5 / 75
第一章 出会い
幕間 母の夢
しおりを挟む
「聴いていますか、慧玉?」
目の前に母がいた。まだ若い頃の母。
趙英は夢を見ていると自覚した。まるで天意が、或いは母の念が、自分に忘れさせまいとしているかのように定期的に見る夢だ。
母は古書の虫で、知識も大いにあり、そこから学んだ伝統的価値観を大切にし、そしてそれらを活かす応用力や決断力もあった。
趙英はそんな母が苦手だった。
「さて楚の貞姜の話をしましょう。斉の公女として生まれ、楚の昭王に嫁ぎました……」
何度も聞いた話。
実際に母が話して聴かせたのは、この時くらいなものだが、それを何度も夢に見る。
いい加減にしてほしいが、誰に文句を言えばいいのか分からず、言ったからといって改善される物でもなかろう。
当時はまだ六歳かそこらの年齢であったので、夢の中ではその年頃の姿になっているであろうが、既に達観した目で母の話を聞いていると想像すると、どこか滑稽で笑えてくる。
「昭王は旅先で長江が氾濫すると聞き、残した妻を案じ使者を遣わしました。しかし急いでいた為に使者に割符を渡し忘れたのです。
割符は王の使者である事を証明する大事な物。貞姜は割符を持たない使者に付いていく事を拒否します。その間にも長江は増水し、既に溢れていたかも知れません。それでも断ったのです。
使者は割符を受け取る為に昭王の元に急いで戻りますが間に合わず、貞姜は洪水に飲まれて命を落としました。
さて慧玉、この貞姜の話を聞いて、お前はどう思います」
「かわいそう」
幼い頃、思ったままを口にした時の母の不機嫌そうな顔を今でも鮮明に覚えている。そんな答えは望んでいないと、無言のまま目を以って明言していた。今もこうして夢で見ている時も、印象が薄らぐ事もなくはっきりと再現されるのだ。
母は何か言いたげなまま何も言わず、宋の伯姫の話に移る。いつも同じ流れだ。
「では次に、宋の伯姫の話をしましょう。魯の宣公の娘に生まれ、宋の共公に嫁ぎます。
ある時、共公が不在の折、宋の城で大火が起きました。城には共公の使いも守り役もおらず、彼女を助ける者がいなかったのです。
しかし伯姫は逃げ出す事もなく、炎の中で城と運命をともにしました。さて、どうです慧玉」
正直愚かだ。
そのような死に方、いや生き方など真似したくはない。例え泥にまみれても、愛する者には生きていて欲しいと願うものではないのか。それほどに名誉が大切なのだろうか。
しかし思うままを答えたところで母の機嫌を損ねると理解していた。
「立派だと思います……」
我が意を得たりとばかりに母は笑顔を見せた。
「そうです。嫁いだ女は、夫の許しなく勝手に動く事などなりませぬ。例え死が迫っていてもです。……いえ、死が迫った時こそ、その人間の本質が出るというものです」
そんな母の信念が口だけでないと分かったのは、それからしばらく後の事。
涼州の漢陽郡で梁双という男が叛乱を起こした。その頃まだ幼い趙英は、母と二人の兄とともに、同じ漢陽郡にある西県に住んでいた。
役人である父は県令(市長のようなもの)として武都郡の羌道県に赴任しており留守で、兄たちは不運な事に叛乱が起きた場に居合わせた。
県令の息子である事を理由に兄二人とも梁双に殺害されたという報告が届く。
このままでは羌道にいる父に報告が届く前に叛乱軍がやってくる事は確実であった。しかし母はそこに至っても冷静で、いつものように故事を引用する。
「道ですれ違う人々皆が振り向くと言われた傾国の美女たる西施と言えど、汚物にまみれた服を纏えば、道行く人は皆が鼻をつまんで逃げると言います。
ましてや私は傾国の美女などではありません」
そう言うと母はボロボロにほつれた麻の服に着替えると家の外に向かい、肥料として木桶に溜めていた糞尿を素手ですくい取ると麻の服に塗りたくり、最終的に顔まで汚物にまみれた。
幼かった趙英も思わず鼻をつまんで顔を背けたのを覚えている。
「さあ、行きますよ」
まるで散歩にでも出かけるかのように自然に、それでいて有無を言わせぬ圧を以って、趙英は母に手を引かれ、父のいる羌道へ向かった。
その間、母は食事も水も摂らずに全て娘に渡していた。おかげで趙英は飢えた記憶はないが、母は日に日に痩せこけていった。
母の策が功を奏したか、天運に恵まれたか、幸いにして叛乱軍に追いつかれる事もなく羌道へ到着するが、すぐ先に城門が見える客桟で、母は足を止めた。
「慧玉、前に話した楚の貞姜、宋の伯姫の話を憶えていますか?」
趙英は頷いた。
「私も本来は家を動かず、叛乱軍がやってきたなら自害して果てるべきでした。されどそうしなかったのは、幼いお前を一人残すわけにはいかなかったからです。この先に見える城に父上がおります。ここまで来れば一人で行けますね」
そう言って母は隠し持った小瓶から毒をあおって倒れ伏した。
趙英が大声で助けを呼ぶと、客桟から人が出てきて、その中に幸いにも医術に詳しい者がいた為、母は一命を取り留めた。
