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第三部
12,学園祭
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王都で流行っていた麻薬はおそらく「医薬品」というカテゴリーになる。
日本だと「医薬品」には第1類医薬品、第2類医薬品などとあるが、田中哲朗の仕事では「化粧品」であり、この「医薬品」に相当するものにはあまり手をつけていない。
「化粧品」のカテゴリーに似たものに「医薬品」と「医薬部外品」というものがある。
「化粧品」にはさらに「薬用化粧品」と呼ばれるものもある。これは「医薬部外品」に位置づけられている。
従来「薬事法」と呼ばれていた法律があったが、これは2014年に「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」と名称を変え、今では「医薬品医療機器等法」とか「薬機法」と呼ばれている。
この法律の中に「化粧品」の定義がある。
「化粧品」とは、人の身体を清潔にし、美化し、魅力を増し、容貌を変え、又は皮膚若しくは毛髪を健やかに保つために、身体に塗擦、散布その他これらに類似する方法で使用されることが目的とされている物で、人体に対する作用が緩和なものをいう。
わかりやすく説明すると、「医薬品」は人体に対する作用が強く、副作用も生じることもあるが、治療の意味合いが強い。
「薬用化粧品」は「医薬品」に比べて人体に対する作用が緩和なものであり、症状の予防や防止、衛生の目的がある。この「薬用化粧品」には「医薬部外品」という記載が必須である。
「化粧品」は、「薬用化粧品」よりもさらに人体に対する作用が緩和なものであり、清潔や美化という狙いがある。
この「医薬品」と「薬用化粧品」には、たとえば「肌あれ・にきびを防ぐ」等の有効成分が配合されており、「化粧品」には有効成分はない。この有効成分の有無がまず一つの区別である。
有効成分とは別に効能というものがあり、「化粧品」の効能の範囲には、「頭皮、毛髪を正常にする」とか「肌を整える」とか「皮膚の乾燥を防ぐ」など56項目あって、これ以外の効能を説明することはあまりない。
しかし、「化粧くずれを防ぐ」「小じわを目立たなく見せる」などのメーキャップ効果等の物理的効果や「清涼感を与える」「爽快にする」等の使用感については事実に反しない限りは認められる。
そして、ややこしいのだが、「薬用化粧品」も「化粧品」も治療を目的とした「医薬品」とは異なるので、通常は健康な皮膚に用いられる。
「しみのできそうなところに」のような特定の患部を惹起させる説明ではなく、「適量を肌に」等の説明となる。
間違っても「これを使えば治療可能」「若返る」「最高の効果」、こういう表現はしてはならない。
これはかなり厳密に取り決められているが、時折ニュースで誇大広告の表現が問題視されることがある。健康番組や健康食品の広告が良い例である。一昔前は新興企業が参入しやすい時期だったので、今から考えるとかなり問題のある表現広告が数多くあった。
近年ではSNSなどで個人がインフルエンサーとなって宣伝する時の文句が問題になっていたのだが、美容関連の記事を書くライターたちにはその問題意識があって少しずつ表現を抑えるようになっていった。
日本化粧品工業連合会というところから『化粧品等の適正広告ガイドライン』と呼ばれるものが出ており、以上のことは更に詳しく説明されている。
私もよく読み込んでいたが、本当に細かい。しかし、そのくらいの制限や規制がなければいけないものだと思う。
あのバハラ商会ではこの「医薬品」と「薬用化粧品」と「化粧品」の3つをチャンポンした説明を行っていたようである。
このカテゴリーは私は必要だと思っているので、「化粧品は薬ではない」という説明は顧客に対して最初からしている。
とはいえ、効き目は薄いが肌を治療するクリームの開発はしており、これは日本では「医薬品」になる。
だから、ドジャース商会では「医薬品」を販売しているが、数は少ない。この5月にヒロインが協力してくれたおかげで、少しずつこの世界の有効成分が明らかになってきた。ヒロインがいなければ開発のできない薬はあった。
これは後日知ったことだが、アリーシャはスラム街から出た後にヒロインの所に被害者たちを連れて行って、治癒魔法をかけたそうである。ポーションでは治せなかった症状もかなり、いやほとんど改善されていた。
人を蘇らせる効果はない治癒魔法だが、確かに一度死んでしまった人たちを蘇らせた。魂が蘇った。効果にあきれるよりは、結果に安堵した。
それでもこの2年間で負った傷が癒されたわけではない。過去はもう二度とやり直せない。だが、ここから歩き始めてくれたらいい、そう思う。
それからは被害に遭った者たちを定期的に呼んで、ヒロインと一緒に治療結果のデータを取っていった。
どうしてあの被害者たちが肌をさらしたのか、それは気に掛かっていたのだが、事前にヒロインとの打ち合わせをしていたのではなかったか。
同時期には王都の治安問題にも力を入れて、悪質な薬を売る者たちを摘発しつづけた。ただ、やはり大本まではたどり着けなかったのは苛立たしいこと限りなしである。
そして苛立たしいことは王宮内でも起きている。
「そ、それでは、バラ、バラード王国内の治安について、報告いたします」
部下のコーディーに王都の治安管理を任せている。定期的にその関係部署の人間たちを呼んで、王都内の治安問題の共有を図っている。
ある時の会議でとても嫌な、気分の悪くなることがあった。笑い声が上がったのである。
「待て、なにがおかしい? 今の説明で笑うところがあったのか?」
バーミヤン公爵家と懇意にしているワルイワ侯爵家がある。
あの王妃カルメラとゲスの妻の家である。ワルイワ家にちょうどコーディーと同い年のネールという男がいる。
ゲスが無理矢理ねじ込んだ男である。
このネールも治安に関わる立場にあるのだが、この男がこうした会議ではコーディーを茶化すのだという。
