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9章 思いを胸に
①
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彰久から離れるために関連病院への出向も考えた蒼だが、彰久が留学したことで、その必要性は無くなった。変わらず、北畠総合病院に勤めている。彰久が帰国するまで、雪哉の元で学びたいし、役にも立ちたいという思いだった。
彰久が帰国したら……それはその時考えればいいと思っている。兄のような立ち位置で、近くにいられるのか……それは分からない。まだ先のことを考えても仕方ないと思うことにした。
今は、先ず専門医の資格を取る事。それでなくては、雪哉の、病院への力にはなれない。蒼は、医師としての勤務の傍ら、専門医取得へ向けての自己研鑽にも励んでいた。
「熱心に読んでるね」
「っ、あっ三条先生」
三条郁弥《さんじょうふみや》この四月から、北畠総合病院に務める整形外科医。腕の良さを見込まれ、院長の高久が熱心に誘ったのだった。未だ三十三歳の若さだが入る早々整形外科のエースとみなされている。蒼も、子供の手術を手掛けてもらえるのはありがたいと期待していた。
「急に声を掛けてびっくりさせたかな」
「あっ、いや、あの何かご用でしたか」
「特別用はないんだが、四月から来たばかりだからね、ちょっと病棟の散策。一応他の病棟も知っておきたいと思ってね。小児科はやっぱり賑やかで明るい感じだね」
「はい、子供たちの気持ちが少しでも明るくなるようにと、入院するとどうしてもふさぎ込んじゃいますから」
「そうだよね、大体どこの病院の小児科病棟も同じかな。ところで、それは専門医の参考書?」
「そうです。問題集も兼ねてます。来月、試験があるので」
「来月か、それは追い込みだね。君は優秀だって聞いたから、大丈夫だろ」
「優秀ってどこでそんなことを……僕なんてまだまだです。ただ、専門医の試験は合格したいと思っています」
「皆、君は優秀だって言ってるよ。医師は、専門医取って一人前ではあるからね。頑張って! あっ! そうだ合格したらお祝いさせて」
「っ!」
お祝い? どういうことと、言おうとした時は、もう三条は、去った後だった。何? 何あの先生、蒼は半ば呆然と三条の後ろ姿を見送った。いや、見送る前に、その後ろ姿は消えていた。
秋の気配を感じる十月、蒼は小児科専門医の試験を受験した。前日、雪哉の激励を受け、軽いプレッシャーになったが、手ごたえのある出来ではあった。多分大丈夫かなと思いながら、結果を待った。やはり、結果が出ないと落ち着かない。
試験から一か月後、待っていた結果が来た。合格! 大丈夫だとは思っていたが、やはり正式に結果を知ると安心する。蒼は早速雪哉へ知らせる。
「そうか良かった! 君なら大丈夫だとは思っていたけど、やっぱり安心するね。そうだ、明後日の日曜来なさい、お祝いをしよう」
「そ、そんな申し訳ないです……」
「家でするお祝いなんていやか」
「それは無いです。むしろありがた過ぎるくらいです」
「だったら来なさい。子供たちも君が来ると喜ぶ」
秋も深まった十一月の日曜日、蒼は北畠家へ来た。彰久がアメリカへ行った日以来だった。
蒼は玄関で挨拶をしてから、庭を見たいと、中へ入る前に庭を見せてもらう。彰久に留学を告げられた時に咲いていたパンジーがきれいに咲いている。
良かった、今年も咲いている。あき君元気かな……。あの日の、そしてアメリカへ行った日の彰久の姿が蘇る。ふっと香までするように。しばらくそこで佇んで、蒼は家の中へ入った。
「パンジーきれいに咲いてただろ。彰久がいない間も咲かせたくて、ちゃんと手入れしてるんだ」
「ええ、そうだと思いました。きれいに咲いてましたから」
「改めて、合格おめでとう!」
「ありがとうございます。先生のご指導のおかげです」
「君は優秀で努力家だからね、指導のしがいがあるよ。これからも頑張ってくれ、今後は研修医の指導も任せたい」
「先生の期待に応えられるよう頑張ります。今後もご指導のほどよろしくお願いします」
その後は、和やかに食卓を囲んだ。彰久がいないので、蒼の両隣は、尚久と結惟。二人とも無邪気に引っ付いてくる。けれど、蒼のオメガ性が反応することはない。結惟はともかく、尚久は十六歳、当然精通も経験しているだろうし、体も蒼より大きい。やはり、彰久は特別なのだろう。
