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36 憐れな海龍2

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 目を覚ますや土龍改め海龍になりそうな死に掛け魔物は低く唸り、依然として瘴気を撒き散らすまま俺を食い千切ろうとしてか擡げた頭を勢いよく突き出してきた。

「のわっ! くっそまだこんな力が残ってたのかよ。師匠やっぱこいつ退治しないと駄目ですって! 土龍でも海龍でもなくスッポン龍ですって!」
「うーん、どうしようねえ」
「どうもこうもないですよ!」

 ファーストライフ以来こうしてまた戦ってみて再度実感したけど、ホント龍種ってのは色々と規格外で恐ろしい。即座に距離を取った俺が直前までいた場所を地面ごと抉ってそいつはめげずに俺を、そして剣を追おうとする。
 師匠は前脚からさっさと手を離して傍観者を決め込んだようだった。
 敵は敵で、動けるとは言えやっぱり体力の限界なのかこれまでみたいなアグレッシブな動きや大きな跳躍はできないようで、ドタッ、ドタッと無様に転倒をしながらの不器用な体当たりを繰り返すだけだ。
 そんな姿を見たものの、俺は憐れを誘うとは思わない。むしろこうも狂ったようにしつこく敵意丸出しで来られると、こっちだっていい加減苛立つってもんだ。結構弱ってるみたいだしチャンスだよな。回復した今の俺ならきっとやれる。

「師匠がこいつを倒さないわけって何ですかっ?」

 横に後ろに跳んで回避だけを繰り返す俺は、大人げなくも師匠へと苛立ち声をぶつけた。
 師匠の話も半分だし、判断はきちんと理由を聞いてからにしたいけど、気持ちの針は一度目人生時みたいに討伐に傾いている。
 俺が納得できない理由だったなら師匠に逆らってでも、今はまだ首を擡げたばかりのこの国の厄災を取り除いてやるつもりだよ。

「やれやれ……、一度意識をリセットしてもまだこの異常興奮状態を脱しないのか。まだ堕ち切ってはいないから正常に戻れるとは思うのだけれどね」

 正常に戻れるだって? この状態から? マジか、だから師匠は殺すなって言うのか。でもこんな奴に慈悲や情けをかけてやる価値なんてあるのか?
 俺の胸中の疑問に答えたわけじゃないだろうけど、師匠がゆるゆると頭を振った。

「仕方がないな。きっちり頭を冷やしてもらおうか」
「ええ……?」

 また一つ攻撃をかわす俺は台詞の意図が掴めず怪訝になったけど、師匠はその台詞と同時に敵のすぐ傍まで移動すると、何と問答無用で腹に回し蹴りをぶち込んだ。

 ドッ……、と蹴りの余韻さえも耳に残るような重厚な打撃音が辺りに響き、目にも止まらぬ勢いで龍の巨体は沖の海へと吹っ飛んでいく。
 初速が破壊的と言える蹴り飛ばしは、真っ直ぐ鋭い軌道を描くと物理法則に従って高度を下げ、終いにはボッチャーンと派手な飛沫を海面に立てた。
 ここからでも上がった水柱が小さく見えた。

「………………………………は?」

 俺は灯台が落ちた時と同等かそれ以上に唖然として目が点になってしまった。
 言葉が一切合財出てこない。
 師匠は頭を冷やすとか何とか言ったけど、あはははそんな可愛いレベルじゃねえよ……。冬の海に沈んだんだし頭だけじゃなく全身も冷たくなっちゃうんじゃね、永遠に……。最後は塵になるだろうけど、海のものだから母なる海に還るって思えばいいの? まあ、うん、深く考えない。そして中断していた話を再開しよう、うん。

「ええと師匠、さっきの続きですけど、あいつの尾を切ったなんてどうしてまた?」

 最初まさか嘘だろって思ったけど、難なく今の蹴りを繰り出せる師匠に掛かればこんな冗談みたいな話も本当なんだろうと思い直した。
 一人まだ沖を見据えていた師匠は俺の方に振り向くと、本当にいつの出来事なのか随分と遠いような記憶を手繰るように天を仰ぐ。

