黒猫姫と腹黒総裁~こうさせたのは全部君~

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25 真夜中のハプニング

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 ――転んだりすると危ないから、むやみに歩き回ったりしないように。何かあれば僕を呼ぶんだよ。

 そう言って彼はあっさり部屋を出て行ったが、自室内の収納スツールの上に腰掛けるすずかは、安堵なのか落胆なのか判然としない気持ちを抱えた。
 もしかしてまたキスを催促されるかもしれないと思っていたので、正直拍子抜けだった。
 むしろ今までを鑑みれば、彼にしては紳士的過ぎてスキンシップが希薄に思えた。

「突き飛ばしちゃったから、もしかして内心では怒ってたのかも……」

 あの直後にハッと我に返ってケントには慌てて謝った。彼は一見怒った様子はなかったけれど、本心は違っていたのだろうか。

「いいよって頷いておいて突き飛ばすなんて、薄情って思われたかな」

 彼の態度はあっさりというより素っ気ないと言えたのではなかったか、とすずかは記憶を思い返してみる。
 けれどそれも結局は主観的な見方なので、ケントの気持ちはやはり本人に確かめないとわからないだろう。
 そう気付いて、すずかは悶々と考えるのをやめた。
 他にする事もある。彼女は荷物の中から自らのスマホを手に取った。

「小町くんにラインしないと」

 勝手にとまでは言わないが、変な別れ方をして帰って来てしまったので多少気になっていたのだ。
 まさかケントが小町にも牽制のような真似をしていたとは思わなかった。

「だから二人は顔見知りで仲が悪かったんだ。そりゃあ痛くもない腹を探られるも同然に一方的に警告なんてされたら、私だって良い気分はしないもの」

 中学時代小町とは確かに仲が良かったし、当時の浅慮の中で彼とカレカノになれるならそれもいいと考えた事もある。
 しかし小町は終始他の男友達と違って、すずかと居てもでれっと鼻の下を伸ばされた記憶はなかった。

「私をそういう対象として見てなかったんだから、小町くんをわざわざ遠ざける必要なんてなかったのに」

 すずかとしても掛け値なしに友達だったのだ。
 今日のパーティーの最後に言われた言葉だって、自分を励ますためで他意はないはずだ……と、幸か不幸か彼女は鈍感にもそう思っていた。
 小町の気持ちになど全く微塵も気付いていなかった。

「小町くんはただ静かにそこに居てくれるって感じの人だよね」

 恋愛感情はないけれど、ふとした時に手を取れる頼れる友人だ。

(一緒に冒険の旅に出るような仲間ってきっとこんな感じかな)

 それがすずかにとっての坂ノ上小町だった。

 ケントに代わって今日の突発事項を詫びれば、すぐに返信が来て、向こうからの謝罪とそして足を案じる趣旨の言葉が打ってあった。
 注目は浴びたけれどパーティーは無事に終わったとの報告もくれた。
 どうやらケントは多額の寄付をしていたようで、不機嫌に途中で帰っても誰からも文句は出なかった……というか何かを言うのは恐れ多いと皆口を噤んでいたらしい。

(うーん辣腕を揮うっては聞いた事あるし、実際嫌がらせには三倍返しの意趣返しするようないい性格してるとは思うけど、ここまで恐れられるくらいケン兄ってば仕事では鬼なの? ちょっと想像付かないなあ)

 小町からは足が治ったら遊ぼうというメッセージの他、可愛いお伺いのスタンプも共に貼られていた。すずかはくすりとすると了承のスタンプを一つ送り、もう少しだけやり取りをして終わりにした。

 勉強机に置かれた卓上時計を見れば夕食まではまだ時間がある。

「良かった。きょーちゃんに掛ける余裕ある」

 彼女には直接話して今日あった出来事を報告したかったのだ。
 通話に応じてくれたアルトへと、自分たち夫婦が実は最初から両想いだったと伝えれば、彼女は上機嫌な声を出し、スマホ越しにやにやしている様が目に見えるようだった。

