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第三章 西涼の錦
第二十三集 撒かれゆく種
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趙英らが趙家に合流して間もなく、漢陽郡各地の県城を偵察に行くという名目で緑風子と一旦別れる事となった。
「二月ほどで戻るよ。僕がいないと寂しいかもしれないけど、帰るのを待っててね」
道家の優男は、そんないつもの調子で出かけて行ったわけだ。
緑風子に対して呼狐澹は、仇敵である何冲天の居所の調査も頼んでおり、その合間に鍛錬を続けるという事となった。
浥雉との会食における王異の名演説によって、趙昂に対して向けていた疑念を馬超が解いたのは、そんな頃であった。
趙昂を始め、楊阜や尹奉ら旧涼州の官僚たちは、徹底した反客為主の計(好機が来るまで敵に従属したと見せかける計略)を行って馬超の機嫌を取り、表向きとは言え一時的な平穏が訪れていた。
そんな最中、馬超は「西涼の錦」と名乗り始めた。
涼州の州都を押さえ、勢力基盤を固めつつあった馬超に群雄として箔をつけるという名目で臣下から上がってきた物だ。これは楊阜や趙昂による策のひとつでもあった。
馬超の機嫌を取るという意味もあるのだが、何よりも涼州刺史を殺害して奪った土地で、涼州の出身ではない馬超が、涼州を代表する英雄を名乗るわけである。
生粋の涼州の民が内心で反感を募らせるのは、少し考えれば分かる事であろうが、褒められて気を良くした馬超はそこまで考えが至らず、素直に喜んで自ら名乗り始めたというわけである。
さて、冀城にある趙家の庭では、二人の少年が木剣を使って手合わせを行っていた。呼狐澹と姜維である。
年齢も体格もほとんど同じ二人は、腕前もまた互角と言った様子であった。
趙英から武芸を学んでいる呼狐澹であったわけだが、趙家に通って王異から勉学を学んでいる姜維もその様子を見て、自分も趙英から武芸を学びたいと申し出たのだ。共に競う相手に丁度いいという事で趙英はそれを承諾したのである。
経典から軍略まで広く学ぶ優秀さを見せていた姜維であるが、武芸の腕も驚くべき速さで磨かれており、正に文武両道の麒麟児といった風格を見せている。呼狐澹があれだけ苦戦した内功の基礎も数週間で会得し、その速さは趙英も驚くほどであった。
呼狐澹としては自身の才に疑問を投げかけてくる姜維の存在に、何としても師兄(兄弟子)としての意地を見せたいと焦っているのが目に見えて分かる。
一方で姜維の学友である尹賞はと言えば、武芸はどうにも苦手であるという事で、二人の手合わせを趙英と共に見守っていた。
数手を打ち合っては距離を取る事を繰り返す呼狐澹と姜維。双方ともに息が上がってくるのだが、打ち合いを重ねるごとに呼狐澹の方が目に見えて呼吸が荒くなっている。呼狐澹の方に限界が見え始めた時点で趙英は訓練の終了を告げた。
互いに包拳をして木剣を納める呼狐澹と姜維。
「師母、今日もありがとうございました!」
姜維の言葉に気恥ずかしそうに頷いて応える趙英。
呼狐澹に対して以前言ったように、姜維に対しても師母と呼ぶなと言い含めたのだが、教えを乞う以上そこは曲げられませんと強く押し切られ、なし崩し的に師母と呼ばれていたのである。
そんな姜維は、息を荒げて座り込んでいる呼狐澹に対しても手を差し伸べた。
「師兄も、手合わせありがとうございました!」
姜維の屈託のない笑顔を見て、意地を張っていた自身を省みた呼狐澹は、同じく笑顔を返してその手を取る。そんな二人の様子に、変に気を回していた趙英も胸を撫で下ろした。
立ち上がった呼狐澹と姜維に、尹賞が駆け寄って話しかける。
「伯約も大分強くなったし、西県の例の噂を確かめに行ってみないか!」
「噂って?」
訊き返した呼狐澹に、姜維が説明する。
「西県の近くの村に彊屍が出るって噂があるんですよ。公賛はそういう志怪(怪談)が好きなんで、よく誘われるんです。まぁ、私も楽しんでいるんですけど。よろしければ師兄もご一緒にどうですか?」
そんな少年たちの話を聞いた趙英は首を傾げる。自身も幼い頃に西県に住んでいた事があるが、その時はそんな噂は聞かなかった。
「なぁ、それってどんな噂なんだ?」
疑問に思った趙英が少年たちの話に割って入ると、その問いに姜維が答える。
「何でも、痩せ細った女の彊屍が出て、子供を攫ってしまうって噂があるんですよ。西県近くの村の人が、小さい女の子の手を引いている姿を見たとかで……。あの辺だと、悪い子は彊屍に連れていかれるぞって、親が子供を叱る時によく言ってますよ」
姜維の話に尹賞が補足する。
「でもそいつが近づくと、ものすごい糞の匂いがするから分かるらしいんですよね」
その話を聞いた趙英は、幼少期の記憶を思い出しつつ赤面して呟く。
「あぁ、いや……、そいつはたぶん、もう出ない……」
呼狐澹も含め、三人の少年は首を傾げて口々に何故と問うのだが、趙英はそれ以上何も語らなかった。
噂の怪物の正体が、自分たちに学問を教えてくれている師の事だとは、さすがに言えなかった。ましてや手を引かれているその少女が自分であるなどと。
