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第三部

5,共同研究

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 先日の武闘会から数日経った。
 すでに定例となっているのだが、王都内の教会に行った。国民のみながアポロ教信者というわけではないが、影響力を無視することはできない。地球にいたころは神を信じてはいなかったが、神罰や仏罰のようなものはあるように感じていた。それは願いのようなものだったが、それでも特定の宗教に肩入れをしていたわけではない。
 ただ、この世界に関していえば神はいるのだと思う。精霊や魔法の存在、あるいは自身がバカラになった事実から推測する限りにおいて、否定すべき存在というよりは神という存在を考慮した方がこの世界の法則や仕組みを説明しやすい。それがいったいどんな神なのか、一柱だけなのか、もっと無数にいるのか、私たちの味方なのか、種々の疑問は湧いてくるが、教会に敵意を向けて距離をとり続けるよりは親和的であった方がよいのだと思う。
 簡単な礼拝をし、心ばかりの金品や物資を渡している。何が必要なのかは事前に調査しておいた。
 教会にもランクがあって、今日来ているところはおそらく下の中である。
 もちろん神官たちのランクではない。富は平等に分配されていないことがアポロ教の問題だと私は思っている。どういうわけか孤児院も兼ねている教会が多いのだが、食うに困るわけではないにせよ、育ち盛りの子どもは多い。
 別にそれ以上の清貧は許さないというわけでもない。それでもメフィストのいる教会の豪華さに比べたら一目瞭然である。なお、メフィストの教会には孤児院はない。

 いつもは教会内にはほとんど誰もいないのだが、今日に限っては不思議と多くの人々がいた。しかも、みなかなり体調が悪そうである。20、いや30人はいる。

「今日はいったい何が?」

「はい、本日は聖女様がいらっしゃって……」

 いつも丁寧に応対する司祭が小声になって私に説明をした。なるほど、そういうことか。

 ヒロインにつけていた護衛たちの話では、ヒロインは空いている時間にこうした教会や他の場所に行って治療行為をしているようである。それも大々的にやるのではなく、ひっそりと治療しているという。今日は偶然には同じ場所に居合わせたわけだ。

 光の精霊との契約後すぐの話によれば1週間に1回程度だったが、最近ではどうやら週に2、3回くらいの頻度であるようだ。教会が一番多いそうだが、それ以外の場所にも行っているとのことである。事前に交渉をして、それではいついつの日に、という相談をしているようだ。
 ただ、大司教のメフィストのいる豪奢な教会へは行かない。

 父親であるフルール子爵がヒロインにつけている護衛たちは、普段はヒロインと距離をとっているが、今日はヒロインの隣に並んで立っている。こういう治療の日はそういう風にしているのだろう。
 護衛は3人いて、1人は子爵家が独自に雇っている女性の護衛である。

 もう2人は国から特別に雇われた護衛である。その2人も子爵家に住み込みで従事しているほどである。護衛にもプライドだけの高い人間がいるが、この2人は年齢も若く、身分とか派閥とかそういうものには特に偏見のない人間である。

 この2人については王からの命令で私自らが身元調査をして雇った経緯があり、ヒロインが日本からやってきたとしたらどういう護衛の方が落ち着くかを考えた上で雇ったのだった。クリスやカミラの助言も参考にして、2人に決めた。ともに20代の男女である。王も「諾」という反応だった。

 最近ではこの3人がだいたいヒロインについているので、私の方ではシノンのようにヒロインからさらに距離をとって監視をしている人間を1人つけている。
 なお、護衛たちにはシノンの存在については話してある。何も話していなかったら、おそらくシノンの気配に気づく、そういう実力者たちだからである。躊躇したが、フルール子爵を通じてヒロインにもシノンのことを知らせてある。

「バカラ様、我が娘のことについてなのですが……」

 王城でフルール子爵が話しかけてきたことによれば、ヒロイン自身が自分の力がどのようなものかを深く認識しており、護衛が身の回りにいることを本人に知らせてもよいのではないか、ということだった。
 カーティスのことはばれているが、アリーシャのように二体の精霊との契約を伏せることができず、国中、いや国外においても喧伝されている光の精霊との契約者である。それだったら、その力の使い方も含めてヒロインの立ち居振る舞いを積極的に教える方がよいのではないか、と。
 フルール子爵の言い分はもっともであり、私も王も了解し、本人に知らせるのはフルール子爵のタイミングに任せることにした。

