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第三部
131 盲目の新参者
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「あの二人が例の新入りの姉弟?」
「そうでしょー。見ない顔だしね」
ざわざわと、階段構造の大講堂内に声の波が走る。
うーわ見られてる見られてる~……って私は視覚的には見えてないけど、ひそひそ声もあって明らかに目はこっちに向けられてるのはわかる。視線の気配なんかもね。
ここは神殿組織の中でも一番格式高い中央神殿。もちろん王都にあるわ。
その広い敷地内にある神官の卵たちのための学び舎と言ってもいい三階建ての建物には、用途に合わせて大小幾つもの講堂があるみたい。
この大講堂もそのうちの一つってわけ。
基本的に寄宿棟は男女別だけど講義の際は一緒だから、王国内から集った年齢も容姿も様々な男女の姿が混在しているんだとか。
現在そこの二人の新入りたる私とアーニーは好奇心という名の視線の集中砲火を浴びていた。
因みに、年齢は様々って言っても神殿基準に見合った魔法の才能を開花させる年齢はほとんど皆が幼い頃だって話だから、ここに居る見習い神官の大半は若者で、私よりも年下の子たちも多い。中には見た目五歳のアーニーより少しだけ上なのかなって子もいるんだって。神殿に来てからはそう言った諸々をアーニーが逐一教えてくれていた。
ただねえ、アーニーって言うかアーネストに借りが増えていくみたいでありがたいけど複雑だわ。
「ねえ、あの娘眼帯を巻いているけど、目を怪我しているの?」
「怪我というか、見えないと聞きましたけれど」
「え、そうなの? ああ、だから弟と一緒なのかー。教室には手を引かれて入ってきていたものね」
「それはそうと、ソーンダイク公爵の推薦らしいですよね。しかし姉弟揃って入殿試験は散々だったという話ですよ。きっと忖度されて甘い判定だったのですね」
「あー、コネとか裏口入学みたいな? でもそれで入って意味あるの?」
「たとえ能力が低くても肩書きさえあれば、神殿の外などでは指先一つで下の者に仕事を変わるよう命じられますから。王国軍でも似たような話はよくあるようですよ」
「えー、もしそうなら狡いー」
「なになに何の話だよそれ?」
周囲の男子も女子たちの会話に加わって、勝手な囁きは増していく。
……ああもう、ぐだぐだとうっさいわね。直接こっちに訊きに来たらいいのに。コネどころか半ば強制だったのよって言ったらどんな顔をするかしら。
学校なんかの入学や編入試験に当たる神殿の入殿試験を正式にパスしたから、私は今こうして法衣にも似た裾長の神官服を着てこの場に座っているのよ。しかも何故か一番前の列にね。
生の声で講義するからか存外音響の宜しい大講堂。彼らはわざと聞こえるように言っているわけじゃあないみたい。実際声は潜められている。最近耳に頼るようになって音に敏感になったせいか私が地獄耳なのよね。
彼らのひそひそ話の通り、神官見習いとしての私――田舎娘設定のアイリスが受けた魔法試験は駄目駄目だった……わけじゃない。名誉のために言っておくけども。
今から五日前の神殿に到着した日、眠い目を擦って馬車から降りて門を入ると、何と何とご丁寧にも出迎えの神官たちがいたのよ。
アーネストの、つまりは魔法にも長けた一族であるソーンダイク公爵様の肝入りだと思ったのか、幹部級が三人も出迎えてくれたらしくてちょっとビックリだった。そしてアーニー姿のアーネスト曰く皆五十代、男二人女一人のベテランたちなんだとか。そして神殿の中でもソーンダイク家におもねる側の人たちでもあるみたい。
まあ、神殿内部の神官たちにも実は色々と立場があるみたいだけど、私には正直関係ないからアーネストからその話は詳しくは聞かなかった。
一つ気になったのは、アーネストは神官たちに何かたぶん書類を渡して、それを読んだ神官たちは「ほほう!」「あらあら!」「まあっ……とと、わかりました。くれぐれも彼女に粗相のないようにしましょう」とか頷き合っていたっぽい。彼女って私の事よね? えーと何事?
