって弑逆される事となったのである。
元より佞臣として悪名が広まっていた靳準が強引に擁立した形の劉粲は国内への影響力が弱く、周囲からは靳準の傀儡と思われていた。だが内情として劉粲は靳準の傀儡にはなっておらず、靳準の進言を退ける事しばしばであった。
靳準の内心としては、このまま内と外から圧迫されながら黙っていれば、政争に敗れて一族郎党が誅滅されると焦ったのであろう。どうせ自分の派閥の者以外が敵となるなら、いっその事自分が国を乗っ取ってしまった方がまだ自由が利くという判断である。いわば大きな賭けであった。
だが反乱を起こすには大義が必要だ。
「劉淵は匈奴の分際で卑しくも天子を名乗り、その息子・劉聡は晋朝の二帝を幽没させた。決して許される事ではない!」
兵や民の多数派である漢人を一人でも多く味方にする為、劉淵の血筋、そして匈奴の天子そのものを否定して決起したのである。自分自身も匈奴であるにも関わらずだ。
こうして自身の孫や曾孫を含め、匈奴漢の皇族を次々に捕らえて処刑し、またこれに表立って反対する者は勿論、自身の政敵も次々と捕らえ、平陽の都に死体の山を築く事になる。
後世に言う「靳準の乱」である。
時に、晋の大興元年、漢の漢昌元年(西暦三一八年)、八月の事であった。
さて、尚書の地位にある北宮純はと言えば、もともと政治派閥には属しておらず、この靳準の乱も黙っていれば何事もなく過ぎ去るはずであった。
だが老若男女を問わず怒号と命乞い、そして断末魔の悲鳴が響き渡り、あちこちで血が流れている状況が、彼の目と鼻の先で繰り広げられている。都に用意された自宅にいながらも、家の前で逃げ惑う人々が右往左往していた。
心臓の鼓動が高鳴り、呼吸も荒くなっている。
それは無抵抗の民が殺戮される事への義憤であろうか。それとも彼の心に宿る野獣のような戦争狂いの心だろうか。それは彼自身にも判別がつかない事であったが、どちらの心であっても、彼に刀を取るように促している。
壁に掛けられた柳葉刀に目を向けた。匈奴漢に降ってから一度も抜いていない、抜く機会の無かった新品同様の刀である。
だが彼は日々の鍛錬は怠っていなかった。決してこの状況を予測していたわけではないが、心に潜む獣を静める為とでも言えばいいのだろうか。
だがそうした日々を送った事で、皮肉にも彼の武は全く衰えていない。
柳葉刀の柄を握った所で、ふと手が止まった。
頭の中に先年に挨拶を交わした姚弋仲の顔がよぎる。あの時、共に轡を並べる日が来る事を待っていると言われた。それは北宮純自身も望む所である。この刀を抜けば、恐らくその機会は失われるだろう。
思わず笑みを浮かべる北宮純。それは己の内に湧き上がる気持ちを抑える事が出来ない自嘲であったのだろう。このまま嵐が過ぎ去るまで隠れている事は出来なかった。
その顔を思い浮かべていた姚弋仲に対して、すまないと小さく呟いた北宮純は、柳葉刀を勢いよく抜くと、自宅を出て通りに向かって駆け出した……。
北宮純は殺戮を楽しむ兵士たちを切り伏せては目に付く生存者を救出し、皇族の住む宮殿のひとつである東宮へと退避させた。彼の動きを知った王豊ら涼州以来の家臣たちは勿論、北宮純の武名を知っている晋の旧臣たちも次々と東宮へ集結。こうして東宮には千人近い将兵が集まる事となり、宮殿の壁を塞ぐなどして防衛態勢を整えた。
靳準が北宮純の組織的抵抗を知った時には、急造とは言え東宮は既に砦のような状態になっていたのである。
東宮の周りを取り囲む鎮圧軍を率いているのは、靳準の弟である靳康であった。彼は抵抗軍を率いている北宮純の行動が分からなかった。晋帝擁立などの反乱にも加わらず、かと言って漢内部の政治闘争にも参加せず、今まで政治的な動きは何も見せていなかったからである。
靳準としても当然ながら粛清する予定など全くなかった。靳康はその疑問を北宮純に対して素直にぶつけ、改めて降伏を呼びかけた。
「確かに俺は晋も漢も興味がねぇ。劉聡や劉粲へ義理立てするつもりもねぇし、劉曜にも石勒にも加担するつもりはねぇ。だが俺は靳準の野郎も大嫌いでな!」
