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第二部
98 転がり落ちる日常3
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厨房に戻れば、兵士を後ろ手に縛って転がしてからウィリアムは医者を連れに行ってくれたらしく、未だ昏倒している兵士がザックの横に仲良く並んでいるのを見た時はぎょっとした。
医者を待つ間、応急処置としてマルスと二人でザックに包帯をぐるぐるときつめに巻き付けたものの、ザックは痛みに疲れたのかまた気を失ったから焦ったわ。
程なくウィリアムが近所の医院から医者を連れてきて、そこまで心配しなくても大丈夫って診断してくれた時は力が抜けたものだった。
医者は医院からの人手と共に患者ザックを担架に乗せて運んで行く。
ザックが見た目ほど深刻じゃなかったのは不幸中の幸いだわ。だから気分もだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「ありがとうウィリアム」
「僕からも礼を言う。本当に助かった」
私とマルスが口々に感謝を告げ、ザックに付き添うつもりで厨房から出て行く担架に続こうとすると、
「後は医院の方で処置してくれるだろう。付き添いたいのはやまやまだろうが、その前に知っている事情を聞かせてもらおうか」
壁に寄り掛かり、表情を厳しいものにしたウィリアムが私たちの行動を言葉だけで止めた。
確かにそうだった。再会早々に騒動に巻き込んだ感は否めなく、連絡云々とはまた別種の申し訳なさが胸に渦巻いた。
「それが実は、私も混乱してるのよね」
私は真っ直ぐにウィリアムを向いて言って、床に横たわる警備兵を見下ろす。……結構派手に吹っ飛んでたけどこの人こそ大丈夫かしら。まあけど息はしてるから自然に気が付くまでは放置でいっか。
「この人の動機に見当が付かないのよ。私が知っている限りザックと険悪なムードになったとこは見たことなかったし、トラブルの話を聞いたこともなかったから」
「僕たちを襲ったのも解せない」
「そうよね。何もしてないのに……。ああ、目撃者を口封じするつもりだったとか?」
「その可能性も否定はできない。けど、あんたはこいつがそこまで悪人だと思うか?」
悩んだように意見を口にするマルスには同感だわ。
「そうなのよね。道端でも普通に仲良く世間話とかアーニーの話を…………ああっ!」
あの子の存在をようやく意識に上らせた私は思わず叫んで口に手を当てた。
瞠目して同じような顔付きになったマルスと顔を見合わせる。
彼もすっかり忘れていたみたい。
「そうよ、アーニーは!? マルス、アーニーを見た?」
「見てない。そこまで見ている余裕もなかったし」
「もしかして怖い人が来たからって怯えてまだ部屋に隠れてるのかも。見てくるわ」
「僕も行く」
住居側へと踵を返せば背中にウィリアムの不満そうな声が届いた。
「アーニー? もう一人誰かいるのか?」
「ええ、幼稚園くらいの男の子なんだけど、ここで面倒を見てるのよ。可愛いのよこれがまた~」
気は焦りつつもデレると、ウィリアムは何だか呆れ目になった。
そうかと思えばにやりとする。
「ふうん。気の早い子育ての予行練習か? 子供が欲しいならこっちはいつでもいいぞ?」
「ばっ……ばっかじゃないの!」
んもうこの男はこんな時でも冗談かますなんてどうかしてるわ。マルスの前だし恥ずかしいじゃないの。
「それじゃあ早くその子を見つけてくるといい。突き出す前に俺はちょっとこの兵士を調べる」
壁から背を離したウィリアムは、さっさと気絶中の兵士の脇にしゃがみ込んで何かを検分し始めたから、こっちもこっちでボケっと眺めているわけにもいかないわってハッとした。
「わ、わかったわ。行こうマルス」
憮然とした面持ちで無言で頷いたマルスと一緒にアーニーを捜しに行きながら、私は内心で首を傾げた。
でも、調べるって?
あの人普通に王都警備兵でしょ。しかも意識ないから供述だって取れないだろうし。
因みに、いつも同僚とバディを組んで巡回なり何なりしているけど、今日はこの兵士一人だ。もう一人はいないのかしら。まあいても敵側なら困るけど。
やっぱり私怨……?