羌道の城に運ばれると、父は母を抱きしめ、生きていてくれて良かったと涙を流した。やはり母がどう思おうと、父のその言葉に応えるのが正しいと、幼心に趙英は思った。
その後、回復した母が尚も自害しようとするのだが、父が自ら説得して思い直させたのである。
しかしこの一件の噂が広まって「涼州の貞婦」などと誉める者が後を絶たず、そう言われる度に自慢気な母を見ると、本質的な価値観は変わっていないようだった。
やはり趙英は、母が苦手だった。
この時は娘の命を救ったが、それは己の名誉と明確に対立しなかったからだ。もし名誉と子供の命を天秤にかける事になったなら、迷わず子を捨てるだろう。
少なくとも我が子にそう思わせる母が怖かった。
それ以降、趙英は自分の人生そのものを以って母への反抗とした。
女らしくある事が嫌だった。
名誉を守る方法に、死ぬ以外の選択肢がない事も嫌だった。
男装して剣を学んだのも、全ては母の価値観を否定したい、それが出発点だった。
そんな趙英の父の名は趙昂。そして母の名は王異と言った。
目の前に母がいた。まだ若い頃の母。
趙英は夢を見ていると自覚した。まるで天意が、或いは母の念が、自分に忘れさせまいとしているかのように定期的に見る夢だ。
母は古書の虫で、知識も大いにあり、そこから学んだ伝統的価値観を大切にし、そしてそれらを活かす応用力や決断力もあった。
趙英はそんな母が苦手だった。
「さて楚の貞姜の話をしましょう。斉の公女として生まれ、楚の昭王に嫁ぎました……」
何度も聞いた話。
実際に母が話して聴かせたのは、この時くらいなものだが、それを何度も夢に見る。
いい加減にしてほしいが、誰に文句を言えばいいのか分からず、言ったからといって改善される物でもなかろう。
当時はまだ六歳かそこらの年齢であったので、夢の中ではその年頃の姿になっているであろうが、既に達観した目で母の話を聞いていると想像すると、どこか滑稽で笑えてくる。
「昭王は旅先で長江が氾濫すると聞き、残した妻を案じ使者を遣わしました。しかし急いでいた為に使者に割符を渡し忘れたのです。
割符は王の使者である事を証明する大事な物。貞姜は割符を持たない使者に付いていく事を拒否します。その間にも長江は増水し、既に溢れていたかも知れません。それでも断ったのです。
使者は割符を受け取る為に昭王の元に急いで戻りますが間に合わず、貞姜は洪水に飲まれて命を落としました。
さて慧玉、この貞姜の話を聞いて、お前はどう思います」
「かわいそう」
幼い頃、思ったままを口にした時の母の不機嫌そうな顔を今でも鮮明に覚えている。そんな答えは望んでいないと、無言のまま目を以って明言していた。今もこうして夢で見ている時も、印象が薄らぐ事もなくはっきりと再現されるのだ。
母は何か言いたげなまま何も言わず、宋の伯姫の話に移る。いつも同じ流れだ。
「では次に、宋の伯姫の話をしましょう。魯の宣公の娘に生まれ、宋の共公に嫁ぎます。
ある時、共公が不在の折、宋の城で大火が起きました。城には共公の使いも守り役もおらず、彼女を助ける者がいなかったのです。
しかし伯姫は逃げ出す事もなく、炎の中で城と運命をともにしました。さて、どうです慧玉」
正直愚かだ。
そのような死に方、いや生き方など真似したくはない。例え泥にまみれても、愛する者には生きていて欲しいと願うものではないのか。それほどに名誉が大切なのだろうか。
しかし思うままを答えたところで母の機嫌を損ねると理解していた。
「立派だと思います……」
我が意を得たりとばかりに母は笑顔を見せた。
「そうです。嫁いだ女は、夫の許しなく勝手に動く事などなりませぬ。例え死が迫っていてもです。……いえ、死が迫った時こそ、その人間の本質が出るというものです」
そんな母の信念が口だけでないと分かったのは、それからしばらく後の事。
涼州の漢陽郡で梁双という男が叛乱を起こした。その頃まだ幼い趙英は、母と二人の兄とともに、同じ漢陽郡にある西県に住んでいた。
役人である父は県令(市長のようなもの)として武都郡の羌道県に赴任しており留守で、兄たちは不運な事に叛乱が起きた場に居合わせた。
県令の息子である事を理由に兄二人とも梁双に殺害されたという報告が届く。
このままでは羌道にいる父に報告が届く前に叛乱軍がやってくる事は確実であった。しかし母はそこに至っても冷静で、いつものように故事を引用する。
「道ですれ違う人々皆が振り向くと言われた傾国の美女たる西施と言えど、汚物にまみれた服を纏えば、道行く人は皆が鼻をつまんで逃げると言います。
ましてや私は傾国の美女などではありません」
そう言うと母はボロボロにほつれた麻の服に着替えると家の外に向かい、肥料として木桶に溜めていた糞尿を素手ですくい取ると麻の服に塗りたくり、最終的に顔まで汚物にまみれた。
幼かった趙英も思わず鼻をつまんで顔を背けたのを覚えている。
「さあ、行きますよ」
