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第三部

6,アリーシャとヒロインの学園生活

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 武闘会から1ヶ月ほどが過ぎ、7年目の6月である。
 合宿や武闘会という学生たちにとって大きなイベントがあったが、学園生活が始まってからというもののそれ以外の大きな変化はなく、どこか拍子抜けの感じを受ける。娘や川上さんがどのようなイベントに接したのか、それはわからない。序盤から派手なイベントがあるとは思えず、やはりアリーシャの学年が上がってからが大変なのではないかと予測している。
 それを裏付けるかのように、アリーシャから聞かされた話にも危険な匂いは感じなかった。どちらかといえば学園生活を満喫しているようである。毎日学園のことを楽しそうに話してくれる。

 アリーシャにはエリザベスやローラ、ヒロイン以外にも友人ができたようで、特にアリーシャを慕う令嬢が2、3名いるようだ。
 彼女たちは子爵家の娘だが、同じ子爵家のヒロインがアリーシャと仲よさそうにしているのを見て思うところがあったのだろう。それが後々のことを考えてご機嫌をとるような人間であったならば注意が必要だが、どうやらそういうのはないらしい。アリーシャがそう言っていた。
 それにアリーシャは頼られることが嬉しいようで、彼女たちがアリーシャに勉強のことを尋ねたり流行の服やアクセサリーなどを訊くと、懇切丁寧に教えているという話である。末っ子だから新鮮なのだろう。
 馬鹿王子の提灯持ちや金魚の糞みたいなものは、今の学園にはそんなに多くは存在していないようだ。まあ、それでもまだゼロではない。

 ところで、学園には食堂もあるが、その食堂のご飯が美味しいと評判である。早めに食文化の改善を行って良かった。
 バハラ商会、そしてアリ商会が食堂を経営している。日本の学校の食堂と同じように、業者が入っていく仕組みである。アリ商会は今年から参入した。

 食堂は学生や教職員は基本的に無料で使用することができ、利益は大きく望めないが、宣伝になる。子どもの評判が保護者へと伝わっていき、社交界にまで拡がっていく。
 だから、食堂といっても私が過ごした大学の時のようなイメージとは違って、食事だけを見たら三つ星のレストランがもてなすもののようである。和洋中はもとより、エスニック料理やデザートもある。

 利益は望めないといったが、かといってマイナスではない。
 というのは、食堂経営にはバラード学園への寄付金や国からの補助金が使われている。料理人や手伝いの人間が生活できる程度の賃金は支払えている。
 この寄付金の多寡によってリクエストが通る可能性が変わるのだという。要は金持ちの子どもが好きな食事が提供されるのである。
 したがって、一般の学生にとっては選択権はないわけだが、まあ金持ちの子どもたちも舌は正直なようで、幸いにもゲテモノはなくて、一般学生も恩恵にあずかっている。騎士コースの子たちがおかわりをよくしているそうだ。総じてみな学食に満足している。
 とはいえ、お抱えのシェフがいる家では昼時に学園に届けられることもある。ただ、それも年々少なくなってきているようだ。昼飯時に仲間作りをしたい子たちが外や部屋でグループで食べる際に利用しているということだ。

 中には食堂の料理人を家へ引き抜きたいと考えている学生や保護者もいるが、ドジャース商会もアリ商会も固辞している。だが、今は断っていても将来的にはどうなるかわからない。それは本人の自由に任せる。

 料理人というのは一応この世界にはいるが、私が来る前までは大同小異といったところだ。他国は知らないが、少なくともこの国はそうである。
 しかし、食文化が変わり、数多くの調理法を学び、あまたの食材を入手することができた現在では、人気の職業の一つになった。これはとても喜ばしいことだと思う。一般学生の中にも「弟子入りさせてください」と嘆願している子がいるというのだから、面白い。いずれは料理学校のような専門学校を設立することも視野に入れてもいいかもしれない。


 さて、そんな学園だが、アリーシャから聞かされたヒロインの積極的な行動には正直驚かされた。
 こんな話である。これは武闘会後の5月の中頃だった。私と教会で会った後のことである。

