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38 二人の誓い

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 怒声っぽい声で見事にお断りされちゃった俺は目を点にしてポカーンとした。
 おこがましくも彼女は快諾してくれるもんだと思っていたから、何気にショックだよ。
 アイラ姫はまだ可愛らしいジト目のまま俺に詰め寄った。

「また一からなどと、お友達からなどと、そのような爽やか迂回路展開など真っ平御免です。忘れられなくて引き摺って下さって大いに結構なのです。気持ちが超重量級で全然構わないのです。エイド君はわたしの恋人なのですから!」
「…………」

 俺は固まった表情のまま瞬きだけをひたすら繰り返した。
 一瞬、言葉がわからなかった。

「…………え、はい? 恋人? ――恋人おおお!? いつのまにそうなったの俺たちいッ!?」
「二つ前の人生からです」
「え、ですけどあの時は返事を聞く前に俺昇天しちゃってて正式な交際はまだ始まってすらなかっ…」
「――両想いでしたので、一切合財の問題はないのです」
「ええと…」
「――ないのです」
「……」

 えーーーーっと、どうしよう。
 アイラ姫の雰囲気が頗る不穏なんですけども。こんな姫様初めてッ……なんて感激はしない。もうひたすらに困惑と驚きがあるだけだ。
 俺が彼女の話をすんなり信じたのは、記憶と合致しているからって部分もあるけど最もな理由は彼女が彼女という信じるに足る人物だからだ。
 理由なんてない。

 アイラ姫だから、だ。

 彼女の方も、俺には逆行前の記憶がないって思っていたのに俺を俺だからって理由でずっと想いを寄せてくれていた。なんて子だよホント。一途に想われて嬉しくないわけがない。

 だけど、俺はまだ気持ちが定まったわけじゃないんだ。

「あのー、気持ちの整理をする時間をくれませんか?」
「わたしがどれだけ待ったと思っているのですか」

 うっ、そう言われても、俺たちの逆行に俺の意思は介在しないしなあ。

「本音を言うと俺、あなたへの好意はあってもそれがイマイチ何なのかよくわからないんです。逆行を繰り返すうちにわからなくなった、と言った方が正しいでしょうか」
「……ッ、そ、うなのですか……。あなたはいつも正直な人ですよね」

 気の毒なくらいに狼狽うろたえた彼女の言う「いつも」を俺は全て知っているわけじゃないけど、俺の知らないリセットされた俺が、少なくとも彼女が恋慕を寄せるに足り得る男であってほしい。

 だがしかし、男女交際はいかんよねエイド・ワーナー君!

 恋人として付き合っていくなら、王女って身分が絶対に安息の妨げになる。
 今の俺じゃ確実にそうなる。
 下手したら王女を誑かした悪いガキんちょってんで、王宮からわんさと刺客が送り込まれかねない。

「これまで俺は人生の安寧だけを求めて生きてきましたし、これからもそれを望みます。ですのでカレカノはちょ~っと無理かと」
「そうですか。ですがわたしは諦めません。お試しでも予約でもあなたの恋人はわたしでありたいのです」
「……一緒にどこか僻地に逃げて隠れ住んでくれって願うかもしれなくても?」

 彼女は豊かな生活を捨ててそれでも一緒に居たいと口にするんだろうか。

「当然付いて行きます!」

 即答って……。

「わたしはエイド君さえ居て下されば野生にだって還ります! 石斧を手に猪だって追い回します! むしろ、そうなったとして誰にも邪魔されずにあなたと思う存分睦み合えるのでラッキーなのです!」
「むつっ……!?」

 いやいやいやこの子何言っちゃってんの?
 ストレートに言い過ぎですよ?

「そういうわけですので、エイド君の再陥落目指して遠慮なく迫らせて頂きます」

 心の底に何やらピンク色の熾き火が燃えているらしい彼女からは、決死の覚悟にも似た強い感情が伝わってくる。ちょっと黒くもあるけど。

「とにかく、もう絶対にエイド君を見失うつもりはございません!」
「マ、マジですか」
「マジです。ですのでエイド君、今はそれほどではなくてもいつかわたしの魅力がわかる時が来ますから、今ここでわたしと恋人になっておいて損は全く微塵もないのですよ!」
「はあ……」

 こっちが気圧される程に熱意溢れる彼女の弁舌は、海千山千の押し売り商人を彷彿とさせた。
 危機迫る顔の彼女が更に距離を詰めてくる。うお、そんな怖い顔でも可愛いなおい。
 彼女が将来望めばどんな男だって落ちるだろうって絶世の美女になるのは知っている。
 外見的な魅力は十分にわかっている。
 でも俺が惚れたのはまだお互いに子供だった時分からで、彼女と親しくなってからは内面に触れて好きを深めていった。決して外見だけでずっと好きだったわけじゃない。