「いやねえ、私が強いとか何とかどこかで聞き付けたのか、当時まだ海龍にしては五百歳と若くて血気盛んだったあの子に力比べを挑まれてさ、そもそも海龍なんて古代龍種にはお歴々ばかりだし、胴体長い分背中痛持ちなのかいつも海の底に引っ込んでて滅多に海上には上がって来ないから、こちらとしても純粋に興味が湧いてね、力比べを受けたんだよ」

 五百歳で若……い?
 え? 師匠ぉおおお~? だったら龍のお歴々たちの年齢は……聞かない方が良さそうだ。聞いたら多分話に集中できなくなる。

「そ、それで勝敗は?」

 師匠はやや俯いて珍しくも口元を酷薄そうに緩めた。きっと前髪の奥の金瞳はあたかも猫が目を細めるように細められているんだろう。
 その意味深な表情、勝負は一体全体どうなったんだ?

「あっさり勝っても、今度こそは~ってリベンジに燃えられるのが面倒だったから、適当な所で負けておいたよ。けれどそれが良くなかったんだよねえ。自分は強いんだって勘違いして図に乗った挙句、海龍族たる力を見せてやるって息巻いて大暴れなんてされてしまってねえ……結果海が大荒れになって島一つが沈む羽目になった」
「なっ……」
「だからちょっと頭に来てシバいてやったんだ」
「まさか……海辺の街の人たちが犠牲に?」

 それなら師匠にシバかれて当然だ。

「いや、人的被害はなかったよ」

 師匠の言葉にホッとした。いくら大昔の出来事とは言え、そんな悲劇を知るのは後味が悪い。

「ただその島には、何と私が大切に保管しておいた珍味やら貴重な食材で作った料理の数々があったのだけれど、それら全てを流されてしまってねえ……ついつい大人げなくもマジギレしてしまったんだ。尾を切ってやってから反省しろと思いっ切り蹴り飛ばしたりなんてしてね、それはもう限りなく本気で」
「へ、へえ……そんなことが……」

 流された食べ物はいつも飄々としているこの人が激怒する程に好物だったのか……。それか希少なものだったのかも。ああ、食べ物の恨みは恐ろしい~。
 そして望まずも尾を切られたあいつの逆恨みの恨み節も聞こえてきそうだよ。

 師匠の言うように、あいつは土龍じゃなく海龍なんだろう。俺はもう疑いを捨てていた。

 今更ながら思い返せば、魔法剣の塩水攻撃に触れた鱗が元の色なんだろう青銀に変化していたもんなあ。あの時は疑問には感じたものの深くは突き詰められなかったけど、師匠の言葉を裏付ける証拠だ。
 あいつが海龍なら道理で炎に強いわけだよ。水属性って本質が自然と火を弱める効果を齎すから、余程の炎魔法じゃなきゃ深手を負わせるのは難しい。戦闘の中にも敵のヒントはちりばめられていて、今回なんて特に俺は必要なそれらを見逃しちゃいけなかったのに……。
 でも、それよりも、俺はぐっと背筋が寒くなっていた。
 どうして海龍のあいつが陸地にいたのか?

「だいぶ陸地の奥の方に飛んで行ってしまったなあとは思ったけれど、当時はまだ開発がされてなくて集落がなかった方角だったから構わないでいたんだよねえ。灸を据えてやる意味合いもあって放置したんだ。しかしそれは失策だったって今なら思うよ」

 俺は我知らずごくりと唾を呑み込んでいた。
 どこの海岸線からかは知らないけど、陸地奥の死龍荒地まであの巨体を飛ばしたって言うその打撃は想像を絶する。食らった瞬間に消滅していても何ら不思議じゃなかったろうにああして生きていた。耐性のある物理的攻撃だったからもろに十割のダメージを受けずに済んだ幸運はあるにしろ、あの海龍の打たれ強さが改めて窺い知れるってもんだ。今と全然ステータスが異なるとは言え一度目の俺ってばよくもさっくりと討伐できたよなー。

