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第二部

127 聞きたくなかった名前

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「な、何で知って……ってあああ!」

 咄嗟に誤魔化すこともできずに、正直者の私ってば油断ならない相手にウィリアムの大事な秘密までをまんまと認めちゃったわ。
 私自身の身の上だけならまだしも、ホント何やってるのよ私のバカバカバカ!

「もっと言えば、アイリスお姉さんは本当は美琴という女性ですよね? ウィリアムお兄さんは葵という男性で、二人は地球での知人でもある」

 いやーっ!
 どどどうしてそんなことまで知ってるの!?

「もっもしかして、転生云々に関わるにあたってこっちには何の誰それが転生してるとか言った有益な情報でももらったの? それとも攻略本的な説明役がいるとか……?」
「……? そんなチートみたいなものはないですよ」
「え、ああそう」

 チート……。
 日記はチートに含まれるのかしら……。いや、ないわー。
 だってあいつってば、あいつってば……。
 如何なる理由があっても途中で職務放棄だなんて怠慢するような奴よ。そんなでどの口が「えぬぴーしー!」だなんて言うのよ、ええ?
 ……ううん、また呑気に言いなさいよ。あの貧相な落書き口で。
 目の前に居たら思い切り詰ってやった所だけど、王都に置いてきたままだった。
 ここに来てからこれまでも考えないわけじゃなかったけど、思い出したらやっぱり少ししんみりした気分になっちゃったわ。
 アーネストはそんな私の気も知らず、むしろ私の動転が楽しいのか「ふふふ」と得意気に笑う。

「どうして知っているのかと言いますと、公開処刑の時にお二人の会話がちらっと聞こえたんです。美琴と葵って呼び合っていましたよね」
「ほうほうなるほどー……ってそれはちらっと聞こえたんじゃなくて盗み聞きって言うのよ!」

 しかも魔法ででしょ? 全く気付かなかったわよ。ホント悪趣味よね。

「そうとも言いますね」

 余裕で開き直った声を出すから余計に腹が立つ。

「私たちが転生者だって知って何か脅しをかけてくるつもりなの? でもそんなのあなたもなんだし、自分の首を絞めるようなものよ」

 半ば緊張に意識を巡らせていると、予想に反してアーネストは私の両手を握ってきた。
 手の大きさは依然子供バージョンだったけど、予期せぬ急な接触に私はビクッと両肩を震わせた。

「な、何? 放してよ」

 気配察知に敏感にはなったけどまだまだ経験不足だから、相手にいきなり動かれるのは避けられない。
 肩先の不死鳥から炎の上がる音がして、きっと火球か何かの魔法を放ったんだろうけど、アーネストは難なくそれを相殺したみたい。空気を揺らめかした炎の音は掻き消えた。
 不死鳥も私の命の危険ってわけじゃないのを嗅ぎ取っているのか、本気の攻撃じゃなかったのかもしれない。

「ふう、短気な不死鳥ですよね」
「あなたのせいでね」
「それもそうですね。ところでアイリスお姉さんは、美琴は美琴でも――南川美琴でしょう?」
「ええ、それが? ……ってどうして名字まで知ってるの? ギロチン前でそこまで言ったっけ?」
「……やっぱり思った通りでした」

 可愛いアーニーの声なのに、この一瞬だけはどうしてか背筋が震えた。

 それに「やっぱり」ってどういう意味?
 笑い含んだ声の底に言い知れない感情の渦を感じた気がしたけど、混乱しかけた意識が大袈裟に聞こえさせただけかもしれない。

「冗談抜きに、どうして知ってるの?」

 再度の私の問いには答えずに、アーネストは私の手を握ったまま言葉を続ける。

「ウィリアムお兄さんの方は、星宮葵。違います?」

 違わない。

「もしかしてローゼンバーグの屋敷も盗聴してたの?」

 いちいち会話を全部は覚えていないけど、そこでだったら口にしたかもしれないわ。

「今思うとそうしておけば良かったのにとは思います。そうすればもっと早くにこんな面白い真実にも気付けました。ですが仕掛けた魔法の結果を知るだけで十分だと思っていましたから……」

 面白い真実……?