こそっとアーネストに訊いてみたけど「えーと、念押しです」とわかるようなわからないような答えが返った。神官たちの態度からするとソーンダイク家の比護している者だからくれぐれも宜しく的なものだったのかも。あとは現状目が見えないから配慮するようにとか。
だからなのか通常身元確認って顔を見せるのは必須なのに、眼帯は取らずに済んだ。公爵家で身元は保証するからと大したチェックもなしに入れてもらえたみたいね。ああ神官三人が公爵家側の人間だったのはそういう理由もあったんだわ。
そもそも顔を晒したら私が誰かバレるからそれも当然だったって後ではたと気付いたっけ。
案内されるままに神官たちの後に付いて向かった一室で、アーネストと二人一緒に試験を受けたってわけだった。
アーネストからの情報によれば、清廉な神殿組織のイメージを損なわないような白く清潔な部屋には、だけど娯楽的な一切や余計な物は置かれていなかった。よく言えば整然、悪く言えば殺風景。
部屋の真ん中の台上に測定用の魔法具が幾つか置かれていただけ。
一つは皿に盛られた土を石に変換出来るかを、一つは水盆の中の水を球状に制御出来るかを、一つは蝋燭への点火魔法の威力と速度を、一つは模型の卓上風車を起こした風で回転させる速度を測るためのものだって説明された。
要は地水火風の四大元素に対する属性や傾向、そして基礎的な魔法力を見るって意図があったみたい。
アーネストは魔法試験は不死鳥にさせればいいって言っていたけど、ズルは嫌だったから針を忍ばせて指先を突いて血の魔法を使ったわ。
え? どこから針をって?
ふっ、女怪盗アイリスはいつでも準備万端……なーんてわけはなく、試験部屋まで歩く間にアーネストにおら持ってこいやって命じた。命じたって言っても私の試験なんだから私の方針でやるって耳打ちしただけ。神官たちにはバレずにね。
でもあっさり魔法で針を出してくれたのは意外だったかも。
耳打ちした際に、気配の目測を誤ってうっかり耳に唇を掠めちゃったから、そのせいでうえー汚えなって不快になって、また下手な耳打ちされちゃかなわないってさっさと済ませたかったからかもしれない。
だってあの日は極端に口数が減ったのよねアーニーってば。何だか体温も高かったし。怒ったからよねやっぱり。
ま、こっちとしては最低限の必要な情報を教えてもらえれば余計な会話はしない方がいいから良かったけど、次の日には元に戻っていた。
とにかく、試験は可もなく不可もなく淡々とこなした。
基本的な魔法でも訓練もせず地水火風四つの属性全部を使えるのは貴重な才能らしいけど、威力は弱くした。
下手に注目されないよう特筆すべき何事もなくね。
でもきっとそれが逆に駄目だったんだと思う。
神官たちは、ソーンダイク公爵の推薦だって言う娘が如何ほどの魔法の使い手かを期待していたみたい。
私は立ち会ってくれた彼らをトータル的には大いにがっかりさせたってわけだった。まあそんなのは向こうの勝手よねー。
だからって彼らが悪意を持って噂を流したとは思わない。
試験後に寄宿棟を案内してくれたり、諸々の規則を説明してくれた時は普通に親切だったもの。
きっと落胆の気持ちが隠し切れず顔や態度に滲み出しちゃって、それを見た周囲が要らぬ憶測で駄目駄目だったって烙印を私に捺したんじゃないかしらね。試験結果は公開されないものだから余計に。