部下からだいたいのあらましは訊いた。コーディーは私には何も言わなかったのだが、他の人間がこっそりと私に伝えてきた。だから、今回は私も参加することにした。
「いえ、ちょっと聞き取れなかったもので」
ネールはへらへらと笑いながら答えた。コーディーの言葉を聞くやいなや、この男はにたにたと笑ったのである。
コーディーには吃音の発語障害がある。それは最初に出会った頃からわかっていた。それでも問題のない報告だし、仕事もこなす。何の問題もない。
「他の者でコーディーの今までの説明で不明なところがあった者はいるか?」
誰も返事をしない。まあ、ここで挙手する人間などいないだろう。予想の範囲内である。
大人になると挙手はしないのである。挙手にはエネルギーを使う。
だから、「コーディーの説明が理解できた者はいるか?」と問うよりもこっちの訊き方の方がこちらには都合がいい。
「お前の耳に問題があるのだろう。紙の資料もある。聞き漏らしても普通は補完できるだろう。今後つまらないことで進行に水を差すな。それともコーディーよりも正確な報告ができるのならお前がやればいい。私の権限で許可してやろう」
このネールの態度には頭にきたので私もつい口が悪くなってしまった。
さすがに私に叱責されるとは思わなかったのか、ネールは忌々しそうな表情を浮かべている。本当にワルイワ侯爵家の人間もゲス・バーミヤン同様に性格が捻れている。この男にどうして治安が守れるのだろうか、疑問しかない。
夜のドラマを妻と観ていて、何回か役者の台詞について話をしたことがある。
「こんなに長い台詞なんて、家の中で言わないよ。しかも全くつっかえない」
まあ、確かにそうだろう。
演技以外で長々しく話すことなんて普通はしない。もう亡くなったが役者の台詞が鬼のように長いことで有名な脚本家がいたものである。
現実には相手が話し出すのとこちらが話し出すのとが重なることもある。フィクションは総じて綺麗な会話である。
一昔前に、台詞を噛むということに対する笑いが流行ったし、今でもそういう傾向はあるのだろう。私の価値観からすれば考えられないことである。いったい何がおかしいのだろうか。そんな社会、吃音症状のある人間にとっては恐怖でしかないだろう。私のプロポーズの言葉は噛みまくりだった。
どもりといえば、そういう特徴を強調された有名な画家が日本にはいた。以前にその親類の本を読んだことがあったが、メディア受けの良いように演じられていて、本人としては面白くない、そういうことが書かれてあったのが印象的だった。
人は何に怒りを覚えるかでその人が何を重視しているか、信念として抱いているかがわかるという。それは一つの真理だろうと思う。
同様に、人は何を笑うかでその者の根強い性格や性質というものが如実に表れている。アリーシャの婚約破棄の場で笑っていた者たちは精神が腐っている、今でもそう思う。
笑いには更新が必要である。何を笑いにしてはいけないのか、そんな議論をすると「昔は良かった」「言葉狩りだ」と批判的な声もあるが、一度笑われ、そして笑われ続ける立場になればいい。
一番哀れなのは笑われ続けることが当たり前になって、その中で生きていって「私はそれでいいんです」と納得する当事者たちである。本人が了承しているんだから、という論理は捨て去るべきであり、第三者がそれは駄目だと主張する権利や義務があると私は思う。パワハラもセクハラもそうである。この世界でも同じである。慣れてしまっていい慣れと、慣れてはいけない慣れがある。後者は後世のためにも即刻断ち切るべきである。
知識の欠如が偏見を生み、肯定する。
では、物知りに偏見が少ないかというとそうではない。知識の捉え方が違うのである。
知識とは固定的なものでもカタログのようにただ在るものでもなく、ダイナミックなものであり、一種の出来事である。
「地球は丸い」という知識は「地球は丸くない」の否定ではない。
何かを知るということは自分の身体を、自分の思考の枠組みを脱臼させて、なおかつ組み替えていく孤独な営みである。
この世界の偏見を私は糺すことがどれだけできるだろう。もちろん、私も何らかの偏見に囚われている。できる限り自覚的でありたいが、他者の声を聞けなくなった時が私の終わりだと思っている。
「あ、ありがとう、ございます」
「いい。お前が気にすることではない。それよりもいつもあんなに資料を作っているのか。良い資料で大変わかりやすい」
コーディーが終わってから私に礼を言った。こういうことで礼を言わないような社会になってほしいと思う。
それにしても資料作りが上手くなったものだ。
私がどういう資料が読みやすいのか、そういうのを図式化して部下たちに教えたのだが、部下たちはみなよく吸収している。その中でもコーディーの資料は頭ひとつ抜け出ている。
あるいは、話すのが苦手だからこそこういう方面に力を入れた、コーディーの性格からはそうも読み取れる。そういう粘り強さがこの男にはある。
部下たちは優秀で、どうして仕事を与えていなかったのか不思議なくらいである。
そして、私は人は育成はしなければならないと思っているので、働きはじめて1、2年の者は必ず誰かとペアにさせている。権力はこういう時にこそ使うべきだ。
みながみな、最初から仕事ができるわけではない。優秀な人間ばかりが集まるわけではないのは事実であり、かといって嘆いていても仕方がない。仕事ができないのなら仕事ができるように育てるしかないのである。人それぞれ成長の仕方も早さも違う。
やる気がない人間を叱ることはできるが、部下の中には力不足でできない人間がいる。そんな人間を叱る必要はない。自分の非力さを自覚している者を追い詰めなくていい。
だが、性格がひん曲がっている人間は別である。本当に悩みは尽きない。
王宮勤めでとりわけ驚かされたのは、財務関連の書類に複式簿記と思われる記帳法が取り入れられていたことである。その出所はわからないが、元々この世界にあったのだろう。それにしてはソーランド領には見られなかった。
昔は私も株をやっていたのだが、その時に貸借対照表など、会社の財務状況などを知るために読むための方法を身につけたものだ。ただ、複式簿記の中身まではあまり詳しく知らないというか、わりとノータッチだった。