「だったらどうして名字まで知ってるの?」

 いくらアーネストが転生者でも普通はそこまで知っているわけがない。

 私の名字も葵の名字も日本に十軒しかないなんて珍しいものじゃないけど、当てずっぽうで的中するほど、そこまでよく耳にするものでもない。仮に私の南川が当たったとしてももう片方の星宮までを当てるのは至難の業よね。

「……どうしてだと思います?」

 勿体を付けるように反問されて、何だか心がざわついた。
 早く答えを知りたいと焦るようでいて、反面知りたくない気持ちも込み上げる。
 まさか読心魔法を使えるとか?

 そうでないなら、美琴と葵って名前のセットから連想される名字に心当たりがあった。

 つまりは、――元々知っていた。

 なーんて……。
 私の日記的なチートもないって言うなら、最もあり得る可能性としては、アーネストに地球の知識を齎した転生者が私たちを知っていたって考えるのが妥当よね。
 自らの推理を胸に、私は我知らずゴクリと咽を鳴らしていた。

「質問を変えるわ。……あなた、誰?」
「アーネスト・ソーンダイクです」
「ああそうよね、あなたがアーネストってのは重々わかってるわよ。そうじゃなくて、あなたの場合、地球の知識って言うか転生者の記憶も引き継いでいるってことでしょ。その記憶の主は誰かって訊いてるのよ」
「ああ……」

 それね、と直後に言ったと同時に私の手を握っていた指先が急激に骨ばった。

 もう子供の手じゃない。戻ったんだわ。

 大人の生け簀かない男に手を握られている趣味なんてないから手を引っ込めようとしたけど、逆にぎゅっと握り込まれて阻まれた。何なのよもう。

「アイリスは、元々の魂がそう簡単に情報だけをくれると本当に思うかい?」
「え?」
「私は確かに記憶を引き継いでいるけど、本当は引き継ぐと言うのとは少し違う。本来なら転生者がこの体を動かしていただろうからね。だけどそうはならなかった。どうしてだと思う?」
「……私にわかるわけないじゃない」

 嘘。予想は付いた。
 大方、アーネストがどうにか転生者の意識を抑え込んでいるんでしょうよ。
 でも、そんな状態で自我を保っていられるものなの?
 私だったら抵抗って言うか表に出せって五月蠅く激しく自己主張すると思うけど。

「……もしかして、実は交互に意識が表に出てるとか?」

 わかるわけがないって言っておいて憶測を口にしたら、軽やかな口調で「外れ」ですって。

「話すと少し長いんだけど、聞きたい?」

 手を放してくれない辺り、聞いてくれって駄々を捏ねられている気分だわ。
 若干仕方なしに頷けば、彼は素直に話し出した。
 私の知らなかったあれこれを……。

「――何、それ……家族に、殺されかけた……?」

 それは、思いもかけない事実だった。

「まあね。その時に本当なら私は死んでいたらしいね」

 軍医の復讐の理由は知っていたけど、アーネストの事情をここに来て私は初めて知った。
 先に手を下したのは向こう、軍医の妹たちの方だった。
 白雪姫でもそうなように、義理の母親から殺されそうになるまでには、他にも沢山嫌なことがあったに違いない。アーネストであるのを忘れていた頃のアーニーを思い出せば、そんな彼に起こった悲劇に胸が痛くなった。

 ただ、思わず握られた手を握り返しそうになったけど、こいつはワル魔法使いのアーネストなんだって思い出して指先を強張らせて何とか堪えた。

 同情して握り返したら、何となく駄目だと思ったから。

「だけど、結局私はこうして自分自身として生きている」
「もう転生者の意識に煩わされたりしないの?」

 アーネストが咽の奥でくっと低く嗤った。

「ないよ。何故なら私は転生者の魂を食ったんだから」
「食っ……え?」
「そしてその知識を自分のものとして消化した。もう転生者の魂はこの世のどこにもいない。だから頭の中で煩わしく叫ばれる心配もないよ」
「な……」