「へえー何だそうなのか。普通の入殿志願者だったらお帰り願ってたレベルじゃね? やっぱりこういう時大貴族様の後ろ盾があるといいよな」
声こそ大にしてはいなかったけど、明らかな当てこすりに私は内心カチンときた。
今言った奴、声からして男、顔はわからないけど気配は覚えたわ。後で見てなさいよ。不死鳥にこっそり神官服のお尻部分を燃やしてもらうんだから。円形に焦げ穴が開けばそれでよし。この苛立ちも丸く収まるわ。
「アイリスお姉さん、初めての講義にドキドキですね!」
皮肉が耳に届いているはずなのに、アーニー姿のアーネストは腹を立てた素振りも見せず、私の隣に座って姉の世話役と言うよりは、姉にべったりなシスコンってキャラ設定にしたのか甘えん坊ぶりを発揮していた。
私にしても今は悪口を言った奴に腹が立っていて、こいつにも立てている苛立ちが半減されているのが複雑な所だわ。
「ねえアーニー、あなたは腹が立たないの?」
「うーん? ええとお腹は空きました!」
こそっと訊ねたらそんな立派な答えが返ってきた。何故かハッキリと周囲に聞こえるような声量で。
ふっ、駄目だこいつ。完全五歳児になりきってるわ。次からはポッケにおやつ持ってこい。
入殿試験だってそこそこで通るはずだったのにギリギリまで能力を絞ったみたいだし、一体何を考えているのやら。目立ちたくないって思ってそうしたのかもしれないけど、逆に不相応だって妬みを買ってるじゃないのよもう。
盛大に溜息をついて机に突っ伏す私の耳に女子神官見習いたちの声が聞こえる。
「ねーでもさあ、姉の子の方は眼帯でよくわからないけど、弟の子可愛いよね。天使みたい」
「後でお菓子あげに行こうよ。何かちらっと空腹って聞こえたし」
「うんうん。そうしよう。ありがとうお姉さんってはにかまれたら絶対萌えるわよ」
あーらあらアーネストってば、早速お姉さま方におモテになっているわね。
どうせならそのお姉さま方の部屋にお泊まりすればいいのに。変な意味じゃなく。
講堂内に、講師の神官の入ってくる足音が聞こえた。
がやがやが止む。
やっと初講義開始ね。
「――それでは今日は新たに神殿に入って来た二人の紹介から始めます。アイリスさんとアーニー君、前に出てきてくれるかしら?」
えっ、ええー、ちょっと待って転校生よろしくそんな面倒なことするの?
こんな眼帯巻いた中二キャラ、晒し者でしょー……。
女性神官の声に促され、隣のアーネストが動くのがわかった。
「行きましょうアイリスお姉さん」
彼は無邪気にそう言って私の手を取った。軽く引っ張られて椅子から立たせられ、そのまま先導されて歩かせられる。
きっと学校じゃお馴染みの壇上での自己紹介ってわけよね。
「お姉さん、足元に気をつけ――」
「あっ……!」
「だ、大丈夫ですかアイリスお姉さん?」
「――ふうっ、だ、いじょぶっ」
「あ、そ……ですか」
結論を言えば、段に引っ掛かって盛大にコケかけたのよね。
緊張で足元察知が疎かになっていたみたい。
けど反射神経でどすこいって感じで踏ん張って転ばなかった。女子としては余程豪快な姿勢になったせいか、講堂内は暫しシーンとなったけど。もーっ、しっかりエスコートしてよアーネスト!
