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40 ハッピーエンドの在処

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 青天の霹靂ってこういう事態を言うんだよなあ?
 彼女はパンを買いに来たわけじゃあないんだろう。実際入店して顔を合わせるなり発せられた開口一番の台詞がそれを裏付けている。

 けどさあ、ぶっちゃけ王女辞めて何しにきたのこの子?

 ってかそう簡単に王族って辞められるもんだっけ?

「平民としてこの街の住人になって街の学校にも通って、帰宅後はエイド君のお祖母様に弟子入りして修行に明け暮れるつもりです。やはりわたしもパンが上手に作れた方が、将来何かとエイド君の助けになると思うのです。お祖母様には事前にその旨をお伺いするお手紙をお送りして、つい昨日承諾の返答を頂いております」
「昨日の今日って早過ぎません!?」
「善は急げなのです!」

 大体さ、平民になるって言う割には傍にWニールがいるよね。
 実の所、本気で雲隠れとかしない限り王女って身分を捨てるなんてできないと思う。

「あー、えー、おほんっ、そうは言われましてもー、普通の庶民はこんなおっかない専属護衛を二人も連れていませんよ」
「おっかないですか? 二人はとても優しいですよ?」
「あー……ハハハ」
「それにこの二人はわたしではなく、エイド君をいつでもどこでもお護りするために必要な人員ですので、この街にいるのは当然至極なのです」
「ソレハコウエイデスー……」

 今までの如く視線が突き刺さる……ッ。
 まあ俺としては俺を護るとかじゃなく、アイラ姫と行動を共にして彼女を護ってくれるならそれでよしだな。
 ところでさ、ちょっとだけ文句があるよ。

「その……アイラ様は俺との約束が信じられないんですか? だから傍で見張ろうと?」

 彼女の身分は俺の平穏を時に乱しかねない。でも俺はそれでもいいと思った。俺がしっかりと基盤を作ればそんなの関係ないし、たとえ恋愛抜きにしてもその努力をする価値がある。だってきっと友人であれ何であれアイラ姫と一緒は人生楽しいだろうなって思う。

「えっ!? 見張るなんてそのようなつもりは毛頭ございませんっ。……これまでとは違って」
「……これまで?」

 ちょっと聞こえちゃった最後の呟き内容に俺が固まると、彼女は何か聞きましたかとでも言いそうににこりと微笑んでそこには言及しなかった。
 はい、俺は何も聞かんとでーす!

「わたしはエイド君との約束を信じています。ですが人生には予想外が付き物でしょう。人間一途なだけでは駄目なのです!」

 ホントだいぶ強く育ったよなあこの姫様。
 まあ何度も人生を繰り返せばメンタル強化しない方が不思議か。人によっちゃ病んじゃいそうだけど、きっと彼女の本質は純粋なままだ……よねえええ~?

「どうせなら、わたしもエイド君の無難人生の基礎作りに協力して、一緒にのんびり大往生を目指しますね。一人よりも二人の方がのんびり人生確立までの時間短縮ができると思うのです! ……早まった分だけ沢山イチャイチャもできますし」
「……最後の方ちょっと聞こえなかったんですけども?」
「ふふっエイド君が大好きですよって言いました!」
「そ、そうですか……」

 俺が自分も逆行しましたってはっちゃけてからは、向けてくる感情表現もだいぶハッキリしたよなあ彼女。
 たださ、王女辞めてここ来たとか、その時点で各種方面から俺が睨まれて結果的に俺の寿命を縮めかねないって理解してないのかにゃ?
 何度も逆行していてそこに思い至らないのかにゃ? にゃあああ~?

