黒猫姫と腹黒総裁~こうさせたのは全部君~

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1 始まりのゴングが鳴った時

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「結婚するにあたっては、サクッと僕の子供を産んでくれればいい。君に求める条件はそれくらいだ。悪い話じゃないだろう?」

 そう言った青年の顔面にバフッとクッションがめり込んだ。

 ここはとある企業ビルの最上階にある総裁の執務室兼私室。

 開放的に広い室内奥の執務机へと、部屋の片隅の応接ソファからそれを投げつけた少女は、優れた制球力とは裏腹に、不安定にわなわなと震え今にも頭から噴煙を上げそうな顔をしている。
 反対に、ぽとりとクッションが膝に落ち鼻の頭を赤くしながらも、若き総裁たる彼は動じず堪えた様子もなかった。

「どうして怒るんだ? これでも安定して妻子を養う甲斐性はある方だ。君は安産型だって聞くし好きなだけ産んでい…」

 また一つ、クッションが飛んできた。

「わっ私が安産型だなんてどっから聞いてきたの!」
「以前君のお母さんから仕入れた」
「……ッ。大体、黙って聞いてればさっきから勝手で最低な事をいけしゃあしゃあとよくもまあ……っ! 冗談っじゃない!」

 よもや三つ目が飛んで来やしないかと素早く彼女の周辺に視線を走らせ、もうクッションがないのを確認した青年の視界の中、少女がぎりりと歯噛みする。

「大体ね、今時家のために政略だか契約結婚だなんて古いのよ!」
「古くても何でも、僕は君の所の技術は廃れさせるには惜しいと思っているんだ。技術ごと傘下に入れられるなら願ってもない」
「だからってどうして私とあなたが結婚しなくちゃいけないの? 会社同士で商談すればいいのに」

 ソファからすっくと立ち上がって青年の真正面に立ち、まるで小さな猫が威嚇するように憤慨する黒髪の少女を薄っぺらい笑みでにこにこと眺め、万単位で三桁はするだろう仕立てのよい三つ揃えを纏った彼は、優雅に足を組み変えた。
 その際、爽やかで清潔にしか見えない短めに揃えた黒髪の毛先が、白シャツの襟で少し跳ねた。

「妻の実家になら心置きなく融資もできる」
「……そんな事したら、身内を優遇したって非難されるんじゃないの?」
「心配してくれるんだ?」
「し、してない!」
「そう? まあ結果的に利益が出れば問題ないな。その目算はある。それに、そうしないと君の所は危ないだろう? この際大人しく従った方が、ご両親のためにもなると思うけどね」
「くううっ……!」

 この少女――三好すずかの家も彼と同様に会社を営んでいる。しかし近年の業績不振によって倒産の危機に瀕していた。
 両親は銀行やら親戚友人知人の間を苦心し無心し駆け回ったのだが、金策に困り果て万策も尽き、心労のせいで母親が倒れ入院費の工面にすら難儀するという、まさに何かのドラマかというような境遇に追い込まれた。
 もう莫大な借金を背負って会社を畳むしかないというそんな時、救世主が現れたのだ。

 幼馴染みの彼――花柳かりゅうケントが。

 彼の実家は、彼が後を継ぎ率いるようになったここ数年で、驚くべき速さで業績を伸ばし、今や世界企業に成長した。

 数多の国を股にかける若き俊英。

 それが今の彼だ。

 北欧出身の美人祖母を持つ彼の容姿はその血を受け継ぎ、非凡。
 スッとした鼻も高ければ身長も高く、シャープな顎は形の良い唇を印象付ける役目を果たし、一度彼が投げキッスをすれば半径五十メートル内の女性は腰砕けする……かもしれない破壊力を持つ。
 最も印象的なのはその瞳だ。
 緑がかった琥珀色という不思議な風合いを醸すその目で涼しげな流し目を注がれれば、女性たちは皆蕩けて液体になってしまう……かもしれない魔性とも言える魅力を持つ。
 その男性的に隆起した咽から紡がれる美声も然り。指先も然り。毎日時間を見つけてジムで鍛えているという体全部が、最早艶やかさで出来ているのではないかという逸材だった。
 彼が総裁という道を歩まずもしも芸能人として活動をしていたならば、国民的な人気を博していただろう。

 そんな全身で彼は求婚中の少女をじっと見つめた。

 彼に彼女の痛い所を突いた自覚はある。

 そして彼女の方も弱点を突かれたのはわかっていた。

「……わ、かったわ。あなたと結婚する」

 しばしの苦悩と葛藤の末、了承を、つまりは降参を認めた口とは裏腹に、どこまでも負けじと見つめ返してくる少し潤んだ黒目がちな瞳を、彼は適度な瞬きと共に見据え続ける。
 彼女がまだ話を続ける気配を見せたからだ。

「でも……絶対に離婚してやるんだから!!」

 強固な決意の下で言い切って、はあはあと肩で息をする少女の目に迷いは一切ない。
 彼女にとってはこれは一時的な戦略的撤退なのだ。

「ははっ、それはそれは――絶対に無理な相談だな」

 柔らかな口調とは裏腹に、出来るものならやってみろ……と言わんばかりにこめかみに青筋を浮かせ見るからに嘲笑を浮かべて、彼も迷いなく言い切った。
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