 ヒロインに大司教メフィストが接触を図っている、そういう話もフルール子爵からも聞いている。
 あのメフィスト本人が自ら子爵家に足を運んだそうだが、「誰を治すかは私が決めます」と突っぱねたようである。良い心がけだ。さぞかし泣きべそをかいて地団駄を踏んだことだろう。是非ともその現場に居合わせたかったものである。

 先日の武闘会では怪我人の治療だったが、おそらく今日集まっている者たちは怪我だけではなく病気持ちなのだろうと思う。

「おお、腰痛が治まりました。ありがとうございます」

「良かったです。でも、あまり腰に負担のある力仕事は抑えてくださいね」

 腰痛も肩こりも治せるのが光魔法であるようだ。
 ボキボキと鳴らす整体、特に首や背中、腰の場合は危険だという話がある。ボキボキは骨が鳴っているのではなく、関節内にある気泡が破裂する音である。
 手指のボキボキならストレス発散のような効果はあるだろうが、素人は首のボキボキはやめておいた方がいい。下手すると半身麻痺に陥るという事故もある。

 この世界では人体の仕組みが明らかではなかったこともあって、整体師の数が多いわけではなく、どちらかというとんだりさすったりするあんの方をよく見る。護衛や冒険者、肉体労働者たちが通っている。
 おそらく長い間、経験として蓄積してきたマッサージをしているのだろうと思う。このあたりの医療技術というのは他国や国に属さない民族が有しているケースがある。


 一人、また一人治療を終え、ヒロインに感謝の言葉を述べて教会を去って行く。
 話によれば1、2時間程度だというが、彼女の魔法の素は欠乏はしないのだろうか。この程度であればあまり問題のないということなのか、平静に顔が保たれている。
 しかし、やがて最後の患者がいなくなったところで、ふぅと溜息をついたヒロインがいた。酷い表情だ。かつて妻が働いていた頃に帰ってきた時の顔に似ている。私は何か見てはいけないものを見てしまった気持ちになり、いてもたってもいられなくなった。連続して魔法を使うというのはそれほどの重労働なのである。

「魔法を使いすぎなのでは?」

 こっそりと隠れて様子を見て、気づかれないまま去ろうと思ったが、一言ねぎらいの言葉をかけておくべきかなと思い、つい声をかけてしまった。

「バカラ様!? いらっしゃっていたんですね。いえ、まだ大丈夫だと思います」

「その割に身体は辛そうに見えるが……」

 患者の姿が見えなくなった途端に、全身から疲労の色が溢れている、私にはそう見えていた。護衛たちもそう見えただろう。
 この経験は私にはあるのでわかる。酷い倦怠感どころではない。次々に話を聞きつけた人々がやってきて、数としては50人はいたので、彼女の限界は多くても60回分の治癒魔法ということになるのだろう。ぎりぎりになるともはや会話などしたくもなくなるほどの痛みが全身に広がる。私の経験として、あと数回程度の魔法が限界のように思えた。

「やはりわかってしまいますか。このあたりが今の私の限界のようです」

 もはや嘘が通じないとわかると、ヒロインは正直に気持ちを述べた。
 一回一回の魔法に差をつけたら、たとえば軽い治療なら70回は使えるとか、重い治療なら10回しかできないとか、そういうことになるのか、全て同じ消費量なのかはわからない。

「そうか。だがあまり無理はしない方がいい。魔法の使い方はすでに知っているとはいえ、枯渇寸前の状態は辛いだろう。マナポーションは?」

 首を横に振る。彼女には彼女なりの考えがあるのだろう。この反応は魔法の練習をしているカーティスやアリーシャのものに似ている。

「この場所にいると他の場所よりも回復が早いように思います」

 そう言うと、確かに少しばかり顔色が良くなったように見えた。

 魔法のエネルギーである魔法の素を回復する方法は、マナポーションを飲む以外には食事が代表的なものであり、特に魔物の肉は効率が良い。普通のポーションでもわずかながら回復する。
 あとは自然回復を待つのみだが、どの場所で休憩するかによっても回復量は異なることが知られている。ヒロインの言うように、この教会はマナに満ちあふれているのだと思う。

