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第一部

8、皇后のお茶会にて

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 高官たちの間でも噂になる程に素流は皇后の下をよく訪れている。
 皇后その人から招待を受ける日もあれば、素流からお伺いを立てる日もあるが、割合的には素流が誘われる方が多い。

「あの、皇后さま、こう連日も同然にお邪魔してしまって本当にご迷惑ではないのですか? 沢山のお話を聞けるのは嬉しいのですけども」

 皇后の宮での午後のお茶の時間。
 今日も招いた素流からの問いかけに、女装皇后蓮博風は涼やかに微笑んだ。
 ここには宮女たちの目と耳があるので当然男の声は出さない。
 故にいつも裏声だが、四年も女装皇后をやっていれば裏声などお手のものだった。

「ええ、本当に変に気を遣わないで淑妃。わらわとしても色々とあなたの参考になれば嬉しいですもの。ホホホホ」

 設定としては病持ちの皇后なので、周囲に今日も体調良好だと示すためにわざとらしく明るく「ホホホホ」なんて笑い声を立てる自分をちょっとやり過ぎかとも思いつつ、博風は素流とほのぼのと茶を飲んでいられる時間が嫌いではなかった。
 しかもこの頃では途中で必ずもう一人が席に加わるのだから、博風としては腹を抱えて笑いたい気分だったりする。
 因みに、以前はいくら親しいとは言え、彼とここまで頻繁に顔を合わせてなどいなかった。
 ちょうどその時、外からの音を聞きつけた博風は部屋の入口へと目を向けた。

「あらあら、今日もまた陛下が足を運んで下さったみたいだわ」
「凄いですね。陛下の訪れをこの場の誰よりも早く気付くなんて! やっぱりさすが皇后さまと皇帝陛下の間には、赤き血潮が滾るような運命の結び付きがあるのですね!」

 以前は素流のこの手の比喩に首を傾げていた博風も、最近ようやくその意味に気が付いてこれまた腹がよじれそうになったものだった。
 素流は自分と一翔をその手の方面、つまりは断袖だんしゅうの仲だと思っているに違いない。
 確かに素流の立場で考えてみればそのための側室と思われても仕方がなかった。

(一翔と私が組んづ解れつする? ハハハ絶っっっ対ない)

 こうやって素流から応援される度に当初は余程訂正してやろうかと思っていた博風は、しかし今ではこのままで行くのも面白いかもしれないと放置を決め込んでいた。

 扉の開閉と共に、最早勝手知ったる場所だとして宦官や宮女による先導も必要なく廊下を闊歩かっぽし、一人胸を張って部屋に入ってきたのは、紛れもないこの国唯一無二の綺羅星たる皇帝楊一翔だ。
 よく裾を引っかける素流と違って幼い頃から長い裾には慣れている彼は、これまた長い脚で貴人用の袍の裾を捌き、博風と素流のいる数人掛けの円卓まで悠然とやってくる。
 そしていつものようにどこか不機嫌に椅子に腰かけた。
 皇后仕えの宮女たちはもう心得たもので手際よく皇帝の分の茶器と菓子を用意する。
 程なく淹れられた茶をちびちびと口に運ぶ一翔は、しかし博風と素流との雑談に耳を傾けるだけで口を挟んでくることはほとんどない。
 そんな一翔を素流は自分の菓子をつまみながら盗み見た。

(この人、今日もつまらなそうな顔してるなあ)

 嫌々ならわざわざ同席しなければいいのにと最初の頃はそう思っていたのだが、こう足繁く通う理由を考えてみれば答えは単純明快、彼は愛する皇后に会うために来ているのだと素流は理解した。

(夜だって本当は皇后さまとイチャイチャしたいのに、周囲から急っ突かれて仕方がなく私の所に来てるんだろうなあ。鍛練時に見に来るのだってそうなんだろうし、世の恋人たちみたいに好きな相手だけに会っていられないなんて、皇帝って大変だよねえ)

 そんな風に思えば二人の逢瀬の時間を無為に邪魔している自分が申し訳なくなってきて、とうとうこの日素流は思い切って途中で席を立った。
 これまでは失礼に当たるかもしれないと遠慮していたのだが、その遠慮の方向を変えたのだ。つまりは二人に遠慮した。せめて昼間だけでも一緒に過ごしてほしかった。