こういう面で改革をするのも良かったのかもしれない。
なお、私は管理職になってからは一切の株をやめた。業務上、インサイダー取引になる案件を耳にすることがあるかもしれなかったからだ。そして、実際にあった。早めに止めて良かったと思う。
「いいじゃん、私がやればバレないって」と娘が言っていたが、世の中にはそんなことをして儲けている輩がいるのは事実である。飲み屋で仲良くなった税務署に勤めていた人間がいたのだが、まあそういう話はあるようだ。
この世界には株式というのはないが、そうだな、もう少し時代が進めばそういうのも出てくるものなのかもしれない。
時は10月、バラード学園では学園祭があった。
日本でいう文化祭のようなものだが、有志を募って演劇が行われたり、コンサートが催されたり、各地の名産品を並べたり、模擬店なども行われる。
模擬店が導入されたのは、数年前のことである。私は知らなかったが、ちょうどカーティスが学園にいた時に試験的に導入されたのだそうだ。簡単なクレープをその場で作ったり、飴細工やスイーツ類などを事前に作って販売する。
「お父様、今回こそあの商品を出します」
「ふーむ、まあそれは構わないが、お前も一応年頃の女の子なんだからな」
アリーシャが意気込んでいたのはこの模擬店で、しかも焼きそばである。
焼きそばのソースの開発は結構難航していたし、焼きそばのそばもかなり調整が難しかった。これらについてはまだドジャース商会でも商品としては販売していない。ただ、時期的にもういいだろうと思っていた頃だった。
王都は内陸なので魚は川魚くらいしか食べない。ただ、他国には遠洋漁業ではないが、海のある港街で新鮮で美味しい魚が豊富に採れるところがある。そして、鰹もあり、さらに鰹節にまで手を出してしまった。
鰹節を作るのに一番時間がかかったように思う。
私も原理は少しは知っていたが全てを知っているわけではないので、しかもソーランド領では鰹は採れないので他領の港街に研究所を作って開発をさせていた。黴の研究者も同行していたが、鰹の管理環境を整えるのに一苦労した。
なんせ私以外には鰹節の存在を知らないので、できあがったものが本当にそれなのかをいちいち報告して、意見を伝える時間も相当なものである。粘り強い開発の一つである。
青のりはあおさで代用したが、海苔の開発も少しずつ行って成果になっているが、まだ販売はしない。
ところで、マヨネーズを初めて作った時にはみな感動していた。カレーや醤油の発見くらい驚いていた。どの世界にもマヨラーはいるようである。
「これもドジャース商会で売りましょう」
ケビンはそう言ったのだが、却下した。
当たり前のことだが、保存期間が短いのである。
スーパーで売っているようなチューブのマヨネーズなどこの世界で売れるはずがない。生菓子と同じくらいの扱いである。
だから、レシピ登録はしており、店を出している者たちは手作りでマヨネーズを作っているのだが、その日のうちに使い切ることが多く、そしてマヨネーズ単体では販売はしていない。
家庭では作られているというが、ハンドミキサーがないので苦労しているようである。
水と油のように混ざらないものが混ざり合う現象を「乳化」と言う。マヨネーズの場合は卵が乳化剤の役割を担っていることが知られている。
これは化粧品にも同じことが言えて、水に馴染む親水基と馴染まない疎水基を持っている界面活性剤があることによって上手く機能している。
油分に疎水基が集まって外相が水のO/W型や、逆に水分に親水基が集まって外相が油のW/O型とか、他にもいろいろとタイプがあるのだが、質感などのテクスチャーや化粧持ちにも関わってきて、これもかなり使用に際しては重要な点である。
日焼け止めなどがわかりやすいが、効果は抜群でもテクスチャーが心許ないと不評である。味と食感のような関係かもしれない。美味しいカレーパンの味も液体状では美味しいと感じないようなものだ。
マヨネーズに限らないが、保存期間を長くする保存料や防腐剤、添加物の開発は遅れているというか、開発に時間がかかるものである。一部試作品はあるのだが、安全性が担保されておらず、こればかりは気長に作っていくしかない。
これは化粧品にも同じことが言えて、石けんならまだしも、化粧水は手作りだとそんなに長くはない。1週間保てば良い方である。日本でも手作り化粧水の人気が出てきた時期があったのだが、その意味で怖いものである。だから、日本よりもリピーターがやってくる率が高い。
保存料はないが、乾燥剤なら開発をしている。まあ、こういうのを見つけるのも私の仕事だろう。
一応、賞味期限と消費期限という概念はこの世界に導入はしたが、どうなるものかはまだわからない。
大量生産の社会になることを想定したら、食品ロスだとか環境への配慮は後々深刻になっていく。今のうちに意識を根付かせねばなるまい。
さて、アリーシャはこういう開発にも関わっていたので、焼きそばは是非とも売りに出したいようだった。
どこに鉄板で焼きそばを作る公爵令嬢がいるのか、ここにいるではないか。もはやどこかのクッキンアイドルである。
鰻も焼きそばも匂いで売る。この世界でもそうである。
私も学園祭に行ってみた。2日開催のようで、意外と規模の大きいものである。中には腕相撲大会のような不思議な催しがあったが、場を盛り上げるためのものだろう。
通う子たちは貴族の家の子が多いので、それなりの水準を保っているというか、見栄の応酬のようなところがある。まあ、それも文化の祭典だと思えば悪いことばかりとは言えないか。
いろいろな商会も入りこんできて、内装や商品販売などを行う。商品販売の場合は在庫処理という目的もありそうだ。だから、学生主体とは言えないが、それでもいいのだろう。
学生たちの中には、学会に所属している人間が何人かいる。
一般コースの学生ばかりだったが、早熟なのか研究者気質なのかはわからないが、市販の教科書などでは満足がゆかずに個人的にもっと探究をしたい、そんな子たちだった。
