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20 女難の兆候

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 ニュー相棒剣は今はトンビのように俺たちの上空でくるくると輪を描いて飛んでいる。
 独りでに動いているのは俺の魔力がまだ剣に残留しているからだ。
 魔力が尽きたら頭上に降ってくる……と考えて、今のうちに呼び戻しておいた方が命のためだろうとは思ったけど、それどころじゃなかった。
 港に俺の叫びがこだました。

「エイド君本当に平気なの?」

 俺の嘆きに当然ながらエルシオンは首を傾げた。
 そりゃそうだよな。俺だってこいつの立場だったらいきなりどうしたんだって疑問に、いや不審にしか思わないだろうからな。
 俺は元親友の変わり果てた姿にほろりと涙しそうになった。マイ剣を失ったって思った時と似た切なさが込み上げてくる。やっぱりこうして今まで距離を置いていてもその前までの二度の人生でのこいつとの時間と記憶があって、平静じゃいられないみたいだ。

「具合が悪いなら遠慮なく言ってよ、エイド君?」

 エルシオンは心配そうに大事な本をギュッと両腕に抱え直した。そうするとお前は乙女かってポーズになるけど、そこはどうでもいい。今は護衛の黒服たちに囲まれて腰に手を当ててまだない胸を偉そうに張るノエルの方が余程お前男だよって思ったけど、そこもどうでもいい。
 だってこいつってば不健康優良児の手本みたいになっちゃってさ、何か俺目も当てられねえよ。

 …………って、あれ? 何で俺エルシオンの心配してるんだ?

 むしろこれで良くないか?
 だってこのエルシオンはどう見てもノエルに気があるようには思えない。
 俺がアイラ姫に一目惚れしたように、その頃にはもう一度目でも二度目でもこいつはノエルを好きだったはずだ。もしもその時のエルシオンがここにいたなら書物なんてほっぽって海に飛び込んだだろう。

 それなのに三度目は違う。

 ノエルを心配しないわけじゃないんだろうけど、書物のためには仕方がなしと見捨てようとしたも同然だった。この調子だとこの先も彼女を好きにはならなそうだ。そうなれば、俺に有利だよな。少なくとも嫉妬に駆られて俺を刺すなんて結末だけはなくなる。
 ホントそうだよ。ハハハ馬鹿だな~俺、何で嘆いてんだよ。むしろ現状継続を陰ながら応援すべきだろ。

「なあシオン」
「何?」

 俺は過去二度のこいつをエルシオンって呼んで、このエルシオンはシオン呼びにすることにした。その方が自分でも区別が付けやすい。

「学問、頑張れよ」
「ありがとう」

 エルシオン改めシオンは、俺の言動への諸々の疑問はあっただろうけど追究しようともせず、見ているだけで儚そうな笑みを浮かべると決意を示すように薬草毒草大辞典を体の前に掲げ持ってみせ、

「エイド君に早く追い付けるように、まだまだ頑張……――ゴホゴホゲホゲホッ、ゴホッ」

 急に咳き込んだ。
 さすがに喀血はしなかったけど「病弱かッ!」って突っ込みそうにはなった。ハハハだけど大人な俺は堪えて「大丈夫か? 早いうちに村に帰れ、な?」と案じ、そして馬車の手配をも約束するって気遣い対応をしてやったよ。
 これでなし崩し的にノエルも帰るだろ。

 一方そんなノエル・エバー村長令嬢様は、咳き込む村男シオンと彼を支える俺の傍に立つ。

「ちょっとエイド、そいつ大丈夫なの?」
「ああ今の所はな」
「そう、ならいけど。無理しないでよね」
「ゴホッ、ご、ごめん」

 嘘おおお!? ノエルがシオンの心配してるよ。真っ先に役立たずって罵倒しそうなのに。下僕なんて蟻ん子と一緒って思ってるとばかり。もしや俺の知らないうちに天地が引っ繰り返ったのか?