 仲の良いグループとして、アリーシャの近くには、アクア侯爵家のエリザベスがいた。ここにヒロインが加わった。
 そして、最初はローラは強く固辞していたが、アベル王子の生誕祭の日をきっかけにして、少しずつアリーシャたちの輪に半ば強引に加えさせられたようである、アリーシャとヒロインに。
 エリザベスとローラとの間にしがらみはなかったようだ。
 みな魔法使いコースであるし人数も少ないから、自然とそういう風になっていたのだろう。その流れで他にも令嬢たちとつながりができたようである。

 ただ、ローラは「本日は申し訳ございません」と遠慮して断ることがほとんどだという。だから、実質的にはアリーシャ、エリザベス、ヒロインの3人が集まることが多い。

 一方のアベル王子にはカーサイト公爵家のシーサス、マース侯爵家のベルハルトがいた。この二つのグループは学園内でもよく一緒に過ごすようになった。

「サクラ様がベルハルト様に強くおっしゃったんです」

 アリーシャとカーティスと食事をしている時に言った。アリーシャはベルハルトの態度にはどこか憤りを感じているらしかった。
 バーミヤン公爵家のローラは第一王子派ということもあり、さらにベルハルトからも相手にされていない。ベルハルトの方が避けていた様子である。
 男女の二つのグループが一緒になってたまたまローラがいた時にも、ベルハルトがローラを視界に入れないようにしていて、それに気づいたヒロインが苦言を呈したというわけである。


「ベルハルト様、どうして婚約者であるローラ様を避けていらっしゃるのですか?」

 ど直球である。さぞかし肝が冷えただろう。

「ちょっと、サクラ様!?」

 これにはアリーシャやエリザベス、シーサスなどが焦ったようである。
 ローラとヒロインという二人の家の格の違いでもあるが、ナイーブなことに他人が口を挟むということへのためらいがあるらしかった。
 ただ、アベル王子は何も言わずに興味深げにヒロインの言動を見ていたそうだ。

「ええっ? あ、いや、サクラ嬢、俺は、そんなことないよ。それに誰に対しても同じように接するっていうのは家訓だし」

 そんな家訓があるのかわからないが、マース侯爵家の人間は言われてみればそうかもしれない。
 ベルハルトはその場の空気を乱さないように穏やかな口調だったというが、内心ハラハラとしたところはあっただろう。女性との付き合い方については父親のドナンや姉のファラも小言は言っていたようなのだが、家族以外から何かを言われるというのは初めてのことらしかった。
 しかし、一番大変だったのはローラだったろう。うろたえているベルハルトとは異なり、神妙な面持ちでローラがこう言った。

「サクラ様、いいのです。私などがベルハルト様との婚約関係にあるというのがそもそも間違っていたのです」

 そう言うと、ローラはベルハルトをきっと見つめた。その視線に我慢できずにベルハルトは目をそらした。そのローラの言葉に対して今度はヒロインが突っ込んだ。

「『私など』とはどういう意味なのでしょうか。ではローラ様はベルハルト様のことをお嫌いなのですか?」

「いえ、そんな……」

 今度はローラがヒロインから目をそらした。こわばっていたローラの顔にほんのりと色が加わっている。そのままローラは「申し訳ありません」と言って去ってしまったようだ。
 次にヒロインは視線を動かしてベルハルトに詰問した。

「ベルハルト様はローラ様のことがお嫌いなのですか? だから他のご令嬢にお声をかけるのですか?」

「いや、別にそんなんじゃないさ……」

「では、ローラ様のことをお嫌いなのですか?」

「だからさ、そういう話じゃなくてさ……。ちょっと落ちつきなって」

「いえ、そういう話です。誰にでも平等というのは逃げの口上です。本当にローラ様は他のご令嬢と同列なのですか? ベルハルト様はローラ様をお好きなのですか?」

「そりゃあ……」


 おそらくもっとその現場ではいろいろとあったのだろうし誇張や省略もあるのだろうが、アリーシャから聞いた話は簡単に言えばこういう話だった。

 アリーシャは話しながら顔を赤らめている。話す中でローラとベルハルトのことを考えていたのだろう。きっとベルハルトのその後の回答はアリーシャを適度に満足させるものだったに違いない。ベルハルトの回答はローラへの情は決して浅くはないことを意味していたようだ。