 護衛や冒険者たちの話では、森や山、野原といろんな場所に行くが、たいていは共同休憩所のような場所が存在している。近くでいえば迷いの森にはそういう休憩所がいくつかある。危険な稼業をしている者たちの知恵の帰結である。
 その候補にはいくつかあるが、自然回復量が多い場所が選ばれる傾向にある。ただ、あまりにも回復効率の良い場所は魔物のすみかにもなりがちなので、ほどほどの場所に作るようだ。

 王都にもそれなりの身分なのに貴族の常識からすると少し不思議な場所に家を建てている貴族たちが何人かいる。それはたいていは魔法使いの家系である。他には鍛冶などの職人街もそうである。
 王都で一番みなぎっている場所は王城の中でも特に王族が住んでいるだと言われている。マリア王妃やアベル王子たちと過ごしたことのある場所などはまさにそうだ。

 護衛たちは気を利かせたのか、みな距離をとって私とヒロインは二人きりで話をすることになった。


 数か月前からこうしていろいろな場所で治療行為をしているのだということである。時期的には光の精霊と契約して間もなくだろう。
 最初は失敗して相手を失望させないか不安だったが、徐々に治癒魔法にも慣れてきたという。疲労回復効果もあるらしいので、家族にかけることもあるそうだ。

「そういう商品も作れたらいいんだがな」

 ポーションにもわずかに疲労回復効果はあるのだが、傷の回復がメインのためそこまで期待が大きいものではない。疲労回復用のポーションがもしあったら、と思うも、そういうのをポーションで回復してしまうのも過労死に近づけていくような気がして、あまり積極的には作ろうとも思えない事情がある。24時間働けますかとこの世界でも問うような商品は作るべきではないだろう。作れたとしても副作用がまともなものだと思えない。
 疲労は肉体と魂の悲鳴だ。無理をしないのが一番の健康である。

「ドジャース商会では薬の研究もされているんですよね」

 彼女もドジャース商会には何度か足を運んでいるようだ。まあ、敵情視察という意味もあるのだろう。

「ああ、そうだ。なかなか売りに出すことが難しいのでな」

 鎮静剤などの効果はある程度わかったとはいえ、他の薬については基礎的なデータが欠落しており、安全性が確保されていない。すでに安全性が確保できているものは例外はあるとはいえ、効果がほとんどなく、そんな商品に金を払うのは間違っている。家で寝た方が良い。
 だから、ごく一部の軽い薬しか販売はできていない。

「その、つかぬことを伺うのですが、動物実験などもされているんですか?」

 顔を上げたヒロインは先ほどの状態から回復して元気になったようだ。その清らかな瞳で私を見てきた。これは詰問だ、そう思った。

「いや。実験動物については今のところ考えてはいないし、禁止をしている。だが……」

 その答えを聞くと、どこかほっとした表情を浮かべた。彼女も動物実験にはあまり乗り気ではないのだろう。

 例の動物実験の問題についてはまだ判断ができていない。だから薬を売ることもできない。しかし、もう決断をしなければならない。それでも英断ができるとは思えない。
 この苦しみを理解してくれる人間がいるだろうか。研究者たちはほとんどが動物実験を推進しようとしているし、私の近くにいる者たちもなぜ私が反対をしているのか、納得ができていない。
 そんな愚痴のようなものを誰かに聞いてほしかったのだろう、私はついヒロインにそのあたりのことを話してしまった。