歯に衣着せぬその返答を以って宣戦布告に代えた北宮純は、東宮の抵抗軍を率いて得意の防衛戦を展開。圧倒的多数の鎮圧軍を相手に、時には守りに徹し、時には斬り込んで包囲部隊を削り、実に二十日以上も抵抗を続けたのである。
しかしその抵抗は、東宮に運び入れた食糧、物資との戦いでもある。靳準の蜂起を聞けば必ずや関中の劉曜、冀州の石勒は兵を動かし、東西から平陽へと攻め込むはず。北宮純はそれまで耐えれば勝ちだと踏んでいたのである。
だが二十日目の夜を迎えても、未だに劉曜、石勒の軍は到着する様子は無く、食糧はもうすぐ尽きようとしていた。
「遅ぇんだよアイツら……。また戦功争いでもしてるんじゃねぇだろうな……」
東西から攻め寄せる援軍が靳準の軍を鎮圧する所を見届けた後に国を去り、姚一家の所へ向かおうなどと、どこか楽観的に考えていたのだが、やはり刀を取った時点で破滅は決まっていたのかも知れないと思い直さざるを得なかった。
ともに立て籠もった抵抗軍を見渡せば、もともと北宮純と面識が無かった将兵たちも、果ては文官たちすらも、この二十日間の戦いを率いた北宮純へすっかり心服していた。
だが目に見えて底をついた食糧を前にしては、もはや最後と全員が心を決めていた。
そんな将兵たちに向かって、自身も心を決めた北宮純は宣言する。
「このまま立て籠もれば餓死を待つか、突入してきた鎮圧軍に殺されるだけだ。よって夜明けと共に門を開けて、俺たちは最後の突撃を敢行する。その後は命尽きるまで抵抗するもよし、隙を見て城外へ逃亡する事を試みるもよし。運良く生き延びた者が、どこへ向かおうとも構わん。全てお前らの自由だ」
その言葉に、東宮の者たちは全員が騒ぐでもなく、ただ来る時が来たと受け入れていた。そんな中で誰かが言う。
「尚書は英雄です!」
その言葉に、周囲の者たちが次々に頷いた。だが当の北宮純は否定こそしなかったが、黙って苦笑する。
忠も孝も無く、ただ戦場で無心に人を殺す事しかしてこなかった自分が英雄とは。だが今まで学んだ過去の歴史においても、名を遺した英雄など、実態は皆そんな物なのだろう。
誰かから英雄と呼ばれた。ただそれだけで、自分の人生には意味があったのかも知れない。
そんな達観が北宮純の内にあった。
もう思い残す事は無い。そんな北宮純の覚悟に応えるかのように、東にそびえる太行山脈から朝日が顔を覗かせた……。
まだ薄暗い群青色の空の下、平陽の都にある東宮の門が開かれた。包囲していた鎮圧軍は油断しきっている。そこへ城門から一斉に飛び出した抵抗軍が殺到する。
その先頭で柳葉刀を構え、笑みを浮かべている男が叫んだ。
「涼州の北宮純! ここにあり!」
それからおよそ一月後、攻め寄せた劉曜と石勒の軍によって、平陽で起こった反乱は鎮圧され、靳準とその一族は当然のように皆殺しとなった。だがその乱を協力して収めた両者は、間もなく袂を分かつ事となる。
悉く処刑された本家に代わって帝位を継いだ劉曜と、趙王を名乗って独立した石勒によって、華北が東西に二分される事となったのである。
先の靳準の乱において抵抗した、北宮純を始めとする東宮に籠城した者たちがどうなったかと言えば、靳康が率いる鎮圧軍によって抵抗むなしく全員が殺された。後世に残る史書には、ただそう短く記されているだけである。
内部の権力闘争によって外敵への対策が疎かになるという亡国の見本のような状況を、結局はまた繰り返してしまったのである。
平陽へと連行された司馬鄴は初めの内は生かされていたのだが、晋の残党勢力が一向に降伏しようとしない事を見た劉聡は、心の拠り所を消してやるとばかりに司馬鄴を処刑。
しかしこの事により、八王の乱や永嘉の乱を避けて江東に逃れていた琅邪王・司馬睿が新たに晋帝に即位する事となってしまった。
司馬睿はかつての呉の都・建業を(司馬鄴の諱を避けて)建康に改名し、その地を新たな晋の都とした。