 ただあの頃にはなかった積極性が身に付いているのは、ちょっと新鮮でもある。

 ホントぐいぐいくるよね!
 彼女は自分じゃ気付いていないんだろうけど、決断力が培われて凛とした魅力が増えてるよ。
 あなたの魅力ならもう知っているから安心してくれって言ったら、どんな反応が返るだろう。俺の知る彼女そのままに赤くなってしどろもどろに動揺して嬉しそうにはにかむんだろうか。

「……わかりました。降参します」

 アイラ姫はこの上なく両目を見開いて、降ってきたような幸せに咽を詰まらせた。

「ですけど、今はまだ駄目です。待って下さい」
「え……」
「いやそんな露骨にシュンとしないで下さい。まだ話は終わってませんから。俺が将来安らかに暮らすための、それに相応しい実力や能力、現実問題を突破できるくらいの手腕や知識を身に付けてから改めて交際の話をしませんか?」
「で、ですがそれだと他の方に……ノエルさんなどに横やりを入れられてしまうかもしれません」

 へ?

「ノエル? どうしてあいつが出てくるんですか? あいつは絶対に有り得ないです。向こうだってそんな気微塵もないですよ」

 心底嫌そうにする俺を見て、だけど彼女は半眼になった。てっきり安心してくれると思ったんだけどなあ。何で?

「薄々そうだとは思っていたのですが、エイド君は相当なのだとわかりました」
「相当って何がです?」

 アイラ姫はジト目で俺を見つめながら、それについては何も言わなかった。

「ともかく、俺は約束のその時まで誰とも付き合ったりしませんから。その上で試しに付き合ってみてはどうでしょう」

 こればっかりは信じてもらうしかない。
 アイラ姫は尚も何かを言いたそうにはしたけど、結局は言葉を呑み込んでこくりと一つ頷いてくれた。
 俺は気持ちを新たに元カノを見据えたまま、右手を顔の横に上げて指をぴったりと揃えて宣誓のポーズを取った。

「俺、エイド・ワーナーはアイラ様とほのぼの暮らせる力を得た暁には、アイラ様と恋人になると、ここに誓います」

 ちょっと目を丸くしたものの、向こうも俺に倣って右手を掲げた。

「はい。わたし――アイラ・グランドフェアもその時までエイド君以外を好きにはなりませんしお付き合いだってしません。あなただけだとここに誓います」

 直後、待ってましたと図ったみたいに風が一際強まって俺たちの髪や裾を乱した。
 突風に揶揄やゆされた気分だよ。
 反射的に瞑ってしまった瞼を薄らと開ければ、夜風に金の髪を靡かせるアイラ姫と視線がばっちり合って、俺も向こうも照れ臭さに自然と頬が緩んだ。
 先が崩れ落ちた夜の崖に、場違いみたいにほのぼのとした空気が流れる。
 ああ好きだな彼女とのこんな雰囲気……なんて思ったそんな時、遠くの海面が激しく打ち破られるようにして大きな音と飛沫が上がった。

「いきなり何だあああーって、あの位置はまさか海龍!?」

 俺は咄嗟にアイラ姫を背に庇う。護衛ズも彼女を護らんと駆け付けてくる。
 あたかも海面から打ち上がるようにした何かはまた凄まじい水飛沫を立てて海面に着水すると、大きな白波を立てながら岸の方へと一直線に向かってくる。
 ぎゅっと心臓が絞められるような危機感と共に、俺は急いで頼れる防御柵を振り返る。

「師匠っ!」
「ん~?」
「って思い切り寛いでんじゃねえええええーーーーッ!」

 師匠は崖っぷちに横になって、あろうことか掌サイズの平たく丸い焼き菓子をもぐもぐしていた。バリボリと小気味の良い音を立てている。
 いつも予想を激しく裏切ってくれる師匠へは、俺はもう乱暴な言葉遣いを隠せなかったよ……。

「ああこれね、お煎餅って言ってね、お米って穀物から出来ていて、よく主婦が…」
「んなことどうでもいいですよッ!」

 その間にも不審な何かはおいおい海面の白波が潤滑油なのかよってくらいの速さで滑るように近付いてくる。しかも相手が真っ直ぐ向かって来ているのは師匠じゃなくてどうも俺たちの方なんだけど。

