黒猫姫と腹黒総裁~こうさせたのは全部君~

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5 ケントの誓い

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「ケン兄は、そんなに誰かを脅かすのが好きならお化け屋敷で働けばいいのよ」

 ケントは不機嫌なすずかの言葉には答えず、ソファを回ってすずかを両腕に抱きしめた。

「ちょっ!?」
「仕事で疲れた夫を労ってくれてもいいだろう?」
「はあ!? 私だって学校行って疲れてるんだけど! 暑苦しいから離れてよ!」
「冷房が十分効いているってのに暑いか? むしろ効き過ぎて風邪引きそうだけど? 寒くないのか?」

 六月中旬に結婚してからまだ一月余り。
 今はまだ季節はどうしようもなく、夏だ。
 一昨日は早くも熱帯夜ギリギリだったくらいには外気は油断ならない。

「地球温暖化だから寒くない!」
「どういう理屈だか……」

 実はちょっと寒かったものの、すずかはじたばたといつもの如く抵抗した。
 この男花柳ケントが一体何を考えているのか、結婚してからのすずかは余計にわからなくなっていた。
 りさを重ねているのかもしれないし、生来女好きだったのかもしれない。

 何故なら今のようにすずかに必要以上にべたべたしてくるのだ。

 しかも甘いとかそういう雰囲気にはならずいつもどこか揶揄からかいを孕んでいて、だから人馴れしない猫が威嚇するように、ケント馴れしないすずかはこうやって噛み付いてしまう。

(まあだからって甘甘な雰囲気出されてもどうしようって感じだけど)

 ケントを剥がせないでいると、何と彼から髪にキスを落とされた。

「んなっ……!?」

 彼は姉を彷彿ともさせるすずかの髪をよく触ってくる。こういう事もしばしばだった。
 すずかは今自分が青くなっているのか赤くなっているのかわからなかった。
 ただただ嵐に遭遇したような大きな動揺に見舞われて心臓が飛び跳ねる。

「それじゃあ着替えてくるからその後で夕飯にしよう、僕の可愛い黒猫ちゃん。澤野、頼むよ」

 誰が聞いても恥ずかし過ぎる呼称には何も言わず、実はその辺に控えていたらしい見るからに優しそうな家政婦は、彼の指示に頭を下げると広い厨房の方へと消えた。
 一度くしゃくしゃとすずかの頭を撫で、彼もまた専用の衣装室の方へと姿を消す。
 その部屋にズラリと各種ブランド物のスーツや時計や何だりが並んで収められているのを見た時は、さすがに元お嬢様のすずかも目を丸くしたものだった。ケントのような高給取りは、その地位ゆえに金が掛かるのだと妙な納得もした。

「わわわっ私は猫じゃないいいーっ」

 ともかく、狼狽して震えるすずかの抗議は、負け犬の無駄な遠吠えも然りだった。




 頼んだ通り、夕食の食卓にはお酒がちゃんと用意されていた。

(しめしめ、これで計画が進められるわ。ありがとう澤野さん!)

 きっと家政婦の澤野はすずかの良からぬ企みなど微塵も想定していないに違いない。悪事の片棒を担がせたようで少しだけ申し訳なく思いつつ、すずかはケントにお酒を勧めた。
 別段怪しむような素振りは見せず、ケントは素直に食前酒に手を伸ばす。

「じゃあ乾杯しようか」
「お祝いでもないのに、わざわざいらないでしょ」
「すずか」

 にこにことしたケントが圧力を掛けて来たので、すずかは結局渋々とグラスを持ち上げてガラスの端を彼のグラスに軽くぶつけた。チン、と小気味の良い音がキラキラと明るいシャンデリアの下に響く。
 無論すずかのグラスの中味はアルコールの入っていない子供向けシャンパンだ。

「すずかは夏休み何をしたい? 旅行にでも行こうか?」

 咽が渇いていたのかこくこくとあっさり一杯飲み干して、ケントはそんな問いを掛けて来た。

「私は家に居るから、ケン兄はどこへでも好きな所に行って来ていいよ?」

 満面の笑みで返せば、彼は一瞬笑みを静止画のように固まらせたが、すぐに再生を開始。

「じゃあ僕も在宅ワークに切り替えるかな」
「何でっ!? いいよお普通に会社行って!」
「じゃあどこに行きたい?」
「じゃあって接続詞がおかしいよ!」
「折角の休みなんだから、二人で色々出掛けたいんだよ。どこか行きたい所は?」
「特にない特にない!」
「ど こ に 行 き た い ?」
「…………」

 これは適当にどこか答えないとこの話題が終わらない、と確信したすずかは仕方がなく答える事にした。

「んー、じゃあ、行くのは簡単じゃなさそうだけど、マチュピチュ遺跡か、ウユニ塩湖?」
「わかった」
「えっ……」

 まさかあっさり受諾されるとは思わず、すずかは固まった。どう考えても長期になるので、会社を休めないと却下されると予測したのだが……。

「…………と思わせて、映画」
「そうか。じゃあ日程はこっちで調整しておくけど、いいかな? 何か観たいタイトルがあるなら今のうちに教えてほしい」
「……ホンットむかつく」
「え、何で?」