この事から後世には、初代・司馬炎から司馬鄴までの四代を西晋、司馬睿以降は東晋と呼ばれる事になる。
これによって、北の黄河流域で部族間抗争を繰り返す胡人(北方異民族)と、南の長江流域で守りを固めながら文化を維持する漢人に別れて睨み合う五胡十六国時代の構図が始まったのである。
漢帝・劉聡はそれから間もなく崩御した。
帝位は劉聡の息子であり、佞臣・靳準の外孫でもある劉粲が継いだのだが、その在位は僅かに一カ月。第四代漢帝は、自身の祖父でもある靳準によって弑逆される事となったのである。
元より佞臣として悪名が広まっていた靳準が強引に擁立した形の劉粲は国内への影響力が弱く、周囲からは靳準の傀儡と思われていた。だが内情として劉粲は靳準の傀儡にはなっておらず、靳準の進言を退ける事しばしばであった。
靳準の内心としては、このまま内と外から圧迫されながら黙っていれば、政争に敗れて一族郎党が誅滅されると焦ったのであろう。どうせ自分の派閥の者以外が敵となるなら、いっその事自分が国を乗っ取ってしまった方がまだ自由が利くという判断である。いわば大きな賭けであった。
だが反乱を起こすには大義が必要だ。
「劉淵は匈奴の分際で卑しくも天子を名乗り、その息子・劉聡は晋朝の二帝を幽没させた。決して許される事ではない!」
兵や民の多数派である漢人を一人でも多く味方にする為、劉淵の血筋、そして匈奴の天子そのものを否定して決起したのである。自分自身も匈奴であるにも関わらずだ。
こうして自身の孫や曾孫を含め、匈奴漢の皇族を次々に捕らえて処刑し、またこれに表立って反対する者は勿論、自身の政敵も次々と捕らえ、平陽の都に死体の山を築く事になる。
後世に言う「靳準の乱」である。
時に、晋の大興元年、漢の漢昌元年(西暦三一八年)、八月の事であった。
さて、尚書の地位にある北宮純はと言えば、もともと政治派閥には属しておらず、この靳準の乱も黙っていれば何事もなく過ぎ去るはずであった。
だが老若男女を問わず怒号と命乞い、そして断末魔の悲鳴が響き渡り、あちこちで血が流れている状況が、彼の目と鼻の先で繰り広げられている。都に用意された自宅にいながらも、家の前で逃げ惑う人々が右往左往していた。
心臓の鼓動が高鳴り、呼吸も荒くなっている。
それは無抵抗の民が殺戮される事への義憤であろうか。それとも彼の心に宿る野獣のような戦争狂いの心だろうか。それは彼自身にも判別がつかない事であったが、どちらの心であっても、彼に刀を取るように促している。
壁に掛けられた柳葉刀に目を向けた。匈奴漢に降ってから一度も抜いていない、抜く機会の無かった新品同様の刀である。
だが彼は日々の鍛錬は怠っていなかった。決してこの状況を予測していたわけではないが、心に潜む獣を静める為とでも言えばいいのだろうか。
だがそうした日々を送った事で、皮肉にも彼の武は全く衰えていない。
柳葉刀の柄を握った所で、ふと手が止まった。
頭の中に先年に挨拶を交わした姚弋仲の顔がよぎる。あの時、共に轡を並べる日が来る事を待っていると言われた。それは北宮純自身も望む所である。この刀を抜けば、恐らくその機会は失われるだろう。
思わず笑みを浮かべる北宮純。それは己の内に湧き上がる気持ちを抑える事が出来ない自嘲であったのだろう。このまま嵐が過ぎ去るまで隠れている事は出来なかった。
その顔を思い浮かべていた姚弋仲に対して、すまないと小さく呟いた北宮純は、柳葉刀を勢いよく抜くと、自宅を出て通りに向かって駆け出した……。
北宮純は殺戮を楽しむ兵士たちを切り伏せては目に付く生存者を救出し、皇族の住む宮殿のひとつである東宮へと退避させた。彼の動きを知った王豊ら涼州以来の家臣たちは勿論、北宮純の武名を知っている晋の旧臣たちも次々と東宮へ集結。こうして東宮には千人近い将兵が集まる事となり、宮殿の壁を塞ぐなどして防衛態勢を整えた。
靳準が北宮純の組織的抵抗を知った時には、急造とは言え東宮は既に砦のような状態になっていたのである。