 私がその場にいたらどうだったろう。
 まあ、確かに婚約者の見ている前で他の異性にうつつを抜かすようなことがあったら、私も良い気持ちではない。父親としても婚約者本人としても目に余る行為に映るだろう。だが、直接言うかというと悩ましい。

 ヒロインがどういう気持ちで言ったのかは定かではないが、それ以来ベルハルトとローラとの間には接触の機会が少しずつ増えてきたようである。「やっと歩み寄れている、そう見えました」と、これにもアリーシャは自分のことのように喜んでいた。
 ただ、アリーシャはまだあの二人には距離やわだかまりがある、そんな風にも見ていた。私自身が見ていないので何とも言えないし、私には見る目がないから参考にもならないだろう。

 あの武闘会の日、ローラがベルハルトのことをこっそりと見ていたというのは、やはりそれなりに彼のことを考えているからなんだろうと思う。
 ファラから聞いた話では、二人は幼なじみで、ローラがベルハルトをリードしていた。ローラはやんちゃだったのだ。そんな二人は急によそよそしくなったのか、徐々にそうなっていったのかは知らないが、移り気というわけでもないように思う。誕生日プレゼントなどは贈り合っているという話もある。

 この世界の恋愛の考え方と日本のものとは異なるが、ヒロインの言動の目新しさのようなものがベルハルトたちの心を打ったということだろうか。あるいは粘り強さ、しつこさと言ってもいい。
 しかし、子爵家の令嬢だというのによくベルハルトとローラにもの申せたものである。サクラ・フルールとしての記憶もあるのだろうから、そういう発言がまずいものだとはわかりそうなものなのだが……。

 ただ、ヒロインが光の精霊との契約者だという事実は、彼女をおろそかに扱うべきではないという風潮を生み出している。ただの子爵令嬢とはいえないのも事実である。ある意味ではバックにアポロ教がいるし、この国の王家も支援をしている。私もまた協力者となっている。彼女の中にはそういう心の支えがあるのだろう。

 それからもローラがグループにいない時にも、ベルハルトには歯に衣着せない言い方で「婚約者を大切になさってください」とヒロインが注意をしているようである。これにアリーシャがたまに加わるようになった。エリザベスはおろおろとしているようだ。
 確かにヒロインと話した感じではそういう強さはあるなとは思った。大切にしないなら婚約を破棄しろ、そのくらいのことも言いそうではある。

 話しながらアリーシャは喜びつつもふと寂しさを見せる。おそらく、かつての自分の境遇とローラとを結びつけたのだろう。この子もそういう微妙な顔つきをすることができるようになってきた。
 その時にローラの兄のアレンに強く言ってくれる人が、それこそヒロインのような人間がいたらどんなに良かったか。婚約破棄を宣言するアレンに比べたらベルハルトとは月とすっぽんだが、それでもと思う。


 まあ、ただローラはあのバーミヤン公爵家であるから二人が婚約者同士というのもいつまで続くものだろうか。仮にも公爵家だが、父であるゲス・バーミヤンの評判はすこぶる悪い。もちろん、兄のアレンも同じである。
 せっかく間を取りなしてもマース侯爵家の方から破棄する可能性だってある.。こればかりはなるようにしかならないか。ベルハルトはいったい何を考えているんだろうか。騎士道や騎士像というものから遠く離れていこうともがいているように見える。


 そういえば、ゲス・バーミヤンもアレンも最近ではひっそりとしているが、良くない輩とつるんでいるという情報がある。あの第一王子も同じである。王宮内の何人かの人間も出入りしている。
 おそらくそういうのとはローラは距離を置いているだろうが、巻きこまれることだって考えられる。
 本当に何も反省をしない人間というのはいるもので、いったいどう成敗しようか悩ましい限りである。