そのアーネストが堪え切れずに小さく噴いたのを私は聞き逃さなかった。
いい根性してるわねって憎々しく思っていたら、何と周囲もドッと笑った。これが地球だったらどすこいアイリスって呼ばれてたところだわ。
はあ……何であれ、前途多難な予感しかしない……。
「た、逞しいですね、アイリスお姉さんは」
「じゃかしいわっ、――あ、こほん」
無駄に誤魔化しの咳払いをしながら、私は内心で天を仰いだ。
「そのお話是非ともお引き受け致します! いいえ、絶対にぼくに引き受けさせて下さい!」
ローゼンバーグ家の応接室に特攻の覚悟を決めたが如く少女の声が上がった。
現在室内には二人の男女の姿がある。
ニコル・ローゼンバーグとウィリアム・マクガフィン、彼らだ。
テーブルを挟み対面位置に座する両者は、かつて婚約していた者同士。
しかし、双方には全くこれっぽっちも相手への甘い感情など存在せず、二人共一度たりとも相手に胸が高鳴ったことすらない。
過去の関係がどうであれ、ニコルに代わってなされた長女アイリスとの婚約も正式に解消した現在、世間的には二人はもう何の関わりもない家の者同士だ。
しかし、部屋の外には二人が上手くいくことを未だ諦められずに待機しているメイドたちが、扉に耳を押し付けて中の会話を盗み聞いている。
二人は廊下の者たちに気が付いていたが、どうでも良かったので放置していた。
「ニコル、急な話だったのに、そんな即決で本当に大丈夫なのか?」
「全然大丈夫です。大丈夫でしか有り得ません! ぼくにご提案下さってありがとうございます、ビル兄様!」
ウィリアムは転移魔法をカムフラージュするためにわざわざ馬車を途中から手配して乗り込んで本日この屋敷を訪れた。
普通なら事前に来訪の旨を知らせるのが常識だが、彼は対面のニコルに火急の用件があったのだ。悠長に連絡してからと言う気持ちの余裕がなかった。
未だ行方知れずのアイリスに繋がる手掛かりの探り手として、彼は自分以上にニコルが適していると判断し、その話をした所だった。
――要は、ニコルにスパイとして神殿に入ってもらおうと考えていた。
その方針はマルスにも話し彼の賛同も得ている。
ただマルスは面識のないニコルに多少申し訳なさを感じているようでもあった。自分が行けたなら、と。
アイリスを案じているだろうザックへはニコルの意思を聞いてから報告予定だ。これも、ニコルが抜きん出た治癒魔法の使い手である事実が公になっていないが故だった。
彼女が優れた癒し手というのは噂の域を出ていないのだ。
加えて、その場合ニコルの秘密を公にするという意味でもあるので彼女本人の意思は元より、ローゼンバーグ伯爵たちの同意が必要でもある。
何しろ、伯爵夫婦はアイリスの血の秘密を知っていて隠していた過去があるので、ニコルに関しても彼らの同意なくしては神殿になど行かせてもらえないだろう。
「実を言いますと、今まで両親からは治癒魔法の使い手として能力を正式に世間に明かして、神殿入りをしてはどうかと勧められたこともありました。辞退しましたが……」
「そうなのか。かなり意外だよ。しかし何故辞退を?」
「その……姉様が居りましたので」
「なるほど」
急に気がおかしくなったように頬を染め息を荒くするニコルには驚かず、ウィリアムは落ち着いた目を向けている。
ニコルがアイリスを慕う気持ち、それは南川美琴版アイリス以前の本当のアイリスだった頃も含まれているのだろう。
なるほど、と納得のような台詞を口に出しつつ、ウィリアムにはそこが解せなかった。
かつての悪女アイリスはニコルを疎んじていたはずだ。
世の貴族姉妹の中には利権が絡み、母親が異なるだけでも相手を追い落とし命すら奪おうとする者たちもいる。まあそれは男兄弟でも変わらないが。
(だがここの姉妹は両親とも同じはずだろうに、アイリスがその典型的な性悪令嬢だったんだよな。世の中家族の形は色々だな)
ニコルのされた嫌がらせだって大小を数えれば切りがないだろう。嫌な思いだってさせられたに違いないはずなのに、ニコルという人間はそれでも姉を慕っている。
(今のアイリスになって以降離れ難かったというのなら、わかるが……)
ニコル・ローゼンバーグの賢愚を、ウィリアムは未だに判断しかねている。