とは言え、口伝の昔話というのは、こうやって生まれるのかと独りで納得する趙英であった。
「二月ほどで戻るよ。僕がいないと寂しいかもしれないけど、帰るのを待っててね」
道家の優男は、そんないつもの調子で出かけて行ったわけだ。
緑風子に対して呼狐澹は、仇敵である何冲天の居所の調査も頼んでおり、その合間に鍛錬を続けるという事となった。
浥雉との会食における王異の名演説によって、趙昂に対して向けていた疑念を馬超が解いたのは、そんな頃であった。
趙昂を始め、楊阜や尹奉ら旧涼州の官僚たちは、徹底した反客為主の計(好機が来るまで敵に従属したと見せかける計略)を行って馬超の機嫌を取り、表向きとは言え一時的な平穏が訪れていた。
そんな最中、馬超は「西涼の錦」と名乗り始めた。
涼州の州都を押さえ、勢力基盤を固めつつあった馬超に群雄として箔をつけるという名目で臣下から上がってきた物だ。これは楊阜や趙昂による策のひとつでもあった。
馬超の機嫌を取るという意味もあるのだが、何よりも涼州刺史を殺害して奪った土地で、涼州の出身ではない馬超が、涼州を代表する英雄を名乗るわけである。
生粋の涼州の民が内心で反感を募らせるのは、少し考えれば分かる事であろうが、褒められて気を良くした馬超はそこまで考えが至らず、素直に喜んで自ら名乗り始めたというわけである。
さて、冀城にある趙家の庭では、二人の少年が木剣を使って手合わせを行っていた。呼狐澹と姜維である。
年齢も体格もほとんど同じ二人は、腕前もまた互角と言った様子であった。
趙英から武芸を学んでいる呼狐澹であったわけだが、趙家に通って王異から勉学を学んでいる姜維もその様子を見て、自分も趙英から武芸を学びたいと申し出たのだ。共に競う相手に丁度いいという事で趙英はそれを承諾したのである。
経典から軍略まで広く学ぶ優秀さを見せていた姜維であるが、武芸の腕も驚くべき速さで磨かれており、正に文武両道の麒麟児といった風格を見せている。呼狐澹があれだけ苦戦した内功の基礎も数週間で会得し、その速さは趙英も驚くほどであった。
呼狐澹としては自身の才に疑問を投げかけてくる姜維の存在に、何としても師兄(兄弟子)としての意地を見せたいと焦っているのが目に見えて分かる。
一方で姜維の学友である尹賞はと言えば、武芸はどうにも苦手であるという事で、二人の手合わせを趙英と共に見守っていた。
数手を打ち合っては距離を取る事を繰り返す呼狐澹と姜維。双方ともに息が上がってくるのだが、打ち合いを重ねるごとに呼狐澹の方が目に見えて呼吸が荒くなっている。呼狐澹の方に限界が見え始めた時点で趙英は訓練の終了を告げた。
互いに包拳をして木剣を納める呼狐澹と姜維。
「師母、今日もありがとうございました!」
姜維の言葉に気恥ずかしそうに頷いて応える趙英。
呼狐澹に対して以前言ったように、姜維に対しても師母と呼ぶなと言い含めたのだが、教えを乞う以上そこは曲げられませんと強く押し切られ、なし崩し的に師母と呼ばれていたのである。
そんな姜維は、息を荒げて座り込んでいる呼狐澹に対しても手を差し伸べた。
「師兄も、手合わせありがとうございました!」
姜維の屈託のない笑顔を見て、意地を張っていた自身を省みた呼狐澹は、同じく笑顔を返してその手を取る。そんな二人の様子に、変に気を回していた趙英も胸を撫で下ろした。
立ち上がった呼狐澹と姜維に、尹賞が駆け寄って話しかける。
「伯約も大分強くなったし、西県の例の噂を確かめに行ってみないか!」
「噂って?」
訊き返した呼狐澹に、姜維が説明する。
「西県の近くの村に彊屍が出るって噂があるんですよ。公賛はそういう志怪(怪談)が好きなんで、よく誘われるんです。まぁ、私も楽しんでいるんですけど。よろしければ師兄もご一緒にどうですか?」
そんな少年たちの話を聞いた趙英は首を傾げる。自身も幼い頃に西県に住んでいた事があるが、その時はそんな噂は聞かなかった。
「なぁ、それってどんな噂なんだ?」
疑問に思った趙英が少年たちの話に割って入ると、その問いに姜維が答える。
「何でも、痩せ細った女の彊屍が出て、子供を攫ってしまうって噂があるんですよ。西県近くの村の人が、小さい女の子の手を引いている姿を見たとかで……。あの辺だと、悪い子は彊屍に連れていかれるぞって、親が子供を叱る時によく言ってますよ」
姜維の話に尹賞が補足する。
「でもそいつが近づくと、ものすごい糞の匂いがするから分かるらしいんですよね」
その話を聞いた趙英は、幼少期の記憶を思い出しつつ赤面して呟く。
「あぁ、いや……、そいつはたぶん、もう出ない……」
呼狐澹も含め、三人の少年は首を傾げて口々に何故と問うのだが、趙英はそれ以上何も語らなかった。
噂の怪物の正体が、自分たちに学問を教えてくれている師の事だとは、さすがに言えなかった。ましてや手を引かれているその少女が自分であるなどと。
とは言え、口伝の昔話というのは、こうやって生まれるのかと独りで納得する趙英であった。
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