「お前さあ、シオンを今回無理して付き合わせたんだろ。早く落ち着ける場所に連れて行ったほうがいいぞ。シオンにも言ったけど馬車の手配はこっちでするからさ」
「不要よ。あたしの方でそれはするから。――お願いね?」

 そういってノエルが目配せすると黒服たちは背筋を正して「はい」と一礼し、うち一人が街中の方へと走っていった。
 何だこいつもう護衛を顎で使ってんじゃねえか。
 村の子供や使用人たちとは違って見た目はゴツくて怒らせたら怖そうな大男ばっかりなのに。村長の愛娘として培われた人を使う貫禄ってのが滲み出てるよ。これでどうして貴族夫人が嫌なんだかな。ピッタリだよお前。

 あ、まさか。まさかまさかまさかこいつの好きな人ってシオンか?

 だとすればこの柔軟な態度も頷ける。体調微妙なのに無理やり連れてきたのは感心しないけど、それも離れたくないからだろうしな。

「何だそっか。シオンも隅に置けないな」
「え、僕が何?」

 俺の独り言に咳き込みが治まったシオンがキョトンとした。
 過去の二度ともエルシオンの方からノエルにアプローチして二度目じゃ恋人同士にはなったけど、最初にノエルから惚れるって展開は今までにはなかった。
 それはそれで面白いかもなあ。よっご両人、末長くお幸せに~。

「ああいや、ノエルはシオンが大事なんだなって」
「それは当然よ」

 俺はシオンと話しているつもりだったんだけどなー。割り込んできたノエルはよくわからない眼差しをシオンに向けた。

「シオンはお父様の金ヅルの一人だもの」
「……は?」

 何それ?
 聞き捨てならない言葉が聞こえたよ?
 でもさ立場的に普通は逆じゃね?
 金持ちの村長にシオンがたかるならわかる。

「シオンの薬草の知識で森から薬草を採ってそれを売って村運営の資金に充てているのよ。だからこいつはお父様のお気に入りなの。あたしに婚約を強いておいてお父様だけお金儲けて楽しもうなんて癪だったから連れてきたの。その間は稼げないでしょ」

「あー……そ。へえ……」

 子供が言う台詞とは思えない。理由が恐ろしいんですけどっ。やっぱこいつは少なくとも俺の人生史上の稀代の悪女になる女だよ。

「ノエル様、濡れたままでは感冒を召されかねませんし、そろそろどこかホテルにでも行きましょう」

 さっきから黒服たちは俺の錯乱には大して驚かずに濡れ鼠のノエルの体調を必死に気遣っている。そのうちの一人が上着を彼女の両肩に羽織らせていた。溺れる最中は全く役に立たなかった彼らだ、これで風邪でも引かせたら職を、下手すれば命を失いかねないからだろう。
 まあノエルが告げ口でもしたらそれまでだ。ああ無論俺は彼らの顛末にもノエルの事情にも興味ないからそんな真似はしない。

「いちいちしつこく構わないでいいわよ。風邪なんて引かないから」
「ですが……」
「ふん、どうせあたし自身の心配じゃなく、あの爽やか坊ちゃまが怒ると自分たちがまずいからそんな風にしてくるんでしょ!」

 図星だったのか黒服たちは硬直したように黙りこんだ。予想通りこの護衛たちはダーリング侯爵家の方で寄越した人員だったらしい。
 うわーでもどうするよこれ、空気が頗る重いんだけど。

 金ヅル呼ばわりされたのに気も悪くしていないのか、シオンは心が凪いだような顔で海を眺めている。

 うおーいその無関心もどうかと思うぞ元友よ!

 え、ここは俺が何かフォロー入れた方がいいの?
 入れないと駄目なの、ねえ?

