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第一部
17,娘と息子〔1〕
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多額の投資を行う改革を進めてようやくぽつぽつと手応えを感じていた、ちょうどその頃だった。すでに夏の風が青々と木々を揺らしている時期だった。
「旦那様」
誠に恐れ多いですが、とロータスが珍しく自分から話を持ち出してきた。
それは息子のカーティスのことである。
どうやらロータスの目には私がアリーシャにしか興味がなく、カーティスはどこか放置しているように見えるとのことだった。
(ああ、そうだったかもしれない)
ロータスに感謝の言葉の述べると、カーティスのことも考えるようにした。
別邸には私とアリーシャしかいないので、普段目に入らないカーティスのことをどこか置き去りにしていたのは確かなことだった。
血を分けたのはアリーシャだが、今の私は田中哲朗の方が強いので正直どちらとも血のつながりはないつもりである。
だとしても、カーティスにも同じように自分の子どもとして接するのが保護者の使命というものだろう。
こんな簡単なことに気づけなかったとは、我ながら情けないことだ。
身体は若返っても頭が固かった。
そういえば、娘の話でも満たされない愛のためにカーティスはアリーシャに意識が向けられるとのことだった。
このことも注意しないといけなかったが、二人の関係についていえば、アリーシャはカーティスを兄と慕い、カーティスは人並みにアリーシャに接していたと思う。
兄妹として人前で並んでも遜色ないと思うが、カーティスがアリーシャに向ける態度というよりは、カーティス自身の問題、優秀なのにどこか満足できていないようなところがあるように見える。
自己表現も苦手に見えるが、これは離れて暮らしているので見えていないだけかもしれない。親の前の姿がその子の姿とも限らない。
今は私とアリーシャは別邸、つまり公爵領地にいるが、カーティスは王都の本邸におり、そこから学園に通っている。長い休みの時にカーティスは別邸まで戻って来ていた。
バカラの記憶ではカーティスはとある侯爵家の三男坊だった。養子にした一番の決め手はカーティスが実力主義を標榜していたことにあるようだ。
かなり丁寧な調査をしたらしく、家督を継げず、肉親からも疎まれていたカーティスは幼いうちから負けん気が強かった。それを気に入ったらしい。
11歳の時に侯爵家に少なくない手付金を払って養子にし、もう4年も経っている。
子どもを高く売れたとでも言うかのように、その卑しい侯爵家は嬉々としてカーティスを差し出してきた。
カーティスはあまり自分のことを語るのが好きではないというか、ほとんど過去を語らなかったが、ロータスの調査によれば、親や兄たち、また親類一同からも相当陰湿で悪質な嫌がらせを受けていたという。
まだ年端もいかない時から無能、才能なし、役立たずと心ない地獄のシャワーのような言葉を浴びせていったという惨たらしい日常を過ごしていたようだ。
カーティスの母親はすでに他界しており、その母親は使用人であり、妾だった。カーティスが6歳の頃に亡くなったようだ。
しかも侯爵の遊びで授かったような子であり、母親もカーティスも仕方なく家においてやっている、その程度の扱いだったようだ。
ことあるごとに、母親が賤しいということを血の繋がった父親も、継母も、兄も弟も親族も使用人たちも一体となって吹聴しまわって、まだ幼いカーティスを罵り、無能扱いしていった、壮絶な過去がある。
どこにでも愚かとしか表現できない大人はいるものである。哀しいかな、そんな愚鈍な大人がいるということは、虐げられる子どももいるということなのである。
そんな家から脱出できたとはいえ、自分は無能だ、自分は売られた、捨てられたという重い事実は単純に喜べるわけではなくカーティスに暗い影を落としている。
こちらが調査していないとでも思ったのか、侯爵は「この子は小さい頃から賢くて」と今さら歯の浮くようなおべっかを使って、少しでも高くカーティスを売ろうとしたが、そのおべっかの内容が真実であり、当人は信じていなかったことはまことに皮肉なことだったろう。
実際、兄や弟たちが毎日特別な家庭教師がついて必死に勉強をしていても、侯爵家がケチって隔週に1回2、3時間しか許されていない家庭教師からカーティスは様々な知識を引きずり出し、一を聞いては十も二十も知っていったと言う。