何であれ、是非とも早く直接本人から動機を聞きたいわね。
「こっちの部屋にはいない」
「こっちもよ」
結局、マルスとアーニーの共同部屋から始めて、この建物の住居側店舗側の全ての部屋を捜したけど、アーニーの姿はなかった。
「裏庭の方にもいなかったし、危険を察知してどこか外に逃げたなら、それはそれでいいんだけど……。近所のお宅に逃げ込んだなら、騒ぎになっていないのもおかしいから、その線もなさそうよね」
「そう思う」
「近所の道はある程度知っているにしても、まだどこかに隠れてたりもしも迷子になってるなら、早く見つけてあげないと」
小さく頷くマルスと裏口から出て、そこから通じる路地の左右を見回した。昼間だから人通りはあるけど案の定アーニーの姿は見当たらない。
「通行人の誰かに訊いてみるわ」
そう決めて歩き出そうとすると、
「アイリ……リズ、待って」
さっきまでは散々アイリスの名で呼んでたのに、マルスは最も近隣の住人に万一にも聞かれる危うさを考慮してか、律儀に言い直した。
何か私に話があるみたいね。
マルスの前に立って続きを促せば、彼は何を思ったか頭を下げた。
「改めて、ごめん。あと庇ってくれたこと、感謝してる。僕が不甲斐ないせいであんたにまで怪我をさせる所だった」
「何かと思えば……その話ならもういいじゃない」
「良くない。僕だってあんな風に……あんたの恋人みたいに颯爽と護りたかった」
「護りたかったって……」
この子は何でこうなのよ。もどかしいわね。
どうしてそこまでして私を護ってくれるの?
思えば初めからそうだった。
「ううーん、マルス、これは言ったら怒るかもしれないけど敢えて言わせてもらうわ。いくらお母さんの遺言の通りだからって、その言葉にあなたの人生を縛られるのは違うと思う。さっきだってこうして無事だったから良かったけど、庇った私を更に庇ってくれて、あなた本当に紙一重で危なかったのよ。兵士が気を変えて剣を下ろしたから斬られずに済んだってわかってる? 私なんかのためにあなた自身を犠牲にしないで」
するとマルスは自分のことみたいにムッとした。
「私なんかって言うな」
「……今のは言葉の勢いよ。別にそこまで自分を卑下してないから安心して。まあ世間的には嘆きたくなる程に私ってば悪女様だけど」
「ならいいけど、僕はあんたが悪女だろうと逃亡者だろうと……それとは正反対の何かだろうと何だろうと関係ない。何せ僕は悪名高き山賊だしな」
「あ、あー……そう言われてみれば」
ところで正反対って?
よくわからないけど、マルスとは同じ穴のムジナって程じゃあないにしろ、世間からすれば同類だから気を遣うなって言いたいのかしらね。確かにその通りだわ。うんうん。
「それに、僕には憧れているものがあるんだ」
「え、憧れ?」
唐突な話題の転換に、私は目を瞬いた。
話の続きをと待っていれば、彼は腰に戻していた剣を抜いて、何故か目の前で跪いた。
「えっちょっと何してるの?」
驚く私には構わずに、マルスは抜き身の剣を両手で捧げ持つようにする。
それまでは普通に通り過ぎていた通行人たちも気になったのか目を向けてきていた。
「ねえってば、ホントに何? どうしたの?」
冗談っぽく、まるで騎士が忠誠を誓うみたいだわなんて心の片隅で思っていると、本当に剣を私に捧げるような格好のままマルスは顔を上げた。
澄んだ青灰の瞳で真っ直ぐに見上げてくる。
「その憧れには絶対届かないけど、それでもずっとずっと小さな頃から抱いていたたった一つの夢だ」
「それは何よりね。将来何をしたいか明確な意思を持ってるって大事よ」
マルスはその綺麗な瞳の奥で、無自覚にもきらりと何か眩しくて尊いものを閃かせたように見えた。
「――僕は騎士になりたい。物語の中みたいに、たった一人の、この世で唯一の、僕だけの姫を護る騎士に」