『むふふふ~これで心置きなくケント氏に甘えられるわね。あっそうだちょ~っとえっちな少女漫画貸そうか~?』
「は!? いっ要らないよ! きょーちゃんが想像してるようには甘えないもん」
『でも夫婦でしょ~』
「ホントにしないよ。私が卒業するまで手を出さないって約束だから」

 電話の向こうが息を呑んだように沈黙した。

『……それはまあ、何と言うか、頑張れってケント氏に言っておいて』
「何で!」
『だって生殺しじゃない』
「健全な男女交際って言って!」
『いやもう夫婦でしょ。それに男女として健全なら、この先卒業まで一年以上もあるのにお預けってないわよ。しっかり避妊すればいいじゃない』
「避にっ……!? んもうきょーちゃん!!」

 あけすけなアルトの言いように、すずかは先刻の迫られた場面を思い出し、それだけでも胸キュンメーターの目盛りの針がぐーんと昇って真っ赤になった。
 ビデオ通話ではないのに、狼狽するすずかの姿が見えてでもいるようにアルトがくすりとしたのが聞こえた。

『ケント氏ってば前途多難だわね』
「ももももうその話題は終了ーっ!」
『はいはい。ああでもすずか、これだけは言わせて。全然急がなくていいけど、育つ気持ちは大切にしてケント氏と過ごすのよ?』
「育つ気持ち……」
『好きを大事にねって事。とにかく本当に良かったわね、すずか』

 半分ふざけるような台詞を口にしながら、アルトは夫婦事情の好転をとても喜んでくれている。

(ああ、持つべきものは頼れて信頼できる優しき心の友だよ~)

 一人静かに感動すらしていると、

『だからすずか、ムラッときたら即押し倒せ、よ』
「きょーちゃんんん!!」

 電話の向こうでアルトがエロ親父よろしくやらしく笑う声がしばらく聞こえていた。




「ううう、きょーちゃんが破廉恥な事言うから意識しちゃって、ごはん中もろくろくケン兄の顔見れなかったよー。気にしてないと良いけど……」

 自室のベッドに腰かけて大きなクマのぬいぐるみを抱きしめながら、すずかはこてんと横に倒れた。

 現在は夕食も済み、足のせいで少々難儀した入浴も済ませて寝室に引っ込んだ時分。

 彼女はよくこの大きなクマのぬいぐるみ、ケントンを抱きしめて眠る。

 幼い頃から何やかやとぬいぐるみと一緒に布団に入っていたので、最早習慣と言っても過言ではない。
 今夜も今夜とて、彼女はクマのぬいぐるみを抱きしめていた。

「はー、ケン兄がケントンだったらこんなに簡単にぎゅーって出来るのにね」

 依然ベッドの上にじっとして部屋を横に眺めながら、すずかはただ瞬きを繰り返した。
 今日一日は凝縮されたように色々な事があった。
 気を抜いていたら焦点がぼやけて、実は結構疲れていたのだと今更ながら実感した。
 本格的にうとうとしてきたすずかは、下りて来た瞼に抗えず「お休みケントン~」と甘えるように呟いてそのまま視界を閉ざした。

 どれくらい経ったのか、すずかはふと目を覚まし緩慢に瞬いた。

 けれどまだまだ眠い。

 部屋の消灯がなされているのと、自分がきちんとベッドの真ん中に横たわって布団を掛けられているのと、もふもふした手触りのクマのぬいぐるみが隣に寝ているのを、回らない頭なりに認識した。
 ケントが全てやってくれたに違いなかった。

「……ケン兄ありがと」

 この場に居ないけれど、嬉しさの欠片を含ませて彼への謝意を口にする。
 机上の蛍光時計が暗い室内でも時刻だけはハッキリと浮き上がらせてくれている。
 やはりと言うか、全くの夜中だ。

「トイレ、行きたい……」

 こんな夜中の尿意は睡魔に負けて寝る前に行っておかなかったせいだった。
 ちょっと後悔しながらもまだ半分寝ぼけた頭で、怪我に響かないよう転ばないよう大きな音を立てないよう、細心の注意を払って部屋を出てよろよろとトイレを済ませて部屋に戻った。