日を追うにつれて、それは三十、五十、百となっていく。そういう姿も一族は気にくわないと思ったのだろう。
あるいは家庭教師の評価も耳を穢すものだとして、一顧だにしなかったのかもしれない。
それは神童とも呼ばれるわけで、家庭教師組合から聞きつけたロータスがカーティスという稀有にして哀れな子を見つけ出したのだった。
カーティスの才を見出した家庭教師が、このままにしてはおけないと、そんな事情もあったのかもしれない。
ただ、当のバカラはカーティスには実力をつけよ、というだけの関係だった。
これはもはや本人一人でも厳しく学び続けるとわかっていたからだろう。放置したら、そのまま育つということだ。でも、そのための助力は惜しまなかった、とも記憶にある。その一つにカレン先生がいた。
バカラは息子に期待しているが、本人には短い説明だけで済ます。
こういう関係が悪いとは言わない。期待をしすぎて子どもが潰れてしまうという関係だってあり得るのだから。
私には息子はいなかったが、もしかしたら私もバカラのような対応をした可能性は高い。
しかし、もっとカーティスの過去や心情やトラウマを重く深刻なものとして汲み取ったならば、その対応は悪手だと思う。
結果として、カーティスはバカラからも望まれていないのではないかと思うようになっている、とのことだ。
アリーシャは口にも出すし表情にも出してカーティスに親愛の情を向けているので、その新しくできた無邪気な妹に、最初は戸惑いもあって距離を置いていたが、やがてそれが嘘偽りのないものだと実感するとカーティスはアリーシャに心を開いていった。
それは母親亡き後、初めて人の情に、機微に、心のひだに染み渡って触れた瞬間だっただろう。
アリーシャの方も、新しくできた兄も自分も早くに母を亡くした寂しさという共通点があることを看破し、互いにそれを埋めていきたいという動機があったとも考えられる。
おそらく、こうした背景の下にカーティスが承認欲求をこじらせて特定の人間に、つまりアリーシャだが、妹に特別な感情を抱くようになっていき、そしてアリーシャの方も唯一無二の兄としてカーティスを見ていき、いわば共依存関係の兆しが見えてきた、というのがゲームの中のカーティスとアリーシャだったのではないだろうか。
確か、ファンディスクだったか、その世界はこじれた先の未来のカーティスと、そしてアリーシャの姿があったのだろう。
しかし、ファンディスクの世界の到来はこちらから丁重にお断りしたい。
「旦那様」
誠に恐れ多いですが、とロータスが珍しく自分から話を持ち出してきた。
それは息子のカーティスのことである。
どうやらロータスの目には私がアリーシャにしか興味がなく、カーティスはどこか放置しているように見えるとのことだった。
(ああ、そうだったかもしれない)
ロータスに感謝の言葉の述べると、カーティスのことも考えるようにした。
別邸には私とアリーシャしかいないので、普段目に入らないカーティスのことをどこか置き去りにしていたのは確かなことだった。
血を分けたのはアリーシャだが、今の私は田中哲朗の方が強いので正直どちらとも血のつながりはないつもりである。
だとしても、カーティスにも同じように自分の子どもとして接するのが保護者の使命というものだろう。
こんな簡単なことに気づけなかったとは、我ながら情けないことだ。
身体は若返っても頭が固かった。
そういえば、娘の話でも満たされない愛のためにカーティスはアリーシャに意識が向けられるとのことだった。
このことも注意しないといけなかったが、二人の関係についていえば、アリーシャはカーティスを兄と慕い、カーティスは人並みにアリーシャに接していたと思う。
兄妹として人前で並んでも遜色ないと思うが、カーティスがアリーシャに向ける態度というよりは、カーティス自身の問題、優秀なのにどこか満足できていないようなところがあるように見える。
自己表現も苦手に見えるが、これは離れて暮らしているので見えていないだけかもしれない。親の前の姿がその子の姿とも限らない。
今は私とアリーシャは別邸、つまり公爵領地にいるが、カーティスは王都の本邸におり、そこから学園に通っている。長い休みの時にカーティスは別邸まで戻って来ていた。
バカラの記憶ではカーティスはとある侯爵家の三男坊だった。養子にした一番の決め手はカーティスが実力主義を標榜していたことにあるようだ。
かなり丁寧な調査をしたらしく、家督を継げず、肉親からも疎まれていたカーティスは幼いうちから負けん気が強かった。それを気に入ったらしい。
11歳の時に侯爵家に少なくない手付金を払って養子にし、もう4年も経っている。
