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第8話 愛は世界をバグらせ新たに走り出す
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森の湖畔からテレポート魔法で王都の屋敷まで帰ったジュリアス・コールドウェルは、気分的には本当はもう少しケイトリンと居ても良かった。自分だけ先に帰らずに帰りの道中も彼らと過ごす事もできたのだ。
しかし、彼は念のため別行動を決めた。
少し前に没落貴族から買い取った屋敷の玄関は経由せず、直接書斎へとテレポートしていた彼は上着を脱ぎ簡単なシャツ一枚になる。襟元を寛げて疲れたようにトスンと長椅子に腰を下ろすと、ベルを鳴らして執事の男性に温かい飲み物を持ってくるように命じた。
執事は主人がいつの間にか戻っていたのを驚くでもなく粛々として短時間のうちに全ての用意を整えた。見た目には主人たるジュリアスとそう年齢も変わらないだろう若そうな執事だが、彼はよく訓練されていて恐ろしく手際がいい。
ジュリアスは飲み物に一口口を付けてから満足して青年執事を下がらせた。レモンとミントの香りのするハーブティーだ。
温かい飲み物とだけしか言及していないにもかかわらず、あの執事はいつもジュリアスの欲するものを的確に選んで給仕する。中々に得難い人材だ。
現にゲームヒロインのシャーロット・エバートンを田舎から早々と王都に呼ぶよう最善の根回しを丸投げすれば、彼は学費援助という仕組みを使って誰の目からも不自然ではなく巧みにそうさせた。
ただその件では予期せず他のパトロンが現れて全額返還されてしまったのだが、調べてみるとパトロンはどうやらケイトリンだとわかった。
願いを叶えるための障害、邪魔者になるだろう相手を観察してみようと思ったのもその時だ。
故に森の湖畔へと出掛けた彼らの動向を監視していたのだが、シャーロットがピンチになったので助けに出ざるを得なかったという次第だった。
「ふぅ……ハードな半日だったなあ。心も躍った半日だったがなあ」
胃の腑が温まってようやくジュリアスは体が解れ人心地つけたのを自覚する。我知らず緊張していたのだと悟り苦笑いがこぼれた。窓の外はまだ明るいが、ケイトリン達が王都に戻る頃にはやや夜へと傾いているだろう。
「ケイトリン・シェフィールド。ケイト……」
彼は何となくほとんど声にならない声で名を呼んでみる。脇役中の脇役たる死亡エンド予定の娘の名を。爽やかな口内には何も含んでいないのに一音一音から舌の上に甘やかさが拡がる気がした。
――ジュリアス。
去り際に彼女からそう呼ばれ、彼は初めて役もなかった自分の自分だけしか認知しえなかったさもない名前が、とても格別な物に感じてしまったのを覚えている。
世界にずっとあったのになかったも同然だった名がきちんと掬い上げられ、あたかも命を与えられたようなそんな不思議な感覚を味わったのだ。
その直前にも、彼はらしくなくメインキャラ達の過ぎた感情が世界の崩壊を引き起こすのを懸念した。
だから自分の存在と言動が彼らの感情をあれ以上煽って揺らがさないように距離を置いた。余計なやり取りが生じないようにあの場を辞したのだ。
「今日の出掛ける前だったなら、こんな風には思わなかっただろうになあ。ははっどうしてかな、世界の崩壊を願っていたのに、少しそれが惜しくなっただなんて」
いや、どうしてと疑問の形を取るのは愚かだ。
「それもこれも、全部ハニーのせいだよなあ」
根本的に自分とは正反対の目的を持つ少女ケイトリン・シェフィールド。
彼女と今日深く関わらなかったなら、こんなややこしい展開にならず心を惑わされずにいられた。
しかし……。
「それは嫌だな」
会わないまま本懐を遂げてしまったならと想像するだけでじわりと胸の奥に後悔のようなものが湧く。
ケイトリンを揶揄って戯れる時間が得られるのなら、その限りで世界を生かしておくのも悪くないと。
「頬に負っていた火傷は、聖女に治してもらえた頃か?」
彼はケイトリンの顔に小さな火傷を見つけていたが、森の方からの足音を聞き付けて治癒アイテムを取り出すのを断念していた。彼の懸念事項によりなるべく早くあの場を離れなければならなかったからだ。本当なら本人も気付いていなさそうだった火傷を治してやってから去りたかったというのが本音だった。
「ドラゴンの牙は防げるのに火傷は負うとはなあ。しかも気付いてないとか、危なっかしい娘だな全く……」
おちおち放ってもおけない気持ちにさせられる。
「まあ放っておく気はないが」
次に会う時は一体どんな形で会えるのか、と彼は爽やかなハーブティーの湯気から香りを楽しみながら、興味は尽きないなと薄く笑んだ。
「ケイト様~! 素晴らしいまでの戦いぶりでした!」
赤毛男ジュリアス・コールドウェルがテレポート魔法で消えてすぐ、森から真っ先に姿を現したのはシャーロットだった。
無事だろうとはわかってたけど、こうして姿を見るまでは一抹の不安はあったから本当に良かった。
「私達のためにあんな恐ろしい魔物と戦って下さり、ありがとうございますっ。ご無事で何よりですっ」
彼女は駆け寄ってくるなり私にひしっと抱きついた。
いやーまあぶっちゃけ私はここに戦うために誘ったんだけどね。ただまさかドラゴンが出てくるとは思わなかっただけで。こんな感極まって感謝されると、うん……結構心苦しい。
アレックスとベンジャミンの二人は互いに肩を押して相手の動きを牽制し合いながら走ってきたけど、揃って彼女に先を越されてしまったという顔をしていた。
シャーロットは両腕を回して抱きついたまま私の顔を見上げるやハッとして表情を強張らせた。
え、何? 私の顔が怖いとか?
「ケイト様、お顔に火傷をっ!」
「うん? あーららホントだここ痛い。でもちょっとだしこのくらいなら数日したら治るわ」
すると彼女はふるふると横に首を振る。
「私、本当にケイト様に助けてもらってばかりですね。なので私にもあなたの力にならせて下さい!」
「へ? 力に?」
彼女は体を離すや私の手を両手で握り締め、祈るように両目を瞑る。
「私の全力でケイト様の怪我を治します……!」
刹那、白い光が生まれて私とシャーロットを包み込む。
こっこれはっ、聖なる治癒の光ーっ!!
なら彼女の聖女能力は覚醒したのね。え、でもいつの間に?
「あのー、痛みはどうですか?」
「あ、うんもう全然痛くない。むしろ前よりお肌スベスベだし。ありがとうロッティ」
当代聖女の治癒魔法には実は美肌効果まであるんですーって温泉みたいな効能があるのが知られたら、貴族の奥様達は放っておかないわね。真実彼女が正式に聖女になった日には相乗効果で本来のゲーム展開以上に人気が出そうだわ。
あと、彼女の有力な味方が増えればジョアンナからの嫌がらせも軽減されるかもしれない。是非そうなってほしい。
ちゃんと治癒できたのかと少し不安そうにしていたシャーロットは私の笑みに釣られたように相好を崩す。
「それなら良かったです。この先もケイト様のどんな怪我でも私が治せたならこれ以上の僥倖はありません。勿論怪我なんてしないのが一番なのですけど」
「ところで、ロッティはいつ覚醒したの?」
「ケイト様が溺れた時にです。その時はあの方に先を越されてしまいましたけど……。そう言えばあの方はどこに?」
「ああジュリアス? ドラゴン討伐も済んだし帰ったわ」
「ジュリアスさん、と仰るのですか。……恋人、なのですもんね」
シャーロットは目を半分伏せてしょげたウサギみたいになる。ええと落ち込むとこあった?