「あの、お二人でごゆっくりどうぞ。私はそのー、ええとー……そうそう鍛錬があるので失礼します」

 そんな適当な言い訳を口に椅子から腰を上げた素流の手を一翔が捕まえた。
 先日の夜のような強引さはなく、むしろ控えめだ。彼は困惑しているようだった。

「下手な演技などして、どうした? 鍛錬ならば昼前にしておろうに」
「えっと~……」

 言い訳がまずかった。
 すぐに見破られる嘘をついた自分の間抜けさに、素流はちょっと目を泳がせた。
 でも、二人を応援すると決めているのでやはりここは自分が退席するのが一番だと思い直す。

「私は折角のお二人の時間を邪魔したくないのです」
「何……?」
「私がいると陛下は心置きなく皇后さまとの甘い時間を過ごせないと思いまして」
「何……だと?」

 ぶはっと珍しく皇后が茶を噴きかけて激しく噎せた。
 あわや持病のしゃくかと宮女たちが慌てたように集まって背中を摩る。素流も傍で気遣いたかったが一翔に手を掴まれているので動けない。
 何故か一翔は眼差しを胡乱なものにしていた。

「淑妃」
「はい?」

 滑舌もハッキリと呼ばれ、素流はまた自分は彼を怒らせてしまったのだろうかと思えば、気が塞いだ。
 仮にも夫である相手を不愉快にさせたいわけではないのだ。トラブルなくそれなりに過ごせればいいと思っているのに、全く世の中は思うようにいかない。

「陛下、そのように心にもなく怒ったようにされては、淑妃も気まずく思いますよ」
「朕は別に怒っているわけではない」

 もう既にその表情が不機嫌丸出しなのだとは素流は思ったが口には出さなかった。
 彼はよく素流が二人を取り持つ発言をすると表情を曇らせる。

「いいから、そなたもここにいろ」
「え、ええと……」
「わらわも淑妃にはお開きまでここにいてほしいのですけれど?」
「あ、はいじゃあお言葉に甘えて」
「……何故に皇后の言葉には素直に従うのだ。そなたは朕の妃であって皇后の妃ではないだろうに」
「それはそうですけど、ふふっ皇后さまのお妃だなんて可笑しな言い方ですね」

 思わず小さく微笑むと、一翔から何故か口に菓子を放り込まれた。

「んむぐ!?」
「いつもそうして笑って甘い菓子でも頬張っておれば良いのだ、そなたは」

 吐き出すわけにもいかず、仕方なく茶と共に飲み込んでいると、皇后がくすくすと笑っている。
 場の雰囲気は和やかだ。
 素流は一翔の表情に険がないことに些かホッとして表情を緩めると、椅子に腰を落ち着けるのだった。




 その後彼と二人一緒に皇后の宮を出て屋根付きの屋外廊下を並んで歩いた。
 公務が立て込んでいたりするとさっさと先に行ってしまうのだが、今日はそうではなかった。
 動きにくい贅沢な服には未だに慣れず汚さないようにと気を遣えば自然とゆっくりになる素流の歩調に、彼はわざわざ合わせてくれている。きっと素流に何か話があるのだろう。

「ほとんど毎日呼び付けられて皇后の宮を訪れて、面倒ではないのか?」
「まさか。それに私からお伺いを立てる日もありますし。皇后さまは色々とためになるお話をされるので勉強になっています」
「ためになる話か……。朕の居ない所ではどのような話をする?」
「え? ええとそれは~……」

 素流は内心あたふたとして少し頬を赤くした。

「言えぬのか? それにどうして頬を染める? ……まさか朕の居ぬ間に二人で何か人に言えぬような行いを?」
「人に言えない? いえ人に言えないわけではないんですけど……」

 眉間にしわを一本刻む一翔へ、素流はこれはきっと皇后と仲が良い自分への嫉妬だと考え微笑ましく思い、逡巡の末に口を開いた。

「――閨事ねやごとに関して、です」
「………………は?」

 かなりの間があった。
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