「私がさっさと回収していれば、あの子が自力で海に帰れなくなるまで悠久を失神し、魔力の大半が抜け出てしまう程に干からびる羽目にはならなかったろうしねえ」

 能力値の高い龍と言えど、海の生物は結局は海でしか生きられない。
 一定期間陸に上がる方法はあっても半永久的には無理だ。例外はあれ海水魚が淡水で淡水魚が海水で生きられないのと同じで、長期間海から離れていると渇きが魔力の枯渇を誘発して生存に関わるらしい。

「正直、何とか自力で動いて海まで戻れる体力がギリギリ残っていると思ったんだけれど、よりにもよってねえ……」

 師匠が言うには、優先順位を誤って海龍はその残った体力を何故か俺の剣の追跡に費やしたらしい。死龍荒地から最も近かった剣の気配がロクナ村とその周辺にあったってんで密かにそっちに向かったってわけだった。確かに俺はロクナ村よりも死龍荒地に近しい場所には行っていない。
 それにしても常軌を逸した敏感さだよ。生存本能が火事場の底力を引き出したのか、それとも龍って皆そういうものなのか?

「でもどうして俺の剣を? 海底から引き揚げられて魔法剣として覚醒したのはつい最近ですよ。他にも多々魔力を有する物ってあると思うんですけど。やっぱり膨大な魔力を秘めていたからこそ、この剣を求めたんでしょうか」
「まあ、心底回復したかったのはそうだろう。理性を失くした状態でも元の自分に戻りたいと強く思ったろうしねえ」
「なるほど、だからあんなにもしつこく回復に見合う俺の剣を追ってきたんですね」
「ふうん、そんなにしつこかったのかい?」

 思い出す俺が「はい、地面からぱっくんされそうにもなりました」って微妙な顔をすると、師匠はちょっと同情的に小さく唸った。

「そこまで執念深かったのか。剣を手に入れた所で、どうあってももう元の尾を取り戻せはしないのだけれどねえ……」
「尾?」

 どうしてここで尾の話が出てくるんだろう?
 俺は眉を寄せた。何だか師匠の台詞には含みがある気がする。

「エイドを窮地に追い込んだ責任は私にある。悪かったね」
「へ? ああいえ、そんな風には思いませんよ。気にしないで下さい」

 そんな申し訳なさそうにしないでほしい。師匠だってこの剣が狙われるなんて思っていなかったんだろうしさ。魔力が枯渇した海龍の奴は自業自得だ。

「今あの子は海の中で理性と体力を取り戻している最中だとは思うけれど、上がってきたら失った尾を取り戻そうと動くかもしれない。だからエイド、理性的な話し合いをしてあげてね」
「ええと……?」

 尾を取り戻そうとする?
 ああそっか、本体が生きている以上切られた尾が消滅するとは思えない。どこかでそのまま残っているはずだ。
 だけど師匠のこの言い様というか注意喚起は何だ?

「まさか……師匠はあいつの尾がどこにあるのか、どんな状態なのか知っているんですか?」
「ふふふふふ。――ごめんねエイド」

 え、何でこのお人は俺に謝るの?
 俺が関係してるの?
 あれ~? そう言えば土龍改め海龍が執拗に欲しがっていた物があったっけ~。
 そう、何を隠そう俺のこの相棒剣だ。
 ちょっと待て……てことは何か、マイ魔法剣が海龍の尾なわけ?
 この剣が? ええええ~ウッソでしょ~ん?

「あの、師しょ…」
「本当ごめんね?」

 語尾上げのご機嫌窺い謝罪ときた。

「…………一応確認しておきたいんですけど、この剣があいつの尾、なんですか?」

 師匠は「あはは」とわざとらしく明るい空笑いを見せてから、その笑みを急にパッと爽やかに輝かせた。

「そうだね」
「ははは、そうですか、へえ……」

 おーーーーい! そういう重要な真実は早く言ってくれ!
 頬が引き攣っちゃった俺は、この剣が膨大な魔力を有するのはそんな事実が裏にあったからだって納得してもいた。

「龍の尾がどうして剣に?」
「ああそれはね、あの時、海が荒れた折、たまたま近くを通り掛かった一人の魔法使いが何事かって見に来たんだよね。その人がこれはすごい素材だって大喜びで尾を拾って持ち帰ってしまったんだけれど、どうせ私も私の物ではなかったし要らなかったから、止めはしないで成り行きに任せちゃった」

