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第一集 武人尚書
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都が燃えている――。
煌びやかな服を着た皇族や高官たちが、殺到した兵士たちによって次々に捕らえられ、抵抗する素振りを見せればその場で突き殺されていた。
城市のあちこちから黒煙が上がり、悲鳴と怒号が止む事もなく響き渡る。国の終わる瞬間を絵に描いたような光景であった。
三人の文官たちが息を切らせて走っている。
その背後からは槍を携えた兵士の一団が追いかけていた。返り血を浴びた顔には笑みを浮かべ、人を殺すという感覚が既に麻痺しているようであった。
彼らに追いつかれれば、恐らくは命乞いの暇すら与えられず、鋭い槍の切っ先で滅多刺しにされ絶命するだろう。
そう分かってはいるが、そもそも文官たちの着ている深衣は地面まで裾が垂れており、走る事を想定した物ではない。次第にその距離が縮まっており、逃げ切る事は不可能と言えた。
兵士たちの怒号や笑い声が背後まで迫り、文官たちが死を覚悟し始めた時、彼らの行く手に、同じような文官の深衣を纏っていながら、その手に柳葉刀(刀身が柳の葉のように歪曲した片手持ちの刀)を持って仁王立ちする男がいた。
文官たちはその顔を見て、すぐに名を思い出す。尚書(文書管理官)の地位にある北宮純である。すぐに名を思い出す事が出来たのだが、彼との交流があるわけでは無かった。
しかし状況が状況である。不敵に微笑む北宮純に彼らは助けを求めた。
そんな文官たちの叫びを聞くと、北宮純は刀を構えて駆け出す。動きにくい深衣を着ているとは思えない俊足だった。足を止める事なく走り続ける三人の文官を通り過ぎた北宮純は、背後に迫っていた兵士たちに斬りかかる。
まるで小手調べのようにも思える柳葉刀の軽いひと薙ぎ。先頭にいた二人の兵士は槍で受け止めようとしたが、刃を受けた槍もろとも二人の兵士の胴体が両断された。
悲鳴を上げる暇もなく血飛沫をあげて地面に臥した先頭の兵士の様子を見て、背後の兵士たちの顔から笑みが消える。この場で未だに笑みを浮かべているのは、北宮純ただ一人であった。
「何をしている! 敵は一人だ、囲んで一斉に突け!」
そう言って北宮純の周囲を取り囲んだ兵士たちは、円の中心に向かって一斉に槍を突き出す。だが手ごたえはない。そこに標的の姿は無かった。
文官姿の敵が突如として姿を消した事に困惑し、兵士たちが思わず周囲を見回した途端、円陣の中心で絡み合う槍の切っ先に急激な重みがかかり地面に叩きつけられた。北宮純は槍で突かれる瞬間に上空に飛び上がり、そのまま真下で絡み合う槍先を踏みつけるようにして着地したのである。
兵士たち全員の武器が封じられ、同時に全員が中心に向けて頭を突き出すように前傾姿勢となった形だ。間髪入れずに柳葉刀を水平に構えた北宮純は、深衣の裾を翻しながら静かに、しかし素早く回転する。
一瞬の静寂の後、円陣を組んでいた兵士全員の首が次々と地面を転がり、残された体が血飛沫を上げながら次々に崩れ落ちた。噴水の如く噴き出した返り血で、その顔や衣服を真っ赤に染めた尚書は、口元を歪め不気味な笑みを浮かべている。その姿は人と言うより、まるで夜叉であった。そんな様子を見ていた周囲の他の兵たちも、悲鳴を上げて逃げ散っていった。
兵士たちが立ち去るのを見送った北宮純は、背後で唖然としている三人の文官に振り返って声をかける。
「生存者が東宮に集まってる。そこへ向かえ。生き延びられる保証はないが、このまま表を逃げ回ってるよりはマシだろうよ」
文官たちは拱手(両の手の甲を相手に向けるように両手を重ねる漢人文官の礼)をしながら深々と礼を述べると、指示された東宮へと向かった。
ここは洛陽の北方、黄河を越えた先にある平陽の都である。
外戚(皇后の親族)である靳準の蜂起によって皇族である劉一族、そして彼に与しない者は次々と捕らえられ処刑されており、漢は今、滅びようとしていた。
この国は漢を名乗ってはいるが、漢人の国ではない。
漢人の統一王朝であった晋は、長きに渡った三国時代を終わらせ統一を果たしたわけだが、泥沼の政治闘争を繰り返し、三十年足らずで瓦解寸前にまで至った。
そんな晋の弱体化を見て蜂起したのが、北方騎馬民族である南匈奴の王・劉淵である。
彼は自ら漢の正統後継者を名乗り、漢の国号を以って皇帝に即位し、前漢の劉邦、後漢の劉秀、蜀漢の劉備を「漢三祖」として祀った。そんなこの国は匈奴の立てた王朝という事から、後世に匈奴漢とも呼ばれる。
そんな匈奴漢が晋の都であった洛陽、次いで長安を陥落させ、中枢を失った事で晋朝は崩壊したというわけだ。
だがそんな匈奴漢も、既に老齢であった劉淵が即位から間もなく没していた事もあり、建国から十年と経たずして今まさに崩壊を迎えようとしていたのである。
さて、血まみれの柳葉刀を自在に振るって反乱兵を切り倒した北宮純。彼は匈奴漢の中で尚書という官職にあるのだが、匈奴では無かった。
晋が滅びた時に匈奴漢に投降した漢人も多かったが、彼はまた漢人でもなかった。
元々は西方の遊牧民である羌族の血を引く戦士である。