子どもを高く売れたとでも言うかのように、その卑しい侯爵家は嬉々としてカーティスを差し出してきた。
カーティスはあまり自分のことを語るのが好きではないというか、ほとんど過去を語らなかったが、ロータスの調査によれば、親や兄たち、また親類一同からも相当陰湿で悪質な嫌がらせを受けていたという。
まだ年端もいかない時から無能、才能なし、役立たずと心ない地獄のシャワーのような言葉を浴びせていったという惨たらしい日常を過ごしていたようだ。
カーティスの母親はすでに他界しており、その母親は使用人であり、妾だった。カーティスが6歳の頃に亡くなったようだ。
しかも侯爵の遊びで授かったような子であり、母親もカーティスも仕方なく家においてやっている、その程度の扱いだったようだ。
ことあるごとに、母親が賤しいということを血の繋がった父親も、継母も、兄も弟も親族も使用人たちも一体となって吹聴しまわって、まだ幼いカーティスを罵り、無能扱いしていった、壮絶な過去がある。
どこにでも愚かとしか表現できない大人はいるものである。哀しいかな、そんな愚鈍な大人がいるということは、虐げられる子どももいるということなのである。
そんな家から脱出できたとはいえ、自分は無能だ、自分は売られた、捨てられたという重い事実は単純に喜べるわけではなくカーティスに暗い影を落としている。
こちらが調査していないとでも思ったのか、侯爵は「この子は小さい頃から賢くて」と今さら歯の浮くようなおべっかを使って、少しでも高くカーティスを売ろうとしたが、そのおべっかの内容が真実であり、当人は信じていなかったことはまことに皮肉なことだったろう。
実際、兄や弟たちが毎日特別な家庭教師がついて必死に勉強をしていても、侯爵家がケチって隔週に1回2、3時間しか許されていない家庭教師からカーティスは様々な知識を引きずり出し、一を聞いては十も二十も知っていったと言う。
日を追うにつれて、それは三十、五十、百となっていく。そういう姿も一族は気にくわないと思ったのだろう。
あるいは家庭教師の評価も耳を穢すものだとして、一顧だにしなかったのかもしれない。
それは神童とも呼ばれるわけで、家庭教師組合から聞きつけたロータスがカーティスという稀有にして哀れな子を見つけ出したのだった。
カーティスの才を見出した家庭教師が、このままにしてはおけないと、そんな事情もあったのかもしれない。
ただ、当のバカラはカーティスには実力をつけよ、というだけの関係だった。
これはもはや本人一人でも厳しく学び続けるとわかっていたからだろう。放置したら、そのまま育つということだ。でも、そのための助力は惜しまなかった、とも記憶にある。その一つにカレン先生がいた。
バカラは息子に期待しているが、本人には短い説明だけで済ます。
こういう関係が悪いとは言わない。期待をしすぎて子どもが潰れてしまうという関係だってあり得るのだから。
私には息子はいなかったが、もしかしたら私もバカラのような対応をした可能性は高い。
しかし、もっとカーティスの過去や心情やトラウマを重く深刻なものとして汲み取ったならば、その対応は悪手だと思う。
結果として、カーティスはバカラからも望まれていないのではないかと思うようになっている、とのことだ。
アリーシャは口にも出すし表情にも出してカーティスに親愛の情を向けているので、その新しくできた無邪気な妹に、最初は戸惑いもあって距離を置いていたが、やがてそれが嘘偽りのないものだと実感するとカーティスはアリーシャに心を開いていった。
それは母親亡き後、初めて人の情に、機微に、心のひだに染み渡って触れた瞬間だっただろう。
アリーシャの方も、新しくできた兄も自分も早くに母を亡くした寂しさという共通点があることを看破し、互いにそれを埋めていきたいという動機があったとも考えられる。
おそらく、こうした背景の下にカーティスが承認欲求をこじらせて特定の人間に、つまりアリーシャだが、妹に特別な感情を抱くようになっていき、そしてアリーシャの方も唯一無二の兄としてカーティスを見ていき、いわば共依存関係の兆しが見えてきた、というのがゲームの中のカーティスとアリーシャだったのではないだろうか。
確か、ファンディスクだったか、その世界はこじれた先の未来のカーティスと、そしてアリーシャの姿があったのだろう。
しかし、ファンディスクの世界の到来はこちらから丁重にお断りしたい。
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