西涼女侠伝

水城洋臣

文字の大きさ
上 下
6 / 75
第一章 出会い

第三集 森の逃亡者

しおりを挟む
 趙英ちょうえい呼狐澹ここたんは、かれこれ数日、乾燥した荒野を馬で東へと向かっていた。

 呼狐澹の馬は趙英と砂漠で出会う前から乗っている月毛。趙英はというと砂漠で賊徒が乗っていた馬の内一頭を貰いうけた物だ。逞しい黒鹿毛である。ちなみにその時に居残った他の馬は、行商の丁に譲っている。

 低い丘とその谷間のような起伏はあるにせよ、相変わらず乾いた黄色の大地に、まばらに生えた低い草木という、代り映えのしない景色が続いていた。

 呼狐澹は黙って馬を繰りながら、時折息を荒げている事から、趙英に教わった内功を鍛える呼吸法の訓練を続けていると見えた。

 陽が西へと傾きつつあった頃、谷間に入った二人は、この近辺では珍しく高い樹木が生い茂る森へと入った。地面にもしっかりと草が茂っており、近くに水辺がある事が伺えた。

 しばらく進むと予想通りに森が開け、目の前にはまるで城壁のように高い岩壁があり、その足元に大きな泉が広がっていた。岩壁から湧き出す水が溜まった物らしく、小川となって森の先へと流れ出しているため、よく透き通った清水であった。

 見上げれば陽もすっかり傾き、西の空が赤みがかり、群青色になり始めた東の空には星が見え始めていた。もう半刻(一時間)ほどですっかり暗くなるだろう。二人はこの泉のほとりで野営する事にした。

 二日前に立ち寄った首陽しゅよう城で買い込んだ羊のひしお(塩漬け肉)を焚火で炙り、同じく買い込んだ胡餅こべい(練った小麦を焼いた原始的製法のパン)に挟んで食べた。

 食事を取り終わる頃には、すっかり陽も暮れて、頭上には満天の星空が広がっていた。空気は冷え込んでいるが谷間のお陰で風もなく、パチパチと音を立てる焚火の暖かさを充分に受けられた。

「ねぇ慧玉けいぎょく?」
「何だ澹兒たんじ?」

 呼狐澹が何とはなしに話しかけた。趙英は趙大姐ねえさんと呼ばれるのも、ましてや趙師母しぼと呼ばれるのも嫌だったので、あざなで呼ぶように求め、自分も呼狐澹の事を澹兒(兒は子供などに話しかける際の愛称)と呼ぶ事にしていた。

「東に行くって言ってたけど、どこに何しに行くの? 全然聞いてなかったけどさ」

 少しの間があった後、趙英は口を開く。

「俺の故郷が、どうにも荒れそうでな……」
「荒れる……?」
「家族が戦に巻き込まれそうって事さ……」

 呼狐澹は険しい顔で黙ると、少し間を開けて答えた。

「……だったら急がないとね」

 今は深くは聞かず、それだけ答えた。

「そういうお前は、家族の仇を探してるって言ってたが、どこにいるか目星は付いてるのか?」
「いや、全然……。名前も分からない……。でも顔は忘れない……」

 趙英は溜息をついた。

「じゃあ、いつばったり出くわすか分からないって事か……」
「だから弓だけじゃ心許こころもとないって話だよ」

 そうしてポツリポツリと会話を交わしながら、二人ともいつしか眠ってしまったようだった。

 森の奥から、人の怒鳴り声が聞こえた。
 その声に、どちらともなく目を覚まして身を起こす趙英と呼狐澹。

 夜明け前の群青色の空が頭上にあった。
 焚火は未だ燻ぶっているが、炎は既に消えていて、近くにいる2人もお互いに黒い輪郭しか見えないほど暗い。
 しかしその暗さのお陰で、森の奥で明滅する松明の炎を、呼狐澹には確認できた。