特待枠の子たちが多い。学会費は多国の寄付にもよるが、それぞれの会員にも少しばかり負担してもらっている。しかし、学生に関しては無料にしている。特待枠の子たちは経済的に豊かではない子もいるので、学び意欲を金のなさでかき消されるのは見ていてつらい。せめて学生の間は無償で学ばせてやりたいと思い、私が強く推した。
学園祭では学生主体になって、学会の発表がある。私が学園祭に来たのもそれを観察するためだった。
だから、今日は私の他にも医学者のアーノルドや土研究者のレイト、動物学者のマロン、物理学者のジュリーなども顔を出している。コメンテーターとして参加をするのだそうだ。
あのカーサイト公爵家のシーサスはポーション学会に所属している。学会員申請でシーサスの名を発見した時には少し驚いたものだった。
前の学会はシーサスが妖精のレシピを入手する前だったので、中級ポーションを売りに出してからは初めて会う。
ポーションはレシピ以上のことは研究できないと思われているが、たとえばポーションには歯を白くする効果があって、オーラルケアの観点からの研究がある。
ここからポーションには脱色や殺菌、除菌作用があるのではないかという新たな疑問が湧きあがり、呑む以外に塗布する使用の模索が続けられている。
実際、ある種の菌を死滅させる効果があることが判明した。ポーションをスプレー状にしてシュッシュと吹きかけたら綺麗になる、あるいは簡易的な化粧水として働きうる、そんな可能性を感じさせる。この世界にポーションを吹きかけるという発想はない。
「久しぶりだな。ポーションには驚かされたぞ」
早速シーサスに声をかけた。シーサスも今回発表をするのである。
「そうですか……」
どこか不本意な反応であるが、レシピは妖精のものだとはいえ作り上げるのは並大抵のことではない。かなり再現するのには調整があったはずである。しかも短期間にそれを成し遂げたのだから、シーサスはもっと自慢をしてもいいくらいだと正直思う。おそらく、5月に行われた武闘会に婚約者のエリザベスは来ていたが、シーサスは来なかった。あの時にはもうある程度の見通しは立っていたのだろうと思うし、煮詰まっていたのだろう。
「君も妖精に会ったのだな」
「なぜそれを? まさかバカラ様も妖精に会ったのですか?」
「ああ、この夏だったな。君らがソーランド領に行っていた時に迷いの森へな。勘違いしないでくれ、別に先にやられてしまったとは思っていない。私が遅かった、それだけのことだ」
実際、キャリアの情報を聞いたりモグラから話を聞いた段階で迷いの森に行っていれば、妖精に会えたかもしれない。しかし、私は行かなかった。悔しさはあるが、自分の怠慢が招いたことである。それを恨みがましく思うのは筋違いであることくらいは分かる。
「そうですか……。バカラ様はマナポーションは作られましたか?」
「ああ、酷い味だ。マナポーションは課題だな」
「ははっ、わかります。私も今そこに手こずっています」
やっと笑みが浮かんだ。シーサスはどうやらマナポーションの味を変えたいようである。
確かにあれをそのまま売りに出しても厳しいだろう。おそらく今でも売っているマナポーションよりも効果は高いのだろうが、作り手としては満足のゆかないものであるのは私と同じ気持ちのようだった。
魔物と戦っている時にあのマナポーションを呑むのは正直考えづらい。不味さにのたうち回っているうちにやられてしまうだろう、そのくらいの味である。
私がいるいないにかかわらず、シーサスは元々あの毒薬ポーションを改良したいと考えていたのだろう。
マナポーションが不味いのは、ある物質が別の物質と組み合わさると、味覚を過度に刺激するからだろうと考えている。その物質を取り替えて、なおかつ同じ効果を持たせるか、その刺激を別の刺激で薄めるか、いろいろと改善案はある。それでも薬草の数は豊富なので時間はかかるだろう。
ドジャース商会のポーションの味が良いのは、この世界で砂糖以外の甘味料を見つけたからである。それが初級ポーションには合った。
ただ、妖精のレシピのポーション、つまりアリ商会が売っている新作ポーションに混ぜても味は改善されなかったし、マナポーションでも同じことだった。
あの時に妖精がドジャース商会のポーションを呑んで感動していたということは、妖精はまだその種の甘味料を見つけ切れていない、そうなんだろうと思う。ポーションが妖精だけの専売特許ではないと確信した瞬間だった。
「まあ、ただでさえポーションはまだ謎のところが多い。こうした学会でみなが知恵を出し合って質の良いポーションが生まれてくれたらと思うよ」
「一つ伺いたかったのですが、どうして私が許可されたのでしょうか?」
ライバルなのに、そういう表情をしている。
「商売敵ではあるが、ポーションはいったい誰のために作るべきなのか、考えさせられることがあってな。一人の知恵だとどうにもならない。あの妖精が時間をかけて作ったレシピだ、それに挑戦するためにも幅広い視点から研究するのが一番良いと私は思っている」
「社会のため、ですか?」
「いや、そんなに褒められたもんじゃない。私自身のため、もちろんその気持ちがある。この気持ちがなければポーションを改良しようだなんて思わんよ。我欲は欠点ではない、特に研究開発に関してはな」
自分のため、個人的にはそういう思いの方が強いところはある。私には滅私の志などない。
だが、自分のためであってもそこから社会のためへと広げていくこともできる。自分の利益が社会の利益になる、そういう風に考えてみてもいいのだろうと思っている。
ちなみに、シーサスだけではなく婚約者のエリザベスもポーション学会に所属している。いずれはカーサイト家に入るので、そういう知識を身につけたいということなのだろう。
「我欲は欠点ではない、ですか」
「そうだ。君はなぜポーションを改良したいのか、それを考えてみるといい。それだけでも何か手がかりになるかもしれんぞ」
実際、妊婦が使うと聞いて、私もポーションの方向性は定めておきたいと思った。小型化のポーションを開発したいと思うのも、そういう理由に近い。冒険者や護衛たちだって、かさばるポーションを何本も持ちたいとは思わないだろう。だから、丸薬や錠剤にしたい。