「うお~いエイド~!」

 俺はパッと表情を明るくした。この声はメイヤーさんだ。
 気付けばオークション船は港に入っていて、メイヤーさんが船の上から大きく手を振っている。俺が海から人を助けたのはバッチリ見えていたんだろうな、彼の表情は俺同様に明るくそして誇らし気だ。
 彼の横には師匠がにこにこ顔で立っている。

「エイドく~ん!」

 ハーイその更に横には三人の仮面の人物たちの姿があるねー。

 うん、今の癒しのピアノのみたいに澄んだ声はアイラ姫だ。
 どうするかなー。本音じゃこのまますたこらさっさと帰りたかったけど、世話になったメイヤーさんを置いて帰れないしな。
 師匠と魔法剣の話もしないとだし、彼女と顔を合わせるのは避けられそうにない。
 ……ってそうだよ魔法剣。
 思い出した俺は凶器として落下してくる前にと剣を呼び戻し、一応魔法の指環に収納した。そのままだと荷物になる。
 ノエルもシオンもその一連を不思議そうに見ていたっけ。
 ああ、彼ら二人と黒服たちの方は元々俺関係ないし勝手に事態の収拾付けてくれって思ってるから捨て置くつもりだ。幸いメイヤーさんのおかげで重苦しかった空気はほとんど霧散したから少しは落ち着いて話ができるだろう。
 逃げたい俺が嘆息していると横のノエルが俺の腕を引っ張った。

「まさか、あの仮面の小さいのがアイラって子?」
「ん? ああそうだな」

 そういやこいつがアイラ姫を気にするのは村長の接待の件が原因だろうけど、改めて考えるとちょっと異常な気にしぶりだよな。
 だってこいつ自身の話によればアイラ姫の動向を知ってこんな所まで追ってくるくらいだ。アイラ姫の動きを知っているあたり密偵でも雇っているんだろう。怖い怖い。
 ただ、どうしてこんなに執拗にアイラ姫を気にするんだ?

「なあノエル、どうしてそんなに彼女に敵意満々なんだ?」

 もしかして俺の知らない所で友達にでもなって大喧嘩をしたとかだったらわかるけど。

「どうしてってそれは……」

 ノエルは歯切れ悪くも語尾を小さくして終いには口を噤んだ。

「知り合いになったのか? 彼女の身分は……知ってるんだよな?」
「勿論知ってるわ。お父様がお城に招かれてそこで会ったもの。それまでは名前は王女殿下と一緒だって思ってたけど、まさか本当にあの子がアイラ姫だなんて思わなかった」
「へえ、城に。あ、もしかしてダーリング家の息子もその時いたのか?」

 そこで見染められて、だから婚約なんて話が出たのかもな。

「確かいたわ。あたしは挨拶しかしなかったけどね」

 案の定だ。大方そっちの息子が一目惚れでもしたんだろう。
 いくら村長が野心家だろうと初めのきっかけはダーリング家が作ったに違いない。
 身分下の自分たちの方から婚姻話を持ちかけるような無謀はしないと思う。礼を欠いたとか平民のくせに身分を弁えないって言いがかり染みた糾弾でもされたら終わりだ。
 そうなれば彼女らを招いた王様の顔にも泥を塗る羽目になって、不敬だとかで最悪の結末になりかねない。
 だから何の後ろ盾もない平民が王城になんて招かれた日には、王侯貴族たちに粗相を仕出かさないように恐恐として神経をすり減らすから家に帰ると疲れで寝込みかねない。俺もかつてはそうだった。
 まあその向こうの好意からこうして現実の婚約にまで漕ぎ付けようとしている村長の手腕はやっぱ凄いよな。

「アイラ様とその日以外に会ったりは?」
「はああ? するわけないでしょ!」
「いやそんな当然だって態度を取られても、俺には事情がわからないんだけど。でもじゃあその日にアイラ様と何かあったか?」

 それこそ唾棄すべき相手になるくらいの何かが。

「そういや船に俺がいるとか俺が関係してるようなことも言ってたけど、俺本当に関係あるの?」

 ノエルとアイラ姫、そして俺。

 ノエルは俺を下僕扱いだし、俺は二人を避けているし、アイラ姫は俺を気に掛けているみたいだけどろくに接点もない。
 何がどう関係しているのか今の俺には見当もつかない。
 ノエルは思い出したくもない記憶を嫌々思い起こすように唇を歪めて歯ぎしりさえした。