そう語ったマルスは気負いとか遠慮とか羞恥なんて一つもなくて、ただただ堂々としている。
英雄に憧れる男の子らしい発想というか、マルスの律儀な性格ゆえの選択というか、山賊からは直接結び付かないような職業だけど、彼にとてもピッタリだって思う。
騎士だなんて、まさに時々ふとそう感じていたことでもあったしね。
そんな少年が生き生きとして私に剣を捧げようとしてくれている。
唖然としてしまった私の様子にか、マルスはちょっと苦笑した。
「まあ、騎士とは言っても、正式な王国騎士は無理だから、これは騎士の真似事だけど……」
「無理って、どうして? そんなのやってみないとわからないわ。挑戦もしないで諦めるの?」
「王国騎士なんて貴族の子弟がほとんどで、下層民には土台無理だろ」
「それって……マルスは正式な資格が欲しいってこと? 資格がないと王国の騎士じゃないって思ってるの?」
「……それはどういう意味?」
心底訝るように眉を寄せる相手へと、私は心に浮かんだままを告げてやる。
「あなたが真実命を懸けて誰かを護ると誓うなら、その瞬間にあなたはもうその誰かの立派な王国騎士よ。身分とか資格とかそんなハリポテだけがあったって、誠実がなければ騎士ってことにはならないと私は思うわ。大事なのは心でしょ? 違う?」
マルスはハッとしたように目を見開いた。
「違わ、ない……」
「まあでも、どうしても肩書きが欲しいなら、入軍には正式な身分証明が必要だろうけど、その手の証明書ならザックに頼めばどうにか無難な物を用意してくれると思う。……まあ違法だけど。あなたのお父さんはそういう点も含めてザックの所に私たちを送ったんだと思うわよ」
「……」
マルスも同感なのかそこは否定はしなかった。
「叩き上げで王国騎士を目指す気なら、私は全力で応援するわ」
「……本当に? 本気で僕が目指しても? 頑張ればなれると思うか?」
「ええ! 無責任に肯定するなって思うかもだけど、あなたの信念を貫けば実現可能だって私は私の中であなたへの確信があるもの。いつかカッコイイ騎士専用の制服を着たマルスを見たいわ」
本人じゃない私の方が自信満々にしっかりと笑みを作れば、本人の方は言葉を反芻するようにしてからやっと微笑を唇に乗せた。
「……あんたがそういうなら、大丈夫な気がする」
ふふっ自信喪失しなくて良かった~……って、そうだわ、いつまでもこんな目立つままでいられないわ。そう思ってマルスに手を差し出した。
「ほらほら立って立って。私は姫って柄じゃないわよ」
「……あんたは、本当にそう思うのか?」
「え?」
だけどマルスは手を取らず依然として私へと目を上げたまま、やっぱり剣を差し出してきた。
「こんな大変な時だけど、こんな時だからこそあんたに誓っておきたい。この先、もう僕があんたを護ってもあんたが変に気に病まないように、その関係が当たり前だって思ってもらえるように、誓いを立てたい。騎士になれるって言ってくれたあんただからこそ、余計に今ここで」
専属の護衛なんて言い方をすればお金持ちのお嬢様って印象だけど、マルスのこれはもっとロマンチックだ。
純粋に大事に想い信じ敬い、相手からも信頼されて慈しまれる、そんな乙女の理想みたいな素敵な主従像が心に浮かんだ。
揺るぎない眼差し、微かな笑みを湛える端正な面差し、全幅の信頼を寄せられているって感じる彼を包む濁りのない清冽な空気。
我知らず、頬が熱くなった。
だってこんなの、ドラマなんかの下手な求婚シーンよりも余程……くるじゃない。
恋愛感情ってことじゃない。
でも率直に言って、嬉しい。
ここまで慕ってくれているって気持ちを曝け出されて、さすがにかなり照れる。
騎士の叙勲って、ここで剣を一旦受け取って剣の腹でマルスの肩に触れたりして返すんだったっけ?
だけど、そもそも本当に私でいいの?
これからの未来で、マルスがもっと心酔する最愛の主君に出会うかもしれないのに?