 入った直後、室内のにおいというか雰囲気というか、何かに違和感を覚えたが、室内は暗く、半分夢の中のような眠い目では部屋の詳細はよく見えない。

 それでも部屋の奥にはベッドの影が見えるので、ふらつきながら寄って行ってもそもそと布団に潜り込んだ。
 自分の温もりがまだ残っているらしい布団は温かく、すずかは安堵してクマのぬいぐるみへと両手を伸ばす。
 ぬいぐるみにしては覚えている感触よりも硬かったし、もふもふではなく妙に滑らかでまるで人肌のように温かったが、眠気が勝って疑問は夢の中へと溶け、彼女はすうすうと健やかな寝息を立て始めた。




 しばしして、ベッドの中、いつものようにすずかに抱きしめられたクマがもそりと動いた。

「……どうしてこうなった」

 その声は低く、男の声だ。

 クマのぬいぐるみケントンは実は人語を喋って性別は男…………なわけはない。

 ケントンではなくケントだ。

 彼は強固な妖怪植物のツルにでも絡み付かれたような心地で、途方に暮れていた。
 しっかりと背中に回されていてすずかの両腕は解けない。
 いや、無理に引っ張れば解けるが、如何せん疲れていたようだったので折角の眠りを妨げたくなかったのだ。
 寝ぼけて間違えて入ってきたとは言え、もしも彼女から猛烈に嫌がられたらどうしよう……というガラスのハートの問題もあった。
 実際今日は恥ずかしがるのも仕方のなかった状況だったとは言え、思い切りキスを拒否されてちょぴっと傷付いたケントだ。
 加えて、今ここではその他にも一つ重要な問題が発生してもいる。
 抱き付かれているせいで普段は間違っても触れたりしない胸が当たっている。
 当たっているのだ!

(忍耐……!)

 胸中で決意を叫んで彼は自らの意思の縄で全身を雁字搦めに縛り付けるように、体に力を入れて動かないようにした。
 顎や首筋などにすずかの髪の毛が掛かって擽ったくて、甘いシャンプーの香りに酔いそうで、それだけでも変な気分になりそうだった。

(どんな強い酒よりも質が悪い……。手は出さない手は出さない手は出さない)

 ケントが内心で滂沱と苦行の血涙を流していると、すずかが「う…ん」とちょっとそそられるような声を出して目を覚ました。
 ケントの硬直がより顕著になる。

「んー? ケントンがあったかいー……モフモフもしてない……すべ…すべぇ~?」

 すずかはいつものようにクマの顔に頬を埋めるようにした。

「…………んんん? ケントン?」

 しかし、何かが違うと感じたらしい。

「……え? ――な!?」

 がばりと、彼女はぱっちりと目を開けてクマから、いやクマだと思っていたものから腕を解くとその場に起き上がる。

「え、え、えっ? 暗いけどこれケン兄だよね!?」
「……そうだよ」

 酷く狼狽しているからか夫を「これ」呼ばわりするすずかへと、ようやく解放されて良かったような残念なようなケントは、暗闇の中緩慢な動作で身を起こす。

「どどどどうしてここに!? まさか夜這い!? 卒業まで手は出さないって言ったのは嘘だったの!?」
「誤解だよ。君はここを何処だと思っているんだ?」
「そんなの当然私の部…」

 パチリと、ケントが腕を伸ばしてサイドテーブルに置かれた小さな卓上ライトのスイッチを入れた。
 決して眩しくない控えめな光が室内を淡く照らし出す。

「僕の部屋だ。そっちが間違って入ってきたんだよ」
「なっなっなっ」

 努めて冷静に説明したにもかかわらず、すずかは大きく目を見開いて愕然とした面持ちで口元を震わせ、見る間に真っ赤になった。

「何で上着てないのーーーーっっ!!」

 深夜の高級マンションに、高らかに悲鳴が上がった。
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