黒猫姫と腹黒総裁~こうさせたのは全部君~

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22 素直になれなかった男のツケ

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「足枷って……」

(私が言うならわかるけど、それ付けたも同然のケン兄が言うなあああーっ!)

 一瞬怪獣のように感情を爆発させてやろうかと思ったものの、運転手が驚いてハンドルを誤っては大変なので何とか抑えて吐き捨てる。

「小町くんとはどうもこうもならないよ。っていうか、ホントやっぱりケン兄は私じゃないんだよね!」

 質問の答えとは関係なさそうな台詞に、ケントは不可解そうにした。

「好きな相手を他の人に取られたからって、私に八つ当たりみたいな事しないでほしかった」
「八つ当たり?」

 ケントの方もすずかの台詞にカチンときたのか、表情を険しくする。

「僕は君の合法的な配偶者なんだし、僕の憤りは正当なものだと思うけどね。そもそもまだ誰にも盗られてない」

(はー、何なのその子供みたいな主張は。りさお姉ちゃんはとっくに結婚してるって言うのに)

「まあケン兄が誰を想おうと勝手だよ。私が離婚するまで耐えればいいだけだしね」

 呆れ果てる反面、もうこうなってはすずかの気持ちを伝えるだけ無駄だと思い至る。折角小町は頑張れと背中を押してくれたのに申し訳なかった。

「ケン兄と結婚なんてしなきゃ良かった」
「……後悔、してるのか?」
「してる! 借金を背負って倒れるまで働いたって、きっとここまで虚しくはならなかった!」

 痛いような沈黙が流れた。
 ケントは緑がかった琥珀の瞳を翳らせて、その奥に烈火を秘めた仄暗い目ですずかを睨んでくる。
 怯みそうになったけれど、すずかだってここは言っておかないと気が済まない。

「最初の時点でもっとちゃんとケン兄の気持ちを確かめてきちんとけじめを付けさせなかった自分を悔いてる!」

 挑むように一息に叫んでしまえば、またもや車内は張りつめたような静けさに包まれた。
 しかし次のケントの声は些か困惑を孕んだものだった。

「……どういう意味だ?」
「だって、私はケン兄が好きな人に近付くための取っ掛かりでしかないんでしょ」
「は?」
「誤魔化さなくていいよ。私のこの髪に少しは慰められた?」
「君は一体何を言っているんだ? 僕が好きな相手を誰だと……?」

(この期に及んでとぼけたフリ? そりゃあその人の身内に真意を知られてたら体裁が悪いだろうけどっ)

 力なく視線を下げ、すずかは諦観のような笑みを口元に張り付ける。

「車を止めて」
「すずか?」
「一人で帰る」
「何を馬鹿言ってるんだ。怪我が悪化するだろう」
「タクシー拾うから大丈夫だよ。今ケン兄の顔見たくない」

 車窓へと逸らされたすずかの耳辺りを凝視して、ケントが息を呑む。

「それでも降りるのは許さない。怪我もあるし、そんな状態の君を一人で帰すわけにいくか」
「……そんなってどんな状態」
「まるで子供が癇癪で泣き出す前みたいな状態だ」
「はあ!? 失礼な私そんなに子供じゃないよ!」

 咄嗟にぐりんと首を回して振り返って責めの言葉をぶつければ、

「そうだな」
「な」

 あっさり肯定されて反論に詰まった。
 そんなケントは憤るでもなくすずかの顔をやけに真剣な目で見据えてくる。

「いい加減自分が周囲からどう見られるか自覚してくれ。特に今は綺麗に着飾っていかにも良家の令嬢って姿だし、このまま外に出したら悪い男にかどわかされかねない」
「……はあ?」

 急に食らった過保護な父親発言に、すずかはそれまでの険呑さも鳴りを潜め気の抜けたような顔をした。

「誰が好んで自分の妻をそんな目に遭わせたいと思う? そんな夫最低だろう」
「何だ……それって結局、体面の問題でしょ」
「そんな話はしてない。夫としてすずかを案じているんだよ」
「夫……」

 心配されて悪い気はしない。しかしそれは……。

(ああ、これでもりさお姉ちゃんの妹だから、面倒は見るって言いたいんだ?)

「ケン兄は馬鹿だよ。本当なら、私と結婚するもっともっと前に自分の気持ちを告げるべきだったのに」
「それは……その通りだけど、良好な関係じゃなかったから、様子を見ているうちにこうなったんだよ」
「良好じゃない? あはは冗談でしょ? ってたら、そうしたら間に合ったかもしれないのに」
「間に合う……って、君は何の話をしているんだ?」
「離婚はしてくれないし、もうやだ私の人生どうしてくれるの」
「だから何の話を…」
「ケン兄のりさお姉ちゃんへの不毛な恋愛についてでしょ!」

 車内にもう何度目かの沈黙が長く長く走った。

 すずかはこの時、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたケントを初めて見た。

「ええともう一度整理して言ってくれ。誰が誰を好きだって?」
「ケン兄がりさお姉ちゃんを。でも人妻になっちゃったから、せめて少しでも接点を持ちたくて妹の私に結婚を迫ったんでしょ?」
「…………」