「実験動物も命ある生き物だ。しかし、畜産動物もまた命ある生き物だ。全ては人間のためだと割り切ってしまう方がいいんだろうが、なかなかそれができなくてな……」

 私の遅い判断で失われる人命は確実にあるのだと思う。

「動物実験によって医学や薬学がある程度発達していくことは間違いのないことでしょうから、バカラ様が判断に迷われているのを理解されない方も多いでしょうね」

「その気持ちもわかるのだがな……。倫理というものは厄介だな。いっそのことこんなものは投げ捨てた方が気が楽になるかもしれないと思うよ」

 倫理や道徳を捨ててしまった方が生きやすい人生もある。
 私にはこの世界の文明を発展させていくだけの選択肢が用意されているわけで、その選択ができる者はその選択をすべきなのではないか、そのようにも思えてくる。これが私にとって不幸なのか幸福なのかはわからない。自分が納得できていないことは行いたくない。だが、往々にして納得できないことでもやらなければならないこともある。人生なんてそんなことばかりだ。

「ですが、『こんなもの』があるから、私は人らしく悩めるのだろうと思っています。その悩みはきっとバカラ様をより柔らかく、強くしていくものだと信じています。考え方を改めたとしても現実の行動は変わらないことだってよくあることです。納得ができなくとも判断しなければならない、それが政治を司る人間の使命なのではないでしょうか」

「そうか。柔らかく、強くか。そうであればいいと静かに祈ることにするよ」

 私自身の迷いが及ぼす社会への影響は考えねばならないが、やるという決断を下すべきなのだろう。ヒロインは動物実験に対して肯定も否定もしていないように見える。同じ日本からやってきたので、彼女も日本にいる時にそんなことを考えていたのかもしれない。
 そうだな、いつまでもこのままにすべきことではない。もう少し前向きに動物実験を考えていこう。

 さて、とそろそろこのあたりでお開きにしようと思ったら、呼び止められた。

「あの、もしよろしければ私の魔法で製薬の実験をするということは可能でしょうか?」

「魔法で?」

 様々な薬を人体に投与して、明らかに危ない場合には治癒魔法を使って治す、そういうことをヒロインは提案してきた。

「はい。それに、私のこの魔法がいったいどういうものを治せるのか、実はまだわかっていないことが多いのです。光魔法についての情報もできる限り調べたのですが、あまり詳しいことが載っておらず、自分の力でどこまでのことができるのか、それを私も知りたいと思っていたんです」

 確かに光魔法の効果については十分なデータはない。何に効果があるのかも判然としていない。それは私たちの研究にはあまり関係のないことではあるが、ヒロインは自分の力をやはり知りたいのだろう。

「ふーむ、光魔法で治癒をして治験か……。そうだな。もし、君がそれをしてくれるということであれば、私にとっては望ましいことなのだが。いいのか?」

「大丈夫です。元々、今日みたいな治療行為は付け焼き刃みたいなもので、将来的にはこの世界には薬が必要だと思うんです。私だっていつまでも生きているわけではないんですから、私がいなくなっても生命の危機を回避できる手段や方法はあるに越したことはないと思っていました」

 「この世界」という言葉を使うとは、どこか違う世界からやってきたかのような印象を与える言葉遣いだが、それに突っ込むことはよした方がよいだろう。
 今はとりあえず、ヒロインの言葉を受け入れて、協力してもらうことにしよう。


 こうして、この日の出会いがきっかけとなって二人で共同作業を行っていった。
 ヒロインの協力を得て、いくつかの薬の効果を人を使って試すことになった。週に1回、多ければ2回程度、王都内の研究所に赴いてもらい、投与した人間に異変があった場合に治癒魔法をかけてもらうことにした。