東宮の周りを取り囲む鎮圧軍を率いているのは、靳準の弟である靳康であった。彼は抵抗軍を率いている北宮純の行動が分からなかった。晋帝擁立などの反乱にも加わらず、かと言って漢内部の政治闘争にも参加せず、今まで政治的な動きは何も見せていなかったからである。
靳準としても当然ながら粛清する予定など全くなかった。靳康はその疑問を北宮純に対して素直にぶつけ、改めて降伏を呼びかけた。
「確かに俺は晋も漢も興味がねぇ。劉聡や劉粲へ義理立てするつもりもねぇし、劉曜にも石勒にも加担するつもりはねぇ。だが俺は靳準の野郎も大嫌いでな!」
歯に衣着せぬその返答を以って宣戦布告に代えた北宮純は、東宮の抵抗軍を率いて得意の防衛戦を展開。圧倒的多数の鎮圧軍を相手に、時には守りに徹し、時には斬り込んで包囲部隊を削り、実に二十日以上も抵抗を続けたのである。
しかしその抵抗は、東宮に運び入れた食糧、物資との戦いでもある。靳準の蜂起を聞けば必ずや関中の劉曜、冀州の石勒は兵を動かし、東西から平陽へと攻め込むはず。北宮純はそれまで耐えれば勝ちだと踏んでいたのである。
だが二十日目の夜を迎えても、未だに劉曜、石勒の軍は到着する様子は無く、食糧はもうすぐ尽きようとしていた。
「遅ぇんだよアイツら……。また戦功争いでもしてるんじゃねぇだろうな……」
東西から攻め寄せる援軍が靳準の軍を鎮圧する所を見届けた後に国を去り、姚一家の所へ向かおうなどと、どこか楽観的に考えていたのだが、やはり刀を取った時点で破滅は決まっていたのかも知れないと思い直さざるを得なかった。
ともに立て籠もった抵抗軍を見渡せば、もともと北宮純と面識が無かった将兵たちも、果ては文官たちすらも、この二十日間の戦いを率いた北宮純へすっかり心服していた。
だが目に見えて底をついた食糧を前にしては、もはや最後と全員が心を決めていた。
そんな将兵たちに向かって、自身も心を決めた北宮純は宣言する。
「このまま立て籠もれば餓死を待つか、突入してきた鎮圧軍に殺されるだけだ。よって夜明けと共に門を開けて、俺たちは最後の突撃を敢行する。その後は命尽きるまで抵抗するもよし、隙を見て城外へ逃亡する事を試みるもよし。運良く生き延びた者が、どこへ向かおうとも構わん。全てお前らの自由だ」
その言葉に、東宮の者たちは全員が騒ぐでもなく、ただ来る時が来たと受け入れていた。そんな中で誰かが言う。
「尚書は英雄です!」
その言葉に、周囲の者たちが次々に頷いた。だが当の北宮純は否定こそしなかったが、黙って苦笑する。
忠も孝も無く、ただ戦場で無心に人を殺す事しかしてこなかった自分が英雄とは。だが今まで学んだ過去の歴史においても、名を遺した英雄など、実態は皆そんな物なのだろう。
誰かから英雄と呼ばれた。ただそれだけで、自分の人生には意味があったのかも知れない。
そんな達観が北宮純の内にあった。
もう思い残す事は無い。そんな北宮純の覚悟に応えるかのように、東にそびえる太行山脈から朝日が顔を覗かせた……。
まだ薄暗い群青色の空の下、平陽の都にある東宮の門が開かれた。包囲していた鎮圧軍は油断しきっている。そこへ城門から一斉に飛び出した抵抗軍が殺到する。
その先頭で柳葉刀を構え、笑みを浮かべている男が叫んだ。
「涼州の北宮純! ここにあり!」
それからおよそ一月後、攻め寄せた劉曜と石勒の軍によって、平陽で起こった反乱は鎮圧され、靳準とその一族は当然のように皆殺しとなった。だがその乱を協力して収めた両者は、間もなく袂を分かつ事となる。
悉く処刑された本家に代わって帝位を継いだ劉曜と、趙王を名乗って独立した石勒によって、華北が東西に二分される事となったのである。
先の靳準の乱において抵抗した、北宮純を始めとする東宮に籠城した者たちがどうなったかと言えば、靳康が率いる鎮圧軍によって抵抗むなしく全員が殺された。後世に残る史書には、ただそう短く記されているだけである。
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