ただ、悪い人間ではないのはわかるが、ある意味ではやべえ人間かもしれないとは薄々いや結構思っていたりもした。
もう一つ、ウィリアムとしては伯爵たちが直接ニコルに神殿入りを勧めた事も実のところ意外だったが、ニコルはその方までは察しなかったようなので敢えて指摘もしなかった。
「そうでしょー。見ない顔だしね」
ざわざわと、階段構造の大講堂内に声の波が走る。
うーわ見られてる見られてる~……って私は視覚的には見えてないけど、ひそひそ声もあって明らかに目はこっちに向けられてるのはわかる。視線の気配なんかもね。
ここは神殿組織の中でも一番格式高い中央神殿。もちろん王都にあるわ。
その広い敷地内にある神官の卵たちのための学び舎と言ってもいい三階建ての建物には、用途に合わせて大小幾つもの講堂があるみたい。
この大講堂もそのうちの一つってわけ。
基本的に寄宿棟は男女別だけど講義の際は一緒だから、王国内から集った年齢も容姿も様々な男女の姿が混在しているんだとか。
現在そこの二人の新入りたる私とアーニーは好奇心という名の視線の集中砲火を浴びていた。
因みに、年齢は様々って言っても神殿基準に見合った魔法の才能を開花させる年齢はほとんど皆が幼い頃だって話だから、ここに居る見習い神官の大半は若者で、私よりも年下の子たちも多い。中には見た目五歳のアーニーより少しだけ上なのかなって子もいるんだって。神殿に来てからはそう言った諸々をアーニーが逐一教えてくれていた。
ただねえ、アーニーって言うかアーネストに借りが増えていくみたいでありがたいけど複雑だわ。
「ねえ、あの娘眼帯を巻いているけど、目を怪我しているの?」
「怪我というか、見えないと聞きましたけれど」
「え、そうなの? ああ、だから弟と一緒なのかー。教室には手を引かれて入ってきていたものね」
「それはそうと、ソーンダイク公爵の推薦らしいですよね。しかし姉弟揃って入殿試験は散々だったという話ですよ。きっと忖度されて甘い判定だったのですね」
「あー、コネとか裏口入学みたいな? でもそれで入って意味あるの?」
「たとえ能力が低くても肩書きさえあれば、神殿の外などでは指先一つで下の者に仕事を変わるよう命じられますから。王国軍でも似たような話はよくあるようですよ」
「えー、もしそうなら狡いー」
「なになに何の話だよそれ?」
周囲の男子も女子たちの会話に加わって、勝手な囁きは増していく。
……ああもう、ぐだぐだとうっさいわね。直接こっちに訊きに来たらいいのに。コネどころか半ば強制だったのよって言ったらどんな顔をするかしら。
学校なんかの入学や編入試験に当たる神殿の入殿試験を正式にパスしたから、私は今こうして法衣にも似た裾長の神官服を着てこの場に座っているのよ。しかも何故か一番前の列にね。
生の声で講義するからか存外音響の宜しい大講堂。彼らはわざと聞こえるように言っているわけじゃあないみたい。実際声は潜められている。最近耳に頼るようになって音に敏感になったせいか私が地獄耳なのよね。
彼らのひそひそ話の通り、神官見習いとしての私――田舎娘設定のアイリスが受けた魔法試験は駄目駄目だった……わけじゃない。名誉のために言っておくけども。
今から五日前の神殿に到着した日、眠い目を擦って馬車から降りて門を入ると、何と何とご丁寧にも出迎えの神官たちがいたのよ。
アーネストの、つまりは魔法にも長けた一族であるソーンダイク公爵様の肝入りだと思ったのか、幹部級が三人も出迎えてくれたらしくてちょっとビックリだった。そしてアーニー姿のアーネスト曰く皆五十代、男二人女一人のベテランたちなんだとか。そして神殿の中でもソーンダイク家におもねる側の人たちでもあるみたい。
まあ、神殿内部の神官たちにも実は色々と立場があるみたいだけど、私には正直関係ないからアーネストからその話は詳しくは聞かなかった。
一つ気になったのは、アーネストは神官たちに何かたぶん書類を渡して、それを読んだ神官たちは「ほほう!」「あらあら!」「まあっ……とと、わかりました。くれぐれも彼女に粗相のないようにしましょう」とか頷き合っていたっぽい。彼女って私の事よね? えーと何事?