「光魔法か……」

 治癒というのはどういう感覚なんだろうかと思ったら口をついて言ってしまった言葉だ。すると彼女はにこっと小悪魔のような笑みを浮かべて私の方を向いて言った。

「失礼します」

「な、何を?」

 ヒロインが私に治癒魔法をかけた。身体の芯からポカポカとする不思議な感覚である。身体が軽くなった。なるほど、こういう感覚か。

「バカラ様は働きづめだとお聞きしました。差し出がましいですが、上の立場の人間が働き過ぎると下の人間が苦労するのではないでしょうか」

 彼女は痛い点を突いてきた。

「そうか。そうだな、部下たちが休めないか」

「はい。睡眠もしっかりと摂ってください。魔法でも限界はありますから」

 こういう形で家族たちの疲労を癒しているのか。なかなか良い魔法だが、ヒロインの言うように仕事量は減らしていった方がよいだろう。この点はバカラを見習うことにしよう。


 それから適当な日に集まり、検証を行うことになった。

「バカラ様、おやめください!」

 アーノルドや他の研究者たちが声を荒らげて、私を止めようとする。しかし、ここは引けない。

「駄目だ。最初は私からやらねばなるまい」

 投与する薬を選び、次に誰が打つかが問題となった。これに対しては私は最初から決めていた。一番はやはり私であると。
 
「あなた様にもし何かございましたら」

「私以外でも同じことだ。命に貴賤はない。これは私の仕事である」

 そう言って、強引に説得した。
 劇物でも何でもなく、軽めの薬であるし、心配はいらない、というわけではもちろんない。薬なのだから少量でも何が起きるかはわからない。恐怖がないかといえば嘘になる。だが、この恐怖は誰かに押しつけるようなものでもない。

 いろいろと懸念はあったが、その後、特に異変もなく最初の投薬は終わった。
 私以外の人間や、時には発熱や頭痛の症状のある患者を受け入れて、薬を投与して観察をしていった。すでに強い副反応を示すことがわかっているものについては後回しである。


 さて、このようなことを続けて、時にはヒロインが治癒魔法を使うこともあったが、着々とデータが集まっていった。まだまだ完成には遠いが、少しずついくつかの薬の方向性が見えていった。

 それと同時に、治癒魔法がどのような状態を治すのか、そのデータも集まっていった。
 外傷はもとより、風邪症状も治すし、二日酔いも治した。ある種の病巣を元に戻したり、毒素を消去する、おそらくこういう効果はあるのだと思う。

 これに関しては投与せずとも解明できる実験もあって、ある薬品に治癒魔法をかけると消え去った、そういう観測結果もある。
 これは治癒というより浄化効果になるのだろうと推測している。
 しかし、人間には有毒であっても他の生き物には無毒ということもあるし、その逆もあるし、両方もある。どういう基準で浄化するのかは気になる。使用者の認知の問題、その可能性はありそうだ。

 深刻な病気の場合はまだわからないのでヒロインとともに時間をかけてデータを集めていくしかない。

 ヒロインと協力して製薬や光魔法の検証をすることについては内密に王に申し入れた。難航するかと思いきや、「とことんやれ」という言葉だった。それとともに王は小さな冊子を寄越してきた。

「これは……まさか!?」

「そうだ」

 王が渡してきたのは王家に伝わる光魔法についての書物だった。まさに私たちがこれから行おうとしていることの検証結果が書かれてあるものだった。王自らがわざわざ手書きが写したものなのだろう。
 ひときわ峻厳な表情で王が言った。

「ただし、それを読んでも良いのはそなたと光の精霊との契約者のみである。よいな?」

「はっ」

 こういう事情もあったのだが、ヒロインとは「本当にこの本の記述が正確なのか、検証しよう」ということになった。
 追試は絶対に必要なことである。王家に伝わる文書が常に正確だとは思えない。意外にも私よりもヒロインの方がそう強く感じていた。当事者だからだろう。
 二度手間かもしれないが、生命にも関わることだ、私たち二人は本の記述を読み込みながら慎重に実験をしていった。
 冊子はそれほど厚いものではないため、私たちはそれを読み込み、その後暗号のようにして書き直した。そして、元の冊子は王に返却することにした。
 すべてが明らかになったわけではないが、王から渡された冊子はおおむね間違いではなかったが、より効果がはっきりとわかったことが一つの収穫である。

 魔法といったら何か呪文を唱えて、それに関連した現象が起きるわけではない。呪文は不要である。
 稠密と希薄、規模の大きさ、部分と全体等々、いくつかのパターンがある。要は魔法自体は一つしかないともいえるが、その一つをいくつか変化させていっていろいろな魔法へと変わっていく。
 たとえば、普通の火の魔法は火の玉だが、これを竜の形にして飛ばすこともできる。その場合、同じ大きさの火の玉よりもなぜか破壊力が異なる。竜の形の方が岩まで焼き尽くすだけではなく砕く。フィギュアスケートでいう芸術点みたいなものがあるような印象を受ける。