「はっまさかロッティ、あの男に惚れてたの!?」
「そんなわけありません~っ! いくら顔が良くても道を訊かれただけの知らない人を好きになりませんよーっ!」
「えっ、あ、そか、ごめんごめん、ほらほら怒って頬を膨らまさないロッティちゃーん? ならこんな素晴らしい奇跡を業を持ったのにどうして落ち込むのよ? 私は我が事みたいに嬉しいのに。自信持って、ロッティは凄いんだから。改めて聖なる力の覚醒おめでとう!」
「ケイト様……っ」
うるうると涙ぐんだシャーロットは私の胸に顔を埋めて肩を震わせる。私は彼女の頭や背中を慈母のように優しく優しく撫ででやる。よしよし、今ここでは思い切りお泣きなさい。あなたにはこれから大変な日々が待っているのですからね……って、わーいわーい、わっしょーい、これで聖女誕生は確実じゃーん!
ようやく教会に迎え入れられてゲーム通り聖女候補から始まるだろうけど、そうするとアレックスやベンジャミン、その他のキャラ達と魔物討伐の冒険フラグが沢山立つわけで、何度も力を合わせて危機を脱していくうちに、なし崩し的に彼らの絆は深まるって展開になるだろう。そうなれば私はもうお役御免よ。
で、現在その件のメインキャラ二人は戸惑ったように近くに佇んでいる。
「何だろう疎外感が……」
「ああ、何か俺達が入っていけない雰囲気だな」
一方、私に焦点を当てていて彼らの会話なんて聞こえていないんだろうシャーロットは決意の目をした顔を上げた。
「私、これからはケイト様のために生きていきます!」
「ええ? あはは大袈裟なー。でも嬉しい言葉ありがと」
「嬉しい、と思って下さるのですか?」
「そりゃあ」
「そ、ですか……ふふっ」
シャーロットはとびきりのプレゼントをもらった子供みたいに頬を赤くしている。大喜び、いや大興奮?
聖女なし世界破滅エンドは避けられたから、後は本格的に彼女の恋愛面と、私自身の殺されエンド回避に注力しよう。後者は楽勝だろうけど。
私はとりあえずくっ付いていたシャーロットを離すと、男二人へと目を向ける。
「そっちの二人も大きな怪我がなさそうでよかった。ロッティを護ってくれてホントありがと。あと、こんな散々なピクニックになってごめんね」
散乱したバスケットの中身やシートとか諸々は火球で全部燃えちゃったから片付ける物もない。綺麗だった湖畔もかなりボコボコで至る所が黒焦げだ。周辺の木も焼けたけど風速と湿度の関係か延焼がなさそうなのは幸いだ。
「どうしてケイトが謝るんだよ。ドラゴン出現なんて誰も予想できなかった事だろうに」
アレックスが私を窘めるようにする。
これも彼の公正さや思いやりだ。
「あー、かえって卑屈に聞こえたなら何かごめん」
「そっそういう意味で言ったわけじゃない! 誤解しないでくれケイト。僕の言葉で君を傷付けたなら謝る。ただ、負い目に感じてほしくなかっただけだ」
「うわ、わかってるわ。ありがとう」
「そ、そうか。なら良かった」
「――ケイト、あなたに訊きたい事がある」
胸を撫で下ろすアレックスとは裏腹にここでベンジャミンがやり手の検察官のような目を向けてきた。
「ん、何?」
「これだけは正直に答えてくれ。あの赤毛の男とは真実本当に恋人なのか?」
ぎくーっ。
「い、いきなりね」
アレックスとシャーロットも一度大きく目を見開いてから急に鋭くも真剣な眼差しに豹変する。思わず視線の集中砲火に怯みそうになった。だがしかーし、怪しまれないためにも意地で平気な態度を装うしかない、心を強く持て私っ。
「ええ、恋人よ!」
前に思い切り偽のって付くけどね。
三人はぐっと歯を食い縛った。
「だ、だがいつ交際を始めた? つい最近まであなたはロイ殿ラブと公言していただろう。それが、もう心変わりしたと? まさかの電撃交際なのか? 確かにあの男も惚れるには申し分のない端正な顔立ちで、肉体も逞しい方だったが、俺もそこは負けていない。だのにっ、どうしてあの男なんだケイト……!」
それは切実なまでの恋する男の叫びだった。
「ベ、ベンジャミン、落ち着いて、ね?」
じゃないとまた警告になるかもしれないからヒヤヒヤだ。
「落ち着け? 無理だ。正直俺は嫉妬でどうにかなりそうだ。押しの強そうな男だったな。強引さに弱いなら俺にも希望はあるのでは?」
「だっから落ち着くの。私はもう彼氏持ちなのよ。二股する気だって微塵もないわ!」
「俺は一縷の望みすら抱いてはいけないと? ならば密かに想うくらいは俺の自由だ」
「ベンジャミン……!」
頑固な男ねってついつい苛立っちゃったけど、そんな自分にチクリとする。あー、上手くできなくてもどかしい。
内心自己嫌悪に陥っていると、アレックスがベンジャミンの肩を軽く叩いて落ち着きを促してくれた。え、危機一髪を共に乗り越えてのまさかの友情発生? そんなアレックスは真面目だけど冷静な顔をして私に言葉を向けてくる。
「ケイト、君が必死に探している赤毛の男はもしかしてさっきの奴か?」
「ああ、うん。何とか見つけたし、協力ありがとう」
「……なら、あいつは君のような素敵な女性を放って行方をくらましていた、と言うわけか。君は広場でも取り乱すくらい必死に捜し案じていたというのに」
「へ? 案じ……?」
てなんてないけど?
「ロイへの好意はとどのつまりは現実逃避のために身代わりだったというわけだよな。全てはそいつのために」
「ア、アレックス……?」
彼はベンジャミンと同じような、いや怒りのためかそれ以上に据わった目付きになっている。何か大きな勘違いをされているような気がする。
「ケイトをあんなろくでなしに任せるわけにはいかない。僕の方がマシだって、いいや、断然イイ男だって君に思わせてみせる!」
「え、あの……」
「僕は僕の名に懸けて、君を落としてみせるっ! 覚悟はいいなケイト?」
アレックスの名にって、彼の本当の名にって意味?
つまり王子としての。
いやーっ、そんなの王国の大スキャンダルになっちゃうわよ!
「早まらないでっ、アレックスにはそりゃもう運命の赤い糸でガチガチに結ばれた素晴らしい相手がいるん……いやいるに違いないって、私の中の未来予知の守護霊の同僚が言ってるわ!」
「未来予知の守護霊の同僚……?」
一瞬そこだけは正気に戻ったのか頭大丈夫かって顔をされた。うん、自分でも思った。
アレックスはとても悲しそうにする。
「ケイトはそんな変なものを出してまで僕の気持ちを拒絶したいのか」
ひーっ、ガラスのハートでキャラ崩壊して廃人になって世界崩壊を招く流れこれ!?
「そっそこまで無下にしたいわけじゃなくて、気持ちはありがたいけど、もう付き合ってる人がいるからよっ」
「しかし、その男がこの先もずっと君の恋人とは限らないよな。僕が君の次の恋人になって、そうなれば最後の恋人にもなる。そんな未来しか僕の守護霊の同僚は定めてない!」
いやさ、守護霊の同僚から離れて。
「僕はケイトに恋人ができたのを知って、余計に燃えるよ」
「俺もいつかは努力が報われる。強き想いが望む未来を引き寄せると信じている」
「「――略奪愛してやる!」」
え、えー……勘弁……。
メラメラとジェラシーと闘志を燃やすアレックスとベンジャミンが、こっちを誘惑する気満々に熱っぽく見つめて詰め寄ってくる。
私は無駄とはわかっていても両手を前に突き出して二人の進行を阻んだ。
「いやいやいやだから私は駄目なのよ! アレックスでもベンジャミンでも。――二人が私と恋愛すると世界が壊れるかもしれないんだから!」
あ……あーーーーっ、うっかり秘密を暴露しちゃったあああ。で、でもこんな話誰も本気にはしないか。
「世界が壊れる?」
アレックスが笑いたくて仕方ないような顔をする。だけど笑わなかった。
真顔できっぱり言い放つ。
「そんな世界なら、壊すのもいいな」
「はあ!?」
私と違って崩壊が実際に引き起こされるのを本気にしてないからこそ言えるんだろうけど、男キャラ筆頭が何言っちゃってんだこらーっ。
しかも彼は私の腕を掴んで彼の方へと引き寄せようとする。吹っ切れたのか振り切れたのか押し強~っ。紳士な王子様はどこよ! こりゃ無理強いは駄目だぞって後でデコピン、ううんバット一発ね。
でも、足を踏ん張ろうとしたのに、私はアレックスの目に切なそうな光が過ったのに気付いてしまった。弱ったような泣きたそうな懇願さえも孕んだものだ。
これは散々脈なしを味わった彼のなけなしの勇気の虚勢なのかもしれないと思ったら足に力が入らなかった。同情? 共感? そうかもしれない。
「はッ、貴様は馬鹿か? 世界が壊れたら俺とケイトがラブラブな時間を過ごせないだろうが。俺はたとえ世界が壊れようとしても、壊させない」
アレックスにぶつかるかと思った矢先、こちらもいつになく強気なベンジャミンから反対側の腕を引っ張られてそっちに傾く。いやラブラブって……。
「だろうケイト? この世界はあなたと俺のために存在する」
「……っ」
たまたまカッコ付けての台詞なんだろうけど、ベンジャミンってばドキリとするような意味深な事を言うわね。うっかり動揺しちゃったわよ。
「は、それもそうだな。僕だってケイトと終わるつもりはない。世界は僕とケイトのものだからな」
今度はアレックスがわけのわからない事言い出した。世界征服の野望でも芽生えたの?
またアレックスから引っ張られたけど、両方からの力で奇跡的に均衡が保たれたようで真っ直ぐ立てた。
「ケイト、世界は壊させない。僕がずっと傍にいる」
「俺だって壊させない。ケイトごと護るぞ」
私が世界が壊れるとか言ったから敢えてそこに合わせての言葉のチョイスであって、彼らはきっとこの世界の秘密を察したわけじゃない。
それなのにこんな風に気持ちをぶつけられて、どうしろってのよ。こんな熱烈漢達をどう御せばいいのか全くわからない。
――ピキピキと世界に微かな亀裂が入る音を私は聞いた気がした。
ええっうっそ、マジ告白されるのもアウトなの!?
あああどうしよう。この二人の止め方なんて知らないわよっ。世界崩壊を私は止められないの?
「ケイト、僕を選べ」
「俺をだ、ケイト」
二人は互いに一度牽制するように睨み合ってから、ふと眉間を緩めた。
両方の吐息が頬に掛かる。
「「――好きだ、愛してる」」
と、気付けば二人から同時に頬に口付けられていた。
それぞれの決意を込めた親愛と情熱が唇から伝わる。
顔は真っ赤になったのに、思考は真っ白になりそうよ。何この心臓に悪いヒロインポジションはーっ!
――あ、来る。
だけど私は感覚的に悟った。
世界からの三度目の警告が来ようとしているって。
ヤバいわ。でも私には止められない。
この二人が頑張ってくれても無駄だろうなって諦めの境地にさえなった。
世界にビシリと更に大きくヒビの入った音がして、一瞬で見ている空間全体に無数の筋が走った。
どう見ても崩壊の兆しだった。
アレックス達の誰にもそれらは見えてないようだってのに。
最早言葉一つも思い浮かばない。
今頃ジュリアスだけは諸手を挙げて勝ちを喜んでいるのかもしれない。
その、刹那。
「たとえ世界が壊れても、私がすっかり直して、ううん、私だけじゃ足りないのならアレックス様とベンジャミン様にも手伝ってもらって直して、私がケイト様とずーっと一緒に生きて行くんですーーーーっ!!」
シャーロットが正面にいて、彼女はふわりと私のおでこに口付けた。
聖女からの祝福のキスみたいに。
同時に、ガッシャーン、と無数のガラスのシャンデリアが落ちて粉々に砕けたような音が私の頭の中に大音量で響き渡った。
それが世界の崩壊音なんだって私は疑いなく悟っていた。
ああ、これでおしまいなのかって。
世界に溢れ出したこの白い光はきっと終焉に向かうものなんだって。
ああ、のんびり転生ライフは叶わなかった。
マジ恋の一つだってまだしてなかっのにーっ!
この世界を冒険だってしてみたかったのにーっ!
私は無念さにぎゅっと目を瞑った。
…………。
……………………??
痛くも何ともない?
「ケイト様?」
不思議そうなシャーロットの声がした。
「ケイト?」
今度はベンジャミンのだ。
「ケイト……?」
アレックスのは案じている。
私は内心じゃ嘘でしょって半分疑いながらもそろーりと片方ずつ怖々と瞼を押し上げる。
「…………へ?」
世界は崩壊したはず――なのに、どうして時間はスローでも止まってもないし亀裂もないし、シャーロットもアレックスもベンジャミンも普通にしてキラキラした目でこっちを見つめているんだろう。
この世界は何事もなかったように継続しているんだろう。
まるで、確かに世界は壊れたけど、何かの奇跡の業で同時に修復されたみたいじゃないの。
あと、ゲームのシナリオに縛られていたものから解放されたみたいに、三人共妙にスッキリした顔をしているようにも見える。
まあこれは私の主観だけど。
するとここで頭の中に天の声が届いた。
――凄いびっくり現象だ。彼らの恋に自由度を与えたなんて。言うなればこれってバグだよね、バグ。
え、じゃあもう敢えてシャーロットとアレックスをくっ付けなくても世界は壊れずに存続するの?
――さあ、そこはあくまでもこっちは天の声であってこの世界じゃないからわからないよ。
そこは同僚なんだろうし訊いといてよ。ホンット天の声って使えない。
――くすん。
だけど、恋愛に自由度? 大丈夫なのそれ? 暴走されると困るんだけど。
――まー、そこはー……そっちで色々頑張って!
はいはいそう言われるとは思ってた。まあでも、私の人生の目標は変わらずのんびり大往生よ。
自国の王子様とか異国の王子様とか聖女が周りにいたらその望みは叶いそうにない。
どうにか無難にメインキャラな彼らには彼らで纏まっててもらって、ド脇キャラな私はいつの間にかフェードアウト~でスローライフ満喫するわ。
そんなわけだから、また何かあればその時は宜しく頼むわね、天の声。
――はいはい。世話が焼けるよねえ。
一言多いっての。私は改めて目の前にいる三人をまじまじと見据える。
「えーっと、皆の気持ちは本当に嬉しいわ。好いてくれてどうもありがとう。でも私には恋人がいるから応えられない。そこはどうか少しずつでもいいからわかってほしい」
もうたとえこっ酷く振っても警告は出ないのかもしれない。だけどビンタするみたいに突き放すのはしたくない。彼らの人柄を知ってしまったからこそ、そんな手酷い裏切りはしたくないから。理解してもらえるように丁寧に接したい。もしも私が本気になった誰かができたなら、彼らならきっとわかってくれると思うもの。
格式とか身分とか行儀作法とかでその人間を判断される風潮の強いこの階級社会にありながら、こんな貴族令嬢らしくない本当の私を笑顔で受け入れてくれた彼らだからこそ。
……なんて思ってるけど、失恋が発端でストーカーとか拉致監禁するヤンデレにはならない……よね?
そう願いたい。
「僕は、善処はするが、確約はしない」
「俺もだ」
「私は、ケイト様の恋人さんがもしも悪い男なら、容赦しません。些細な事でもいいので何でも相談して下さいね!」
男二人は頑固な面を、ヒロインは意外にも男気溢れる頼もしさを、それぞれに見せてきた。
本来なら説得難しいなって悩み困るとこだろうはずなのに、どうしてだろう、私は微笑ましさを感じてふっと小さく噴き出してしまった。
可笑しみを覚えて自然と笑いが込み上げてきて声になる。ふふふあはははって。
こっちに転生してからは、こんな明るい気持ちの自然体で腹の底から笑えたのは初めてだったかもしれない。
何も言わずに急に笑い出して止まる気配のないこっちの様子に三人は目を丸くした。
そしていつしか釣られて笑顔になった。本気の告白を茶化されたって怒っていいとこなのに、彼らもホントお人好し。
「あのさ、変に誤解しないで聞いてね。友人としての言葉なんだけど、私ね、――三人が大好きよ」
彼らはそうとわかっていても照れた。
こっちまで照れがうつらないうちにと、これも提案する。
「さぁてと、そんじゃそろそろ帰ろっか。暗くならないうちにね」
三人は空を見上げその傾き加減を見て取ると、笑みの余韻を目元に残し三様に頷いてくれた。
「……縛りが、緩んだ?」
ジュリアスは、見えない誰かに脅かされたように顔を跳ね上げて心から驚いたように瞠目していた。うっかり飲み物を溢さなかったのは良かった。
「ふ、ハハハ、ハハハハハハ、まさか、こんな事が起きるなんてな……。ハニー、あんたが来てからだな。この世界がこうも予測の付かない面白いものになったのは」
ジュリアスは書斎で一人暫く肩を震わせていた。
もうキャラ達の人生をシナリオ通りに進めなくとも世界は壊れないのか、はたまた蛇行や遠回りは容認されるもののやはり大きな逸脱は認められず崩壊を引き起こすのか、そこは正直彼にもよくわからない。
何しろ、世界は一度壊れたと同時に修復されたのだ。
崩壊したと考えていいものか、それとも同時に治されたのだから崩壊していないとなるのか。そこも実は不明だ。
とは言え時間のパラドックスに嵌まり込みそうなので深く考えるのはやめにする。
「はは、未知なる未来と愛しのハニーに、とびきりの祝福を」
ハーブティーで一人乾杯する皮肉と本気がない交ぜな彼の呟きは、緩やかなくゆる湯気と共に書斎の空気に滲んで消えた。
聖なる覚醒を果たしたシャーロットは聖女候補になって教会に迎え入れられた。
アレックスとベンジャミンはまだ身分は内緒のままでそれぞれの職務をこなしているみたい。
私は舞踏会には偽の恋人ジュリアス・コールドウェルと揃って出ないとならなくて、彼の相変わらずの軽口に辟易としながらも、そんな環境をある意味平和かなとホッとしたりしながら日常を送っている。
ランカスター家との婚約話は私に恋人がいるから破談になるかと思いきや、人生先はわからないからとかランカスター公爵が年の功なのかの深い持論を展開してくれちゃった結果、保留になった。
ちょっと何余計な真似してくれとんじゃいお爺ちゃん公爵様よーっ!?
だけどそれは実はベンジャミンの説得とそれが如何に家の利益になるかって曾祖父たる公爵と取引したと言うか根回ししたせいだったって知って、暫く彼とは口利いてやらなかったっけ。
だって商人の視点からそんな真似されて、知った私は商品じゃないって腹が立った。
……無視するなって泣いて謝られたから赦したけど。
とは言え、一度顔を合わせてお茶を飲んだランカスター公爵は中々に食えない老人だったわね。不肖のひ孫を赦してやってくれって彼に言われたから無駄に喧嘩が長引かなかったのもある。お茶のタイミングも絶妙だったからベンジャミンともしこりみたいなものは残らなかった。
『あれは、お嬢さんを好きな気持ちばかりが先走ってちゃんと人の心の機微がわかっておらんのだ。そこを考慮してやってはくれないか』
ああ言われたら仕方ない。
私も厳しかったかなって譲歩した。
それで、話自体は立ち消えないで保留よ。
だから、私の十八での婚約発表はなしになった。
それでも私は異母妹ジョアンナから恨まれている。継母からも。
私が青年実業家として近頃評判が鰻登りの男ジュリアスと表向きは恋人同士だからなのと、大貴族ランカスター家との婚約話が上がっていた事を知ったからと、やっぱりイケメン男アレックスと仲が良いって点などなどが彼女のプライドを傷付けているんだろう。
ただ、実家じゃ変わらず私は使用人同然に見られて嫌味は茶飯事だけど、さすがに叩かれたり食事抜きとか家捜しはもうない。
他方、婚約保留になりパーティーに出る必要がないと判断したからか、クズ父は長期のビジネストリップに行ってしまった。私と継母達との関係が全く改善されていないどころか悪化したってのに、相変わらず薄情よね。
ジョアンナの嫉妬の一番の原因たるジュリアスとは近々約束の洞窟探検に行く予定でいる。
かーっ、やっと最近特に忙しかった貴族のお嬢様生活から一旦抜けて魔法バットを振れる。腕が鳴る~っ。
で、そのお出掛けにはどこで話を聞き付けたのか、何故かシャーロット、アレックス、ベンジャミンも付いてくるみたい。うっかりロイ様も来ないかなー。二人きりデートは阻止って三人が言っていたけど、デートじゃありません。
その宣言を先日の偽デートの歌劇鑑賞でも現れた三人から言われたジュリアスは笑顔で応対と承諾をしていたけど、もしもあれがゲームシーンにあったなら、盛大にムカつきマークが顔に出てそうだったわね。
そして、私は結局シナリオ通りには殺されなかった。
ジョアンナの拙い謀略のうちの馬車崖落ちルートだったけど、鋼鉄体で乗り切った……わけじゃなく、落ちそうな馬車から助け出されて世間的には九死に一生だった。
うん、偽恋人と王子身分の二人と、聖女が助けに来た。
しかもこの世界の事情を知るジュリアスにはチートで全然平気だって再三言ったのに助けに来たのよね。わざわざどうかしてる。
時々こう敵なのによくわからない行動を取られるから混乱して動揺させられるのよ。
悪女ジョアンナはシナリオ通り投獄されたわ。
アレックスとベンジャミンは激怒して処刑を望んだようだけど、私が望まなかったから処刑はされない。根回しをしてそうできる二人は私の意思を尊重してくれたのよね。
その時にはもう聖女に認定されていたシャーロットは複雑そうにしていた。処刑してほしいくらい憎いけど、処刑は気持ちが進まないしジョアンナがいつか改心するかもしれない、とそんなとこよね。
私は三つ子の魂なんとやらで改心はしないと思うけど、本物のケイトリンでもないし未来を知っていた狡さに少し引け目があって命までは見逃したってわけ。……別にアレックスとベンジャミンが言うように慈悲深いとか優しいわけじゃない。
唯一私と同じくこの展開を知っていたジュリアスは、ジョアンナの裁判が終わった時、そんな甘いとも言える結末を望んだ私に何も言わずに頭をポンポンしてくれた。
……あれはかなり反則よね。いつになく安堵してしまった自分がいたわ。
継母はクズ父から一体何を教育していたって離縁もされた。夫婦のいざこざに私は興味もなかったから我関せずを貫いた。
まあ何だかんだで正規の死亡プラグはへし折った。
これからは私ケイトリン・シェフィールドの人生レールは誰にも、私自身にだって先は見えない。
だからこそ思いっ切り大切な仲間達とわくわくするような冒険をして恋をしてエンジョイして、だけど世界崩壊は回避して、のんびり大往生目指して手ガタく生きていきますか。
しかし、彼は念のため別行動を決めた。
少し前に没落貴族から買い取った屋敷の玄関は経由せず、直接書斎へとテレポートしていた彼は上着を脱ぎ簡単なシャツ一枚になる。襟元を寛げて疲れたようにトスンと長椅子に腰を下ろすと、ベルを鳴らして執事の男性に温かい飲み物を持ってくるように命じた。
執事は主人がいつの間にか戻っていたのを驚くでもなく粛々として短時間のうちに全ての用意を整えた。見た目には主人たるジュリアスとそう年齢も変わらないだろう若そうな執事だが、彼はよく訓練されていて恐ろしく手際がいい。
ジュリアスは飲み物に一口口を付けてから満足して青年執事を下がらせた。レモンとミントの香りのするハーブティーだ。
温かい飲み物とだけしか言及していないにもかかわらず、あの執事はいつもジュリアスの欲するものを的確に選んで給仕する。中々に得難い人材だ。
現にゲームヒロインのシャーロット・エバートンを田舎から早々と王都に呼ぶよう最善の根回しを丸投げすれば、彼は学費援助という仕組みを使って誰の目からも不自然ではなく巧みにそうさせた。
ただその件では予期せず他のパトロンが現れて全額返還されてしまったのだが、調べてみるとパトロンはどうやらケイトリンだとわかった。
願いを叶えるための障害、邪魔者になるだろう相手を観察してみようと思ったのもその時だ。
故に森の湖畔へと出掛けた彼らの動向を監視していたのだが、シャーロットがピンチになったので助けに出ざるを得なかったという次第だった。
「ふぅ……ハードな半日だったなあ。心も躍った半日だったがなあ」
胃の腑が温まってようやくジュリアスは体が解れ人心地つけたのを自覚する。我知らず緊張していたのだと悟り苦笑いがこぼれた。窓の外はまだ明るいが、ケイトリン達が王都に戻る頃にはやや夜へと傾いているだろう。
「ケイトリン・シェフィールド。ケイト……」
彼は何となくほとんど声にならない声で名を呼んでみる。脇役中の脇役たる死亡エンド予定の娘の名を。爽やかな口内には何も含んでいないのに一音一音から舌の上に甘やかさが拡がる気がした。
――ジュリアス。
去り際に彼女からそう呼ばれ、彼は初めて役もなかった自分の自分だけしか認知しえなかったさもない名前が、とても格別な物に感じてしまったのを覚えている。
世界にずっとあったのになかったも同然だった名がきちんと掬い上げられ、あたかも命を与えられたようなそんな不思議な感覚を味わったのだ。
その直前にも、彼はらしくなくメインキャラ達の過ぎた感情が世界の崩壊を引き起こすのを懸念した。
だから自分の存在と言動が彼らの感情をあれ以上煽って揺らがさないように距離を置いた。余計なやり取りが生じないようにあの場を辞したのだ。
「今日の出掛ける前だったなら、こんな風には思わなかっただろうになあ。ははっどうしてかな、世界の崩壊を願っていたのに、少しそれが惜しくなっただなんて」
いや、どうしてと疑問の形を取るのは愚かだ。
「それもこれも、全部ハニーのせいだよなあ」
根本的に自分とは正反対の目的を持つ少女ケイトリン・シェフィールド。
彼女と今日深く関わらなかったなら、こんなややこしい展開にならず心を惑わされずにいられた。
しかし……。
「それは嫌だな」
会わないまま本懐を遂げてしまったならと想像するだけでじわりと胸の奥に後悔のようなものが湧く。
ケイトリンを揶揄って戯れる時間が得られるのなら、その限りで世界を生かしておくのも悪くないと。
「頬に負っていた火傷は、聖女に治してもらえた頃か?」
彼はケイトリンの顔に小さな火傷を見つけていたが、森の方からの足音を聞き付けて治癒アイテムを取り出すのを断念していた。彼の懸念事項によりなるべく早くあの場を離れなければならなかったからだ。本当なら本人も気付いていなさそうだった火傷を治してやってから去りたかったというのが本音だった。
「ドラゴンの牙は防げるのに火傷は負うとはなあ。しかも気付いてないとか、危なっかしい娘だな全く……」
おちおち放ってもおけない気持ちにさせられる。
「まあ放っておく気はないが」
次に会う時は一体どんな形で会えるのか、と彼は爽やかなハーブティーの湯気から香りを楽しみながら、興味は尽きないなと薄く笑んだ。
「ケイト様~! 素晴らしいまでの戦いぶりでした!」
赤毛男ジュリアス・コールドウェルがテレポート魔法で消えてすぐ、森から真っ先に姿を現したのはシャーロットだった。
無事だろうとはわかってたけど、こうして姿を見るまでは一抹の不安はあったから本当に良かった。
「私達のためにあんな恐ろしい魔物と戦って下さり、ありがとうございますっ。ご無事で何よりですっ」
彼女は駆け寄ってくるなり私にひしっと抱きついた。
いやーまあぶっちゃけ私はここに戦うために誘ったんだけどね。ただまさかドラゴンが出てくるとは思わなかっただけで。こんな感極まって感謝されると、うん……結構心苦しい。
アレックスとベンジャミンの二人は互いに肩を押して相手の動きを牽制し合いながら走ってきたけど、揃って彼女に先を越されてしまったという顔をしていた。
シャーロットは両腕を回して抱きついたまま私の顔を見上げるやハッとして表情を強張らせた。
え、何? 私の顔が怖いとか?
「ケイト様、お顔に火傷をっ!」
「うん? あーららホントだここ痛い。でもちょっとだしこのくらいなら数日したら治るわ」
すると彼女はふるふると横に首を振る。
「私、本当にケイト様に助けてもらってばかりですね。なので私にもあなたの力にならせて下さい!」
「へ? 力に?」
彼女は体を離すや私の手を両手で握り締め、祈るように両目を瞑る。
「私の全力でケイト様の怪我を治します……!」
刹那、白い光が生まれて私とシャーロットを包み込む。
こっこれはっ、聖なる治癒の光ーっ!!
なら彼女の聖女能力は覚醒したのね。え、でもいつの間に?
「あのー、痛みはどうですか?」
「あ、うんもう全然痛くない。むしろ前よりお肌スベスベだし。ありがとうロッティ」
当代聖女の治癒魔法には実は美肌効果まであるんですーって温泉みたいな効能があるのが知られたら、貴族の奥様達は放っておかないわね。真実彼女が正式に聖女になった日には相乗効果で本来のゲーム展開以上に人気が出そうだわ。
あと、彼女の有力な味方が増えればジョアンナからの嫌がらせも軽減されるかもしれない。是非そうなってほしい。
ちゃんと治癒できたのかと少し不安そうにしていたシャーロットは私の笑みに釣られたように相好を崩す。
「それなら良かったです。この先もケイト様のどんな怪我でも私が治せたならこれ以上の僥倖はありません。勿論怪我なんてしないのが一番なのですけど」
「ところで、ロッティはいつ覚醒したの?」
「ケイト様が溺れた時にです。その時はあの方に先を越されてしまいましたけど……。そう言えばあの方はどこに?」
「ああジュリアス? ドラゴン討伐も済んだし帰ったわ」
「ジュリアスさん、と仰るのですか。……恋人、なのですもんね」
シャーロットは目を半分伏せてしょげたウサギみたいになる。ええと落ち込むとこあった?
「はっまさかロッティ、あの男に惚れてたの!?」
「そんなわけありません~っ! いくら顔が良くても道を訊かれただけの知らない人を好きになりませんよーっ!」
「えっ、あ、そか、ごめんごめん、ほらほら怒って頬を膨らまさないロッティちゃーん? ならこんな素晴らしい奇跡を業を持ったのにどうして落ち込むのよ? 私は我が事みたいに嬉しいのに。自信持って、ロッティは凄いんだから。改めて聖なる力の覚醒おめでとう!」
「ケイト様……っ」
うるうると涙ぐんだシャーロットは私の胸に顔を埋めて肩を震わせる。私は彼女の頭や背中を慈母のように優しく優しく撫ででやる。よしよし、今ここでは思い切りお泣きなさい。あなたにはこれから大変な日々が待っているのですからね……って、わーいわーい、わっしょーい、これで聖女誕生は確実じゃーん!
ようやく教会に迎え入れられてゲーム通り聖女候補から始まるだろうけど、そうするとアレックスやベンジャミン、その他のキャラ達と魔物討伐の冒険フラグが沢山立つわけで、何度も力を合わせて危機を脱していくうちに、なし崩し的に彼らの絆は深まるって展開になるだろう。そうなれば私はもうお役御免よ。
で、現在その件のメインキャラ二人は戸惑ったように近くに佇んでいる。
「何だろう疎外感が……」
「ああ、何か俺達が入っていけない雰囲気だな」
一方、私に焦点を当てていて彼らの会話なんて聞こえていないんだろうシャーロットは決意の目をした顔を上げた。
「私、これからはケイト様のために生きていきます!」
「ええ? あはは大袈裟なー。でも嬉しい言葉ありがと」
「嬉しい、と思って下さるのですか?」
「そりゃあ」
「そ、ですか……ふふっ」
シャーロットはとびきりのプレゼントをもらった子供みたいに頬を赤くしている。大喜び、いや大興奮?
聖女なし世界破滅エンドは避けられたから、後は本格的に彼女の恋愛面と、私自身の殺されエンド回避に注力しよう。後者は楽勝だろうけど。
私はとりあえずくっ付いていたシャーロットを離すと、男二人へと目を向ける。
「そっちの二人も大きな怪我がなさそうでよかった。ロッティを護ってくれてホントありがと。あと、こんな散々なピクニックになってごめんね」
散乱したバスケットの中身やシートとか諸々は火球で全部燃えちゃったから片付ける物もない。綺麗だった湖畔もかなりボコボコで至る所が黒焦げだ。周辺の木も焼けたけど風速と湿度の関係か延焼がなさそうなのは幸いだ。
「どうしてケイトが謝るんだよ。ドラゴン出現なんて誰も予想できなかった事だろうに」
アレックスが私を窘めるようにする。
これも彼の公正さや思いやりだ。
「あー、かえって卑屈に聞こえたなら何かごめん」
「そっそういう意味で言ったわけじゃない! 誤解しないでくれケイト。僕の言葉で君を傷付けたなら謝る。ただ、負い目に感じてほしくなかっただけだ」
「うわ、わかってるわ。ありがとう」
「そ、そうか。なら良かった」
「――ケイト、あなたに訊きたい事がある」
胸を撫で下ろすアレックスとは裏腹にここでベンジャミンがやり手の検察官のような目を向けてきた。
「ん、何?」
「これだけは正直に答えてくれ。あの赤毛の男とは真実本当に恋人なのか?」
ぎくーっ。
「い、いきなりね」
アレックスとシャーロットも一度大きく目を見開いてから急に鋭くも真剣な眼差しに豹変する。思わず視線の集中砲火に怯みそうになった。だがしかーし、怪しまれないためにも意地で平気な態度を装うしかない、心を強く持て私っ。
「ええ、恋人よ!」
前に思い切り偽のって付くけどね。
三人はぐっと歯を食い縛った。
「だ、だがいつ交際を始めた? つい最近まであなたはロイ殿ラブと公言していただろう。それが、もう心変わりしたと? まさかの電撃交際なのか? 確かにあの男も惚れるには申し分のない端正な顔立ちで、肉体も逞しい方だったが、俺もそこは負けていない。だのにっ、どうしてあの男なんだケイト……!」
それは切実なまでの恋する男の叫びだった。
「ベ、ベンジャミン、落ち着いて、ね?」
じゃないとまた警告になるかもしれないからヒヤヒヤだ。
「落ち着け? 無理だ。正直俺は嫉妬でどうにかなりそうだ。押しの強そうな男だったな。強引さに弱いなら俺にも希望はあるのでは?」
「だっから落ち着くの。私はもう彼氏持ちなのよ。二股する気だって微塵もないわ!」
「俺は一縷の望みすら抱いてはいけないと? ならば密かに想うくらいは俺の自由だ」
「ベンジャミン……!」
頑固な男ねってついつい苛立っちゃったけど、そんな自分にチクリとする。あー、上手くできなくてもどかしい。
内心自己嫌悪に陥っていると、アレックスがベンジャミンの肩を軽く叩いて落ち着きを促してくれた。え、危機一髪を共に乗り越えてのまさかの友情発生? そんなアレックスは真面目だけど冷静な顔をして私に言葉を向けてくる。
「ケイト、君が必死に探している赤毛の男はもしかしてさっきの奴か?」
「ああ、うん。何とか見つけたし、協力ありがとう」
「……なら、あいつは君のような素敵な女性を放って行方をくらましていた、と言うわけか。君は広場でも取り乱すくらい必死に捜し案じていたというのに」
「へ? 案じ……?」
てなんてないけど?
「ロイへの好意はとどのつまりは現実逃避のために身代わりだったというわけだよな。全てはそいつのために」
「ア、アレックス……?」
彼はベンジャミンと同じような、いや怒りのためかそれ以上に据わった目付きになっている。何か大きな勘違いをされているような気がする。
「ケイトをあんなろくでなしに任せるわけにはいかない。僕の方がマシだって、いいや、断然イイ男だって君に思わせてみせる!」
「え、あの……」
「僕は僕の名に懸けて、君を落としてみせるっ! 覚悟はいいなケイト?」
アレックスの名にって、彼の本当の名にって意味?
つまり王子としての。
いやーっ、そんなの王国の大スキャンダルになっちゃうわよ!
「早まらないでっ、アレックスにはそりゃもう運命の赤い糸でガチガチに結ばれた素晴らしい相手がいるん……いやいるに違いないって、私の中の未来予知の守護霊の同僚が言ってるわ!」
「未来予知の守護霊の同僚……?」
一瞬そこだけは正気に戻ったのか頭大丈夫かって顔をされた。うん、自分でも思った。
アレックスはとても悲しそうにする。
「ケイトはそんな変なものを出してまで僕の気持ちを拒絶したいのか」
ひーっ、ガラスのハートでキャラ崩壊して廃人になって世界崩壊を招く流れこれ!?
「そっそこまで無下にしたいわけじゃなくて、気持ちはありがたいけど、もう付き合ってる人がいるからよっ」
「しかし、その男がこの先もずっと君の恋人とは限らないよな。僕が君の次の恋人になって、そうなれば最後の恋人にもなる。そんな未来しか僕の守護霊の同僚は定めてない!」
いやさ、守護霊の同僚から離れて。
「僕はケイトに恋人ができたのを知って、余計に燃えるよ」
「俺もいつかは努力が報われる。強き想いが望む未来を引き寄せると信じている」
「「――略奪愛してやる!」」
え、えー……勘弁……。
メラメラとジェラシーと闘志を燃やすアレックスとベンジャミンが、こっちを誘惑する気満々に熱っぽく見つめて詰め寄ってくる。
私は無駄とはわかっていても両手を前に突き出して二人の進行を阻んだ。
「いやいやいやだから私は駄目なのよ! アレックスでもベンジャミンでも。――二人が私と恋愛すると世界が壊れるかもしれないんだから!」
あ……あーーーーっ、うっかり秘密を暴露しちゃったあああ。で、でもこんな話誰も本気にはしないか。
「世界が壊れる?」
アレックスが笑いたくて仕方ないような顔をする。だけど笑わなかった。
真顔できっぱり言い放つ。
「そんな世界なら、壊すのもいいな」
「はあ!?」
私と違って崩壊が実際に引き起こされるのを本気にしてないからこそ言えるんだろうけど、男キャラ筆頭が何言っちゃってんだこらーっ。
しかも彼は私の腕を掴んで彼の方へと引き寄せようとする。吹っ切れたのか振り切れたのか押し強~っ。紳士な王子様はどこよ! こりゃ無理強いは駄目だぞって後でデコピン、ううんバット一発ね。
でも、足を踏ん張ろうとしたのに、私はアレックスの目に切なそうな光が過ったのに気付いてしまった。弱ったような泣きたそうな懇願さえも孕んだものだ。
これは散々脈なしを味わった彼のなけなしの勇気の虚勢なのかもしれないと思ったら足に力が入らなかった。同情? 共感? そうかもしれない。
「はッ、貴様は馬鹿か? 世界が壊れたら俺とケイトがラブラブな時間を過ごせないだろうが。俺はたとえ世界が壊れようとしても、壊させない」
アレックスにぶつかるかと思った矢先、こちらもいつになく強気なベンジャミンから反対側の腕を引っ張られてそっちに傾く。いやラブラブって……。
「だろうケイト? この世界はあなたと俺のために存在する」
「……っ」
たまたまカッコ付けての台詞なんだろうけど、ベンジャミンってばドキリとするような意味深な事を言うわね。うっかり動揺しちゃったわよ。
「は、それもそうだな。僕だってケイトと終わるつもりはない。世界は僕とケイトのものだからな」
今度はアレックスがわけのわからない事言い出した。世界征服の野望でも芽生えたの?
またアレックスから引っ張られたけど、両方からの力で奇跡的に均衡が保たれたようで真っ直ぐ立てた。
「ケイト、世界は壊させない。僕がずっと傍にいる」
「俺だって壊させない。ケイトごと護るぞ」
私が世界が壊れるとか言ったから敢えてそこに合わせての言葉のチョイスであって、彼らはきっとこの世界の秘密を察したわけじゃない。
それなのにこんな風に気持ちをぶつけられて、どうしろってのよ。こんな熱烈漢達をどう御せばいいのか全くわからない。
――ピキピキと世界に微かな亀裂が入る音を私は聞いた気がした。
ええっうっそ、マジ告白されるのもアウトなの!?
あああどうしよう。この二人の止め方なんて知らないわよっ。世界崩壊を私は止められないの?
「ケイト、僕を選べ」
「俺をだ、ケイト」
二人は互いに一度牽制するように睨み合ってから、ふと眉間を緩めた。
両方の吐息が頬に掛かる。
「「――好きだ、愛してる」」
と、気付けば二人から同時に頬に口付けられていた。
それぞれの決意を込めた親愛と情熱が唇から伝わる。
顔は真っ赤になったのに、思考は真っ白になりそうよ。何この心臓に悪いヒロインポジションはーっ!
――あ、来る。
だけど私は感覚的に悟った。
世界からの三度目の警告が来ようとしているって。
ヤバいわ。でも私には止められない。
この二人が頑張ってくれても無駄だろうなって諦めの境地にさえなった。
世界にビシリと更に大きくヒビの入った音がして、一瞬で見ている空間全体に無数の筋が走った。
どう見ても崩壊の兆しだった。
アレックス達の誰にもそれらは見えてないようだってのに。
最早言葉一つも思い浮かばない。
今頃ジュリアスだけは諸手を挙げて勝ちを喜んでいるのかもしれない。
その、刹那。
「たとえ世界が壊れても、私がすっかり直して、ううん、私だけじゃ足りないのならアレックス様とベンジャミン様にも手伝ってもらって直して、私がケイト様とずーっと一緒に生きて行くんですーーーーっ!!」
シャーロットが正面にいて、彼女はふわりと私のおでこに口付けた。
聖女からの祝福のキスみたいに。
同時に、ガッシャーン、と無数のガラスのシャンデリアが落ちて粉々に砕けたような音が私の頭の中に大音量で響き渡った。
それが世界の崩壊音なんだって私は疑いなく悟っていた。
ああ、これでおしまいなのかって。
世界に溢れ出したこの白い光はきっと終焉に向かうものなんだって。
ああ、のんびり転生ライフは叶わなかった。
マジ恋の一つだってまだしてなかっのにーっ!
この世界を冒険だってしてみたかったのにーっ!
私は無念さにぎゅっと目を瞑った。
…………。
……………………??
痛くも何ともない?
「ケイト様?」
不思議そうなシャーロットの声がした。
「ケイト?」
今度はベンジャミンのだ。
「ケイト……?」
アレックスのは案じている。
私は内心じゃ嘘でしょって半分疑いながらもそろーりと片方ずつ怖々と瞼を押し上げる。
「…………へ?」
世界は崩壊したはず――なのに、どうして時間はスローでも止まってもないし亀裂もないし、シャーロットもアレックスもベンジャミンも普通にしてキラキラした目でこっちを見つめているんだろう。
この世界は何事もなかったように継続しているんだろう。
まるで、確かに世界は壊れたけど、何かの奇跡の業で同時に修復されたみたいじゃないの。
あと、ゲームのシナリオに縛られていたものから解放されたみたいに、三人共妙にスッキリした顔をしているようにも見える。
まあこれは私の主観だけど。
するとここで頭の中に天の声が届いた。
――凄いびっくり現象だ。彼らの恋に自由度を与えたなんて。言うなればこれってバグだよね、バグ。
え、じゃあもう敢えてシャーロットとアレックスをくっ付けなくても世界は壊れずに存続するの?
――さあ、そこはあくまでもこっちは天の声であってこの世界じゃないからわからないよ。
そこは同僚なんだろうし訊いといてよ。ホンット天の声って使えない。
――くすん。
だけど、恋愛に自由度? 大丈夫なのそれ? 暴走されると困るんだけど。
――まー、そこはー……そっちで色々頑張って!
はいはいそう言われるとは思ってた。まあでも、私の人生の目標は変わらずのんびり大往生よ。
自国の王子様とか異国の王子様とか聖女が周りにいたらその望みは叶いそうにない。
どうにか無難にメインキャラな彼らには彼らで纏まっててもらって、ド脇キャラな私はいつの間にかフェードアウト~でスローライフ満喫するわ。
そんなわけだから、また何かあればその時は宜しく頼むわね、天の声。
――はいはい。世話が焼けるよねえ。
一言多いっての。私は改めて目の前にいる三人をまじまじと見据える。
「えーっと、皆の気持ちは本当に嬉しいわ。好いてくれてどうもありがとう。でも私には恋人がいるから応えられない。そこはどうか少しずつでもいいからわかってほしい」
もうたとえこっ酷く振っても警告は出ないのかもしれない。だけどビンタするみたいに突き放すのはしたくない。彼らの人柄を知ってしまったからこそ、そんな手酷い裏切りはしたくないから。理解してもらえるように丁寧に接したい。もしも私が本気になった誰かができたなら、彼らならきっとわかってくれると思うもの。
格式とか身分とか行儀作法とかでその人間を判断される風潮の強いこの階級社会にありながら、こんな貴族令嬢らしくない本当の私を笑顔で受け入れてくれた彼らだからこそ。
……なんて思ってるけど、失恋が発端でストーカーとか拉致監禁するヤンデレにはならない……よね?
そう願いたい。
「僕は、善処はするが、確約はしない」
「俺もだ」
「私は、ケイト様の恋人さんがもしも悪い男なら、容赦しません。些細な事でもいいので何でも相談して下さいね!」
男二人は頑固な面を、ヒロインは意外にも男気溢れる頼もしさを、それぞれに見せてきた。
本来なら説得難しいなって悩み困るとこだろうはずなのに、どうしてだろう、私は微笑ましさを感じてふっと小さく噴き出してしまった。
可笑しみを覚えて自然と笑いが込み上げてきて声になる。ふふふあはははって。
こっちに転生してからは、こんな明るい気持ちの自然体で腹の底から笑えたのは初めてだったかもしれない。
何も言わずに急に笑い出して止まる気配のないこっちの様子に三人は目を丸くした。
そしていつしか釣られて笑顔になった。本気の告白を茶化されたって怒っていいとこなのに、彼らもホントお人好し。
「あのさ、変に誤解しないで聞いてね。友人としての言葉なんだけど、私ね、――三人が大好きよ」
彼らはそうとわかっていても照れた。
こっちまで照れがうつらないうちにと、これも提案する。
「さぁてと、そんじゃそろそろ帰ろっか。暗くならないうちにね」
三人は空を見上げその傾き加減を見て取ると、笑みの余韻を目元に残し三様に頷いてくれた。
「……縛りが、緩んだ?」
ジュリアスは、見えない誰かに脅かされたように顔を跳ね上げて心から驚いたように瞠目していた。うっかり飲み物を溢さなかったのは良かった。
「ふ、ハハハ、ハハハハハハ、まさか、こんな事が起きるなんてな……。ハニー、あんたが来てからだな。この世界がこうも予測の付かない面白いものになったのは」
ジュリアスは書斎で一人暫く肩を震わせていた。
もうキャラ達の人生をシナリオ通りに進めなくとも世界は壊れないのか、はたまた蛇行や遠回りは容認されるもののやはり大きな逸脱は認められず崩壊を引き起こすのか、そこは正直彼にもよくわからない。
何しろ、世界は一度壊れたと同時に修復されたのだ。
崩壊したと考えていいものか、それとも同時に治されたのだから崩壊していないとなるのか。そこも実は不明だ。
とは言え時間のパラドックスに嵌まり込みそうなので深く考えるのはやめにする。
「はは、未知なる未来と愛しのハニーに、とびきりの祝福を」
ハーブティーで一人乾杯する皮肉と本気がない交ぜな彼の呟きは、緩やかなくゆる湯気と共に書斎の空気に滲んで消えた。
聖なる覚醒を果たしたシャーロットは聖女候補になって教会に迎え入れられた。
アレックスとベンジャミンはまだ身分は内緒のままでそれぞれの職務をこなしているみたい。
私は舞踏会には偽の恋人ジュリアス・コールドウェルと揃って出ないとならなくて、彼の相変わらずの軽口に辟易としながらも、そんな環境をある意味平和かなとホッとしたりしながら日常を送っている。
ランカスター家との婚約話は私に恋人がいるから破談になるかと思いきや、人生先はわからないからとかランカスター公爵が年の功なのかの深い持論を展開してくれちゃった結果、保留になった。
ちょっと何余計な真似してくれとんじゃいお爺ちゃん公爵様よーっ!?
だけどそれは実はベンジャミンの説得とそれが如何に家の利益になるかって曾祖父たる公爵と取引したと言うか根回ししたせいだったって知って、暫く彼とは口利いてやらなかったっけ。
だって商人の視点からそんな真似されて、知った私は商品じゃないって腹が立った。
……無視するなって泣いて謝られたから赦したけど。
とは言え、一度顔を合わせてお茶を飲んだランカスター公爵は中々に食えない老人だったわね。不肖のひ孫を赦してやってくれって彼に言われたから無駄に喧嘩が長引かなかったのもある。お茶のタイミングも絶妙だったからベンジャミンともしこりみたいなものは残らなかった。
『あれは、お嬢さんを好きな気持ちばかりが先走ってちゃんと人の心の機微がわかっておらんのだ。そこを考慮してやってはくれないか』
ああ言われたら仕方ない。
私も厳しかったかなって譲歩した。
それで、話自体は立ち消えないで保留よ。
だから、私の十八での婚約発表はなしになった。
それでも私は異母妹ジョアンナから恨まれている。継母からも。
私が青年実業家として近頃評判が鰻登りの男ジュリアスと表向きは恋人同士だからなのと、大貴族ランカスター家との婚約話が上がっていた事を知ったからと、やっぱりイケメン男アレックスと仲が良いって点などなどが彼女のプライドを傷付けているんだろう。
ただ、実家じゃ変わらず私は使用人同然に見られて嫌味は茶飯事だけど、さすがに叩かれたり食事抜きとか家捜しはもうない。
他方、婚約保留になりパーティーに出る必要がないと判断したからか、クズ父は長期のビジネストリップに行ってしまった。私と継母達との関係が全く改善されていないどころか悪化したってのに、相変わらず薄情よね。
ジョアンナの嫉妬の一番の原因たるジュリアスとは近々約束の洞窟探検に行く予定でいる。
かーっ、やっと最近特に忙しかった貴族のお嬢様生活から一旦抜けて魔法バットを振れる。腕が鳴る~っ。
で、そのお出掛けにはどこで話を聞き付けたのか、何故かシャーロット、アレックス、ベンジャミンも付いてくるみたい。うっかりロイ様も来ないかなー。二人きりデートは阻止って三人が言っていたけど、デートじゃありません。
その宣言を先日の偽デートの歌劇鑑賞でも現れた三人から言われたジュリアスは笑顔で応対と承諾をしていたけど、もしもあれがゲームシーンにあったなら、盛大にムカつきマークが顔に出てそうだったわね。
そして、私は結局シナリオ通りには殺されなかった。
ジョアンナの拙い謀略のうちの馬車崖落ちルートだったけど、鋼鉄体で乗り切った……わけじゃなく、落ちそうな馬車から助け出されて世間的には九死に一生だった。
うん、偽恋人と王子身分の二人と、聖女が助けに来た。
しかもこの世界の事情を知るジュリアスにはチートで全然平気だって再三言ったのに助けに来たのよね。わざわざどうかしてる。
時々こう敵なのによくわからない行動を取られるから混乱して動揺させられるのよ。
悪女ジョアンナはシナリオ通り投獄されたわ。
アレックスとベンジャミンは激怒して処刑を望んだようだけど、私が望まなかったから処刑はされない。根回しをしてそうできる二人は私の意思を尊重してくれたのよね。
その時にはもう聖女に認定されていたシャーロットは複雑そうにしていた。処刑してほしいくらい憎いけど、処刑は気持ちが進まないしジョアンナがいつか改心するかもしれない、とそんなとこよね。
私は三つ子の魂なんとやらで改心はしないと思うけど、本物のケイトリンでもないし未来を知っていた狡さに少し引け目があって命までは見逃したってわけ。……別にアレックスとベンジャミンが言うように慈悲深いとか優しいわけじゃない。
唯一私と同じくこの展開を知っていたジュリアスは、ジョアンナの裁判が終わった時、そんな甘いとも言える結末を望んだ私に何も言わずに頭をポンポンしてくれた。
……あれはかなり反則よね。いつになく安堵してしまった自分がいたわ。
継母はクズ父から一体何を教育していたって離縁もされた。夫婦のいざこざに私は興味もなかったから我関せずを貫いた。
まあ何だかんだで正規の死亡プラグはへし折った。
これからは私ケイトリン・シェフィールドの人生レールは誰にも、私自身にだって先は見えない。
だからこそ思いっ切り大切な仲間達とわくわくするような冒険をして恋をしてエンジョイして、だけど世界崩壊は回避して、のんびり大往生目指して手ガタく生きていきますか。
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※表紙はaiartで生成したものを使用しています。
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みっしー
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病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。
*番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!
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