日本だと「医薬品」には第1類医薬品、第2類医薬品などとあるが、田中哲朗の仕事では「化粧品」であり、この「医薬品」に相当するものにはあまり手をつけていない。
「化粧品」のカテゴリーに似たものに「医薬品」と「医薬部外品」というものがある。
「化粧品」にはさらに「薬用化粧品」と呼ばれるものもある。これは「医薬部外品」に位置づけられている。
従来「薬事法」と呼ばれていた法律があったが、これは2014年に「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」と名称を変え、今では「医薬品医療機器等法」とか「薬機法」と呼ばれている。
この法律の中に「化粧品」の定義がある。
「化粧品」とは、人の身体を清潔にし、美化し、魅力を増し、容貌を変え、又は皮膚若しくは毛髪を健やかに保つために、身体に塗擦、散布その他これらに類似する方法で使用されることが目的とされている物で、人体に対する作用が緩和なものをいう。
わかりやすく説明すると、「医薬品」は人体に対する作用が強く、副作用も生じることもあるが、治療の意味合いが強い。
「薬用化粧品」は「医薬品」に比べて人体に対する作用が緩和なものであり、症状の予防や防止、衛生の目的がある。この「薬用化粧品」には「医薬部外品」という記載が必須である。
「化粧品」は、「薬用化粧品」よりもさらに人体に対する作用が緩和なものであり、清潔や美化という狙いがある。
この「医薬品」と「薬用化粧品」には、たとえば「肌あれ・にきびを防ぐ」等の有効成分が配合されており、「化粧品」には有効成分はない。この有効成分の有無がまず一つの区別である。
有効成分とは別に効能というものがあり、「化粧品」の効能の範囲には、「頭皮、毛髪を正常にする」とか「肌を整える」とか「皮膚の乾燥を防ぐ」など56項目あって、これ以外の効能を説明することはあまりない。
しかし、「化粧くずれを防ぐ」「小じわを目立たなく見せる」などのメーキャップ効果等の物理的効果や「清涼感を与える」「爽快にする」等の使用感については事実に反しない限りは認められる。
そして、ややこしいのだが、「薬用化粧品」も「化粧品」も治療を目的とした「医薬品」とは異なるので、通常は健康な皮膚に用いられる。
「しみのできそうなところに」のような特定の患部を惹起させる説明ではなく、「適量を肌に」等の説明となる。
間違っても「これを使えば治療可能」「若返る」「最高の効果」、こういう表現はしてはならない。
これはかなり厳密に取り決められているが、時折ニュースで誇大広告の表現が問題視されることがある。健康番組や健康食品の広告が良い例である。一昔前は新興企業が参入しやすい時期だったので、今から考えるとかなり問題のある表現広告が数多くあった。
近年ではSNSなどで個人がインフルエンサーとなって宣伝する時の文句が問題になっていたのだが、美容関連の記事を書くライターたちにはその問題意識があって少しずつ表現を抑えるようになっていった。
日本化粧品工業連合会というところから『化粧品等の適正広告ガイドライン』と呼ばれるものが出ており、以上のことは更に詳しく説明されている。
私もよく読み込んでいたが、本当に細かい。しかし、そのくらいの制限や規制がなければいけないものだと思う。
あのバハラ商会ではこの「医薬品」と「薬用化粧品」と「化粧品」の3つをチャンポンした説明を行っていたようである。
このカテゴリーは私は必要だと思っているので、「化粧品は薬ではない」という説明は顧客に対して最初からしている。
とはいえ、効き目は薄いが肌を治療するクリームの開発はしており、これは日本では「医薬品」になる。
だから、ドジャース商会では「医薬品」を販売しているが、数は少ない。この5月にヒロインが協力してくれたおかげで、少しずつこの世界の有効成分が明らかになってきた。ヒロインがいなければ開発のできない薬はあった。
これは後日知ったことだが、アリーシャはスラム街から出た後にヒロインの所に被害者たちを連れて行って、治癒魔法をかけたそうである。ポーションでは治せなかった症状もかなり、いやほとんど改善されていた。
人を蘇らせる効果はない治癒魔法だが、確かに一度死んでしまった人たちを蘇らせた。魂が蘇った。効果にあきれるよりは、結果に安堵した。
それでもこの2年間で負った傷が癒されたわけではない。過去はもう二度とやり直せない。だが、ここから歩き始めてくれたらいい、そう思う。
それからは被害に遭った者たちを定期的に呼んで、ヒロインと一緒に治療結果のデータを取っていった。
どうしてあの被害者たちが肌をさらしたのか、それは気に掛かっていたのだが、事前にヒロインとの打ち合わせをしていたのではなかったか。
同時期には王都の治安問題にも力を入れて、悪質な薬を売る者たちを摘発しつづけた。ただ、やはり大本まではたどり着けなかったのは苛立たしいこと限りなしである。
そして苛立たしいことは王宮内でも起きている。
「そ、それでは、バラ、バラード王国内の治安について、報告いたします」
部下のコーディーに王都の治安管理を任せている。定期的にその関係部署の人間たちを呼んで、王都内の治安問題の共有を図っている。
ある時の会議でとても嫌な、気分の悪くなることがあった。笑い声が上がったのである。
「待て、なにがおかしい? 今の説明で笑うところがあったのか?」
バーミヤン公爵家と懇意にしているワルイワ侯爵家がある。
あの王妃カルメラとゲスの妻の家である。ワルイワ家にちょうどコーディーと同い年のネールという男がいる。
ゲスが無理矢理ねじ込んだ男である。
このネールも治安に関わる立場にあるのだが、この男がこうした会議ではコーディーを茶化すのだという。
部下からだいたいのあらましは訊いた。コーディーは私には何も言わなかったのだが、他の人間がこっそりと私に伝えてきた。だから、今回は私も参加することにした。
「いえ、ちょっと聞き取れなかったもので」