 何て殺生な。後々龍が尾を取り戻そうとするかもしれないって思わなかったのか? いやよしんば思ったとしても結局は関係ないって切り捨てるか。

「じゃあそれを素材として打った魔法剣が巡り巡って俺の手に落ちてきたってわけですね」
「その通り。正直薬材とか食材になるのかと思っていたから、思いもかけず剣の一部になっていたのを見掛けた時はちょっとびっくりしたよ。財物として取り扱われていたっけねえ」
「海底に長年あったのは何故なんですか?」
「私も傍で見ていたわけではないから確証は持てないまでも、おそらくはそれを乗せた船が沈んだのだろうね。どこぞへの献上船か単なる貨物船かは定かじゃあないけれど。それでまあ、後はつい先日漁師に引き揚げられるまで誰からも忘れ去られていたって所かな」
「そうですか」

 そう頷く俺は、紆余曲折を経験した相棒剣を目の高さに持ち上げて、その意匠の優美さを眺める。
 最早こいつは海龍であってそうじゃない物になってしまった。

「お前、本体に戻りたいか?」

 もしもどうにかしてそうできるなら、俺はこいつを手放してやらないといけないんだろうか。

「……嫌だなそれは。だってやっと通じ合ったのに」

 ポツリと小さく本心を吐露し、ぎゅっと握り締めていた柄を更に強く握り込む。
 俺の素直な答えに喜んでいるのか抗議しているのか、剣が微かに震えた。
 そんな俺を横目に、師匠が溜息をつく。

「あの子ももう手遅れだと悟ってくれるといいのだけれど。剣として組み込まれてしまってはもう尾としてくっ付けようもないというのにね」

 実に憐れだよ、と師匠は同情を込めて囁く。

「今更だけど、エイドにその剣を持たせた時点でもう少しあの子の状態を気にしていたら良かったと我ながら後悔しているよ。剣の目覚めがもしかしたら海に戻るための多少の刺激にくらいはなるかなあと軽く考えていたから」
「ハハハ……」

 俺は色々諸々と言いたい文句を呑み込んで、ある意味ちょっと憐れな海龍が落水した辺りを見晴かしつつ、我が身と心の安寧を切に願う。俺が師匠の尻拭いをさせられる役回りなのは今回も変わりなさそうだ。本当に俺の三度目の人生には偶然か必然か奇縁ってやつが目立つなあと、しみじみとして思った。




 海龍が自力で海から上がれるまで回復するにはもうちょっと掛かるだろうって師匠の見立てで、俺はじゃあその間にアイラ姫に話を聞いておこうと移動した。
 師匠は元の形から大きく変形した崖っぷちに佇んで海龍を見張ってくれている。
 万一まだ理性なしだった場合を考えて防御柵代わりを務めてくれるんだってさ。俺への贖罪って意味もあるらしい。

「アイラ様。一先ずはもう大丈夫です。何か起きても師匠が対処してくれますので」

 近くまで行くとアイラ姫は両脇に護衛を従える形で彼女の方からも俺に駆け寄って来た。

「エイド・ワーナーめ、姫様にご足労を掛けるとはけしからん」

 女ニールからの視線が痛い。彼女の台詞に激しく同意する男ニールの眼差しもまた……以下略。

「エイド君の師匠さんは本当にお強い方なのですね」

 感心しきりなアイラ姫に俺は「そうですね」と苦笑を返した。

「ところで、アイラ様はすぐにでも王都に戻られますか? もし可能なら少し俺と話す時間を頂きたいんですけど、どうでしょう?」

 護衛ズが「当然すぐに帰城だ」って顔をする前では、アイラ姫が嬉しそうにはにかんだ。

「勿論平気なのです!」

 鼻息も荒く……まではないけどどことなく張り切っているようにも見える。夜更かしで目が冴えてテンションが上がっているのかもなあ。お子様には良くないって思うけど、今は真相を究明したいから多少俺も我が儘を通させてもらおう。

「良かった。じゃあ早速」

 そう切り出す俺は何となくコホンと咳払いをして背筋を正した。
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