「……」
彼の気持ちを無下にしたくない。だけど……。
私は剣を一度受け取って口元を引き締め、その緩みのない眼差しの下でぎゅっと握りしめただけにして、返した。
しきたりをよく知らないってのもあったし、騎士任命の所作というものをほとんどしなかった。
「それじゃ当分は私が予行練習の相手になってあげる。マルスが剣を捧げる護衛対象として護られてあげようじゃないのよ」
彼が何かを言う前に私は自身の腕を組むと、さも偉そうな様子で斜に構えた。
私が敢えて正式っぽい動きを避けたって気付いたかどうかは知らないけど、マルスはどこか困惑したような顔をしてゆっくり立ち上がると受け取った剣を収めた。
「あらなあに~その顔? やっぱり私じゃ役不足だって後悔したー?」
「違う、けど……予行練習って……」
マルスってば変な言葉でも聞いたかのようにぷっと噴き出した。
「あんたって、真面目に変な人だよな」
「ちょっと真面目に変って何よ。こんな親切なお姉さんを捕まえて失礼ね」
はははっとマルスは珍しく声を立てて愉快そうに笑った。
そして一頻り笑ってからこっちを見つめて片手を伸ばす。
「僕はあんたがいい。だからよろしく。傍で僕が誰にも負けない王国騎士になるまで楽しみに待っててほしい」
「それは勿論」
握手の催促だってすぐに気付いて、私は応じた。
因みに、さっきは血で汚れていた彼の手はもうとっくに洗ってある。だから心置きなく握手を求めたんだと思う。
「……予行練習じゃあないけどな」
「え?」
ぎゅっと握る手に少しだけ力を込められて、加えて最後の台詞だけはよく聞こえなかったけど、マルスは大丈夫って感じで首を微かに横に振った。
別に聞こえていなくてもいい台詞だったんだと思って、私は気にせずに束の間の笑みを返した。
……だけど、最悪の時は私には血の魔法だってあるし、今度こそ私のために傷付く誰かが出ないように私が盾になるわ。
日記のような目には遭わせない。
マルスの気持ちは有難いし尊重するけど、私だって護ってあげるんだから。
あなたはもう私の大事な弟分なんだもの。
でも、これを言ったら台無しだから言わないけどね。
医者を待つ間、応急処置としてマルスと二人でザックに包帯をぐるぐるときつめに巻き付けたものの、ザックは痛みに疲れたのかまた気を失ったから焦ったわ。
程なくウィリアムが近所の医院から医者を連れてきて、そこまで心配しなくても大丈夫って診断してくれた時は力が抜けたものだった。
医者は医院からの人手と共に患者ザックを担架に乗せて運んで行く。
ザックが見た目ほど深刻じゃなかったのは不幸中の幸いだわ。だから気分もだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「ありがとうウィリアム」
「僕からも礼を言う。本当に助かった」
私とマルスが口々に感謝を告げ、ザックに付き添うつもりで厨房から出て行く担架に続こうとすると、
「後は医院の方で処置してくれるだろう。付き添いたいのはやまやまだろうが、その前に知っている事情を聞かせてもらおうか」
壁に寄り掛かり、表情を厳しいものにしたウィリアムが私たちの行動を言葉だけで止めた。
確かにそうだった。再会早々に騒動に巻き込んだ感は否めなく、連絡云々とはまた別種の申し訳なさが胸に渦巻いた。
「それが実は、私も混乱してるのよね」
私は真っ直ぐにウィリアムを向いて言って、床に横たわる警備兵を見下ろす。……結構派手に吹っ飛んでたけどこの人こそ大丈夫かしら。まあけど息はしてるから自然に気が付くまでは放置でいっか。
「この人の動機に見当が付かないのよ。私が知っている限りザックと険悪なムードになったとこは見たことなかったし、トラブルの話を聞いたこともなかったから」
「僕たちを襲ったのも解せない」
「そうよね。何もしてないのに……。ああ、目撃者を口封じするつもりだったとか?」
「その可能性も否定はできない。けど、あんたはこいつがそこまで悪人だと思うか?」
悩んだように意見を口にするマルスには同感だわ。
「そうなのよね。道端でも普通に仲良く世間話とかアーニーの話を…………ああっ!」
あの子の存在をようやく意識に上らせた私は思わず叫んで口に手を当てた。
