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第一部

14 深夜の魔法使い5

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「そ、そもそも生意気なのよ! 確かあなたまだ十代でしょ、歳上のおねーさんを嘗めんな。全く、人を騙しておいてその余裕綽々って態度どうかと思うわよ。……ま、まあ今のうちに謝れば赦してあげるけど」

 色んな意味で顔を真っ赤にした私の剣幕に、らしくなくキョトンと瞬いたウィリアムは、まじまじと私を見てきたかと思えば、ふふんと息を吐き出した。

「悪意から騙したわけじゃない。これも一種の駆け引きだろう? ――恋愛の」
「なッ……まいき!」
「生意気生意気と言われても、俺は十六の君より一つ上だ。そっちこそおねーさんだとか意味不明な事を言うな」
「それはだから」
「あくまで今の君はアイリス・ローゼンバーグでしかないんだろう?」
「うぐっ」

 前に自分で言った台詞で揚げ足を取られた。
 確かにその通りだけど、心はそう簡単には割り切れないってのよね。
 上手い反論も思い付かず黙ったまま静かに腹を立てていると、ウィリアムは懲りずに人の髪を勝手に指先に攫った。

「ちょっと!」
「さすがはアイリス嬢だ。こんなに長くてもよく手入れされてるな」

 褒めの言葉を一人で勝手にうそぶいたかと思えば、彼は魔法で私の髪を乾かしてくれた。
 温かい風がうなじの産毛をくすぐったかと思ったら、あら不思議、一秒後にはさーらさら。

「え、すごい、こんな事もできるんだ」
「まあな。基本的にどの魔法属性でも使えるからな俺は」

 自分の髪の毛を手で梳いて思わず感激してからウィリアムにくるりと向き直る。直前までの不機嫌なんてどこかに行ってしまった。

「この乾燥力、干物工場とかで引っ張りだこね!」
「……」
「一応ありがとうってお礼は言っとくわ。でも魔法ってどれだけ便利なのよ。魔法使いって皆こうなの?」
「いや、普通は魔法属性との相性もあるからどの系統でも使えるわけじゃない。あとはもっと呪文詠唱に時間が掛かったり道具や材料を揃えたりと手間が要る。無詠唱オールラウンダーの俺は別格なんだ、いわゆるチートってやつだな」

 別格とか自分で言っちゃうんだ。へー。まあいいけど。
 でもこの便利さなら利用される云々も多少は頷けるかも。

「俺は面倒事を好かないから、人には言わないことにしているんだよ。君を手伝うのは特別にだ。何しろ未来の我が奥方だからな」
「あなたの未来の奥様は予定通りニコルちゃんよ」
「それはないな」
「どうして言い切れるのよ」
「俺がそう決めたから。生活に支障を来さない範囲で自分の気持ちに自由に生きるようにしているんだ」
「身勝手の間違いでしょそれ。私を巻き込まないで」
「俺を引き入れたのはそっちが先だろう」

 ああハイハイそれってベッドにって意味よね。
 私のせいじゃないってのに、言い返せないのが悔しいわ。

「だからアイリス」

 何やら急にウィリアムの圧が増した。
 本能的に警戒心が込み上げて身構えた私はけれど、すくい上げられるようにして彼に横抱きに抱き上げられた。

「ちょちょちょっと!?」
「耳の近くで喚かないでくれ。もう少ししとやかにしたらどうだ?」
「大きなお世話よ! 嫌なら下ろして!」
「こういうのも案外癖になるかもしれない」

 本気か冗談かよくわからない薄い表情で答えるウィリアムに、扉口からベッドまで運ばれて、そのまま放り投げられるかと思いきや、彼は私を抱いたままベッド端に腰かけた。
 今度は肩だけを抱かれ支えられたまま、頬に手を当てられて美の男神もかくやな端正過ぎる顔を近付けられれば、直前までの威勢はどこへやらだ。