 また、カーティスからもヒロインの話を聞いている。
 懲りないことにまだ一般学生への嫌がらせが講師たちの見えないところで行われているようだ。カーティスはもう学生ではなくて講師だからかえって目の行き届かないところが増えている。
 そういう場にヒロインが現れて、貴族たちに言い返しているようだ。相手はたいてい上級生である。同じ学年にはそういう学生はいないのだと思う。

「だが、暴力に訴えてきたら負けるだろう?」

 ヒロインはアリーシャよりも少しだけ高いくらいの背丈だ。マース侯爵家のファラだったらまだしも、さすがに無謀すぎる。相手はたいてい男子学生である。

「口で負かしているんですが、騒ぎを聞きつけた王子殿下たちが助けにいらっしゃるようですよ。アリーシャやアクア嬢がすぐに呼んでいるんですね。ただ、彼女は何も格闘術を学んでいないというわけではないようです」

 こくんとアリーシャがうなずいた。
 さすがに女性に暴力というのは貴族たちにはできないようだ。それでも一般学生への嫌がらせが止まらない。
 長年続いていた学園の権力構造は少しずつ壊されてきているのだが、貴族の子弟がこの有様では、その親たちがどうであるかは容易に想像ができる。因果としては親たちがそうだから子どもたちもそうなる傾向があるのだろう。

 今の私に表立って嫌がらせをする人間は少ないが、王宮で働いている部下たちには隠れた場所で脅しまがいのことをしている人間がいると耳に入ってきている。立場上、私にも報告できないでいるようである。本当に困ったものである。
 バカラ派なるものもある。政治に携わる人間として無視はできないが、あまり大きくなるのも煩雑である。すっきりとした組織になってほしいと思うものの現実はそうはいかない。
 荒療治が必要なのだろうが、今はその余裕がないし、こちらも同じように恫喝をしたらそれで丸く収まるのかというと、それも心許ない。だが、恫喝まがいのことを時にはやってみてもいいかもしれない。
 これならザマスの方が本人に向かってネチネチと嫌みを言うだけ正々堂々としている。

「本当にあのサクラ嬢はお騒がせな学生ですよ」

 カーティスも呆れるほどである。整った顔立ちを一瞬だけ曇らせる。美形の子はそういう仕草でさえ艶やかさがある。カーティスは自覚しているのか、無自覚なのか、どちらだろうな。
 ヒロインはアリーシャやじゃじゃ馬だったカトリーナ王女よりも賑やかなのだろう。ベルハルトとローラの一件といい、元気がいいものだ。特定の子をそんな風に話すカーティスは珍しいように思う。

 カーティスの言葉につられて、アリーシャがこんな話をした。
 ある侯爵家、それもバーミヤン家と懇意にしている貴族の子弟がやはり学生に嫌がらせをしていたところ、たまたまアリーシャとヒロインの二人が通りかかった。それを見とがめてヒロインが行こうとしたところ、アリーシャが止めた。

「サクラ様、お待ち下さい。あの方は……」

 アリーシャはさすがに侯爵家の人間相手だというのはいろいろと対応や後処理が面倒くさいと感じたのだろう。自分ならともかくヒロインが次の標的にされる可能性だってある。怨恨や遺恨には触れてもいい場合とそうではない場合がある。
 おそらく言外にそういうことを伝えようとした。これもアリーシャの優しさなのだろう。
 しかし、ヒロインはアリーシャの方をきっと見て、だが静かに言った。

「アリーシャ様は相手の身分や立場でご自分の怒り方を変えるんですか?」

 それは突然のことでアリーシャには衝撃だった。「なんというのか、言葉もありませんでした」とアリーシャはうつむきながら言った。
 そして、ショックを受けている短い間にヒロインが走って行って口論になって、騒ぎを知った他の者たちがやってきて治まったということである。