瞠目して同じような顔付きになったマルスと顔を見合わせる。
彼もすっかり忘れていたみたい。
「そうよ、アーニーは!? マルス、アーニーを見た?」
「見てない。そこまで見ている余裕もなかったし」
「もしかして怖い人が来たからって怯えてまだ部屋に隠れてるのかも。見てくるわ」
「僕も行く」
住居側へと踵を返せば背中にウィリアムの不満そうな声が届いた。
「アーニー? もう一人誰かいるのか?」
「ええ、幼稚園くらいの男の子なんだけど、ここで面倒を見てるのよ。可愛いのよこれがまた~」
気は焦りつつもデレると、ウィリアムは何だか呆れ目になった。
そうかと思えばにやりとする。
「ふうん。気の早い子育ての予行練習か? 子供が欲しいならこっちはいつでもいいぞ?」
「ばっ……ばっかじゃないの!」
んもうこの男はこんな時でも冗談かますなんてどうかしてるわ。マルスの前だし恥ずかしいじゃないの。
「それじゃあ早くその子を見つけてくるといい。突き出す前に俺はちょっとこの兵士を調べる」
壁から背を離したウィリアムは、さっさと気絶中の兵士の脇にしゃがみ込んで何かを検分し始めたから、こっちもこっちでボケっと眺めているわけにもいかないわってハッとした。
「わ、わかったわ。行こうマルス」
憮然とした面持ちで無言で頷いたマルスと一緒にアーニーを捜しに行きながら、私は内心で首を傾げた。
でも、調べるって?
あの人普通に王都警備兵でしょ。しかも意識ないから供述だって取れないだろうし。
因みに、いつも同僚とバディを組んで巡回なり何なりしているけど、今日はこの兵士一人だ。もう一人はいないのかしら。まあいても敵側なら困るけど。
やっぱり私怨……?
何であれ、是非とも早く直接本人から動機を聞きたいわね。
「こっちの部屋にはいない」
「こっちもよ」
結局、マルスとアーニーの共同部屋から始めて、この建物の住居側店舗側の全ての部屋を捜したけど、アーニーの姿はなかった。
「裏庭の方にもいなかったし、危険を察知してどこか外に逃げたなら、それはそれでいいんだけど……。近所のお宅に逃げ込んだなら、騒ぎになっていないのもおかしいから、その線もなさそうよね」
「そう思う」
「近所の道はある程度知っているにしても、まだどこかに隠れてたりもしも迷子になってるなら、早く見つけてあげないと」
小さく頷くマルスと裏口から出て、そこから通じる路地の左右を見回した。昼間だから人通りはあるけど案の定アーニーの姿は見当たらない。
「通行人の誰かに訊いてみるわ」
そう決めて歩き出そうとすると、
「アイリ……リズ、待って」
さっきまでは散々アイリスの名で呼んでたのに、マルスは最も近隣の住人に万一にも聞かれる危うさを考慮してか、律儀に言い直した。
何か私に話があるみたいね。
マルスの前に立って続きを促せば、彼は何を思ったか頭を下げた。
「改めて、ごめん。あと庇ってくれたこと、感謝してる。僕が不甲斐ないせいであんたにまで怪我をさせる所だった」
「何かと思えば……その話ならもういいじゃない」
「良くない。僕だってあんな風に……あんたの恋人みたいに颯爽と護りたかった」
「護りたかったって……」
この子は何でこうなのよ。もどかしいわね。
どうしてそこまでして私を護ってくれるの?
思えば初めからそうだった。
「ううーん、マルス、これは言ったら怒るかもしれないけど敢えて言わせてもらうわ。いくらお母さんの遺言の通りだからって、その言葉にあなたの人生を縛られるのは違うと思う。さっきだってこうして無事だったから良かったけど、庇った私を更に庇ってくれて、あなた本当に紙一重で危なかったのよ。兵士が気を変えて剣を下ろしたから斬られずに済んだってわかってる? 私なんかのためにあなた自身を犠牲にしないで」
するとマルスは自分のことみたいにムッとした。
「私なんかって言うな」
「……今のは言葉の勢いよ。別にそこまで自分を卑下してないから安心して。まあ世間的には嘆きたくなる程に私ってば悪女様だけど」
「ならいいけど、僕はあんたが悪女だろうと逃亡者だろうと……それとは正反対の何かだろうと何だろうと関係ない。何せ僕は悪名高き山賊だしな」
「あ、あー……そう言われてみれば」
ところで正反対って?