こそっとアーネストに訊いてみたけど「えーと、念押しです」とわかるようなわからないような答えが返った。神官たちの態度からするとソーンダイク家の比護している者だからくれぐれも宜しく的なものだったのかも。あとは現状目が見えないから配慮するようにとか。
だからなのか通常身元確認って顔を見せるのは必須なのに、眼帯は取らずに済んだ。公爵家で身元は保証するからと大したチェックもなしに入れてもらえたみたいね。ああ神官三人が公爵家側の人間だったのはそういう理由もあったんだわ。
そもそも顔を晒したら私が誰かバレるからそれも当然だったって後ではたと気付いたっけ。
案内されるままに神官たちの後に付いて向かった一室で、アーネストと二人一緒に試験を受けたってわけだった。
アーネストからの情報によれば、清廉な神殿組織のイメージを損なわないような白く清潔な部屋には、だけど娯楽的な一切や余計な物は置かれていなかった。よく言えば整然、悪く言えば殺風景。
部屋の真ん中の台上に測定用の魔法具が幾つか置かれていただけ。
一つは皿に盛られた土を石に変換出来るかを、一つは水盆の中の水を球状に制御出来るかを、一つは蝋燭への点火魔法の威力と速度を、一つは模型の卓上風車を起こした風で回転させる速度を測るためのものだって説明された。
要は地水火風の四大元素に対する属性や傾向、そして基礎的な魔法力を見るって意図があったみたい。
アーネストは魔法試験は不死鳥にさせればいいって言っていたけど、ズルは嫌だったから針を忍ばせて指先を突いて血の魔法を使ったわ。
え? どこから針をって?
ふっ、女怪盗アイリスはいつでも準備万端……なーんてわけはなく、試験部屋まで歩く間にアーネストにおら持ってこいやって命じた。命じたって言っても私の試験なんだから私の方針でやるって耳打ちしただけ。神官たちにはバレずにね。
でもあっさり魔法で針を出してくれたのは意外だったかも。
耳打ちした際に、気配の目測を誤ってうっかり耳に唇を掠めちゃったから、そのせいでうえー汚えなって不快になって、また下手な耳打ちされちゃかなわないってさっさと済ませたかったからかもしれない。
だってあの日は極端に口数が減ったのよねアーニーってば。何だか体温も高かったし。怒ったからよねやっぱり。
ま、こっちとしては最低限の必要な情報を教えてもらえれば余計な会話はしない方がいいから良かったけど、次の日には元に戻っていた。
とにかく、試験は可もなく不可もなく淡々とこなした。
基本的な魔法でも訓練もせず地水火風四つの属性全部を使えるのは貴重な才能らしいけど、威力は弱くした。
下手に注目されないよう特筆すべき何事もなくね。
でもきっとそれが逆に駄目だったんだと思う。
神官たちは、ソーンダイク公爵の推薦だって言う娘が如何ほどの魔法の使い手かを期待していたみたい。
私は立ち会ってくれた彼らをトータル的には大いにがっかりさせたってわけだった。まあそんなのは向こうの勝手よねー。
だからって彼らが悪意を持って噂を流したとは思わない。
試験後に寄宿棟を案内してくれたり、諸々の規則を説明してくれた時は普通に親切だったもの。
きっと落胆の気持ちが隠し切れず顔や態度に滲み出しちゃって、それを見た周囲が要らぬ憶測で駄目駄目だったって烙印を私に捺したんじゃないかしらね。試験結果は公開されないものだから余計に。