 その話を聞いてカーティスがふいに笑った。静かに笑うのではなく、もう少し豪快に笑った。カーティスがこれほど笑うのはとても珍しい。

「お兄様、失礼ですよ。どうせ私は何の役にも立ちませんでしたよ」

 ぷいっとすねるような表情になったアリーシャだったが、カーティスが弁解した。

「いや、すまない。アリーシャのことを笑ったわけじゃないんだ。似たようなことがあったなと思い出してしまってね。笑ったのは自分のふがいなさに対して、かな」

「似たようなこと、ですか?」

 きょとんとした顔でアリーシャがカーティスに尋ねた。

「ああ……」

 そういうと今度はカーティスが学生の時に体験した話をした。これは私も初めて聞く話である。
 こういう話である。

 馬鹿王子と愚かな学園長がいた時代だから、今よりもかなり貴族たちの嫌がらせがあった頃だ。5年ほど前という話なので、2年生の頃だろう。カーティスは二属性の魔法が使え、ソーランド領の評判も高くなっていた時期である。
 実技で知り合いになったカーティスとハート、そしてファラがいた時で、三人で歩いていたところ、まさに馬鹿王子とアレン・バーミヤンたちが学生たちに酷くあたっている現場に遭遇した。

 それを見てカーティスも、そしてファラも内心「関わりたくないな」と思ったそうである。相手が悪い、やっかいだなと。
 「だが、見過ごせない」と結局すぐに行動を起こすのがこの二人なのだが、その行動を起こす前に、つまり二人が損得勘定や利害関係や人間関係などに揺れていて決断を下す前にハートが出て行こうとして、二人はいわば条件反射的にハートの肩をつかんで止めたのだった。「待て」と二人は声を揃えてハートに言ったそうである。

「あの時ほど私たちを見下すハートの目を見たのは、なかったよ……」

 そのハートは今はミモザと一緒に別室で楽しそうに遊んでいる。
 カーティスは「見下す」と表現したが、それは深い悲しみの色もあったと思う。失望とも言えよう。
 幼少期はともかくとして、庶民から蔑まれるという経験がほとんどなかった二人にとっては、その意味でも衝撃を受けたのかもしれない。
 そして追い打ちの一言である。

「じゃあお前らは相手を選んで行動を変えんのかよ! そうじゃねえだろ!」

 ハートの言葉は世間ずれしていない人間の考えであり、かなり危ういとはいえ、この一言はカーティスよりはむしろファラの方に痛恨の効き目があったらしい。

 マース侯爵家という騎士の家系に生まれ、幼い頃から騎士道精神をたたき込まれ、その精神に則って弱き者を助けて、悪を一掃していく、そういう実践も伴った子がファラである。ソーランド領にいながらも評判をよく聞いていた子だ。

 そういう子でありながら、目の前の不正義に逡巡してしまい、そういう機微には疎いと思っていたハートに瞬時に見透かされていたこと、そしてそのことはハートに対する自分の見方がいかに偏狭で独善的なものであったのか、これまでの自分にはこういう表面化されない優越感がなかっただろうか、「ファラ様ありがとうございます」と感謝され、誉れを積み重ねて浮かれている自分がいなかったか、目的が変わってはいなかったか、そんなことが一瞬のうちに飛来して頭の中が混ぜられたのだ。

「それで、今度は彼女が『よし、行くぞ、ハート!』と言って二人して飛び出してしまったんだよ。ははっ、だからさっき笑ってしまったのは私たちはどうやら同じ兄妹らしいなって、そう思ったのさ」

 自嘲気味にカーティスが笑っている。
 その話を聞きながら、それをいうなら私だってそうかもしれないなと思ったものだった。だから、二人のことは笑えない。

 昔、妻が上司の態度に怒髪天を衝く勢いでかみついたという話も思い出した。敬して遠ざけることもできたのだろうが、我慢の限界が来たそうだ。
 田中哲朗はというと、やはり上司相手だとなかなかそういうことができなかった。後になって「あの時」と悔やむこともあったが、その時はもはや訪れない。

 私たちは常日頃から人格を完成させていきたいと思い、ある者は本を読み、ある者は積極的に人と会話をしていく。しかし、そんな人格磨きも適切な場と時間に振る舞えなければ、なんのための人格であり知性なのか、そんなことを覚えたのだった。一歩ではなく半歩でも踏み出す勇気、これを実践することは本当に難しいと思う。


 まあ、今の学園の場合だと、カーティスの頃よりは安全である。
 学園ではそういうことがあって、しかもアベル王子もいるわけで、前よりは明らかに被害を受ける学生は減っていっているようである。同学年は皆無で、上の学年が悪さをしているようだ。