よくわからないけど、マルスとは同じ穴のムジナって程じゃあないにしろ、世間からすれば同類だから気を遣うなって言いたいのかしらね。確かにその通りだわ。うんうん。
「それに、僕には憧れているものがあるんだ」
「え、憧れ?」
唐突な話題の転換に、私は目を瞬いた。
話の続きをと待っていれば、彼は腰に戻していた剣を抜いて、何故か目の前で跪いた。
「えっちょっと何してるの?」
驚く私には構わずに、マルスは抜き身の剣を両手で捧げ持つようにする。
それまでは普通に通り過ぎていた通行人たちも気になったのか目を向けてきていた。
「ねえってば、ホントに何? どうしたの?」
冗談っぽく、まるで騎士が忠誠を誓うみたいだわなんて心の片隅で思っていると、本当に剣を私に捧げるような格好のままマルスは顔を上げた。
澄んだ青灰の瞳で真っ直ぐに見上げてくる。
「その憧れには絶対届かないけど、それでもずっとずっと小さな頃から抱いていたたった一つの夢だ」
「それは何よりね。将来何をしたいか明確な意思を持ってるって大事よ」
マルスはその綺麗な瞳の奥で、無自覚にもきらりと何か眩しくて尊いものを閃かせたように見えた。
「――僕は騎士になりたい。物語の中みたいに、たった一人の、この世で唯一の、僕だけの姫を護る騎士に」
そう語ったマルスは気負いとか遠慮とか羞恥なんて一つもなくて、ただただ堂々としている。
英雄に憧れる男の子らしい発想というか、マルスの律儀な性格ゆえの選択というか、山賊からは直接結び付かないような職業だけど、彼にとてもピッタリだって思う。
騎士だなんて、まさに時々ふとそう感じていたことでもあったしね。
そんな少年が生き生きとして私に剣を捧げようとしてくれている。
唖然としてしまった私の様子にか、マルスはちょっと苦笑した。
「まあ、騎士とは言っても、正式な王国騎士は無理だから、これは騎士の真似事だけど……」
「無理って、どうして? そんなのやってみないとわからないわ。挑戦もしないで諦めるの?」
「王国騎士なんて貴族の子弟がほとんどで、下層民には土台無理だろ」
「それって……マルスは正式な資格が欲しいってこと? 資格がないと王国の騎士じゃないって思ってるの?」
「……それはどういう意味?」
心底訝るように眉を寄せる相手へと、私は心に浮かんだままを告げてやる。
「あなたが真実命を懸けて誰かを護ると誓うなら、その瞬間にあなたはもうその誰かの立派な王国騎士よ。身分とか資格とかそんなハリポテだけがあったって、誠実がなければ騎士ってことにはならないと私は思うわ。大事なのは心でしょ? 違う?」
マルスはハッとしたように目を見開いた。
「違わ、ない……」
「まあでも、どうしても肩書きが欲しいなら、入軍には正式な身分証明が必要だろうけど、その手の証明書ならザックに頼めばどうにか無難な物を用意してくれると思う。……まあ違法だけど。あなたのお父さんはそういう点も含めてザックの所に私たちを送ったんだと思うわよ」
「……」
マルスも同感なのかそこは否定はしなかった。
「叩き上げで王国騎士を目指す気なら、私は全力で応援するわ」
「……本当に? 本気で僕が目指しても? 頑張ればなれると思うか?」
「ええ! 無責任に肯定するなって思うかもだけど、あなたの信念を貫けば実現可能だって私は私の中であなたへの確信があるもの。いつかカッコイイ騎士専用の制服を着たマルスを見たいわ」
本人じゃない私の方が自信満々にしっかりと笑みを作れば、本人の方は言葉を反芻するようにしてからやっと微笑を唇に乗せた。
「……あんたがそういうなら、大丈夫な気がする」
ふふっ自信喪失しなくて良かった~……って、そうだわ、いつまでもこんな目立つままでいられないわ。そう思ってマルスに手を差し出した。
「ほらほら立って立って。私は姫って柄じゃないわよ」
「……あんたは、本当にそう思うのか?」