 ヒロインの光魔法は広範囲に拡げて複数の人間を治癒することもできるが、どれだけ魔法の素を消費するかで回復量が異なる。これは地面から光の塔が生えてくるような魔法だが、光の雨のように降らして回復させることもできる。
 光魔法の可能性はまだまだあるように私たちは思った。

 たいてい、治癒魔法を使うと完全に治ってしまうから治験がそこでおしまいになってしまうのだが、辛い症状に耐えて粘り強く治験に協力してくれる人たちがいて助かった。
 護衛のハートの妹のリリアがまさにそうである。彼女はアーノルドや私からも提案されたのだが、こう答えた。

「今の私が完治してもそれは私だけです。光の魔法は全員に行き届くわけではありません。だから、魔法以外で治せる道があるのであれば、私はそれに従いたいと思っています」

 殊勝な心がけである。症状は軽くなったとはいえ、時折体調は崩している。早く楽になりたい、普通になりたいという願いは決して欲張りなことではない。むしろ当たり前のことだと思う。
 しかし、何でもかんでも魔法で治せるというのは、ある種の可能性をつぶすことにもつながるものだと思ったものだった。

「だが、もしお前の容態が急変した時には必ず光魔法を受けてもらうぞ。これは命令だ」

「はい」

 こういう約束の下、リリアは治験につきあっている。
 ハートは何か言いたげだったが、最後には光魔法がある、そういうことで納得はしたようだ。兄としては一刻も早く妹の苦痛を和らげたいと思うものだろう。待つ方が辛いか、待たれる方が辛いか、どっちだろうか。この二人の兄妹が心の底から笑えるようになってほしいものだ。

 なお、ヒロインの家、フルール子爵家のすぐ近くに治験の場所を作った。「これで夜間でも大丈夫です」と心強い言葉をヒロインは言った。私には働きづめと言ったのに自分はどうなのだろうか。この子も仕事中毒のような気もする。

「光魔法の加減はできるのか?」

 これは気になっていたので訊いてみた。

「うーん、最初のころはあまりピンとこなかったんですが、今は加減していますね。明確に悪い場所がわかっていると『このくらいかな』というのはわかるんですが……。しかし、体内の異変についてはわからないので加減をしていません」

 小指を切って治すのと体内の炎症を治すのとではまた異なるだろう。だから、治療行為を教会などで行う時はフルパワーで魔法を使っているということになる。悪い箇所は目に見えているところばかりではない。
 なかなか大したヒロインだと思った。


 検証の合間に、いろいろな話をするのだが、話は先日のアベル王子の生誕祭の流れになった。料理のことや貴族の人々、内装などの話の流れで、私の表情がヒロインの気にかかっていたようだった。

「あの時、バカラ様の表情が良くなかったようにお見受けしました」

 私がアベル王子とカイン王子の二人を見ていた時にヒロインが私を見ていた時のことだった。
 これについてなんと説明すべきか、迷った。だが、彼女の顔を見ると自分の中の不安をそのままにしておくのはどこか惜しいと思ってしまった。

「ああ、これは私がとある人から聞いた話でな、兄アベルと弟カインという兄弟がいて、カインがアベルを殺害する、そんなことを思い出していてな。生誕祭にけちをつけるわけでもないが」

 さすがに聖書の話だとは言えない。ただこの話は知っているのかもしれない。
 私の話を聞くと、ヒロインは何やら黙考し始めた。
 やがて口を開くと思いきや、そのまま黙り込んだままである。しかし、何か言おうとしている表情である。

「何か思うところでもあるのか?」

「い、いえ……。申し訳ありません。私もどこかで似たような話を読んだように思いますが……」

 そう答えながらも王様の耳はロバの耳とでも言いたげで、どこかもどかしそうである。

 なるほど、これは娘や川上さんが言っていた「好感度」というやつがなければ聞けない話なのかなと思った。なかなかやっかいなことだ。
 それにしても私も実はプレイヤーになっているのかもしれないな。
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