ネールはへらへらと笑いながら答えた。コーディーの言葉を聞くやいなや、この男はにたにたと笑ったのである。
コーディーには吃音の発語障害がある。それは最初に出会った頃からわかっていた。それでも問題のない報告だし、仕事もこなす。何の問題もない。
「他の者でコーディーの今までの説明で不明なところがあった者はいるか?」
誰も返事をしない。まあ、ここで挙手する人間などいないだろう。予想の範囲内である。
大人になると挙手はしないのである。挙手にはエネルギーを使う。
だから、「コーディーの説明が理解できた者はいるか?」と問うよりもこっちの訊き方の方がこちらには都合がいい。
「お前の耳に問題があるのだろう。紙の資料もある。聞き漏らしても普通は補完できるだろう。今後つまらないことで進行に水を差すな。それともコーディーよりも正確な報告ができるのならお前がやればいい。私の権限で許可してやろう」
このネールの態度には頭にきたので私もつい口が悪くなってしまった。
さすがに私に叱責されるとは思わなかったのか、ネールは忌々しそうな表情を浮かべている。本当にワルイワ侯爵家の人間もゲス・バーミヤン同様に性格が捻れている。この男にどうして治安が守れるのだろうか、疑問しかない。
夜のドラマを妻と観ていて、何回か役者の台詞について話をしたことがある。
「こんなに長い台詞なんて、家の中で言わないよ。しかも全くつっかえない」
まあ、確かにそうだろう。
演技以外で長々しく話すことなんて普通はしない。もう亡くなったが役者の台詞が鬼のように長いことで有名な脚本家がいたものである。
現実には相手が話し出すのとこちらが話し出すのとが重なることもある。フィクションは総じて綺麗な会話である。
一昔前に、台詞を噛むということに対する笑いが流行ったし、今でもそういう傾向はあるのだろう。私の価値観からすれば考えられないことである。いったい何がおかしいのだろうか。そんな社会、吃音症状のある人間にとっては恐怖でしかないだろう。私のプロポーズの言葉は噛みまくりだった。
どもりといえば、そういう特徴を強調された有名な画家が日本にはいた。以前にその親類の本を読んだことがあったが、メディア受けの良いように演じられていて、本人としては面白くない、そういうことが書かれてあったのが印象的だった。
人は何に怒りを覚えるかでその人が何を重視しているか、信念として抱いているかがわかるという。それは一つの真理だろうと思う。
同様に、人は何を笑うかでその者の根強い性格や性質というものが如実に表れている。アリーシャの婚約破棄の場で笑っていた者たちは精神が腐っている、今でもそう思う。
笑いには更新が必要である。何を笑いにしてはいけないのか、そんな議論をすると「昔は良かった」「言葉狩りだ」と批判的な声もあるが、一度笑われ、そして笑われ続ける立場になればいい。
一番哀れなのは笑われ続けることが当たり前になって、その中で生きていって「私はそれでいいんです」と納得する当事者たちである。本人が了承しているんだから、という論理は捨て去るべきであり、第三者がそれは駄目だと主張する権利や義務があると私は思う。パワハラもセクハラもそうである。この世界でも同じである。慣れてしまっていい慣れと、慣れてはいけない慣れがある。後者は後世のためにも即刻断ち切るべきである。
知識の欠如が偏見を生み、肯定する。
では、物知りに偏見が少ないかというとそうではない。知識の捉え方が違うのである。
知識とは固定的なものでもカタログのようにただ在るものでもなく、ダイナミックなものであり、一種の出来事である。
「地球は丸い」という知識は「地球は丸くない」の否定ではない。
何かを知るということは自分の身体を、自分の思考の枠組みを脱臼させて、なおかつ組み替えていく孤独な営みである。
この世界の偏見を私は糺すことがどれだけできるだろう。もちろん、私も何らかの偏見に囚われている。できる限り自覚的でありたいが、他者の声を聞けなくなった時が私の終わりだと思っている。
「あ、ありがとう、ございます」
「いい。お前が気にすることではない。それよりもいつもあんなに資料を作っているのか。良い資料で大変わかりやすい」
コーディーが終わってから私に礼を言った。こういうことで礼を言わないような社会になってほしいと思う。
それにしても資料作りが上手くなったものだ。
私がどういう資料が読みやすいのか、そういうのを図式化して部下たちに教えたのだが、部下たちはみなよく吸収している。その中でもコーディーの資料は頭ひとつ抜け出ている。
あるいは、話すのが苦手だからこそこういう方面に力を入れた、コーディーの性格からはそうも読み取れる。そういう粘り強さがこの男にはある。
部下たちは優秀で、どうして仕事を与えていなかったのか不思議なくらいである。
そして、私は人は育成はしなければならないと思っているので、働きはじめて1、2年の者は必ず誰かとペアにさせている。権力はこういう時にこそ使うべきだ。
みながみな、最初から仕事ができるわけではない。優秀な人間ばかりが集まるわけではないのは事実であり、かといって嘆いていても仕方がない。仕事ができないのなら仕事ができるように育てるしかないのである。人それぞれ成長の仕方も早さも違う。
やる気がない人間を叱ることはできるが、部下の中には力不足でできない人間がいる。そんな人間を叱る必要はない。自分の非力さを自覚している者を追い詰めなくていい。
だが、性格がひん曲がっている人間は別である。本当に悩みは尽きない。
王宮勤めでとりわけ驚かされたのは、財務関連の書類に複式簿記と思われる記帳法が取り入れられていたことである。その出所はわからないが、元々この世界にあったのだろう。それにしてはソーランド領には見られなかった。
昔は私も株をやっていたのだが、その時に貸借対照表など、会社の財務状況などを知るために読むための方法を身につけたものだ。ただ、複式簿記の中身まではあまり詳しく知らないというか、わりとノータッチだった。
こういう面で改革をするのも良かったのかもしれない。