 落ち着いたと言うよりは淡々とした無感動な声で告げられた真実には、さすがに驚いて……ううん慄いて、言葉が出なかった。
 もしも転生時にアイリスの魂が残存していたら、私もそうなっていたかもしれないと思ったら肝が冷えた。

 でも、魂を食べたって……そんなことがあり得るなんて。

「勿論、最初は激しくせめぎ合ったよ。でも死にたくなくてあの頃の無知で愚かだった私も必死になったんだろうね。他者の魂を食らった根源的な気持ち悪さはあったけど」

 何かまるで他人事のような言い様よね。そのくせ、無意識なのか強がりみたいに握る手には少し力を込めるなんて、全く面倒な性格してるわ。

「おぞましいと思うかい? 思うだろうね。私も自分でそう思うよ」

 早く手を放してって思うのに、縋られているようにも感じて振り解けない。

 同情から、嫌いなのに心から嫌えないってやつよね。

 だってこのソーンダイク公爵家の一連の事件には情状酌量の余地がある。一方的にアーネストだけが悪いわけじゃなかった。

 地下墓所で、どんなアーニーでも嫌いにならないって約束しちゃったせいもあると思う。でもあのアーニーならって前提条件があるからこの大人アーネストは対象にはなりませーん……って出来たら良かった。
 どうしてか今の彼はあの純心アーニーだって感じるのよ。心の傷口を放置して化膿しちゃったらこうなるのかもね。
 ……ああもうほだされてるーっ、傷心してるかもわからないのに私ってば馬鹿。もっと冷酷に割り切れたら良かったのに……。

「とにかく、私は転生者を滅ぼした」

 アーネストが顔を近付けたのが吐息の近さでわかった。

 えっ近っなにっ!?

 思わずぎょっとして身を引いたけど、私は椅子に座っているからそう距離を取ることもできない。

「ちょっと!」

 まっ今度こそ思い切って手を振り払ってやったけど。
 しかもさりげにムカつくのは、キスシーン前にミントガムでも噛んだ俳優かってくらいに息が爽やかな所よ。そういえばウィリアムも口臭は爽やかだったけど、この世界のイケメンって皆そうなの? 口内細菌どうなってるのよ?
 ……っていやいやいやこんな状況で余計なことは考えるな私っ。

「変なことしたらミントの葉っぱを頬がパンパンになるまで詰め放題してやるわよ。庭の鉢植えに植えてあるんですってね。取ってきてもらうんだから」
「……生憎とミントの葉っぱは直接食べるより、水出しで香りを楽しむ程度が好みかな」

 ハムスターほっぺの刑に処されるのは御免だと思ったのかもしれない、少し距離が出来たようね。よかったわ。

「まあでも食べたとしても他者の魂を食らうよりは余程美味しいとは思うけどね。ああそれより本題に戻ろうか。私が食べたあの転生者はね、――蘇芳すおうあきという名の男だった」
「…………何……ですって……?」
「君が聞きたかったのはこれだろう?」

 それはその通りだったけど、私の全ての思考はこの一時、見事にフリーズした。
 意識はしていなかったけど、両目をこの上なく大きく見開いていたに違いない。

「蘇芳……秋、ですって?」

 どんどんと血の気が引いて行く。

 葵と別れる原因ともなった、いかがわしいフェイク画像。

 その送り主が、蘇芳秋だ。

「じ、冗談――」
「だと思う?」

 私は唇を噛み締めた。
 どうして、どうして彼まで……。

 もう魂は消えたって話だけど、どうしてこうも偶然が重なるの?

 ――――偶……然……?

 本当にそう?

 ううん、違う……のかも。

 私たちは、何者かの遊戯盤の上で踊らされる不運な駒なのかもしれない。

「ウィリアム……葵……っ」

 懇願するような小さな呟きが漏れた。
 そのたった一人を秘めるように、両手を胸に押し当てて握り締める。

 今すぐあなたに会いたいって、心の底から思ってる。
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