「へえー何だそうなのか。普通の入殿志願者だったらお帰り願ってたレベルじゃね? やっぱりこういう時大貴族様の後ろ盾があるといいよな」
声こそ大にしてはいなかったけど、明らかな当てこすりに私は内心カチンときた。
今言った奴、声からして男、顔はわからないけど気配は覚えたわ。後で見てなさいよ。不死鳥にこっそり神官服のお尻部分を燃やしてもらうんだから。円形に焦げ穴が開けばそれでよし。この苛立ちも丸く収まるわ。
「アイリスお姉さん、初めての講義にドキドキですね!」
皮肉が耳に届いているはずなのに、アーニー姿のアーネストは腹を立てた素振りも見せず、私の隣に座って姉の世話役と言うよりは、姉にべったりなシスコンってキャラ設定にしたのか甘えん坊ぶりを発揮していた。
私にしても今は悪口を言った奴に腹が立っていて、こいつにも立てている苛立ちが半減されているのが複雑な所だわ。
「ねえアーニー、あなたは腹が立たないの?」
「うーん? ええとお腹は空きました!」
こそっと訊ねたらそんな立派な答えが返ってきた。何故かハッキリと周囲に聞こえるような声量で。
ふっ、駄目だこいつ。完全五歳児になりきってるわ。次からはポッケにおやつ持ってこい。
入殿試験だってそこそこで通るはずだったのにギリギリまで能力を絞ったみたいだし、一体何を考えているのやら。目立ちたくないって思ってそうしたのかもしれないけど、逆に不相応だって妬みを買ってるじゃないのよもう。
盛大に溜息をついて机に突っ伏す私の耳に女子神官見習いたちの声が聞こえる。
「ねーでもさあ、姉の子の方は眼帯でよくわからないけど、弟の子可愛いよね。天使みたい」
「後でお菓子あげに行こうよ。何かちらっと空腹って聞こえたし」
「うんうん。そうしよう。ありがとうお姉さんってはにかまれたら絶対萌えるわよ」
あーらあらアーネストってば、早速お姉さま方におモテになっているわね。
どうせならそのお姉さま方の部屋にお泊まりすればいいのに。変な意味じゃなく。
講堂内に、講師の神官の入ってくる足音が聞こえた。
がやがやが止む。
やっと初講義開始ね。
「――それでは今日は新たに神殿に入って来た二人の紹介から始めます。アイリスさんとアーニー君、前に出てきてくれるかしら?」
えっ、ええー、ちょっと待って転校生よろしくそんな面倒なことするの?
こんな眼帯巻いた中二キャラ、晒し者でしょー……。
女性神官の声に促され、隣のアーネストが動くのがわかった。
「行きましょうアイリスお姉さん」
彼は無邪気にそう言って私の手を取った。軽く引っ張られて椅子から立たせられ、そのまま先導されて歩かせられる。
きっと学校じゃお馴染みの壇上での自己紹介ってわけよね。
「お姉さん、足元に気をつけ――」
「あっ……!」
「だ、大丈夫ですかアイリスお姉さん?」
「――ふうっ、だ、いじょぶっ」
「あ、そ……ですか」
結論を言えば、段に引っ掛かって盛大にコケかけたのよね。
緊張で足元察知が疎かになっていたみたい。
けど反射神経でどすこいって感じで踏ん張って転ばなかった。女子としては余程豪快な姿勢になったせいか、講堂内は暫しシーンとなったけど。もーっ、しっかりエスコートしてよアーネスト!
