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第二部
38,生命の輝き〔1〕
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年明けのちょうどアリ商会の反撃が行われた頃に、めでたいことも起きた。カミラの出産である。
日に日にそわそわするクリスを見て、「落ち着け!」とカミラが言う姿はよく確認されていた。クリスの気持ちはわかる。私もそうだった。そして叱られた。
死体ならともかく昔の宮中みたいに血の穢れがあったらいけないという考え方はこの世界にはないので、本邸の一室でカミラは出産をすることになった。
これには少し事情がある。
「カミラ、これは拒否をしてくれてもいいんだが、出産に関わってアーノルドたちの支援を受けるということを許可するつもりはあるだろうか?」
「アーノルドさんたちですか……?」
ここにはクリスも同席して、アーノルドも呼び寄せて4人で話をした。
この世界では助産師あるいは産婦人科医に相当する人間はすべて女性である。日本でも「産婆」という言葉があるくらいであるだから、古くから女性が担ってきたのだろう。
一方、医師は男性が多い。
女性もいるんだろうが、少なくとも王宮にいる医師はすべて男性である。それにその医師の質がどうかは、推して知るべしだろう。ただ、少しずつ医師たちの中でも新しい知識に更新をしていっているという話である。
アーノルドたちのおかげでソーランド公爵領の出産時における母子の死亡率の低下は大きく話題にもなったのだが、もう一歩進んで男性がその場に携わるということも可能性としてあってもいいのではないかと思われたのである。
ところで、人工呼吸というのは私が教える前にアーノルドたちは助産師から教わった。口と口をくっつけるという方法はどうやら抵抗があるようで、考えられていないようだった。
しかし、助産師が赤ん坊をなんとか蘇生させる際にしばしば行っていることを知り、その方法の可能性を考えたようだった。だから、アーノルドたちが一方的に助産師に何かを教えるのではなく、反対に教わることもあった。これはとても良いことだと私は思う。
さて、当の妊婦からすれば、出産の場面を男性に見られるということに恥ずかしさを覚えるというのは当然だろうと思う。
もちろん、アーノルドたちにとっては裸体などはもはやただの研究対象であり、特別な性欲を満たすためのものではない。それでも本人には割り切れなさはあると思う。
これは医学研究班の男女構成比の問題もあって、アーノルドたち医学研究班はほぼ男性である。1、2人くらいしか女性がいない。
これは時間が経ってからわかってきたものであり、アーノルドたちもそのことがあまり良いことではないと気づくようになってきた。私も男性ばかりが医師という職に就くことに問題はあると考えているので、女性の医師を広く募集しているが、なかなか集まらない。今しばらく時間がかかりそうだ。
したがって、アーノルドのような男性が携わらないまでも、1、2人の女性の医師が補助する、そういうことを認めてくれないかという提案をカミラにした。
実際に出産をする場面というのは見てみないとわからない。
かといって、他の場所での出産場面に「見学させてください」なんて言ってもなかなか許可が得られずに断られるのである。
ソーランド公爵領における母子の死亡率の大幅な低下は事実だが、出産時のことをもっと知れば他にも有効な手段が得られるのではないかとアーノルドたちは考えていた。彼らは死体を何百体も見ても、生命が生まれる場に一度も立ちあったことがないのである。
それに、医師たちのサポートがあった方が私には安心である。経過は良好だということだが、万が一のことがあっては困る。カミラに、そしてカミラに関わる人間にも大きな傷を残すだろう。
「バカラ様、わかりました。そしてアーノルドさんたち男性も入ってきてもいいです」
「カミラ!」
クリスが声を荒らげる。その気持ちもわかる。
「お前にはアーノルドさんが変態に見えるのか?」
「いや、違う。そうじゃない」
これにはアーノルドも苦笑いである。
まあ、ある面で変態というのは言い得て妙のところはアーノルドにはある。この男は変態である。
「もういい! 私が産むんだ。私とこの子の安全を優先するのがクリスの役割じゃないのか!」
「それは……」
「私と子どもが死んでもいいのか?」
「嫌だ」
「じゃあ、決まってるじゃないか」
こうして二人で決め、クリスもなんとか折り合いがついたようだ。
カミラだって元は貴族の娘である。何も思わないところがないとは言えない。それでも決心した。理で割り切れることではないと思う。私はこの二人の決断には心打たれるものがあった。変態のアーノルドも感銘を受けたらしかった。
「情けねえな、てめぇ腹くくりやがれ!」
ヘビ男が出てきてクリスに活を入れる。
「私も、楽しみです」
モグ子が出てきてカミラを応援する。
クリスとカミラの前にはよくこの二人は出てくる。土研究者のレイトはモグラ、カミラたちはモグ子やヘビ男の相手をすることが多い。
今はカミラもアルコールを断っているが、カミラとヘビ男、そしてカレン先生が朝まで呑んでいるというまことに度し難い情報をキャリアが教えてくれた。
アーノルドがここにいる時にも精霊たちは出てくるようになった。昔よりも精霊が私たちの近くにいることを知る人間は増えてきた。まあ、精霊たちの気分次第なのでこればっかりは止めることもできないと覚悟をしている。
アーノルドも、こういう精霊の存在を見るにつけ、魂の存在をどう捉えるのかを悩んでいるようである。ふわっと出てきて実体化して、ふわっと消える。精霊は一種の魂のようなものに近いのかもしれない。食べた土や呑んだ酒はいったいどこに消えていったのか、考えていくと切りがない。