「あ、まさか俺が剣持ってるから?」

 だーーーーッ、十中八九あの白波立ててるの海龍だろうし、そこ失念してたーっ。でもここには師匠がいる。

「師匠!」
「…………ぐー」
「食後のうとうとーーーーッ!」

 頼みの師匠は見事な鼻提灯をぷかぷかさせていた。人って満腹だと眠くなるけど、ほんの直前まで煎餅だかを食べていましたよねあなた!
 大体この状況下で三秒も経たずに寝入るって何だそりゃあああああっ!
 ゆる過ぎる……ッ。ああそうだよ師匠に緊張感とか危機感を求めた俺が馬鹿だった。

「俺から離れて下さい!」

 俺はアイラ姫の側面を掴んで回れ右させて、護衛たちの方へと強く背を押しやった。一秒でも早く俺から離れてもらうために。
 だけど予想外にも、もう一度回れ右したアイラ姫に背中から抱き付かれて身動きが取れなくなる。

「ちょっ!?」
「エイド君っ! この期に及んでまだわたしの心をご理解頂けていないのですね! 危険を前に離れるなど絶対絶対絶対にお断りなのですッ! ……命散るならあの世までご一緒します」

 最後の台詞は地を這うようで何か背筋がぞくっとした。ホントマジでひやりとした刃物を首筋に押し付けられているって錯覚した。

「ア、アイラ様ご冗談は…」
「冗談だと、お思いですか?」

 思いませんッ。
 ひいいっ何なんだよこの子? 俺を想ってくれているのはわかる。わかるけどこんな風に怖い子だったっけ?
 迫る敵を前に俺は思考の方がとっちらかってしまって、ろくな防御対策も構築できないままだ。気だけが焦る。果たして海龍に理性が戻っているのかはわからない。
 俺はマイ剣を引き抜くと片手に持ったまま目の前に掲げた。海龍に見えるように。

「海龍ーッ! 剣はここにある。理性があるなら話をしようじゃないか!」

 海面を突っ込んできた速度そのままに、海龍らしき影は大きく跳ねた。
 一時、崖の上に大きな影が落ちる。

「なんつー跳躍!」

 師匠はぐーすか寝たまま起きそうにない。この役立たずご長寿め!
 やっぱりどうしたって自分の尾だった剣が気になるのか俺目掛けてその影は落下してくる。かくなる上はアイラ姫を強制転移させて応戦するしかない。そんな覚悟を決め込んだ矢先、海龍の大きな黒い影が突如消失した。
 いや違った。

 急に、縮んだ。

「は? 何……どこ行った?」

 やべえ見失ったと肝が冷えた直後、気付けばすぐ目の前に誰かの気配が降り立った。

 俺はハッと息を呑んで硬直する。
 完全に隙を突かれた形だった。だけど同時にアイラ姫の強張りも伝わってきて、ここで諦めればアイラ姫だって終わりだって思ったらこれじゃ駄目だって叱咤心が湧いて、気迫が盛り返した。
 瞳に闘志の光が再燃する。
 ただ、意外にも予想された攻撃はなかった。
 その相手は快活そうな青銀のショートカットを夜風に揺らし、魔物と同じ赤い瞳をギラリと輝かせた。変装用カチューシャでもしているように、繊細な頭髪の間からは二本の角も生えている。

 十七、八歳の人間のような女性がそこにはいた。

 ほっそりとしているのに出る所は出ていて男の欲をそそるような肢体は、そのボディラインの美を余す所なく披露しているけど、顔から爪先までびっしりと全身が頭髪と同じ青銀色の小さな鱗に覆われていて、そういう特殊なボディスーツを着ているみたいだった。

「あんた、何者だ?」

 いつになく慎重な声で誰何すれば、相手は後ろからアイラ姫に抱き付かれている俺をじっと見つめ、俺の手にある剣を注視し、再び俺をとことんじーーーーっと凝視する。護衛ズが武器を抜くのも興味すらないようで一瞥すらくれない。崖の上にしばし皆が無言で動かない睨み合いのようなよくわからない時間が流れた。
 どうするべき? ってか師匠はまだ寝てんの?
 ……くっそ寝てるーっ、しかも鼻提灯二個になってるーっ。あれで鼻呼吸出来んの?