北畠家での食事は、楽しくて美味しい。蒼は、久しぶりに賑やかな食事をした。幸せだった。彰久と結ばれることはないだろうが、これでいい。皆自分を家族のように接してくれる。それで十分じゃないか、これ以上望んだら贅沢だと思った。
午前の仕事が立て込んだ蒼は、遅めの昼食を取ろうと食堂へ来たところ、食事中だった三条に呼ばれた。
「西園寺先生! ここおいでよ、今ごろ食事、遅いね」
「三条先生、まあ今日はちょっと遅いです。先生も遅いですね」
三条はそのまま蒼の前の席に座る。
「うん、僕も今日はずれ込んでやっとありつけたよ。そうだ! 専門医試験合格したんだってね、おめでとう!」
「ありがとうございます。情報早いですね」
「ふっ、先生のことだからね。で、約束覚えてるよね」
約束? なんか約束しただろうか? 蒼の顔に疑問が浮かぶ。
「えっ、忘れちゃったの! 酷いな~」
「あっと、えーっ……すみません……」
「合格したらお祝いするって言っただろう」
言われた、確かに言われたけど、それって僕が約束したのか……。
「俺ね、当直明けだから今日はさすがに終わったらすぐ帰るけど、先生明日大丈夫?」
「えっ……」
明日大丈夫って、お祝いで何するの? 蒼は理解が追い付かない。
「食事をご馳走したいんだよね、明日大丈夫なら予約を取ろうと思うから」
「いや、そんないいです。気持ちだけで十分ですから」
「気持ちだけなら俺が十分じゃないんだよ。遠慮しなくていいから、じゃあ、明日職員通用門で待ってるから。おっと、俺もういかなくっちゃ、じゃあ明日ね」
慌ただしく去って行った。最初に会った時と同じようにあっという間の出来事で、蒼は呆然とした。なんなんだ、あの先生! 強引というか、なんというか……。多分アルファなんだろうな。あの体格といい、エースと言われる実力からいっても間違いないだろう。
明日、断らないと……でも連絡先も知らない。どうしよう……。仕方ない、明日、通用門で待っていたらその場で断るしかないかな。その前にどこかで会えればいいけど、科が違うとそれは難しい。だけど、時間も決めてないのに通用門で待ってるって……。
看護師は、交代制のため、勤務時間がずれ込むことはめったにないが、医師の場合そうではない。定時を超えることも珍しくない。
彰久が帰国したら……それはその時考えればいいと思っている。兄のような立ち位置で、近くにいられるのか……それは分からない。まだ先のことを考えても仕方ないと思うことにした。
今は、先ず専門医の資格を取る事。それでなくては、雪哉の、病院への力にはなれない。蒼は、医師としての勤務の傍ら、専門医取得へ向けての自己研鑽にも励んでいた。
「熱心に読んでるね」
「っ、あっ三条先生」
三条郁弥《さんじょうふみや》この四月から、北畠総合病院に務める整形外科医。腕の良さを見込まれ、院長の高久が熱心に誘ったのだった。未だ三十三歳の若さだが入る早々整形外科のエースとみなされている。蒼も、子供の手術を手掛けてもらえるのはありがたいと期待していた。
「急に声を掛けてびっくりさせたかな」
「あっ、いや、あの何かご用でしたか」
「特別用はないんだが、四月から来たばかりだからね、ちょっと病棟の散策。一応他の病棟も知っておきたいと思ってね。小児科はやっぱり賑やかで明るい感じだね」
「はい、子供たちの気持ちが少しでも明るくなるようにと、入院するとどうしてもふさぎ込んじゃいますから」
「そうだよね、大体どこの病院の小児科病棟も同じかな。ところで、それは専門医の参考書?」
「そうです。問題集も兼ねてます。来月、試験があるので」
「来月か、それは追い込みだね。君は優秀だって聞いたから、大丈夫だろ」
「優秀ってどこでそんなことを……僕なんてまだまだです。ただ、専門医の試験は合格したいと思っています」
「皆、君は優秀だって言ってるよ。医師は、専門医取って一人前ではあるからね。頑張って! あっ! そうだ合格したらお祝いさせて」
「っ!」
お祝い? どういうことと、言おうとした時は、もう三条は、去った後だった。何? 何あの先生、蒼は半ば呆然と三条の後ろ姿を見送った。いや、見送る前に、その後ろ姿は消えていた。