「え?」
だけどマルスは手を取らず依然として私へと目を上げたまま、やっぱり剣を差し出してきた。
「こんな大変な時だけど、こんな時だからこそあんたに誓っておきたい。この先、もう僕があんたを護ってもあんたが変に気に病まないように、その関係が当たり前だって思ってもらえるように、誓いを立てたい。騎士になれるって言ってくれたあんただからこそ、余計に今ここで」
専属の護衛なんて言い方をすればお金持ちのお嬢様って印象だけど、マルスのこれはもっとロマンチックだ。
純粋に大事に想い信じ敬い、相手からも信頼されて慈しまれる、そんな乙女の理想みたいな素敵な主従像が心に浮かんだ。
揺るぎない眼差し、微かな笑みを湛える端正な面差し、全幅の信頼を寄せられているって感じる彼を包む濁りのない清冽な空気。
我知らず、頬が熱くなった。
だってこんなの、ドラマなんかの下手な求婚シーンよりも余程……くるじゃない。
恋愛感情ってことじゃない。
でも率直に言って、嬉しい。
ここまで慕ってくれているって気持ちを曝け出されて、さすがにかなり照れる。
騎士の叙勲って、ここで剣を一旦受け取って剣の腹でマルスの肩に触れたりして返すんだったっけ?
だけど、そもそも本当に私でいいの?
これからの未来で、マルスがもっと心酔する最愛の主君に出会うかもしれないのに?
「……」
彼の気持ちを無下にしたくない。だけど……。
私は剣を一度受け取って口元を引き締め、その緩みのない眼差しの下でぎゅっと握りしめただけにして、返した。
しきたりをよく知らないってのもあったし、騎士任命の所作というものをほとんどしなかった。
「それじゃ当分は私が予行練習の相手になってあげる。マルスが剣を捧げる護衛対象として護られてあげようじゃないのよ」
彼が何かを言う前に私は自身の腕を組むと、さも偉そうな様子で斜に構えた。
私が敢えて正式っぽい動きを避けたって気付いたかどうかは知らないけど、マルスはどこか困惑したような顔をしてゆっくり立ち上がると受け取った剣を収めた。
「あらなあに~その顔? やっぱり私じゃ役不足だって後悔したー?」
「違う、けど……予行練習って……」
マルスってば変な言葉でも聞いたかのようにぷっと噴き出した。
「あんたって、真面目に変な人だよな」
「ちょっと真面目に変って何よ。こんな親切なお姉さんを捕まえて失礼ね」
はははっとマルスは珍しく声を立てて愉快そうに笑った。
そして一頻り笑ってからこっちを見つめて片手を伸ばす。
「僕はあんたがいい。だからよろしく。傍で僕が誰にも負けない王国騎士になるまで楽しみに待っててほしい」
「それは勿論」
握手の催促だってすぐに気付いて、私は応じた。
因みに、さっきは血で汚れていた彼の手はもうとっくに洗ってある。だから心置きなく握手を求めたんだと思う。
「……予行練習じゃあないけどな」
「え?」
ぎゅっと握る手に少しだけ力を込められて、加えて最後の台詞だけはよく聞こえなかったけど、マルスは大丈夫って感じで首を微かに横に振った。
別に聞こえていなくてもいい台詞だったんだと思って、私は気にせずに束の間の笑みを返した。
……だけど、最悪の時は私には血の魔法だってあるし、今度こそ私のために傷付く誰かが出ないように私が盾になるわ。
日記のような目には遭わせない。
マルスの気持ちは有難いし尊重するけど、私だって護ってあげるんだから。
あなたはもう私の大事な弟分なんだもの。
でも、これを言ったら台無しだから言わないけどね。
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婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
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