 俺にこんな奇抜なカッコの美人の知り合いはいないし、この流れから言って大よその正体がわかる気がしたけど、ドカンバカンズドンッて激しい戦闘シーンを思い出すとどう考えても違うだろって気もする。

 だってさあ、この人の雰囲気が爽やか過ぎるって。

 当惑と混乱、警戒なんかがごっちゃになっている俺の気も知らないだろう青銀の麗人は、何を思ったか前髪が風圧で浮く勢いできっちりと九十度に腰を折った。
 ギョッとしていると、次には膝を突いて俺の足元に縋ってきた。

「エイド・ワ~ナ~、その節はごめんねえええ~っ!」
「は? ちょっ!?」

 彼女の声は一流奏者が上等なハープでも奏でたように柔らかで、俺もきっと通常だったなら音楽会宜しく聞き惚れていたに違いない。
 だけど、今は別。

「ど、どちら様!? ってか何ですかいきなり!? 何で俺の名前知ってるんですか!?」

 実は海龍かもしれないと思ったけど、全然違うのかも。
 それに何より、予告なく人の足に縋るって時点でもうまともに相手にしなくていいよね? ねええ?

「エ、エイド君から離れて下さい!」

 アイラ姫が女性を剥がそうと奮闘したけど、ビクともしなかった。

「ねえねえところでエイド~、あなたの魔法剣を見せてほしいの~~~~っ」

 剣を?

「な、何でですか? 嫌ですよ」

 心なし剣を女性から遠ざけたくて持ち上げちゃったけど、彼女は俺の態度に衝撃の目になった。

「嫌だあああ~、剣を見せてくれなきゃ嫌だよお~~~~ッ」
「はあっ? ってちょっと、あの、やめて下さいって!」

 足元だったのが次に腰に縋りつかれて、胴体と言うか胸の高さにまでも縋られて、段々と上に来る。このまま首とかに抱き付かれても猛烈に嫌だ。美人でも何か嫌だ。
 ああくそ、何なんだこの人、素面でこれなのか!?

「だあーッもうわかりました! いいですよ。見せるだけなら。絶対にあげませんからね?」
「えーどうして~?」

 一呼吸分の間を置いて俺は答えてやる。

「何故って、これは俺の大事な大事なだ~いじっなっ相棒なんです。誰にも渡しません」
「ふう~ん」

 瞬いた赤眼が興味を宿し、宝石みたいにきらめいた。

「じゃあどうぞ、本当の本当にちょっとだけですよ」
「やった~!」

 正直本気で心配だったけどマイ剣を躊躇いがちに差し出してやった。
 女性はパッと顔を輝かせて笑ったよ。鱗顔なのに造りは綺麗だから眼福と言えばそうかもなあ。
 俺の左腕を抱き込んでいるアイラ姫が無言で絡める力を強めた。背筋が薄ら寒くなったんだけど、えっ今の殺気です……? アハハこの姫様がまさかなあ~?
 一方、その女性は何故か剣を受け取らずにその上に手を置くだけにして目を閉じた。

「うん、うん、そっかそうだよね。さすがはボク~!」

 なんて独り言を口にして、剣から手を離すと嬉しそうに俺に抱き付いてきた。
 身長は彼女の方が高いから、俺の顔にもろに胸が押し当てられる形になる。アイラ姫が「あっ」と叫んで頬を膨らませたのが横目に見えた。

「えっあのちょっと!」
「キミはやっぱりボクの尾が選んだだけはあるわあ~」

 ボクの……尾?

 ――尾!?

「まままさかあんた、やっぱ死に掛け海龍なのか!?」
「そうそう、キミにというかあそこで寝てる白髪ジジイに負けた海龍だよ~ん。母なる海に沈められたおかげでほんの少~しだけ回復してようやく正気に戻ったよ~」

 卒倒して良い?
 一度その可能性は考えたけど打ち消したんだよな。だって何がどうなったらあの凶悪だった海龍がこんなおチャラけた麗人になるんだよ……。
 驚きよりも脱力が先行した。
 ああでも師匠が言っていたように、おだてたり優位に立つと頗る調子に乗りそうなタイプー。

「ええとところで、上から触っただけでいいんですか? この剣を取り返したいから真っ先に俺の所に来たんですよね」
「ううん~、そういうわけじゃないよ~ん。心配しなくてももう金輪際キミから奪おうとしたりしないよ。どうせボクが持っていた所で尾は戻らないしね」

 何だ、ちゃんと不可逆だってわかっているのか。

「だからキミにあげる! 心置きなく使ってくれ給え~」

 偉ぶって上機嫌にのたまった死に掛け暴君改め青銀の麗人は、スキンシップに抵抗がないのか俺の耳元に形の良い青銀のツヤツヤした唇を近付けると囁きを落としてくる。

「キミが望めばボク自身もあげちゃうよ~?」
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