「既に近くに部屋も借りましたので、安心して下さいね」

 行動力……っ!
 うわ~もう涙出てくるッ。感動じゃなく、この先間違いなく降りかかる火の粉の恐ろしさに!
 村長も大概だとは思うけど、国王様だって負けてないと思う。一度目人生じゃ有り得ない程に監視が厳しくて絶対二人きりにさせてくれなかったもんなあ。
 ハハハ父の心知らぬは娘たちだけー。

「ニールさんたちや、今すぐ姫様を城にお連れして下さらない?」

 もう思考がテンパって俺は何者なんだろうって口調になっている。

「非常に残念だが、それはできない」

 女ニールが珍しくも俺を睨まずに沈痛な面持ちでアイラ姫を見やった。アイラ姫は来た時から終始変わらずきらきらと希望に満ちた目を輝かせている。

「実は、国王陛下からの許可も既に頂いているのだ」
「なっ!?」
「そうなのです! シーハイは良い街だとお父様からもお墨付きを頂いております! 港街ですし釣りついでにしっかり婿も釣ってくるようにと、宰相たちの前で非常に珍しくもご冗談を言われましたっけ」
「はい~……?」

 絶対それ冗談じゃねえよっ!
 宰相たちの前って、マジかよー……。
 そんな王国中枢のVIPたちの前で誤解を招く不用意な発言をするわけがない。
 暗に件の小僧を消してくれないかね家臣たちの誰かよ……って臭わせてたんじゃね? ねええっ?

 でなけりゃ国王様本気だよっ!

 ただし「婿に来たくばこれより余の出す百の試練に打ち勝つのだあああっ!」とかいう展開くらいは待ってそうだ。

「両親にはエイド君をしっかり売り込んでおきましたので、どうか安心して下さいね! 今ではわたしに続くエイド君ファンクラブの会員番号二号と三号なのです!」

 いやあのどや顔されてもねえ……。俺まだこの人生じゃ面識すらないのにそんなに俺を買ってくれているってさ、真意が知れなくて心臓に良くない。アイラ姫が何か色々と俺を持ち上げてくれたのはもうしょうがないとして、腹の探り合いが日常茶飯事だろう国王なんてやっている人物だし、何か裏がありそうで怖いって。
 でも表面上は外堀埋め立て完了か……。
 うちの方の親は問題にもならないだろうし。俺が選んだ相手なら誰であれ喜んでくれるに決まっている。
 恋人になる宣言を反故にする気はないけど、とにかく説得できたって思って押し掛けて来ちゃったのか。
 アイラ姫はカウンター越しに俺の両手をぎゅっと握った。

「ですので、不束者ですがどうぞよろしくお願い致しますね、エイド君」

 もう何だこれ。
 照れ臭いのと半ば感心気味に呆れたのと、未来への不安とで一杯一杯だ。
 俺はすうっと息を吸い込んで天井を仰ぐと、肺に溜まった空気の吐き出しと共に顔を下げる。
 ニューアイラ姫相手じゃ、これからもこんな風に俺の負け、なんだろうなあ。

「……わかりました」

 もう好きにしてくれ、と白旗を掲げる俺は和んだような苦笑を浮かべた。
 彼女の方も嬉し顔で店内の空気はほのぼのとする。

 ――と、そんな最中カラランと入店のベルが鳴った。

 ここまでは偶然にも店内に客がいなかったから、こうも大っぴらに会話が出来ていたけど、新たに客が来たならそうもいかない。俺たちは皆ピタリと口を閉じた。
 俺もアイラ姫も護衛たちも音の出所へと目を向ける。

 どこかの家に仕える執事なのか、そんな出で立ちの老年男性が扉を潜ってゆっくりと優雅に店に入ってくる所だった。

 いやもうお仕着せを無視すれば、彼こそがどこかの貴族の当主様でしょって感じの雰囲気を満々と醸している。
 その場に突っ立ち窺うような俺たちの視線に気付いたのか、ゆるりと店内に視線を巡らせていた男性はこっちを見ると、一度瞬いてから人好きのするにこやかな表情を作った。
 カウンター内に居たのとエプロン姿を見て、俺を従業員だって気付いたんだろう、こっちに爪先を向けた。
 執事の性なのか歩調まで折り目正しいと言うか規則正しい男性は、止まるのもさりげなくそれでいてピタリと俺の近くに佇んだ。アイラ姫がいなければきっと俺の正面に位置を定めただろうな。

「アポイントもない突然の訪問、誠に申し訳ございません。こちらにエイド・ワーナー様はいらっしゃいますか?」
「あ、俺ですけど。どちら様でしょう……?」

 敢えての俺指定って、実はまたどこかの魔法学校関係者かな?
 メイヤーさんの一声で静かになったとはいえ時々こうやって訪ねて来る人もいる。遠方から来る人もいたりするから噂ってのは恐ろしい。一体俺の話はどんな風に広まっているんだか。魔法を使える人材を一人でも多くハントしたいのはわかるけど、迷惑なんだよなあ。
 さて今日はどんな風に無難に断ろうかと思案し始める俺へと、男性は「やはりあなたがそうでしたか」と軽く腰を折った。

「わたくしめはダーリング家に仕える執事でセバスと申します」
「ダーリング家? まさかノエルに婚約を申し入れている、あのダーリング侯爵家ですか?」
「何と存じて頂いていたとは。ええ、左様です、そのダーリング家にございます」

 ゆっくり頷く仕種とか、彼がベテラン執事なのは間違いない。
 もしかしたら侯爵家の筆頭執事なのかも。
 ただ、家令じゃないってことは別に家令がいるのか、ダーリング家が家令職を置いていないかのどっちかだよな。まあどっちでもいいけどさ。
 だけどそんな紳士がどうしてこの店に?

「あ、もしかしてノエルの話ですか? ノエルならロクナ村だと思いますけど。それともまさかまた村を勝手に飛び出したんですかあいつ? だから捜索の手伝いを求めて?」
「ああいえ、本日はエイド様に御用がありお伺いさせて頂きました」
「俺に?」

 はい、と執事セバスさんは背広の内ポケットから一通の封筒を取り出した。

「これは坊ちゃまからお預かりしたあなた様への書状にございます」
「俺への……?」

 まだ見ぬ爽やか君が俺に一体何の用だと疑問を浮かべつつ、受け取ろうとする俺の手が届く間際、老執事は何か大事な用件を思い出したかのように書状をひょいと引っ込めた。

「申し訳ございません。この儀式を忘れては大変でした。お手数ですが、こちらに出てきて下さいませんか?」
「あ、はあ、いいですけど」
「ありがとうございます」

 俺がカウンターの表に立つと、彼は今度は胸ポケットから白い手袋を引っ張り出した。
 え、何、手品でも始めんの?
 手品も執事の嗜みなんだろうかと俺が更なる疑問符を頭に浮かべていると、何故か彼はその手袋をぺいっと俺の足元に投げ付けた。

「え……あの……?」

 一体何の真似だよ。
 荒事に身を置く冒険者だったり泥臭い軍人だったりした俺には、上流社会の貴族の行動に疎いきらいがある。
 俺とは正反対に、さすがは王女なのか意図がわかったらしいアイラ姫が驚いたように息を呑んで両手を口に当てた。

「これは坊ちゃまからお預かりした手袋にございます。そしてあなた様に投げ付けて来るようにと仰せつかりましたのでそうさせて頂きました」
「はあ」

 俺はまだ意図を悟れない。

「では今の行為も踏まえてこの書状をお納め下さい」
「はあ……」

 困惑を全面に受け取った俺は、書状を見下ろして目を瞠った。

「果たし状……?」

 自分の認識に確信が持てず顔を上げて執事の様子を確かめる。彼は心得ておりますとでも言わんばかりに一つしかと頷いた。

「ノエル様を賭けて、坊ちゃまはあなた様に決闘を申し込まれました。わたくしはその宣戦布告の代理人として参った次第です」
「は? 決闘? 決闘おおおおおっ!? なな何でノエルを賭けて俺が戦わないといけないんですか? 全く関係ないと思いますけど?」

 明らかに大きく慌てる俺の左腕を誰かが引っ張った。

「アイラ様?」
「そうなのですよセバスさん。エイド君はわたしのエイド君なのです。ノエルさん方面でエイド君がしなければならない手間など何一つないのです」

 ここでようやく執事の方もアイラ姫の顔を見て正体を悟ったんだろう、「あなた様は……」とハッとしてその場に膝を折ろうとした。

「セバスさん、今はもうわたしはただのアイラです」
「……左様ですか」

 彼は彼女のその言葉に戸惑ったようにしながらもピタと動きを止める。まだ公にはアイラ姫が王女を辞めた件は知られていないだろうから当然だ。俺としても果たして本当にそれが正式発表されるのか疑問だしな。
 セバスさんは背筋をピンと元のように伸ばした。

「此度は決闘の申し込みがわたくしの仕事でしたので、関係の有無につきましてはわたくしの口からは何とも申せません。それではエイド様、確かに書状をお渡し致しましたので、これにて失礼させて頂きます」

 のんびりした口調の一方で優美に一礼し踵を返すや、セバスさんは入口を開けて出て行く。

「え? は? ちょっと待って下さい決闘なんて受けませんよ、これ持って帰って下さいよっ、マジで俺一ミリも関係ないんですってばーーーー!!」
「ほっほっ元気の良い方だ。さすがは坊ちゃまの良きライバルです」
「いやちょっとそんなつもりはな――あああ~ッ」

 離れないアイラ姫を引き摺って店先まで走り出て引き止めようと腕を伸ばした俺の目と鼻の先で、転移魔法が発動した。
 さっさと帰っちゃったよあの執事……!
 俺は無力感を滲ませて腕を下ろし、指を握り込む。

「ノエルの奴……ッ、あの大迷惑女め、無意味に俺を巻き込むんじゃねえええええーーーーッ!」

 アイラ姫の押し掛けに引き続き、頭を悩ませる大問題がまた一つ増えた。
 俺は絶叫から一転して悲劇のヒロインよろしく地面に四肢を突いて項垂れる。アイラ姫が大丈夫ですかなんて言って俺の脱力にしばし慌てて隣にしゃがみ込んできた。

「くそ、どうして皆俺をそっとしておいてくれないんだ……」
「ええとそれはですね、皆がエイド君を好きで気に掛けて下さっているからだと思います」
「う、ううう……」

 大真面目な眼差しで覗き込んでくるアイラ姫の言葉に、俺はホロリとした。
 彼女は普通ならグッとくる台詞を口にしている。
 だけどこれは感涙じゃない。
 爽やか君は好きとは真逆の感情だろうし、ノエルから好かれても別に嬉しくないし、魔法学校関係者に至っては好悪以前のビジネス的に有益だって側面から来ているんだろう。
 はあ~、これからも俺のこんな想定外だらけの三度目人生は続いて行くのか?
 きっとそうなんだろうなあ……。

 でもさ、俺は挫けない!

 一番の問題だった死に掛け龍を無害化できたんだ。
 当面の所、大きな命の危機はないだろ。……たぶん。
 この先だって煩わしさに耐えて生き切ってみせる。
 きっとそれさえ見越して逆行の神は俺に人生のチャンスをくれたんじゃないかって思うんだ。

 だからさ、何が何でも今回は孫の顔を拝んでやるつもりだよ。

 余談だけど、数日後、決闘の話を聞きつけてかノエルとシオンと村長までもがこのシーハイの街にやってきて、一時的に滞在するなんて言い出して、アイラ姫が真っ黒オーラを纏わせて、俺の穏やかだった祖母ちゃんとのパン屋ライフは急激にドタバタとした騒々しさに取って代わられる羽目になった。




「とうとうノエルさんまでこの街に来てしまいました。どうしましょう……」

 金の髪の少女は借りている部屋の出窓を開け、夜風を室内に招き入れた。
 視線をやや下方へと向ければ海を臨む坂に連立する家屋の屋根があり、そこから微かに漏れる光が周囲の闇を明るくしている。視線を遥か遠くへと向ければ今は真っ暗なシーハイ沖に点々とどこかの船舶の明かりが浮かんでいる。

「姫様、周囲の安全を確認するまで少々お待ちを」

 自分のすぐ傍に立って窓の外へとくまなく視線を巡らせる女ニールへと、アイラ姫改め少女アイラは呆れた様な苦笑いを浮かべた。

「ふふっニールってば心配性なのですから。この街なら平気だと思いますよ」
「そのような油断は禁物です」
「それにもうわたしは姫様ではありませんと何度言ったら……」
「いいえ、姫様は永遠に姫様です」

 護衛からビシッと言われアイラは曖昧な笑みを浮かべた。因みにもう一人の護衛は玄関側を見張ってくれている。

「ならせめてこの街の大勢の前では姫様呼びをやめてほしいのです。この街で暮らす以上、元々の身分を不用意に暴露するのはよくないですし」
「それは一理ありますね。……ここも結局は庶民の家ですしね。ではこれからはお嬢様とお呼び致します」

 会話が聞こえていた男ニールも同意に頷く。
 彼女の護衛二人は標準的な庶民の核家族が暮らす広さの部屋に最初こそ「姫様に相応しくありません」と不服を漏らしていたが、無駄に広い部屋を借りてもかえってセレブの娘だと注目されかねないのと、いつでも目の届く位置にいる方が警護上の観点から有利だとアイラが諭して何とか我慢してもらった。

「姫様どうぞ。大丈夫です」
「どうもありがとう」

 出窓の真ん中を譲ってもらってそこに立つ。
 目の前に広がるまだ見慣れない夜景を感慨深く眺めた。

 何度も人生を巻き戻しているのに、アイラがシーハイの街に滞在するのはこれが初めてだった。

 今まで大抵はどこかで被っていた展開も、この人生ではほとんど全てが新しい。
 それが不思議だった。
 加えて言えば、エイドが何故かエルシオンをシオンと呼んでいるのも初めてだった。一応は呼び方を彼に合わせてはいるが、やはりちょっとは違和感が残る。
 ただ、いつになく予測不能の新鮮な人生なのは間違いなかった。

 けれど、およそ半数のケースで起きている展開が今回も起きている。

 ノエル・エバーがエイドへと想いを寄せているのだ。

 今回はまだ直接彼女の気持ちを確かめたわけではないが、経験則と同じ相手を好きな者同士、醸す空気で丸わかりだった。城に招いた際にエイドグッズ満載の私室を案内して十中八九だったのが完全なる確信になった。
 彼女はエイドに見向きもしない人生もあれば、こうやって近しい人生もあり、その振り幅がどうしてもアイラの心を乱す唯一の憂慮だ。
 赤髪の可愛らしい気の強そうな少女、ノエル・エバー。
 彼女の存在を思うと、恋人になろうと約束した今でさえ、エイドを信じていないわけではないのにどうしようもなく不安になる。

「本物の運命はきっとノエルさんだから……」

 アイラの独り言に、護衛たちは心得たもので何も言わない。さりげなく視線を寄越してきただけだ。

 アイラが何よりも鮮烈に覚えている彼女の一度目の人生、つまりはオリジナルと言っていい人生でエイドと結ばれたのは――ノエルの方だった。

 二度前からの記憶しかないエイドは当然覚えてはいない。それがこの上もなく安堵を齎したなんてエイド本人は知る由もないだろう。
 オリジナルではエイドとノエルの幸せは長くは続かなかった。
 若くしてエイドが死んだからだ。
 その時の自分自身を思い出すだけでアイラは憂鬱になる。
 何故ならエイドの死を嘆き悲しんだ。

 そして、反面では彼がもう誰も愛さずに済むと喜んだ。

 あさましくも、最低にも、病的としか言えない歪な笑みを浮かべた自分を彼女は覚えている。それだけではなく、エイドをたぶらかしたと密かにずっとノエルを呪ってもいた。

 今の冷静な思考で思い返せば、オリジナルの自分は確かに相当思い詰めていて病んでいた。
 しかもの自分はエイドの墓に縋ってこうも願った。

 過去に戻れるのなら、悪魔に魂を売ってでもエイドを自分に振り向かせたいと。

 心の奥底からのまるで憎悪にも似た強烈な感情で、醜い願いだとわかっていても、願わずにはいられなかった。
 しかしアイラはこうして悪魔に魂を売らずに生きている。逆行転生を繰り返してはいるものの、アイラ・グランドフェアという人間として終わりの見えないループ人生を生き続けている。

 未だエイド・ワーナーへの想いが成就ならないまま、消えないままに。

 何度も何度も逆行を繰り返すのは、自分への罰なのかもしれないとアイラは思う。
 彼を諦めればこのループ人生も終わるのかもしれないとも思う。

「ですが、諦めるのだけはどうしても……」

 他の思考を遮断するように両目を閉じてゆるゆると首を振る。

「どうか……どうか……」

 ――今生こそは。

 護衛たちが小さな声にまた視線だけを向けてきたが、アイラは気にせず星空に祈った。

 往生際が悪くとも、彼女に諦めるという選択肢は無い。

 少女の小さな呟きの、少女にとっては途轍もなく大事な大事な切なる願いは流れる星屑へと溶け込んだ。
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