「君たちの顔と名前は覚えたよ」

 アベル王子が笑みを崩さずにそういう言葉を言うそうだ。本当に覚えたのだろう。この国の王子に睨まれた心境はいかばかりだろう。時には名指ししていくこともあるという。

 それにしてもカーティスもだいぶ講師として板についてきたようだ。案外、人に教える仕事はカーティスには合っているところがあるのだろうな。もちろん、教育だけではなく魔法研究にも没頭している。
 やはり、ゲームの世界でも学園に勤めていたのかもしれない。


 もう一つヒロインの情報としては、学園内にある訓練場で鬼教官に弟子入りをして身体を鍛えているようである。元々病弱だったヒロインはその道の人間から習うことは少なかったという。入学直後からだ。
 メキメキと力を付けている、そういう評判である。まるで何かと戦うことを予期しているかのように、懸命に鬼教官にしがみついているようだ。アリーシャも一緒に訓練をしている。アリーシャと同じようにヒロインは学園前から訓練をしているらしい。

 王はアベル王子に「力をつけよ」と言ったようで、その言葉がベルハルトやシーサス、アリーシャたちにも伝わっていった、そういう事情もある。
 また、王自身が鍛え直しているし、私にも「若者に負けてはなるまい」と念を押すように言ってきた。あの武闘会の日に言ったことだった。なお、王はドナンよりも強い。

 王がそういうことを言うのは珍しいなと思ったが、私も啓発されて公務で他人に任せられるものは任せて、訓練の時間を徐々に増やしている。脂肪が減ったので良い効果もある。

 他国には本人の力や足の速さなど、全身をスキャンするかのように数値化して教えてくれる魔道具が存在している。精度に不安定なところはあるが、大づかみで教えてくれる。ロストテクノロジーというわけではないようだが、不思議なカードのようだ。この学園の学生証のような技術に近いと思われる。
 この国の冒険者ギルドにも導入されているが、バカラの持っている冒険者の証にはこの機能はない。バカラも一時期そういう冒険者稼業を体験してみたことがあった。技術自体は元々あったが、他国から導入されたのがバカラが冒険者をしていた時よりも後のことだったから、その機能がついていない。
 こちらも取り寄せてみて、自分の今の力を確認するのも良いのかもしれない。迷いの森やダンジョン探索というのも近いうちに行おうと考えているので、今から用意をしておくことにしよう。


 そういえば、あの魔道具屋からもらった種だが、緑色の蕾の付いたものは少し開きかけているが、他に赤、青、金、紫がうっすらと付いた蕾になった。この4月くらいだったと思う。全部違う色のようである。なんとも貴公子たちを象徴する色だなと思ったが、思い過ごしだろうか。偶然にしては疑わしい。
 残りの一つが白銀だとしたら、なんてそんなことはないか。そう思いながらも、おそらくそうなのだろうなという漠然とした予感がある。
 緑色のノルンとヒロインとの接触が多くなったのか、ノルンが成長しているのか、花が開くということがどういう現象と結びつけられるのかまだわかっていない。


 さて、アリーシャはエリザベスとともにヒロインの家にも行くことがあり、その場で珍しい菓子なども振る舞われたようである。

「甘いんですけど、これまで食べたことのない甘さでした。エリザベス様も感動されていました。おそらく何かの豆なのだと思うのですが……」

 ヒロインが作ったとされる菓子は、それはそれはアリーシャとエリザベスを喜ばせるものだった。原材料はアリ商会に売られているというヒロインの話である。
 これは先週の話だった。餌付けでもされてしまったのではないかと思ったが、あのヒロインの性格から考えると、そんなことはしそうにない。
 
 それを調査しようとしたまさにその時期に、ケビンから緊急の知らせが届いた。


「カーサイト公爵家が新しいポーションを開発しました」

「なんだと!? そんな馬鹿な!」

「現物も入手しました」

 いくら何でも早すぎる。
 それを聞いた時、あの生誕祭の時のシーサスがこちらを笑う姿が思い浮かんだ。
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