まるで散歩にでも出かけるかのように自然に、それでいて有無を言わせぬ圧を以って、趙英は母に手を引かれ、父のいる羌道へ向かった。
その間、母は食事も水も摂らずに全て娘に渡していた。おかげで趙英は飢えた記憶はないが、母は日に日に痩せこけていった。
母の策が功を奏したか、天運に恵まれたか、幸いにして叛乱軍に追いつかれる事もなく羌道へ到着するが、すぐ先に城門が見える客桟で、母は足を止めた。
「慧玉、前に話した楚の貞姜、宋の伯姫の話を憶えていますか?」
趙英は頷いた。
「私も本来は家を動かず、叛乱軍がやってきたなら自害して果てるべきでした。されどそうしなかったのは、幼いお前を一人残すわけにはいかなかったからです。この先に見える城に父上がおります。ここまで来れば一人で行けますね」
そう言って母は隠し持った小瓶から毒をあおって倒れ伏した。
趙英が大声で助けを呼ぶと、客桟から人が出てきて、その中に幸いにも医術に詳しい者がいた為、母は一命を取り留めた。
羌道の城に運ばれると、父は母を抱きしめ、生きていてくれて良かったと涙を流した。やはり母がどう思おうと、父のその言葉に応えるのが正しいと、幼心に趙英は思った。
その後、回復した母が尚も自害しようとするのだが、父が自ら説得して思い直させたのである。
しかしこの一件の噂が広まって「涼州の貞婦」などと誉める者が後を絶たず、そう言われる度に自慢気な母を見ると、本質的な価値観は変わっていないようだった。
やはり趙英は、母が苦手だった。
この時は娘の命を救ったが、それは己の名誉と明確に対立しなかったからだ。もし名誉と子供の命を天秤にかける事になったなら、迷わず子を捨てるだろう。
少なくとも我が子にそう思わせる母が怖かった。
それ以降、趙英は自分の人生そのものを以って母への反抗とした。
女らしくある事が嫌だった。
名誉を守る方法に、死ぬ以外の選択肢がない事も嫌だった。
男装して剣を学んだのも、全ては母の価値観を否定したい、それが出発点だった。
そんな趙英の父の名は趙昂。そして母の名は王異と言った。
1
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
要塞少女
水城洋臣
歴史・時代
蛮族に包囲され孤立した城を守り抜いた指揮官は、十四歳の少女であった。
三国時代を統一によって終わらせた西晋王朝の末期。
かつて南中と呼ばれた寧州で、蛮族の反乱によって孤立した州城。今は国中が内紛の只中にあり援軍も望めない。絶体絶命と思われた城を救ったのは、名将である父から兵法・武芸を学んだ弱冠十四歳の少女・李秀であった……。
かの『三國志』で、劉備たちが治めた蜀の地。そんな蜀漢が滅びた後、蜀がどんな歴史を辿ったのか。
東晋時代に編纂された史書『華陽國志』(巴蜀の地方史)に記された史実を元にした伝奇フィクションです。
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻
初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。
1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。
霧深き北海で戦艦や空母が激突する!
「寒いのは苦手だよ」
「小説家になろう」と同時公開。
第四巻全23話
鵺の哭く城
崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。
蒼雷の艦隊
和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。
よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。
一九四二年、三月二日。
スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。
雷艦長、その名は「工藤俊作」。
身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。
これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。
これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。
北宮純 ~祖国無き戦士~
水城洋臣
歴史・時代
三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。
そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。
そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。
その名は北宮純。
漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる