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第十八話 銀眼の襲撃者

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 ピンカートン家の静かな長い廊下の奥にその部屋はある。
 慎重に耳を欹てれば舞踏会の演奏が微かに聞こえるかもしれない。
 普段は商談にも用いられる応接室や客室が並ぶ一角だ。客室と言っても今夜は貸し出す部屋としては利用していなかった。
 それゆえに最小限の光源しか点在しないその廊下は、もう日も落ちていることもあってか、どこか影の世界にも通じるような薄気味悪さがある。
 その只中に揺れるは二つの影。

「……誰もいませんわね」
「ええ、いないみたいね」

 柱の陰に隠れて廊下の様子を窺いながら少しずつ前に進んでいるのは、メイド姿のエレノアとアメリアだ。
 二人は足音を立てないように細心の注意を払っていた。

「ワーグナー弁護士たちがあの部屋をあてがわれたのには、どうにも我が家の誰かの作為を感じますけれど、こちらとしても好都合でしたわね」
「そうなの?」
「ええ。極秘の商談や余り宜しくない類の相手との談義なんかの時にしかあの角部屋は使いませんもの」

 そう聞けば確かに何らかの意図を感じる。

「もしかして、囮作戦はこの家の誰かも一枚噛んでるのかしら」
「あり得ますわね。お兄様辺りかしら? ……まあ誰でも良いですけれど。私たちは陰ながら囮作戦が上手くいくように微力でもお手伝いできればそれでいいんですものね」
「そうよね。ジャスティンのことだから警察との連携は出来てると思うし」

 きっと今頃屋敷内や周辺に網を張っているはずだ。
 アメリアがとある一室の扉を静かに開けた。
 ジャスティンたちのいる角部屋の一つ手前の部屋だ。

「どうしてここに? って言うかこの部屋って……?」

 使っていないので真っ暗なのは仕方がないにしても、あまり大きくなさそうな部屋だ。押し殺した声で訊ねれば、アメリアはにやりとした。

「実はここから隣の部屋が覗けるんですのよ。灯りは点けたら駄目ですわ。暗いから足元に気を付けて頂戴ね? さ、早く入りましょ」
「え、あ、うん?」

 エレノアは二、三度瞬くも、よくわからないままにアメリアと共に室内に入った。

「ほらあそこ、向こうの光が透過してますわよね。ミラーガラスになってますの。そこから覗けるんですわ」
「ああ、そういうこと」

 ミラーガラスは向こうが明るくてこちらが暗くないと上手く覗けない。当然こちらの明かりは厳禁だ。蝋燭ろうそく一つの明かりですら下手をすれば向こうから見つかる危険だってあるのだ。

(部屋の存在する意味は敢えて考えないようにしよう、うん)

 転ばないようにと手を繋いで先導してくれるアメリアは、何故かこの部屋の造りを熟知しているようだ。

(その理由も今は考えない、うん)

 アメリアと並んでミラーガラスの向こうを覗き込む。
 そこには品の良い調度と、何人かの人間の姿があった。
 エレノアもアメリアも息を呑んだ。

「大人しくしろって言ってるんだよこのアマ!」
「はいそうですかって捕まるわけ、ないでしょっ!」

 ミラーガラスの先ではミレーユ扮する偽エレノアが大活躍だった。
 台詞と共に回し蹴りを食らわせ、夜会客を装って正装している男たちの中の一人は壁まで吹っ飛ばされた。
 動きの妨げだとミレーユは仮面を外している。
 彼女は三人の男たちを相手に、染みついたような動きで勇敢な立ち回りを披露している。

「凄いですわね」
「ええ」

 ただ、一人だけ我関せずと部屋の隅の方の壁に凭れて目を瞑っている若い男がいるのが不気味だったが、トータルすれば驚くべき身体能力でミレーユが優勢だ。

「このままいけば彼女が片付けてくれそうですわね」
「そうね。でもジャスティンはどこかしら?」

 こそこそと会話をしていた矢先、クローゼットが勢いよく開いて、癖っ毛の青年が飛び出して加勢した。勿論ミレーユに。

「そんな所に居たのねジャスティン」
「きっと隠れて機会を窺ってたんですわ」

 彼はミレーユと交代とでも言うようにして、中々倒れないしぶとい男たちと対峙した。

「諦めてお縄を頂戴しろ!」
「冗談じゃねえ!」
「なら仕方がないな。力づくで捕まってもらう」

 心得があるのかジャスティンの拳も蹴りも有効で、一人二人と男たちは床に転がって呻き、起き上がれなくなった。
 不利な展開にとうとう三人目は懐からナイフを取り出して襲いかかる。

(ジャスティン避けて……!)

 エレノアは思わず悲鳴を上げそうになった。
 その際無言でずっと壁に背を預けていた黒髪の男が、室内鏡にしか見えないだろう鏡を無表情に一瞥した。その目の下には不摂生なのか寝不足なのかそれともそれが男の常の状態なのか色濃いクマが浮かんでいる。
 ハラハラ見守る少女たちがいるなど思いもよらないジャスティンは、飛びかかってくる男のナイフを避けその腕を拘束すると強く捻り上げた。太い悲鳴と共に男は手からナイフを落とし、ジャスティンは素早くそれを部屋の誰もいない方へと蹴りやった。
 その間ミレーユの肘鉄が顔面中央に決まって三人目は床に沈み、素晴らしいコンビプレーにエレノアたちは手を取り合ってこっそり喜んだ。
 残りは壁際の男一人だけになる。
 勝敗は決まったも同然だった。

「金輪際お嬢様には手を出すな。いや、ブタ箱にブチ込まれればそんな事はもう無理だろうな。令嬢の誘拐未遂にしろ詐欺の件にしろ屋敷への放火にしろ、洗いざらい吐いてもらうからな。勿論背後にいる者の目論見も」

 依然無言のままの男に近付くジャスティン。

「随分あっさり勝っちゃえそうじゃない。……でも何か引っ掛かるわ。ジャスティン念のため気を付けて」

 その男はようやくジャスティンに気を向けたとでも言うように顔を上げた。

「何だもう終わったのか? ああいや、終わらされたのか。弱いな」
「んだとお!?」
「てめえっ!」
「手伝いもしねえくせに何を生意気な!」

 抑揚も気遣いも欠片もない台詞には、さすがに怒りの声が向けられる。
 それを歯牙にもかけない男は、やはり目の下のクマは寝不足なのか大きなあくびをすると緩慢に壁から背を離した。
 争う気はないのか一人出口の方へと緩やかに動いて、ジャスティンとすれ違う。

 ただそれだけだった。

 途端に白目を剥いたジャスティンが床に倒れ込んだ。
 意識がなく受け身も取れずに倒れたので頭を強くぶつけたかもしれない。

「なっ……!? 彼に何をしたの!?」

 ミレーユが一瞬の動揺と共に鋭く問えば、何かを先端に塗ってあるのか、一本の細い針を指先で振る男はどこか皮肉気に笑った。

「ああ安心しろ、眠らせただけで殺してはいない。殺すのはやむを得ない時と本当の敵だけだ」

 盛装をしていても粗暴さが隠せていない他の三人のゴロツキとは絶対的に何かが違う。
 クマの男からはどこか品と知性さえ感じられた。
 加えて言えば、掃溜めのような汚い場所には到底不似合いな銀の瞳の気迫が、男の歪さを際立たせていた。

「あんた、どこかで……?」

 奇しくも、ミレーユは以前フォックスが感じたのと同じような感覚を覚えたが思い出せない。誰か有名な役者にどこかが似ていてそう感じたのかもしれないと、とりあえずそう片付けた。
 長居は無用と思ったのか相手はさっさと仲間の方へと視線を動かした。

「おい、捕まりたいのならこのまま寝ていろ」

 クマ男から爪先で小突かれて唸り悪態をつきながら、三人の男たちは何とかようやく起き上がる。

「そこの自称エレノアお嬢様を連れていけ。役には立つだろう」
「はあ? 自称?」
「わけわかんねえやつんだな。エレノア嬢だろ」
「でもどうやって連れていけと?」

 ミレーユに敵わないと踏んで弱気になった男たちから縋る眼差しを向けられて、クマ男は面倒そうな溜息をついた。
 つい、とミレーユに視線を向ける。

「何よ。やる気? また毒でも使うの? 確かにその三人よりは気骨がありそうだけど」
「毒? 薬と言ってほしいものだな。まあ即効で昏倒するような強い薬を女に使うのは好かない。使うならもう少し優しい薬だ」

 身構えるミレーユへとけれど男は何もせず、だた何事かを囁いた。
 二人以外には聞こえない声で。
 明らかにミレーユの顔色が変わった。

「これで付いて来る気になっただろう? 自称エレノアお嬢様?」
「……わかったわ。ちょうどあんたたちのボスに話もあったしね」

 それには何も返さずに、クマ男は大人しく従う素振りを見せるミレーユを三人の男たちに任せた。

「早い所、庭に通じるそこの窓から出るぞ」

 お嬢様の態度の豹変に困惑さえ浮かべる男たちは、とりあえず彼女の手首を縛る。
 ジャスティンは何を盛られたのか動かない。
 殺してはいないと言ってはいたがどこまで本当なのか測れない。じわじわ命を奪うものだってあるのだ。
 短銃を摑もうとするエレノアの腕をアメリアが摑んで止めた。

「今は、駄目よ……」
「でもこのままじゃ……っ、こっちにはこれがあるわ」

 今すぐにでも飛び出してミレーユを助けに行きたかった。

 その時――――バンッ!

 突然の打撃音と共に、いつの間に近付いたのか、ミラーガラスを叩きクマ男がこちら側を覗いた。
 逆光になった黒い人影にエレノアもアメリアもゾッとして呼吸を引き攣らせた。
 凍り付くような時だけが流れる。
 距離がないからこそ僅かな光でも相手の虹彩の色がわかった。
 男はクマの上の凍てつくような銀色の瞳で、まるでこの部屋のこちらの存在に気付いているかのように覗き込んでくる。
 いや、気付いているのだ。

 何故ならエレノアは――彼と目が合った。

 向こう側からも自分の影で暗がりを作っていれば、反対にこちらを見ることも可能なのがこのミラーガラスの特質だ。
 エレノアの姿を捉えた男は、冷酷に品定めするように目を細めた……気がした。
 最悪のタイミングで気付かれてしまったのかもしれない。
 悪寒が止まらない。

「おい何してるんだ? 行くぞ?」

 しかしクマ男は後ろから仲間に声を掛けられると、無言であっさりそこから離れた。
 仲間に教えないのは、服装を見てこの屋敷の取るに足らないメイドとでも思ったのだろうか。それとも目撃者として後で何かしてくる気なのか。
 何故なのかはわからないが、その疑問を考える余裕もなくガクガクと膝が震える。横ではアメリアが後ろによろめいてストンと尻もちをついた。腰が抜けたらしい。
 最早、隣の部屋を覗く勇気は起きない。
 物音はしなくなっているのに、それでも恐ろしかった。太腿の短銃に手をやって存在を確かめたが、強力な武器があったところでちっとも安堵など湧かなかった。

「わ、私は彼らを追うから、アメリアはジャスティンをお願い」
「そ、そんなの真っ平ですわ」

 震える声で告げれば、アメリアも震える声で反駁はんばくした。

「あなた一人になんてできるわけないでしょうっ、狙われているのはあなたなんですのよ!?」
「だからこそ行くの。私なら何かあっても交渉の余地があるわ。それが時間稼ぎにもなる。お願いアメリア、あなたは人を呼んで。出来るならジャスティンのためにお医者様も。ミレーユさんを追うなら私は私を追跡にあてる。それにピンカートン家の娘のアメリアの方がここでは応援を呼ぶのにも適しているわ。本当にお願い、急がないと追えなくなっちゃう」

 隣の部屋の光が入って来ているとは言え暗闇と言っても差し支えない場所なのに、アメリアには、エレノアのエメラルドのような瞳が仄かに光っているように見えた。
 ――まるでこの世に二つとない宝物のようだった。
 場違いにも見惚れそうになったアメリアは、その刹那の思考と、エレノアを行かせるのは本当に嫌なのだという思いを散らすよう首を振って、切実な願いを聞き入れた。
 すぐさま共に隣室のジャスティンの様子を見に走って、本当に生きているとわかれば安堵した。

「エレノア、絶対に無茶はしないで! アジトを突き止めるだけにするんですわよ!」
「ええ。ジャスティンを宜しくね」

 互いに頷き合ってから、エレノアはアメリアを思わず抱きしめた。
 アメリアも応じてぎゅうぅっと抱きしめ返してくれる。
 恐怖も恨みも焦燥も、全部が勇気に変わりますように。
 この先全部上手く行きますように。
 そんな二人の少女の強い願いと共に交わされた、勇気を互いに分け与えるような抱擁だった。
 短い時間そうして、エレノアは彼らが出て行ったのと同じ一階の窓辺を出る。
 夜風がふわりとピンクブロンドの髪を靡かせる。
 闇の向こうから馬のいななきが聞こえた。

(まさか堂々と馬車で乗り込んでたの!?)

 馬車を出されてからでは追い付けない。
 焦ったエレノアは急いで夜の庭を突っ切った。
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