そのアーネストが堪え切れずに小さく噴いたのを私は聞き逃さなかった。
いい根性してるわねって憎々しく思っていたら、何と周囲もドッと笑った。これが地球だったらどすこいアイリスって呼ばれてたところだわ。
はあ……何であれ、前途多難な予感しかしない……。
「た、逞しいですね、アイリスお姉さんは」
「じゃかしいわっ、――あ、こほん」
無駄に誤魔化しの咳払いをしながら、私は内心で天を仰いだ。
「そのお話是非ともお引き受け致します! いいえ、絶対にぼくに引き受けさせて下さい!」
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ニコル・ローゼンバーグとウィリアム・マクガフィン、彼らだ。
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しかし、双方には全くこれっぽっちも相手への甘い感情など存在せず、二人共一度たりとも相手に胸が高鳴ったことすらない。
過去の関係がどうであれ、ニコルに代わってなされた長女アイリスとの婚約も正式に解消した現在、世間的には二人はもう何の関わりもない家の者同士だ。
しかし、部屋の外には二人が上手くいくことを未だ諦められずに待機しているメイドたちが、扉に耳を押し付けて中の会話を盗み聞いている。
二人は廊下の者たちに気が付いていたが、どうでも良かったので放置していた。
「ニコル、急な話だったのに、そんな即決で本当に大丈夫なのか?」
「全然大丈夫です。大丈夫でしか有り得ません! ぼくにご提案下さってありがとうございます、ビル兄様!」
ウィリアムは転移魔法をカムフラージュするためにわざわざ馬車を途中から手配して乗り込んで本日この屋敷を訪れた。
普通なら事前に来訪の旨を知らせるのが常識だが、彼は対面のニコルに火急の用件があったのだ。悠長に連絡してからと言う気持ちの余裕がなかった。
未だ行方知れずのアイリスに繋がる手掛かりの探り手として、彼は自分以上にニコルが適していると判断し、その話をした所だった。
――要は、ニコルにスパイとして神殿に入ってもらおうと考えていた。
その方針はマルスにも話し彼の賛同も得ている。
ただマルスは面識のないニコルに多少申し訳なさを感じているようでもあった。自分が行けたなら、と。
アイリスを案じているだろうザックへはニコルの意思を聞いてから報告予定だ。これも、ニコルが抜きん出た治癒魔法の使い手である事実が公になっていないが故だった。
彼女が優れた癒し手というのは噂の域を出ていないのだ。
加えて、その場合ニコルの秘密を公にするという意味でもあるので彼女本人の意思は元より、ローゼンバーグ伯爵たちの同意が必要でもある。
何しろ、伯爵夫婦はアイリスの血の秘密を知っていて隠していた過去があるので、ニコルに関しても彼らの同意なくしては神殿になど行かせてもらえないだろう。
「実を言いますと、今まで両親からは治癒魔法の使い手として能力を正式に世間に明かして、神殿入りをしてはどうかと勧められたこともありました。辞退しましたが……」
「そうなのか。かなり意外だよ。しかし何故辞退を?」
「その……姉様が居りましたので」
「なるほど」
急に気がおかしくなったように頬を染め息を荒くするニコルには驚かず、ウィリアムは落ち着いた目を向けている。
ニコルがアイリスを慕う気持ち、それは南川美琴版アイリス以前の本当のアイリスだった頃も含まれているのだろう。
なるほど、と納得のような台詞を口に出しつつ、ウィリアムにはそこが解せなかった。
かつての悪女アイリスはニコルを疎んじていたはずだ。
世の貴族姉妹の中には利権が絡み、母親が異なるだけでも相手を追い落とし命すら奪おうとする者たちもいる。まあそれは男兄弟でも変わらないが。
(だがここの姉妹は両親とも同じはずだろうに、アイリスがその典型的な性悪令嬢だったんだよな。世の中家族の形は色々だな)
ニコルのされた嫌がらせだって大小を数えれば切りがないだろう。嫌な思いだってさせられたに違いないはずなのに、ニコルという人間はそれでも姉を慕っている。
(今のアイリスになって以降離れ難かったというのなら、わかるが……)
ニコル・ローゼンバーグの賢愚を、ウィリアムは未だに判断しかねている。
ただ、悪い人間ではないのはわかるが、ある意味ではやべえ人間かもしれないとは薄々いや結構思っていたりもした。
もう一つ、ウィリアムとしては伯爵たちが直接ニコルに神殿入りを勧めた事も実のところ意外だったが、ニコルはその方までは察しなかったようなので敢えて指摘もしなかった。
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※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
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「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
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