「え、な、冗談よね?」
「冗談に見えるのか?」

 見えない。

 だってわざわざここまで来たくらいだし。

 昨日のアイリスだったらうっとりして諸手を挙げての歓迎ムードに違いなかったろうけど、私は違う。

「これが協力の見返りってわけ? ちょっと卑怯じゃない?」

 なけなしの意地を振り絞って目に力を込めて睨み上げれば、ウィリアムは動じた様子もなくどこか冷めたような艶麗さで唇に弧を描く。

「どう捉えてもらっても構わない。ただ、君が他に逃げられないように、俺たちの関係を世間が周知するように、こうして何度も既成事実を作って俺に有利に運ぼうと思ってはいる。ウィリアムという人生は一度きりだしな。たとえこの結婚のように避けられない事案だとしても楽しまなければ損だろう?」
「楽しむって……」
「ニコルとおままごと夫婦するよりも、アイリスとの方が面白そうだって意味だ」
「性格悪っ」
「奇遇にもお互い様だな」

 むうう~~~~っ。
 ああもうどえらい男に目を付けられちゃったわ。

「心から嫌なら俺を殴ってでも逃げ出せばいい」
「そんなの当たり前じゃない。覚悟しなさいよこのパツキン腹黒!」

 拳を握って振り上げた。
 なのに彼は一切怯んだ色を瞳に散らすこともなく、ただひたすら私を試すような目で見つめてくる。
 潔いのか度胸が据わっているのか、それとも私がそんな無体をしないと本気で思ってるのかはわからない。
 でも握り締める力は強まったのに、それを彼の方に振り下ろせない自分がいる。

 これは体に刻まれた元祖アイリスの躊躇ちゅうちょ

 ううん、違う。

 元のアイリスはこれでもかって程にもういない。

 これは私の躊躇ちゅうちょだ。

 助けてもらったからかもしれない。
 葵みたいって一瞬でも思ってしまったせいかもしれない。
 この上なく無様な弱さを見せたのに、でも彼はそれを嘲笑ったりせず慰めてくれた。想像とは違う優しい面を知ってしまったせいなのか、抗いたいのに決断できない。
 色々な事が一気に起き過ぎて頭の中の整理が出来ていないんだわきっと。
 だって自分の気持ちなのに自分でもよくわからないなんておかしいでしょ。

 迷いの中で大きく動揺していると、彼が身を屈めてきた。

 微かに彼から漂う石鹸っぽい良い香りに包まれて、それが葵が好きな香りと似ていて困った。
 思い出して胸が締め付けられる。

 この目の前の男への想いじゃないのに、一瞬錯覚しそうになった。

「アイリス……」

 視界一杯にウィリアムしかいなくて、もう逃げられないと焦燥の中で悟った。

「――葵……ッ」

 ギュッと目を閉じ小さく助けを求めた未だ最愛の名に、落とされる寸前だった口付けが止まり、息遣いが遠のいた。

 え……?
 気が変わった……の?

 薄らそろりと片方の目だけを開けて窺えば、ウィリアムは顔を離し何故か自分の首筋に手を当てて辛そうな面持ちで俯いている。
 彼のその真一文字に引き結ばれた唇に苦悩が垣間見えるようだった。

 そこは私が寝ぼけて噛み痕を付けた場所だったけど、この時の私はそこまで思い出す余裕もなく、ただただ気が抜けたように彼を見つめるだけだった。

「ウィリアム……?」

 一体何がどうしたって言うのこの人?
 具合が悪くなったとか?
 僅かな心配を滲ませた視線を向けるけど、彼は私と視線を合わせないまま小さく唇を動かした。

「君は……本当は誰なんだ?」

「え――……」

 どういう意味?

 疑問を浮かべる私の菫色の瞳に、目を上げたウィリアムの切なげとも言える面差しが映り込む。

「俺も……アオイを知っ――…」

 刹那、バーン!と大きな音を立てて部屋の扉が開かれた。

 思考は見事に途中でぶった切られ、ここが現代日本だったなら近所迷惑必至だろう唐突な大音にビックリして、私はパチリと両目を開けていた。

 え? な、何……?

 でも何かこんな感じの乱暴な音って記憶に新しい気がするなぁ~?

 あっはは、気のせい~?
 気のせいかしらあ~~~~?
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