日に日にそわそわするクリスを見て、「落ち着け!」とカミラが言う姿はよく確認されていた。クリスの気持ちはわかる。私もそうだった。そして叱られた。
死体ならともかく昔の宮中みたいに血の穢れがあったらいけないという考え方はこの世界にはないので、本邸の一室でカミラは出産をすることになった。
これには少し事情がある。
「カミラ、これは拒否をしてくれてもいいんだが、出産に関わってアーノルドたちの支援を受けるということを許可するつもりはあるだろうか?」
「アーノルドさんたちですか……?」
ここにはクリスも同席して、アーノルドも呼び寄せて4人で話をした。
この世界では助産師あるいは産婦人科医に相当する人間はすべて女性である。日本でも「産婆」という言葉があるくらいであるだから、古くから女性が担ってきたのだろう。
一方、医師は男性が多い。
女性もいるんだろうが、少なくとも王宮にいる医師はすべて男性である。それにその医師の質がどうかは、推して知るべしだろう。ただ、少しずつ医師たちの中でも新しい知識に更新をしていっているという話である。
アーノルドたちのおかげでソーランド公爵領の出産時における母子の死亡率の低下は大きく話題にもなったのだが、もう一歩進んで男性がその場に携わるということも可能性としてあってもいいのではないかと思われたのである。
ところで、人工呼吸というのは私が教える前にアーノルドたちは助産師から教わった。口と口をくっつけるという方法はどうやら抵抗があるようで、考えられていないようだった。
しかし、助産師が赤ん坊をなんとか蘇生させる際にしばしば行っていることを知り、その方法の可能性を考えたようだった。だから、アーノルドたちが一方的に助産師に何かを教えるのではなく、反対に教わることもあった。これはとても良いことだと私は思う。
さて、当の妊婦からすれば、出産の場面を男性に見られるということに恥ずかしさを覚えるというのは当然だろうと思う。
もちろん、アーノルドたちにとっては裸体などはもはやただの研究対象であり、特別な性欲を満たすためのものではない。それでも本人には割り切れなさはあると思う。
これは医学研究班の男女構成比の問題もあって、アーノルドたち医学研究班はほぼ男性である。1、2人くらいしか女性がいない。
これは時間が経ってからわかってきたものであり、アーノルドたちもそのことがあまり良いことではないと気づくようになってきた。私も男性ばかりが医師という職に就くことに問題はあると考えているので、女性の医師を広く募集しているが、なかなか集まらない。今しばらく時間がかかりそうだ。
したがって、アーノルドのような男性が携わらないまでも、1、2人の女性の医師が補助する、そういうことを認めてくれないかという提案をカミラにした。
実際に出産をする場面というのは見てみないとわからない。
かといって、他の場所での出産場面に「見学させてください」なんて言ってもなかなか許可が得られずに断られるのである。
ソーランド公爵領における母子の死亡率の大幅な低下は事実だが、出産時のことをもっと知れば他にも有効な手段が得られるのではないかとアーノルドたちは考えていた。彼らは死体を何百体も見ても、生命が生まれる場に一度も立ちあったことがないのである。
それに、医師たちのサポートがあった方が私には安心である。経過は良好だということだが、万が一のことがあっては困る。カミラに、そしてカミラに関わる人間にも大きな傷を残すだろう。
「バカラ様、わかりました。そしてアーノルドさんたち男性も入ってきてもいいです」
「カミラ!」
クリスが声を荒らげる。その気持ちもわかる。
「お前にはアーノルドさんが変態に見えるのか?」
「いや、違う。そうじゃない」
これにはアーノルドも苦笑いである。
まあ、ある面で変態というのは言い得て妙のところはアーノルドにはある。この男は変態である。
「もういい! 私が産むんだ。私とこの子の安全を優先するのがクリスの役割じゃないのか!」
「それは……」
「私と子どもが死んでもいいのか?」
「嫌だ」
「じゃあ、決まってるじゃないか」
こうして二人で決め、クリスもなんとか折り合いがついたようだ。
カミラだって元は貴族の娘である。何も思わないところがないとは言えない。それでも決心した。理で割り切れることではないと思う。私はこの二人の決断には心打たれるものがあった。変態のアーノルドも感銘を受けたらしかった。
「情けねえな、てめぇ腹くくりやがれ!」
ヘビ男が出てきてクリスに活を入れる。
「私も、楽しみです」
モグ子が出てきてカミラを応援する。
クリスとカミラの前にはよくこの二人は出てくる。土研究者のレイトはモグラ、カミラたちはモグ子やヘビ男の相手をすることが多い。
今はカミラもアルコールを断っているが、カミラとヘビ男、そしてカレン先生が朝まで呑んでいるというまことに度し難い情報をキャリアが教えてくれた。
アーノルドがここにいる時にも精霊たちは出てくるようになった。昔よりも精霊が私たちの近くにいることを知る人間は増えてきた。まあ、精霊たちの気分次第なのでこればっかりは止めることもできないと覚悟をしている。
アーノルドも、こういう精霊の存在を見るにつけ、魂の存在をどう捉えるのかを悩んでいるようである。ふわっと出てきて実体化して、ふわっと消える。精霊は一種の魂のようなものに近いのかもしれない。食べた土や呑んだ酒はいったいどこに消えていったのか、考えていくと切りがない。
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