なお、私は管理職になってからは一切の株をやめた。業務上、インサイダー取引になる案件を耳にすることがあるかもしれなかったからだ。そして、実際にあった。早めに止めて良かったと思う。
「いいじゃん、私がやればバレないって」と娘が言っていたが、世の中にはそんなことをして儲けている輩がいるのは事実である。飲み屋で仲良くなった税務署に勤めていた人間がいたのだが、まあそういう話はあるようだ。
この世界には株式というのはないが、そうだな、もう少し時代が進めばそういうのも出てくるものなのかもしれない。
時は10月、バラード学園では学園祭があった。
日本でいう文化祭のようなものだが、有志を募って演劇が行われたり、コンサートが催されたり、各地の名産品を並べたり、模擬店なども行われる。
模擬店が導入されたのは、数年前のことである。私は知らなかったが、ちょうどカーティスが学園にいた時に試験的に導入されたのだそうだ。簡単なクレープをその場で作ったり、飴細工やスイーツ類などを事前に作って販売する。
「お父様、今回こそあの商品を出します」
「ふーむ、まあそれは構わないが、お前も一応年頃の女の子なんだからな」
アリーシャが意気込んでいたのはこの模擬店で、しかも焼きそばである。
焼きそばのソースの開発は結構難航していたし、焼きそばのそばもかなり調整が難しかった。これらについてはまだドジャース商会でも商品としては販売していない。ただ、時期的にもういいだろうと思っていた頃だった。
王都は内陸なので魚は川魚くらいしか食べない。ただ、他国には遠洋漁業ではないが、海のある港街で新鮮で美味しい魚が豊富に採れるところがある。そして、鰹もあり、さらに鰹節にまで手を出してしまった。
鰹節を作るのに一番時間がかかったように思う。
私も原理は少しは知っていたが全てを知っているわけではないので、しかもソーランド領では鰹は採れないので他領の港街に研究所を作って開発をさせていた。黴の研究者も同行していたが、鰹の管理環境を整えるのに一苦労した。
なんせ私以外には鰹節の存在を知らないので、できあがったものが本当にそれなのかをいちいち報告して、意見を伝える時間も相当なものである。粘り強い開発の一つである。
青のりはあおさで代用したが、海苔の開発も少しずつ行って成果になっているが、まだ販売はしない。
ところで、マヨネーズを初めて作った時にはみな感動していた。カレーや醤油の発見くらい驚いていた。どの世界にもマヨラーはいるようである。
「これもドジャース商会で売りましょう」
ケビンはそう言ったのだが、却下した。
当たり前のことだが、保存期間が短いのである。
スーパーで売っているようなチューブのマヨネーズなどこの世界で売れるはずがない。生菓子と同じくらいの扱いである。
だから、レシピ登録はしており、店を出している者たちは手作りでマヨネーズを作っているのだが、その日のうちに使い切ることが多く、そしてマヨネーズ単体では販売はしていない。
家庭では作られているというが、ハンドミキサーがないので苦労しているようである。
水と油のように混ざらないものが混ざり合う現象を「乳化」と言う。マヨネーズの場合は卵が乳化剤の役割を担っていることが知られている。
これは化粧品にも同じことが言えて、水に馴染む親水基と馴染まない疎水基を持っている界面活性剤があることによって上手く機能している。
油分に疎水基が集まって外相が水のO/W型や、逆に水分に親水基が集まって外相が油のW/O型とか、他にもいろいろとタイプがあるのだが、質感などのテクスチャーや化粧持ちにも関わってきて、これもかなり使用に際しては重要な点である。
日焼け止めなどがわかりやすいが、効果は抜群でもテクスチャーが心許ないと不評である。味と食感のような関係かもしれない。美味しいカレーパンの味も液体状では美味しいと感じないようなものだ。
マヨネーズに限らないが、保存期間を長くする保存料や防腐剤、添加物の開発は遅れているというか、開発に時間がかかるものである。一部試作品はあるのだが、安全性が担保されておらず、こればかりは気長に作っていくしかない。
これは化粧品にも同じことが言えて、石けんならまだしも、化粧水は手作りだとそんなに長くはない。1週間保てば良い方である。日本でも手作り化粧水の人気が出てきた時期があったのだが、その意味で怖いものである。だから、日本よりもリピーターがやってくる率が高い。
保存料はないが、乾燥剤なら開発をしている。まあ、こういうのを見つけるのも私の仕事だろう。
一応、賞味期限と消費期限という概念はこの世界に導入はしたが、どうなるものかはまだわからない。
大量生産の社会になることを想定したら、食品ロスだとか環境への配慮は後々深刻になっていく。今のうちに意識を根付かせねばなるまい。
さて、アリーシャはこういう開発にも関わっていたので、焼きそばは是非とも売りに出したいようだった。
どこに鉄板で焼きそばを作る公爵令嬢がいるのか、ここにいるではないか。もはやどこかのクッキンアイドルである。
鰻も焼きそばも匂いで売る。この世界でもそうである。
私も学園祭に行ってみた。2日開催のようで、意外と規模の大きいものである。中には腕相撲大会のような不思議な催しがあったが、場を盛り上げるためのものだろう。
通う子たちは貴族の家の子が多いので、それなりの水準を保っているというか、見栄の応酬のようなところがある。まあ、それも文化の祭典だと思えば悪いことばかりとは言えないか。
いろいろな商会も入りこんできて、内装や商品販売などを行う。商品販売の場合は在庫処理という目的もありそうだ。だから、学生主体とは言えないが、それでもいいのだろう。
学生たちの中には、学会に所属している人間が何人かいる。
一般コースの学生ばかりだったが、早熟なのか研究者気質なのかはわからないが、市販の教科書などでは満足がゆかずに個人的にもっと探究をしたい、そんな子たちだった。
特待枠の子たちが多い。学会費は多国の寄付にもよるが、それぞれの会員にも少しばかり負担してもらっている。しかし、学生に関しては無料にしている。特待枠の子たちは経済的に豊かではない子もいるので、学び意欲を金のなさでかき消されるのは見ていてつらい。せめて学生の間は無償で学ばせてやりたいと思い、私が強く推した。