「あれは松明だね……。五……いや六本。松明の火は六本だ。あの様子だと誰かを追ってるね」
「行ってみるか」

 呼狐澹は燻ぶった焚火から、ほどよい長さの薪を取ると、息を何度か吹きかけて炎を起こすと、森の奥へ向かった。趙英はすぐ後ろから付いていく。

「どこ行きやがった!?」
「あの野郎、ふざけやがって!!」

 近づくとすぐに、そうした罵声が聞こえてきた。呼狐澹が松明を掲げている事で、相手も間もなく二人に気づいて走り寄ると、周りを取り囲んだ。
 全員が片手に松明、片手に刀を持った武装した男たちである。胸当てなどの防具を一様に装備しているが、兜を被っている者は半々で、もとどりひげは乱れており、軍人か賊徒かどうにも判別が付きにくい。

「何だお前ら!?」

 いきなり刀の切っ先を向けて怒鳴られるが、趙英は冷静に答える。

「通りすがりの旅の者だ。騒がしいから様子を見に来たのだが……」
「通りすがりだと? 信じられんな! どうせ奴の仲間だろ! どこへ隠した!?」

 よく分からない嫌疑をいきなりかけられ、半ば呆れた趙英であったが、努めて冷静に返答する。

「奴とは誰の事か見当もつかぬが、我らは元より気ままな二人旅。見ての通り、他に連れなどおらぬよ」
「そうやって強がるのも今の内だ。すぐに吐かせてやる!」

 話が平行線だと諦めた趙英は、腰にいた剣に手をかけて答える。

「何やら誤解があるようだが、そちらがその気なら、こちらも相応のやり方で応えさせてもらう。それでよろしいか……?」
が生意気な! かかれ!」

 取り囲んだ六人の男が同時にかかってくるが、趙英は呼狐澹へ静かに言った。

「澹兒、しゃがめ」

 それを聞いた呼狐澹が、即座にその場で頭を下げて伏せた。と同時に刃が鞘から抜き放たれる音が響いたと思うと、次の瞬間に趙英の剣は鍔鳴りをさせて鞘に収まっていた。

 男たちは途端に武器を持つ手が軽くなったかと思った直後、目の前に音を立てて落ちる刃と、刀の柄だけを握っている自分たちを見回す。

 しばしの間があった後に、何が起きたか気づいた男たちは、誰からともなく一斉に悲鳴をあげて逃げ出した。

「やっぱり凄ぇや」

 伏せていた呼狐澹が立ち上がると、趙英の剣を讃えた。

「今回は逃がしたんだね?」
「賊かどうか分からなかったからな。うっかり官軍だったら面倒くさい」

 ふと背後から手を叩いて褒める男の声が聞こえた。すぐさま警戒して振り返る趙英と呼狐澹。

「いやぁ、お見事な腕前。感服したよ」

 よくかれた長髪を髻でまとめ、ゆったりとした深衣を着て、背丈ほどの竹杖を持ち、にこやかな笑顔をたたえた漢人の優男だった。
 その小綺麗な服装の雰囲気、よく整った顔立ちも含めて、趙英と似通ってはいるが、その表情が与える印象は非常に柔らかい。眼光鋭く不愛想な趙英とは対極であった。
 だが穏やかそうではあったが、その口調はどこか達観していて、悪く言えば上から物を言っているようにも聞こえる為、信用が置けない印象も同時に与えていた。

「あいつらの言っていたのは、お前か……?」

 警戒を緩めずに尋ねる趙英に、優男は表情も口調も一定のまま答える。

「あぁその通り。僕も君らの時と同じような言いがかりを付けられてね。面倒だから逃げる事にした」

 呼狐澹は素直な疑問を口にした。

「あいつらは何なの?」
「奴らはちょっと前に近くの襄武じょうぶ城を占拠した兵どもだよ。いきなり兵を引き連れて県庁に殴り込んだかと思えば、県令を投獄して我が物顔さ」

 その話を聞いて、趙英は思う所があった。

「関中軍閥の残党か……?」

 つぶやくような趙英の質問に、その優男はゆっくりと頷いた。




しおりを挟む

処理中です...