「あの子から超余裕って態度であの子の部屋に案内されて、そこで気に食わないものばっか自慢げに見せられたからよ」
「何を?」
「壁に掛けられた大きな肖像画からマントルピースに飾られた小さな似顔絵までと、そっくりに模した手作りのマスコットとか人形とかをよ」
「そっくりって、誰に?」
「エイド、に……っ」

 苦々しい顔付きだったノエルはハッとしたように言葉を途切れさせた。

「はあ? ……俺?」
「違うわよ馬鹿! エイドには言いたくないって言おうとしたの! 勘違いも甚だしいって言葉知ってる? お父様があんたの話をする度によく言ってる言葉よ」
「へえ、村長が……」

 手紙は好きかいって声がホラーっぽく甦ってきてぶるりと体が震えた。
 でもさあ何だよそれ。ここまで話しておいてそれかよ。アイラ姫の部屋にあった誰かに似た気に食わない物の数々……気になるな。
 でもその後何度聞いても「あんたに関係ない」「もう訊かないで馬鹿」「頭悪いの?」ってノエルはどうしてかとても頑なだった。
 だからその疑問は俺の中で謎になった。
 そんな話をしているうちに、埠頭に横付けされた船から掛けられた桟橋を伝って、次々と乗船者たちが降りてくる。
 メイヤーさんと師匠と、本当は来て欲しくないけど仮面の三人が俺たちの方に歩いてくるのが見えた。
 中でも子供仮面は途中から駆け出して、大人仮面二人が慌てた様にそれを追ってきた。

「エイドく~ん!」

 ああ俺に逃げ道はない。観念してその場で待っていると、横でノエルが「何よ王女様だからって図々しいわね」って不愉快そうに毒づいた。
 シオンは最早我関せずと悟ってか三角座りをして辞典を開いてページを繰っている。ホントこれでよくノエルにくっ付いてきたよな。他の本を買ってあげるとか餌をチラつかせられたのかもしれない。そしてそんな推測は当たっていたらしいとは後々わかった。

 ともあれ、俺は王女様とどう向き合うべきか。

 船では思い切り逃げたし、前回にしても結構態度が悪かったから少し気まずいのは否めない。
 そんな胸中の俺が微妙に浮かない面持ちで突っ立っている間も、アイラ姫は速度を緩めずにこっちに走ってくる。
 え、ちょっと待ってくれ。どうして速度を緩めないんだ?
 その間にも安心できない勢いで距離はぐんぐん縮まっている。

 いやいやいやこれ突っ込んで来られてる気もしないでもないんですけど?

「エイドく~~~ん!」

 アイラ姫が両手を突き出した。
 そのまま来れば確実に俺に抱き付いてくるだろうそんな様子で。
 いや、抱き付くどころか飛び付いてくるな。
 魔狼から助けた時みたいに。

「えっちょっとアイラさ…」
「ちょっと!」

 避けるべきか受け止めるべきか迷ってまごまごする俺の腕を、ノエルが両腕で抱き締めて思い切り横方向に引く。

 ちょっノエルそっち海……。

 アイラ姫はアイラ姫で目的地点、つまりは俺へと正確に着実にダ~イブ!

 結果、俺は二人からしがみ付かれる形になって横へ後ろへと多々良を踏んで、何歩か踏んだ所でスカッと踵が地面を失った。

「わあああああーーーーッ!」

 メイヤーさんと大人仮面たちは明らかに焦っていた。
 師匠は、まあその気になればいつでも助け出せるからか顔色なんて変えない。
 シオンは辞典に夢中で言わずもがな。
 俺はいきなり過ぎて放心しちゃったから浮遊魔法のふの字も出て来なかった。加えて、きっとこの中で一番絶望的な顔色をしていたと思う。

 女子二人と共に海面に大きな水柱を上げる羽目になった。
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