学園祭では学生主体になって、学会の発表がある。私が学園祭に来たのもそれを観察するためだった。
だから、今日は私の他にも医学者のアーノルドや土研究者のレイト、動物学者のマロン、物理学者のジュリーなども顔を出している。コメンテーターとして参加をするのだそうだ。
あのカーサイト公爵家のシーサスはポーション学会に所属している。学会員申請でシーサスの名を発見した時には少し驚いたものだった。
前の学会はシーサスが妖精のレシピを入手する前だったので、中級ポーションを売りに出してからは初めて会う。
ポーションはレシピ以上のことは研究できないと思われているが、たとえばポーションには歯を白くする効果があって、オーラルケアの観点からの研究がある。
ここからポーションには脱色や殺菌、除菌作用があるのではないかという新たな疑問が湧きあがり、呑む以外に塗布する使用の模索が続けられている。
実際、ある種の菌を死滅させる効果があることが判明した。ポーションをスプレー状にしてシュッシュと吹きかけたら綺麗になる、あるいは簡易的な化粧水として働きうる、そんな可能性を感じさせる。この世界にポーションを吹きかけるという発想はない。
「久しぶりだな。ポーションには驚かされたぞ」
早速シーサスに声をかけた。シーサスも今回発表をするのである。
「そうですか……」
どこか不本意な反応であるが、レシピは妖精のものだとはいえ作り上げるのは並大抵のことではない。かなり再現するのには調整があったはずである。しかも短期間にそれを成し遂げたのだから、シーサスはもっと自慢をしてもいいくらいだと正直思う。おそらく、5月に行われた武闘会に婚約者のエリザベスは来ていたが、シーサスは来なかった。あの時にはもうある程度の見通しは立っていたのだろうと思うし、煮詰まっていたのだろう。
「君も妖精に会ったのだな」
「なぜそれを? まさかバカラ様も妖精に会ったのですか?」
「ああ、この夏だったな。君らがソーランド領に行っていた時に迷いの森へな。勘違いしないでくれ、別に先にやられてしまったとは思っていない。私が遅かった、それだけのことだ」
実際、キャリアの情報を聞いたりモグラから話を聞いた段階で迷いの森に行っていれば、妖精に会えたかもしれない。しかし、私は行かなかった。悔しさはあるが、自分の怠慢が招いたことである。それを恨みがましく思うのは筋違いであることくらいは分かる。
「そうですか……。バカラ様はマナポーションは作られましたか?」
「ああ、酷い味だ。マナポーションは課題だな」
「ははっ、わかります。私も今そこに手こずっています」
やっと笑みが浮かんだ。シーサスはどうやらマナポーションの味を変えたいようである。
確かにあれをそのまま売りに出しても厳しいだろう。おそらく今でも売っているマナポーションよりも効果は高いのだろうが、作り手としては満足のゆかないものであるのは私と同じ気持ちのようだった。
魔物と戦っている時にあのマナポーションを呑むのは正直考えづらい。不味さにのたうち回っているうちにやられてしまうだろう、そのくらいの味である。
私がいるいないにかかわらず、シーサスは元々あの毒薬ポーションを改良したいと考えていたのだろう。
マナポーションが不味いのは、ある物質が別の物質と組み合わさると、味覚を過度に刺激するからだろうと考えている。その物質を取り替えて、なおかつ同じ効果を持たせるか、その刺激を別の刺激で薄めるか、いろいろと改善案はある。それでも薬草の数は豊富なので時間はかかるだろう。
ドジャース商会のポーションの味が良いのは、この世界で砂糖以外の甘味料を見つけたからである。それが初級ポーションには合った。
ただ、妖精のレシピのポーション、つまりアリ商会が売っている新作ポーションに混ぜても味は改善されなかったし、マナポーションでも同じことだった。
あの時に妖精がドジャース商会のポーションを呑んで感動していたということは、妖精はまだその種の甘味料を見つけ切れていない、そうなんだろうと思う。ポーションが妖精だけの専売特許ではないと確信した瞬間だった。
「まあ、ただでさえポーションはまだ謎のところが多い。こうした学会でみなが知恵を出し合って質の良いポーションが生まれてくれたらと思うよ」
「一つ伺いたかったのですが、どうして私が許可されたのでしょうか?」
ライバルなのに、そういう表情をしている。
「商売敵ではあるが、ポーションはいったい誰のために作るべきなのか、考えさせられることがあってな。一人の知恵だとどうにもならない。あの妖精が時間をかけて作ったレシピだ、それに挑戦するためにも幅広い視点から研究するのが一番良いと私は思っている」
「社会のため、ですか?」
「いや、そんなに褒められたもんじゃない。私自身のため、もちろんその気持ちがある。この気持ちがなければポーションを改良しようだなんて思わんよ。我欲は欠点ではない、特に研究開発に関してはな」
自分のため、個人的にはそういう思いの方が強いところはある。私には滅私の志などない。
だが、自分のためであってもそこから社会のためへと広げていくこともできる。自分の利益が社会の利益になる、そういう風に考えてみてもいいのだろうと思っている。
ちなみに、シーサスだけではなく婚約者のエリザベスもポーション学会に所属している。いずれはカーサイト家に入るので、そういう知識を身につけたいということなのだろう。
「我欲は欠点ではない、ですか」
「そうだ。君はなぜポーションを改良したいのか、それを考えてみるといい。それだけでも何か手がかりになるかもしれんぞ」
実際、妊婦が使うと聞いて、私もポーションの方向性は定めておきたいと思った。小型化のポーションを開発したいと思うのも、そういう理由に近い。冒険者や護衛たちだって、かさばるポーションを何本も持ちたいとは思わないだろう。だから、丸薬や錠剤にしたい。
応援ありがとうございます!
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