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第二部

14 秘湯への誘い

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 この国至高の皇帝陛下には最愛の女人がいる。

 臣下たちは皇后その人が最愛だと思っていたが、実は違う。
 皇帝の愛する女性は淑妃の位にいる少女なのだ。
 彼女は、実は男である皇后側の事情から、皇后に代わってお世継ぎを産む役目を担っている。
 そのために、いや当初はそのためだけに後宮入りしてきた後宮唯一の妃だった。
 加えて言えば、皇帝にとっては実質後宮でたった一人の女性の伴侶だ。

 少女の名はけい素流そりゅう。花の十六歳。

 皇帝の名はよう一翔いっしょう。若い盛りの二十二歳。

 ついでに言えば、皇后の名はれん博風はくふうと言った。皇帝の乳兄弟の彼もまた二十二歳だ。博風は一翔よりも一月程早生まれなので、この三人の中では最も年長でもある。

「じゃじゃじゃじゃーん、私から二人に贈り物だよ!」

 少しだけ頻度は減ったが結局変わらず呑気に行われている博風とのお茶の時間、その彼扮する女装皇后の張り切った声に、彼と同じ円卓に着いていた景淑妃こと景素流と皇帝楊一翔は揃って怪訝けげんな顔を向けた。

「ええと?」
「何だいきなり?」

 贈り物と言っているからには何か贈ってくれるのだろうが、彼が持っているのはぺらりとした一通の封書だ。
 封書の表面に何か文字が書き綴ってあるが、素流の位置からでは読み取れない。

「あ、もしかして博風さんが自慢の詩吟を披露してくれるとかですか?」
「そのような詰まらぬものなど要らぬ」

 一翔の歯に衣着せぬ物言いに素流も博風自身も苦笑った。

「違う違う。蓮家が牛耳ってる温泉街があってさ、そこに秘湯と呼ばれる温泉があるんだ。温泉通が毎年訪れると言われるその秘湯に二人で行ってきたらいいと思って。だから善は急げってことで明日から行ってくるといい。これはそこの招待券」
「牛耳ってるって言った……」
「言ったな」
「やっぱり蓮家の権勢って凄いんですね」
「ああ、味方のうちは頼もしい限りだな」
「ちょっとおー、今そこに着目しなくていいってー」

 このお膳立ては博風なりの贖罪なのだ。

 実は素流と一翔はとある夜、良い所まで行ったが結局は何もなかった。

 二人がもしかしたらという夜、そうなれば最早慶事中の慶事とまで思い、我が事のように期待を胸に早々に一翔の書斎を辞した博風だったが、自らの宮への帰路上でうっかり池に落ちてしまい騒ぎを起こすという大失態を犯したのだ。
 そのせいで、一翔へと急ぎの連絡が行き、素流との甘い時間を台無しにしてしまった。

 しかもその後、肝心の二人は何だかんだと邪魔が入り未だに清い関係にあるというのだから、博風としては悔やんでも悔やみ切れない。

 このままの状態がずっと続いたら自分の責任だと心を痛めていた……というか途中からはもういい加減とっとと子作りしろとうんざりしていた彼は、ともすれば一翔の尻を蹴り飛ばしてやりたい衝動を抑え、しばらくずっとどうしたものかと頭を悩ませていたのだ。

 二人を無理にでも素っ裸にして二人きりでどこかに閉じ込めてやろうかと、犯罪紛いの事さえしようと思ったくらいだ。

 しかし、裸?……と博風はしばしそのキーワードが何やらとても重要なもののように思えてしばし考え込み、そして終に打開策に思い至ったのだ。

 それがこれだった。

 場所や雰囲気を変えればもしかしたら……という思いがあった。

「ホント、私自身が池ボチャしたあの夜は面目次第もなかったと思ってさ……。秘湯に入って心も体も解して、二人には心からイチャイチャしてきて欲しいと思ってるんだよ。用意させた部屋もくれぐれも雰囲気を出すようにって言ってあるから、盛り上がること間違いなし!」
「「……」」

 自分たちよりも俄然張り切っている女装男へと、二人は何とも言えない気恥かしさを覚えた。
 そんな二人がそれぞれ気を紛らわすように茶菓子を抓む様子を博風は満足そうに見やって一人頷く。

「まあ素流との温泉旅行はそのうちしたいとは思っていたが、朕には公務がある。ハイどうぞ明日から行って来いと言われてもな」
「ああそれなら大丈夫。朝議の議題も大したものを論じないよう蓮家の方でそこは調整付けとくから安心してくれ。公だと仰々しい準備が面倒だしお忍びって形にはなるけど、護衛は選りすぐりの少数精鋭だけだし、その方がかえって気楽だろう? 朝議の欠席理由は腹痛とでも適当にでっちあげとくからさ」
「ええと、そんなことして大丈夫なんですか?」
「はあ、どうせ既に手を回してあるのだろう?」
「まあね~ん。蓮家としてもお世継ぎは早く欲しいからさ」

 当然ながら懸念する素流だが、他方一翔はやれやれと額に手を当てた。
 ここの所、お茶の時間に三人だけでいる時の博風は、当初よりかなり砕けている。
 素流たちに子作りを促すことにも余念も遠慮もない。

「ここからそんなに離れてない山中ってか山麓の街だし、二泊三日でゆっくり過ごしてきなよ」
「温泉ですか……」

 博風の提案に、素流は正直ちょっとわくわくした。
 秘湯と聞いて興味が湧かない素流ではないのだ。
 亡き父親が湯治の際には大体必ず素流を一緒に連れて行ってくれたというのも、行きたいと思う理由の一つかもしれない。
 彼女の武芸好きと温泉好きは間違いなく父親譲りだった。

「素流、そなたはどう思う?」
「秘湯だなんて、行けるなら是非行きたいです!」
「……そうか」

 おそらくは馬車の中からだろうが、後宮を出て久しぶりに市井の風景に触れられるという点も素流を乗り気にさせていた。
 目を輝かせる素流に博風は嬉しそうにし、一翔はようやく表情を緩めた。

「ならば早速と支度に取りかからねばな」
「はい!」

 一翔のゴーサインに素流は嬉しくてついつい返事も大きくなった。

「博風さん、お心遣い本当にありがとうございます!」
「いえいえ」
「陛下、温泉楽しみましょうね!」
「そうだな」

 朝議に顔を出す臣下たちがもしもこの相好を崩す皇帝の姿を見たならば、間違いなく彼の一番の宝物はこの少女だと口を揃えた事だろう。
 それほどに彼の眼差しは素流に対する愛情で満ち満ちているのだ。
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