そんな彼が、何故こうして匈奴漢の滅亡の瞬間に立ち会っているのか。その人生は、彼自身も思い返せば苦笑するほどの数奇な運命に彩られていた……。
煌びやかな服を着た皇族や高官たちが、殺到した兵士たちによって次々に捕らえられ、抵抗する素振りを見せればその場で突き殺されていた。
城市のあちこちから黒煙が上がり、悲鳴と怒号が止む事もなく響き渡る。国の終わる瞬間を絵に描いたような光景であった。
三人の文官たちが息を切らせて走っている。
その背後からは槍を携えた兵士の一団が追いかけていた。返り血を浴びた顔には笑みを浮かべ、人を殺すという感覚が既に麻痺しているようであった。
彼らに追いつかれれば、恐らくは命乞いの暇すら与えられず、鋭い槍の切っ先で滅多刺しにされ絶命するだろう。
そう分かってはいるが、そもそも文官たちの着ている深衣は地面まで裾が垂れており、走る事を想定した物ではない。次第にその距離が縮まっており、逃げ切る事は不可能と言えた。
兵士たちの怒号や笑い声が背後まで迫り、文官たちが死を覚悟し始めた時、彼らの行く手に、同じような文官の深衣を纏っていながら、その手に柳葉刀(刀身が柳の葉のように歪曲した片手持ちの刀)を持って仁王立ちする男がいた。
文官たちはその顔を見て、すぐに名を思い出す。尚書(文書管理官)の地位にある北宮純である。すぐに名を思い出す事が出来たのだが、彼との交流があるわけでは無かった。
しかし状況が状況である。不敵に微笑む北宮純に彼らは助けを求めた。
そんな文官たちの叫びを聞くと、北宮純は刀を構えて駆け出す。動きにくい深衣を着ているとは思えない俊足だった。足を止める事なく走り続ける三人の文官を通り過ぎた北宮純は、背後に迫っていた兵士たちに斬りかかる。
まるで小手調べのようにも思える柳葉刀の軽いひと薙ぎ。先頭にいた二人の兵士は槍で受け止めようとしたが、刃を受けた槍もろとも二人の兵士の胴体が両断された。
悲鳴を上げる暇もなく血飛沫をあげて地面に臥した先頭の兵士の様子を見て、背後の兵士たちの顔から笑みが消える。この場で未だに笑みを浮かべているのは、北宮純ただ一人であった。
「何をしている! 敵は一人だ、囲んで一斉に突け!」
そう言って北宮純の周囲を取り囲んだ兵士たちは、円の中心に向かって一斉に槍を突き出す。だが手ごたえはない。そこに標的の姿は無かった。
文官姿の敵が突如として姿を消した事に困惑し、兵士たちが思わず周囲を見回した途端、円陣の中心で絡み合う槍の切っ先に急激な重みがかかり地面に叩きつけられた。北宮純は槍で突かれる瞬間に上空に飛び上がり、そのまま真下で絡み合う槍先を踏みつけるようにして着地したのである。
兵士たち全員の武器が封じられ、同時に全員が中心に向けて頭を突き出すように前傾姿勢となった形だ。間髪入れずに柳葉刀を水平に構えた北宮純は、深衣の裾を翻しながら静かに、しかし素早く回転する。
一瞬の静寂の後、円陣を組んでいた兵士全員の首が次々と地面を転がり、残された体が血飛沫を上げながら次々に崩れ落ちた。噴水の如く噴き出した返り血で、その顔や衣服を真っ赤に染めた尚書は、口元を歪め不気味な笑みを浮かべている。その姿は人と言うより、まるで夜叉であった。そんな様子を見ていた周囲の他の兵たちも、悲鳴を上げて逃げ散っていった。
兵士たちが立ち去るのを見送った北宮純は、背後で唖然としている三人の文官に振り返って声をかける。
「生存者が東宮に集まってる。そこへ向かえ。生き延びられる保証はないが、このまま表を逃げ回ってるよりはマシだろうよ」
文官たちは拱手(両の手の甲を相手に向けるように両手を重ねる漢人文官の礼)をしながら深々と礼を述べると、指示された東宮へと向かった。
ここは洛陽の北方、黄河を越えた先にある平陽の都である。
外戚(皇后の親族)である靳準の蜂起によって皇族である劉一族、そして彼に与しない者は次々と捕らえられ処刑されており、漢は今、滅びようとしていた。
この国は漢を名乗ってはいるが、漢人の国ではない。
漢人の統一王朝であった晋は、長きに渡った三国時代を終わらせ統一を果たしたわけだが、泥沼の政治闘争を繰り返し、三十年足らずで瓦解寸前にまで至った。
そんな晋の弱体化を見て蜂起したのが、北方騎馬民族である南匈奴の王・劉淵である。
彼は自ら漢の正統後継者を名乗り、漢の国号を以って皇帝に即位し、前漢の劉邦、後漢の劉秀、蜀漢の劉備を「漢三祖」として祀った。そんなこの国は匈奴の立てた王朝という事から、後世に匈奴漢とも呼ばれる。
そんな匈奴漢が晋の都であった洛陽、次いで長安を陥落させ、中枢を失った事で晋朝は崩壊したというわけだ。
だがそんな匈奴漢も、既に老齢であった劉淵が即位から間もなく没していた事もあり、建国から十年と経たずして今まさに崩壊を迎えようとしていたのである。
さて、血まみれの柳葉刀を自在に振るって反乱兵を切り倒した北宮純。彼は匈奴漢の中で尚書という官職にあるのだが、匈奴では無かった。
晋が滅びた時に匈奴漢に投降した漢人も多かったが、彼はまた漢人でもなかった。
元々は西方の遊牧民である羌族の血を引く戦士である。
そんな彼が、何故こうして匈奴漢の滅亡の瞬間に立ち会っているのか。その人生は、彼自身も思い返せば苦笑するほどの数奇な運命に彩られていた……。
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