秋の気配を感じる十月、蒼は小児科専門医の試験を受験した。前日、雪哉の激励を受け、軽いプレッシャーになったが、手ごたえのある出来ではあった。多分大丈夫かなと思いながら、結果を待った。やはり、結果が出ないと落ち着かない。
試験から一か月後、待っていた結果が来た。合格! 大丈夫だとは思っていたが、やはり正式に結果を知ると安心する。蒼は早速雪哉へ知らせる。
「そうか良かった! 君なら大丈夫だとは思っていたけど、やっぱり安心するね。そうだ、明後日の日曜来なさい、お祝いをしよう」
「そ、そんな申し訳ないです……」
「家でするお祝いなんていやか」
「それは無いです。むしろありがた過ぎるくらいです」
「だったら来なさい。子供たちも君が来ると喜ぶ」
秋も深まった十一月の日曜日、蒼は北畠家へ来た。彰久がアメリカへ行った日以来だった。
蒼は玄関で挨拶をしてから、庭を見たいと、中へ入る前に庭を見せてもらう。彰久に留学を告げられた時に咲いていたパンジーがきれいに咲いている。
良かった、今年も咲いている。あき君元気かな……。あの日の、そしてアメリカへ行った日の彰久の姿が蘇る。ふっと香までするように。しばらくそこで佇んで、蒼は家の中へ入った。
「パンジーきれいに咲いてただろ。彰久がいない間も咲かせたくて、ちゃんと手入れしてるんだ」
「ええ、そうだと思いました。きれいに咲いてましたから」
「改めて、合格おめでとう!」
「ありがとうございます。先生のご指導のおかげです」
「君は優秀で努力家だからね、指導のしがいがあるよ。これからも頑張ってくれ、今後は研修医の指導も任せたい」
「先生の期待に応えられるよう頑張ります。今後もご指導のほどよろしくお願いします」
その後は、和やかに食卓を囲んだ。彰久がいないので、蒼の両隣は、尚久と結惟。二人とも無邪気に引っ付いてくる。けれど、蒼のオメガ性が反応することはない。結惟はともかく、尚久は十六歳、当然精通も経験しているだろうし、体も蒼より大きい。やはり、彰久は特別なのだろう。
北畠家での食事は、楽しくて美味しい。蒼は、久しぶりに賑やかな食事をした。幸せだった。彰久と結ばれることはないだろうが、これでいい。皆自分を家族のように接してくれる。それで十分じゃないか、これ以上望んだら贅沢だと思った。
午前の仕事が立て込んだ蒼は、遅めの昼食を取ろうと食堂へ来たところ、食事中だった三条に呼ばれた。
「西園寺先生! ここおいでよ、今ごろ食事、遅いね」
「三条先生、まあ今日はちょっと遅いです。先生も遅いですね」
三条はそのまま蒼の前の席に座る。
「うん、僕も今日はずれ込んでやっとありつけたよ。そうだ! 専門医試験合格したんだってね、おめでとう!」
「ありがとうございます。情報早いですね」
「ふっ、先生のことだからね。で、約束覚えてるよね」
約束? なんか約束しただろうか? 蒼の顔に疑問が浮かぶ。
「えっ、忘れちゃったの! 酷いな~」
「あっと、えーっ……すみません……」
「合格したらお祝いするって言っただろう」
言われた、確かに言われたけど、それって僕が約束したのか……。
「俺ね、当直明けだから今日はさすがに終わったらすぐ帰るけど、先生明日大丈夫?」
「えっ……」
明日大丈夫って、お祝いで何するの? 蒼は理解が追い付かない。
「食事をご馳走したいんだよね、明日大丈夫なら予約を取ろうと思うから」
「いや、そんないいです。気持ちだけで十分ですから」
「気持ちだけなら俺が十分じゃないんだよ。遠慮しなくていいから、じゃあ、明日職員通用門で待ってるから。おっと、俺もういかなくっちゃ、じゃあ明日ね」
慌ただしく去って行った。最初に会った時と同じようにあっという間の出来事で、蒼は呆然とした。なんなんだ、あの先生! 強引というか、なんというか……。多分アルファなんだろうな。あの体格といい、エースと言われる実力からいっても間違いないだろう。
明日、断らないと……でも連絡先も知らない。どうしよう……。仕方ない、明日、通用門で待っていたらその場で断るしかないかな。その前にどこかで会えればいいけど、科が違うとそれは難しい。だけど、時間も決めてないのに通用門で待ってるって……。
看護師は、交代制のため、勤務時間がずれ込むことはめったにないが、医師の場合そうではない。定時を超えることも珍しくない。
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