 開いた口が塞がらないという思いをケントは生まれて初めてしたのかもしれなかった。

「だからすずかは今まで、僕に怒っていたのか?」

 すずかはどこか拗ねたような気まずいような様子で答えない。
 けれどそれはケントの望み通りの解を導くものでもあった。
 彼は肩から力を抜くようにして、表情も醸す雰囲気も柔らかなものにした。
 急な態度の軟化にすずかは内心で疑問符を浮かべて横目に彼を窺う。

「夫婦として一緒にいるうちに少しずつでも気持ちが傾いてくれてるのは、何となく感じていたんだ。だけど蓋を開けてみればそれがまさかこんなだったなんて……ふっ、ははは」

 こんなとはどんななのかと怪訝に眉を上げるすずかの横で、尚も一人で得心がいったように頷いたケントは、あたかも絡まった組み紐がようやく解けてスッキリしたように、愉快そうな笑声を立てた。
 彼は、わけがわからず若干引いているすずかの方へと腕を伸ばして頭を撫でる。

「な、なにっ?」
「もう離婚したいなんて言う必要はない。拒絶は止めて僕を受け入れていいんだ、すずか」
「はあ? 急に偉そうに自分勝手な事言わないで!」
「会社トップだし、実際偉いけどね?」
「ムカつく!」

 手を払いのけてもめげずにまたしつこく触れてくるので三度目で諦めて、すずかは黒い毛先を弄ばれながら鼻息も荒くへの字口になった。

(何が受け入れていい、よ。ホント腹立つなあ!)

 頭皮をツンツンと微力に引っ張られる感覚が擽ったい。
 それでも不機嫌顔はやめないすずかだ。

「僕の好きな人はりさじゃない。――すずか、君だよ」

(え……?)

 晴天から雨粒が降ってきたような意外さで、すずかはパチパチと瞬いた。

(今何て……?)

 確かにハッキリとは聞こえたが、すずか自身の願望が齎した空耳かもしれないと思った。

「昔から、僕が好きなのはすずかだ」

 今度もまたきちんと聞こえた。言語だって理解できる。けれど現実なのだろうかと尚も猜疑がもたげた首を下ろさない。

(これは夢? きっとそうだ。だってケン兄が私を好き? あはは小町くんから言われた時も思ったけど、まさか有り得ないよね~。きっと冗談とか嘘だよ嘘。うんそうそう嘘だ嘘!)

「好きだよすずか」
「――ッ」

(また……!)

 弄ぶ毛先に囁かれて、耳元でされたみたいに心拍数が駄々上がる。
 赤くなってぎゅっと目と口を閉じて全身に力を入れたすずかは、カッとその両の眼を見開くと、断じる声を叩き付けた。

「嘘つき嘘つき嘘つきーーーーっ!」

 積み重ねられた辛い思いはそう簡単には覆らない。
 これまでの二人の決して良好ではなかった関係が、すずかに彼を信じさせなかった。

「絶対に信じないもん!」
「嘘じゃない」
「嘘だ!」
「嘘じゃない!」

 しばらく車内には、不信感丸出しのすずかと、彼女にどう信じさせたらいいのか四苦八苦するケントの姿があった。




 依然として騒がしい花柳家専用車の車内。

「絶対嘘だあーっ。信じないッ! だってケン兄ずっと意地悪だったもん! 優しかったケン兄がよりにもよって好きな相手に意地悪なんてしないでしょ!」

 そのよりにもよってをやらかしたこの男は「うっ」と言葉に詰まったようだった。

「余計に居た堪れないからそんな慰めいらない。今日だって言ってくれれば奥さんとして来たし、仕事は仕事として私だって邪魔せずにいたよ。でもケン兄は一言も私に相談してもくれなかった。それってやっぱり私じゃないからでしょ!」
「それは違うんだ。それは……君が注目されて欲しくなかったから」
「だからそれは奥さんだって思われたくなかったからでしょ」
「違う! 君は僕だけの妻だからだよ」
「重婚は出来ないんだからそこは当たり前じゃない」
「そうじゃなくて……っ」
「やめて、もう言い訳は沢山!」
「すずか……っ」

 完全に思い込んで誤解しているすずかへと、ケントはもう何をどう言って良いのかわからずに途方に暮れた。

「僕は本当に君が好きなんだよ。りさじゃない」
「……ふん!」

 腕組みされぷいっとそっぽを向かれ、お手上げだった。
 どうしてわかってくれないのかもどかしさに悩まされるケントは最後の望みを思い立つ。

「すずか、これでも駄目なら。もう僕は君への手段を問わないから」

 何か不穏な事を言われている気がしてすずかがそろりと横目に見やれば、眼前に突き付けられたスマホの画面に鼻をぶつけそうになった。

「わっ! な、何?」

 画面は通話の呼び出し画面になっていて、音声はスピーカー仕様らしく、耳に当てなくともコール音が聞こえている。
 この状況下で一体全体誰に電話を掛けているのかという純粋な疑問は、コール相手が電話を取った瞬間に霧散した。
 ビデオ通話だったのか画面にパッと一人の女性が映し出される。

『もしもしぃ~? こんな早朝から何よー?』

 その眠そうな顔に、声に、すずかは思わず電話に飛び付くようにした。

「りさお姉ちゃん!」

 そう、何を隠そう、画面の向こうには、すずかの最愛の姉りさの姿が映し出されていたのだ。
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