 機嫌良く苦笑したケントが料理の皿へと手を伸ばす。
 自分で言った手前、すずかは渋々リクエストを口にした。

「少女漫画が原作の映画だったかな。きょーちゃんが原作を読んでて映画も観たいって言ってたんだ。でも日程の調整って……仕事が忙しいなら無理しなくてもいいよ」
「そういうんじゃないから大丈夫」
「……?」

 返しの意味がよくわからず、すずかは小首を傾げたが、ケントがもうお酒はお終いとばかりに本腰を入れて夕食を食べ始めてちょっと慌てた。

「ケン兄、今日もお疲れだろうし、ここはもっとお酒でも飲んでぱーっとリフレッシュしなよ、ね?」

 グラス勧めると彼は緩く首を振った。

「いや、いいよ」
「そ、そんなこと言わず! ね!」

 席を立って傍に行きすずか手ずからグラスにお酒を注ごうとした。

「君の悪戯心は本当に嬉しいんだけど、これはちょっと勘弁して」
「え……?」

 掌でグラスの口を塞がれて、すずかはもしや彼は下戸なのかもしれない、とより一層やる気が湧いた。

(これって、飲ませれば弱みショットを撮れる可能性大だよね!)

 にししと内心で不敵に笑って「いいからいいから家なんだし遠慮しないで~」と無理やり注ごうとしたら、その手を掴まれてしまった。

「家だから駄目なんだよ」
「あはは意味わかんないよ。さ、ほらほら」
「すずか、本当に駄目だから」
「心配しなくても大丈夫だよ。酔い潰れたらベッドまで運んであげるし」

 にこにこと主張を曲げないでいれば、彼は一度はあと溜息をついてグラスから手を外した。

(やったこっちの勝ち!)

 それでは遠慮なく、とすずかが注いだ一杯をケントは注いだ先から飲み干してしまった。

(早……良い飲みっぷり~)

 トン、とグラスを置く音が何かを断ち切る区切りのように食卓上に広がった。

「すずか、悪いけどここまでだ。澤野、ボトルを片付けて」

 了解して近付いてくる家政婦に、このままだとボトルを持って行かれてしまうとちょっと焦ったすずかは尚も強引に注ごうとした。

「お大尽様~そんな遠慮なさらずに~」

 ケントが今度は少し強くすずかの手首を掴んで止めた。
 その上ボトルも抜き取られ、彼はそれを家政婦へと手渡してしまう。

(あああ~お酒があっ)

「すずか、やめるんだ。僕を酔わせて情けない姿でも撮ろうって魂胆だろう?」
「えっ」
「だけど忠告しておくと、この手の悪戯はやめた方がいい」

 企みがバレている事に些か気まずいすずかは、気まずいが故に逆に意固地になった。

「どうして? 折角の新妻手ずからの酌も気に食わなくて飲めないなら、離婚して」

 離婚、という言葉にケントがやや瞳を暗くする。

「君は何かと言えばすぐ離婚離婚と……」

 彼の微かな怒気を感じ取り、すずかは内心で怖気付いた。
 怒らせて離婚が成立すれば万々歳なはずなのだが、正直な所、彼の勘気を被るのは何だか嫌だった。
 家政婦は酒を片付けに行っていてちょうどいない。

(ま、まさか叩かれたりはしないよね?)

「おおお怒った? でも、なっ何かしたら噛みついて引っ掻いてやるんだから!」

 精一杯の虚勢を張れば、ケントは何故だか思わずと言った具合に小さく噴き出した。

「ははっ可愛い猫だなあ。だったら君こそ余計なことを考えない方が身のためだよ。僕も酒精に任せて君への誓いを反故にしたくはないからね」

 ケントは着席したまま腕を伸ばしてすずかの毛先をツンと引っ張ると、首筋を伸ばし耳元に唇を寄せてきた。

「君だって、お腹を大きくして通学したくはないだろう?」
「……っ」
「君が高校を卒業するまでは手を出さないって誓いを僕に破らせたくなければ、軽はずみな行動は避けるんだ」

 挙句、別の手の指先で意味深に頬を撫でられた。

「ひゅいっ!?」

 ケントは指先を開いて毛先を放し、真っ赤になったすずかが両腕を交差させて忍者よろしく素早く後退するのを妨げはしなかった。

「さてと、わかったなら大人しく澤野の手料理を味わうんだな。いつもの如くとても美味しいよ」

 既に何事もなかったような涼しい顔付きで食事を再開するケントへと、すずかは文句の言葉も見つからず、しばしあうあうと口を半端に開け閉めして呆気に取られるばかりだった。

 非常に悔しいが、こうしていつもすずかはケントに翻弄されるのだ。
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